覆面記者の目

天皇杯 決勝 vs.町田 国立(11/22 14:00)
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  • 町田
  • 3
  • 2前半0
    1後半1
  • 1
  • 神戸
  • 藤尾 翔太(6')
    相馬 勇紀(32')
    藤尾 翔太(56')
  • 得点者
  • (62')宮代 大聖


 93年のJリーグ発足以降、天皇杯連覇を成し遂げたクラブは2つ。浦和(05&06)とG大阪(08&09、14&15)だ。そして今年、ここにヴィッセルが名を刻むはずだった。

 リーグ戦最終盤に「J1リーグ3連覇」の夢が断たれたヴィッセルにとって、この「天皇杯連覇」だけは絶対に成し遂げたい目標だった。チームの精神的支柱の1人である酒井高徳は、この天皇杯決勝を前に「強くなるため、僕らみたいなチームに必要なのはタイトル。毎年何かしらのタイトルを獲るステータスがチームのベースにつながり、試合に向かう気持ちに関わってくる」と、タイトル獲得の意味を言葉にしていた。この酒井の気持ちを、チーム全員が共有していたことに疑いはない。過去2シーズン、Jリーグを牽引してきたヴィッセルではあるが、その根底には選手たちの「自分たちがヴィッセルの新しい時代を作る」という強い気持ちがあった。だからこそ厳しい日程の中でも、チーム全員の力で乗り越えることができたのだろう。しかしこうした「気持ち」だけで勝てるほど、今のJリーグは甘くはない。J1リーグ連覇を成し遂げたことで、ヴィッセルはライバルたちの目標となり、徹底的に研究されつくした。その結果、今季は過去2シーズンに比べて得点力が低下した。もちろんそこには大迫勇也と武藤嘉紀の「2大エース」の戦線離脱など、人的な影響があったことは事実だ。しかしそれ以上に大きな問題は、これまでの戦い方では通用しなくなりつつあるという点だ。事実、大迫や武藤が戦線に復帰した後も、得点力は回復していない。前線でボールを収める、低い位置からドリブルで前に運ぶなど、彼らが持っている力を活かしたプレーは見られるのだが、それを得点という形に結びつけることができていない。


 以前、筆者は「ヴィッセルのベースは守備にある」と書いた。その考え方は今も変わっていないが、今はこの守備力を攻撃に結びつけるところが巧く機能していないように見える。そしてその理由は、厳しい言い方になってしまうが、これまