覆面記者の目

ACL Elite 準決勝 vs.アル・アハリ・サウジ KASC(4/21 01:15)
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  • 1前半0
    0後半2
  • 2
  • アル・アハリ・サウジ
  • 武藤 嘉紀(31')
  • 得点者
  • (62')ガレーノ
    (70')イヴァン トニー


アジアの頂点
 「今は(アジアの頂点を)取れなかった悔しさが大きいです。このチームだったら取れたし、今日も勝てたと思っています」
 これは試合後に「チームとして得た財産」について尋ねられた際に、武藤嘉紀が発した言葉だ。さらに武藤は「もう1つ歯車がかみ合えば勝てたと思いますが、ここで(勝利を)持っていかれたということは、自分たちの力が足りなかったということだと思う」と言葉を続けた。
 正直に言って、この試合をどのように見るべきか、筆者の中で未だに定まっていない。筆者も武藤と同様に、今のヴィッセルならばアジアの頂点に立てるのではないかと思っていたからだ。しかし残念ながら現実はそうではなかった。この試合でアル・アハリ・サウジが見せた力強さやスピード感がヴィッセルを上回っていたことは間違いない。「純粋な力負け」と見るべきなのだとは思うが、前半にヴィッセルが見せた戦いが見事だっただけに、どうにも割り切れないのだ。試合に際して、ヴィッセルに油断があったとは思えない。メンバーを見ればアル・アハリ・サウジが、準々決勝で対戦したアル・サッドと並ぶ強敵であることは誰の目にも明らかだった。それを理解しているヴィッセルが、中3日という限られた時間ではあったが、万全の準備を整えていたことは間違いないだろう。ミヒャエル スキッベ監督も試合の流れに対応するべくベンチメンバーを揃え、状況に応じた采配を続けた。しかし結果は敗退となった。こうした状況を考え併せれば、「アジアの頂点まではあと少し何かが足りなかった」と見る他ないのだろう。
 メジャーリーグ最後の4割バッターとして知られる故 テッド ウイリアムズ(ボストン・レッドソックス)は、1941年に4割6厘という打率を記録した。最後の試合を前にしたウイリアムズの打率は0.39955だった。このままでも公式には4割と記録されるため、周囲は欠場を勧めた。しかしウイリアムズは「ベンチに座ったままで4割打者になるのは嫌だ」と言って、試合に出場した。そして最後のダブルヘッダーで8打数6安打という記録を残し、公式記録を4割6厘とした。ウイリアムズは試合後のロッカールームで「It's a sad thing」と呟いたとされている。「哀しいね」と訳されることが多いが、その真意は目標を見失った寂しさだったとされている。最後まで理想の打撃を追い続け、1960年の引退試合では、自らのホームランに湧き上がる観客に対して帽子を取って応えることすらしなかったと言われる求道者ならではなのかもしれない。野球人生をかけて挑戦した「4割」という極限とも思える目標に到達してしまったことで、その先の目標を見失った虚脱感に包まれてしまったのではないだろうか。
 このウイリアムズのエピソードは、挑戦し続けている時期こそがアスリートにとっての幸福であることを示しているように思う。繰り返しになるが、ヴィッセルにとってアジアの頂点は決して遠い目標ではない。4度目の挑戦にして2度目となる準決勝の舞台だったが、確実に頂点の座は近づきつつある。今ヴィッセルが進んでいる道は、決して間違えてはいない。今はこの道を必死に進み続ける他ない。「百里を行く者は九十を半ばとす」ではないが、この最後の一押しは、ひょっとするとこれまで費やしてきたのと同等の努力を必要とするのかもしれない。しかし今は、この日の試合で前半にアル・アハリ・サウジを圧倒したことを自信として、前に進み続けてほしい。それは見えないような遠い目標を追う作業ではなく、身近にイメージできる近い目標なのだ。ヴィッセルはまだまだ強くなることができる。

アル・アハリ・サウジ
 Jリーグにおいて、ヴィッセルは「タレント軍団」と称されることが多い。大迫や武藤、酒井を筆頭に代表経験者が多く名を連ねているためだ。しかしアル・アハリ・サウジはこれを遥かに上回る「世界規模のタレント軍団」だった。
 GKのエドゥアール メンディ(セネガル代表)を筆頭に、ロジェール イバニェス、ガレーノ(ブラジル代表)、ザカリア ハウサウィ、ライアン ハメド(サウジアラビア代表)、メリフ デミラル(トルコ代表)、フランク ケシエ(コートジボワール代表)、リヤド マフレズ(アルジェリア代表)、イヴァン トニー(イングランド代表)と、スターティングメンバーのうち実に9人が代表経験を持っている。また代表歴のないヴァランタン アタンガナとエンツォ ミローにしても、フランスの世代別代表経験は持っている。名前でサッカーをするわけではないが、ヨーロッパでのプレー経験も豊富なこうしたメンバーを擁するアル・アハリ・サウジが「アジア屈指のタレント軍団」と言われるのは、ごく自然な話だ。
 このアル・アハリ・サウジだが、戦い方は極めてオーソドックスだった。自陣では強さと高さで守り切り、ボール保持時には一気に力とスピードで前に出る。これを90分間続けることで、相手の体力を削り取っていくというのが、チームとしての戦い方だったように思う。これだけの実績を持った選手が揃っている以上、他の選択肢もあるようには思えたが、そこには中東のクラブ独特の事情が影響しているのだろう。これを考える上では、ヴィッセルとの対比にすると興味深い。
 ご存じのようにヴィッセルには「育成・発掘型クラブ」としての側面がある。これは、トップチームで活躍する経験豊富な選手が目立っているため、Jリーグファンの中でも意外と気付かれていないが、アカデミーとの連携という点においてヴィッセルは、近年目覚ましい実績を残している。この試合の登録メンバーを見ても山川哲史、佐々木大樹、山田海斗、濱﨑健斗と4名のアカデミー出身者が名を連ねている。これに対して中東の多くのクラブは、海外、特にヨーロッパで結果を残している選手を集めてチームを構成する。
 こうしたタイプの違いは、チーム作りに表れる。ヴィッセルのやり方では、クラブとして統一された意思が優先されるため、オリジナリティを持った戦い方を選択することもできる。これに対して中東の方法では、各選手の意思統一を図る時間が必要になる。それを短縮するためには、誰もが共通理解として持っているオーソドックスな戦い方を選択せざるを得なくなる。そしてその中で結果を残すためには、「より能力の高い選手」を獲得し続けなければならない。中東のクラブがこうした選択をできる背景には、豊富な資金力があることは間違いない。これらは優劣の話ではなく、哲学の違いだ。どちらにも一長一短があるのは当然だが、ヴィッセルが前半だけとはいえ、完全に試合を支配したことは、クラブの方向性の正しさを裏付けているように思える。
 話をこの日の試合に戻すと、アル・アハリ・サウジが見せた力強さとスピード感は、東アジアでは見ることのないものだった。その意味では準々決勝で戦ったアルサッドとも共通していた。特に後半、逆転を狙ってからの戦い方には、シンプルであるが故の怖さがあり、ここで流れを押し戻せなかったことが、ヴィッセルの敗因と言えるだろう。自陣からのロングボールに前線が走り、身体の強さでボールを落とす。そこに入ってきた選手も強さでボールを奪い、前に出る。この単純とも言える動きを繰り返し受けたことによって、ヴィッセルは体力を削られていった。その結果ヴィッセルの守備は崩されたわけだが、戦術的に崩されたという印象はない。例えて言えば「理屈を力でねじ伏せられた」というのが、この試合を描写するうえでは正しい表現であるように思う。

勝負の鍵
 この日の試合展開はアルサッド戦と似通っていたように思う。しかしアルサッド戦以上に、ヴィッセルが主導権を握る時間は長かった。そこで大きな力となっていたのが、左サイドバックの永戸勝也だった。狙いは4ー2ー3ー1でセットしたアル・アハリ・サウジの右サイドだった。永戸が対面したマフレズは前に出る力はあるが、守備に戻る部分に弱点がある。永戸が裏を取っても、マフレズが戻って守備をする場面は、それほど多くはなかった。加えて右サイドバックのハメドに対して、佐々木が圧倒的な優位を確立していた。データによれば佐々木とハメドはともに180cmと身長は一緒なのだが、空中戦は佐々木の圧勝だった。この2つの要素によって、ヴィッセルは左サイドに起点を作り続けることに成功し、それが主導権を握った前半を作り出した。
 前記したように、アル・アハリ・サウジは組織的な守備ではなく、個々の強さを前面に出した守りを見せ続けた。ヴィッセルが最終ラインの前にあるスペースにボールを入れ、そこから攻撃を続けても、前線の選手が戻って守備をする場面はほぼ見られなかった。個々の選手に対する信頼感の証明と言えるのかもしれないが、これは少々意外だった。これに対してヴィッセルは相手の弱点を見つけ、そこを衝き続けた。的確な分析とそこを突くための戦術が見事にマッチしていたと言えるだろう。試合には敗れたが、この弱点を徹底的に衝いていくという戦い方は理にかなっている。あらかじめ定められた「自分たちのやりたいこと」ではなく、相手に応じて「やりたいことを定める」戦い方は、今後も続けていくべきものだ。
 試合の流れを変えたのは1つの選手交代だったように思う。スキッベ監督は後半開始から郷家友太に代えて、日髙光揮を送り込んだ。前記したようにアル・アハリ・サウジの守備は個人対応が多かったのだが、そこで唯一周囲を活かすように動いていたのが、ボランチのケシエだった。ケシエはボールサイドに寄りながら、こぼれ球にも反応し、自分たちの時間を作り出そうと動いていた。そのケシエを消し続けていたのが郷家だった。この試合に限ったことではないが、郷家はボールよりもスペースに関与することが多い。もちろんボールを握る技術もあるのだが、それ以上に戦術眼をスキッベ監督は評価しているのだろう。郷家がケシエからスペースを奪い続けたことで、前半のアル・アハリ・サウジは前後が分断されており、攻撃は単発に終わることが多かった。この試合の中盤は井手口陽介と郷家、そして満田誠の3人だったが、スキッベ監督は井手口と郷家に守備を担当させ、満田には攻撃的な役割を与えた。その結果、井手口と郷家は前後でフィルター役を担う格好となった。最初のスペースを郷家が消し、そこを越えてきたボールは井手口が回収するという役割分担は効果的だった。
 ではなぜスキッベ監督は郷家に代えて日髙を送り込んだのだろう。そこにはこの試合の判定基準が影響していたように思う。この試合を運営した主審のイルギス タンタシェフはコンタクトプレーに寛容だった。とはいえ野放図にファイトさせるのではなく、危険なプレーには躊躇なくカードを提示した。5万人を超えたとみられるアル・アハリ・サウジへの声援が作り出す、一種異様な雰囲気に呑まれない試合運営は、さすがにアジアを代表するレフェリーだった。そのタンタシェフ主審から、郷家は前半にイエローカードを受けていた。スペースを消すという役割を担っている以上、郷家には強度の高いプレーが求められる。そのため2枚目のイエローカードを受ける危険性が高いと、スキッベ監督は判断したのではないだろうか。
 後半から出場した日髙の特徴は攻撃面にある。前に向けてボールを動かし、自らも積極的に前に出る。このプレースタイルが、明治安田J1百年構想リーグ(以下百年構想リーグ)でのゴールに結びついている。こうした日髙のプレースタイルは、スペースを消すという作業には不向きだ。スキッベ監督はケシエに対しての強い守備を求めたのだとは思うが、日髙の直線的な守備はケシエを止めるには至らなかった。ここで注意してほしいのは、これが郷家と日髙の優劣の話ではないということだ。あくまでも両選手のスタイルの違いでしかない。もし郷家が前半に警告を受けていなければ、スキッベ監督はメンバーを変更しなかったのではないだろうか。それであれば、試合の流れは異なるものになっていた可能性は高い。そう考えると、郷家への警告が前半終了間際であったことも悔やまれてならない。
 1つだけここで試合の流れをつかみ続ける可能性があるとすれば、日髙の投入と同時に佐々木と満田のポジションを入れ替えることだったように思う。満田を左ウイングに出し、佐々木をインサイドハーフに入れることができれば、守備の強度は多少なりとも上がったように思う。佐々木にはボールを握り続ける強さと技術があるため、ここで佐々木が中央で日髙をフォローするように動くことができれば、アル・アハリ・サウジの前後を分断することができた可能性はあったように思う。しかしその場合は、攻撃の形も変わってしまう。前記したように永戸と佐々木の左サイドが前半は機能していただけに、スキッベ監督としても動かし難かったのだろう。

守るべきものと課題
 後半の展開を見れば、アジアの頂点は遠いもののように映ったかもしれない。しかし繰り返し述べているように、前半は完全にヴィッセルが試合を支配していた。あの状態を続けることができれば、勝敗は異なるものになっていた可能性は十分にある。そうした視座に立って、ヴィッセルがこの先も守っていくべきものと改善すべき課題について考えてみる。
 まず守るべきものだが、これは現在のチームにとっての根幹でもある、前線からの連動したプレスと攻守の素早い切り替えだ。この日の試合でもこれは一定以上の効果を発揮しており、アル・アハリ・サウジの選手たちにやり難さを与えていた。また前記した相手の弱点を突き続ける攻撃も継続してほしい。今のヴィッセルの選手たちならば、弱点を突く方法はいくらでも見出せるだろう。以前のように攻撃方法を固定化してしまうのではなく、様々な形から崩していく多様性を、今のヴィッセルは見せている。攻撃というと最後の仕留める部分に目が向きがちではあるが、大事なのはその手前の部分だ。
 次に課題についてだが、これは守備の改善ということになるだろう。今のヴィッセルにおいて球際での強い守備は、全ての選手に浸透している。これはヴィッセルの強さを支える大きな武器となっているが、ここから次のステップに進む時を迎えているように思う。それは前記した佐々木と日髙の箇所にも共通しているのだが、全ての選手にスペースを消す守備も修得してほしい。今のヴィッセルの戦い方においては、ボール保持時には前に向けて時間とスペースを送っている。これがゴール前の厚みにつながっているのだが、スペースを消す守備ができるようになると、相手から時間とスペースを取り上げることができる。この試合の後半、ボールに対する守りは続いたが、そこにスペースを守るという部分が足りなかったように思う。そのためこぼれたボールをスピードで奪われ、連続攻撃を許すことになった。ここでスペースを守ることができていれば、球際で負けたとしても、簡単に前進させることはない。
 このスペースへの守備というのは、相手の優位性を破壊するための守備だ。そこでは予測をもってスペースを埋めることで、相手に動き難さを与える。ボール奪取できればベストだが、局面によっては相手の出足を潰し前を向かせないだけでも、味方にとっては時間とスペースを受け取ることができることになる。そしてこれを効果的なものとするためには、チーム全体がコンパクトに保たれていなければならない。この日の試合について言えば、後半は押し込まれる中で全体が間延びし、それが自陣からのボール脱出を難しくした側面もある。ボールへの意識はあったが、そこにスペースへの意識が加わっていれば自陣から攻撃を組み立て直すこともできたはずだ。試合後に井手口は「自分たちがボールを持った時に、もう少し勇気を持ってプレーできれば、また違った展開になったんじゃないかなと思います」、「試合の流れが悪くなった時にロングボールだけになってしまうとこういう展開になってしまう」と、この試合から見えた課題を挙げた。この解決こそがアジアの頂点に立つ上で、最大の課題となる。
「相手を動かしてスペースを潰す」
 全ての選手に今の球際での強さを保ちつつ、スペースへの意識を高めた守備に取り組んでほしいと思う。

決定機
 デザインされたセットプレーから幸先よく先制したヴィッセルではあったが、結果的に追加点を奪えなかったことが、最後まで大きく響いた。その意味でも2度の決定機をものにできなかった佐々木にとっては、悔いの残る試合になったことだろう。
 最初の決定機は42分だった。GKの前川黛也の蹴ったボールが伸びて、相手最終ラインの前で大きく弾んだ。これに対応したアル・アハリ・サウジのセンターバックは目測を誤り、ボールは裏に抜けた。ここに走りこんだ佐々木は、これをダイレクトにシュート。これは力なく、相手GKが難なくキャッチした。2度目の決定機は54分だった。相手最終ラインが後ろ向きにクリアしようとしたキックがミスとなり、これを右サイドを抜けた満田が拾い、マイナス気味の横パスを出した。これを佐々木がペナルティアークで受け、じっくりと狙った上で、左足でシュートを放った。しかしこれはバーを叩いてしまった。これはどちらも1-0でヴィッセルがリードしていた局面であったため、どちらかでも決まっていれば、試合の流れは全く異なるものになっていただろう。
 この2つのシュートシーンで佐々木が見せた選択は逆だったように思う。最初のチャンスでは完全に前に抜け出しており、背後から追ってきた相手選手は手を伸ばしていたため、倒されたとすればPKが与えられた可能性は高い。そう考えれば、この場面で佐々木は落ち着いてシュートを狙うべきだった。逆に2度目のチャンスでは、完全にフリーであり、前には大迫が余裕を持って立っていたことを思えば、落ち着いて狙うのではなく、急いで「大迫がコースを変えてくれれば」くらいの気持ちで流れの中でシュートを打つべきだったように思う。このいずれの場面も佐々木は、相手GKの実績や能力を意識しすぎてしまったのかもしれない。しかしどちらもシュートの体勢を作るまでの動きは素晴らしかっただけに、この状況判断には悔いが残ってしまう。
 こうしたプレーの後では「決定力」という言葉が浮上する。この「決定力」を高めるというのは、チームではなく個人で取り組む課題だ。そこでは「技術」と「心」の2つを鍛えなければならないとされている。
 技術的な面で大事なことは3つだ。それはGKを見ること。シュートから逆算したトラップを意識すること。そして自分の型を持つことだ。
 次に心の面だが、ここでは全力で打たないという心の余裕が必要とされている。「シュートはゴールネットへのパス」と言われることも多いが、まずは正確にコースに蹴りなさいということだろう。力が入りすぎてしまうとミート率は低下する。これを防ぐためには、常に心にゆとりを持っておくことが重要だ。
 準決勝という大舞台で緊張もあったことは想像に難くないが、エースナンバーを背負う以上、佐々木には決めてほしかったというのが正直な気持ちだ。佐々木には、こうした場面でも精神的なゆとりを持てる選手へと成長してほしい。

ACLEの意味
 2020年に本大会の前身であるACLに初めて出場して以降、ヴィッセルは6年間で4度の出場を果たしている。今回は悔しい結果に終わったが、大会を通じてヴィッセルが見せた姿は、ヴィッセルがアジアの頂点に向け、確実に歩を進めていることを感じさせてくれた。冒頭で紹介した武藤の「このチームだったら取れた」というのは決して過大評価ではない。改めてこの大会を戦った選手、スタッフ、そしてサポーターには拍手を送りたい。
 ヴィッセルにとっての今大会は終了となったが、得たものは多かったように思う。特に多くの選手がこの舞台を経験したことで、Jリーグ以外の世界を体感できたことには大きな意味がある。Jリーグのレベルが低いなどと言うつもりは毛頭ないが、Jリーグで通用していることが通用しない世界を知ることができたのは、自らの目線を引き上げる上で大きな効果を持っている。特にアルサッド戦やアル・アハリ・サウジ戦で経験したパワーとスピードは、世界を意識する上での基準となるだろう。
 世界基準という意味では、Jリーグにも望みたいことがある。それは審判技術の向上だ。Jリーグ基準と言われる笛を改善し、それを選手たちに日ごろから経験させることはJリーグを強くする上で、大きな意味を持っている。Jリーグを運営している審判員の貢献には頭が下がるが、それでも世界基準との間には差異があるように感じる。審判の名誉を守ることはJリーグの義務だが、それが過保護になってしまうことのないよう、そして審判にも成長を促し続けるリーグであってほしいと切に願う。
 こうした経験を積むことができるというだけでも、AFCチャンピオンズリーグエリート(以下ACLE)には出場するだけの価値がある。だからこそヴィッセルにはJリーグの中で「強者」であり続けてもらいたい。そして「ACLEの常連」になってほしいと思う。試合後に武藤は「今は先を見るのは難しい」とした上で、切り替えるしかないと自らを鼓舞するように語った。酒井や大迫とともに、ここまでチームを牽引してきた武藤だからこそ、この日の敗戦がショックだったことは理解できる。だからこそ敢えて言いたい。佐々木や山川には「自らがチームを引っ張っていく」という意識を強く持ってほしい。この先も大迫や武藤、酒井の力は絶対に必要だ。しかし彼らを引っ張っていくような存在が出てきたとき、ヴィッセルは本当の意味で次のステージに歩を進めるのだと思う。
 チームを牽引するというのは、言葉ほど簡単なことではない。他人に要求するということは、自らのプレーが常に高次元にあることが条件となるためだ。しかしヴィッセルにはそうしたお手本を示してくれる選手が複数人いる。これは僥倖という他ない。だからこそ彼らが元気な今のうちに、それを超えるものを見せ、その存在感を受け継いでほしい。そしてそのサイクルがクラブに定着した時、ヴィッセルは誰もが認める強豪クラブとしてアジアで知られる存在になるだろう。
 このサイクルを作り上げるためにも、ACLE26/27の出場権を獲得しなければならない。そのためには現在地域リーグラウンドで首位に立っている百年構想リーグを制する必要がある。ヴィッセルにとっての再開初戦の相手は、前回対戦ではPK負けを喫したC大阪だ。試合までには中7日ある。帰国後の時差調整、疲労回復を考えれば、決して十分な時間とは言えない。しかし次のステップに進むためには、それすらも乗り越えなければならない。ゴールデンウイーク初日、経験を力強さに変えたヴィッセルの姿が見られることを確信している。
 最後にサポーターの皆さんにお願いがある。それはC大阪戦に足を運んでほしいということだ。そして1人でも多くの人に、今回の激闘を見せてくれた選手たちに賞賛の拍手と新しい門出への声援を送ってほしい。ヴィッセルにかかわる全ての人の「一致団結」した姿は、アジアの頂点への切符でもある。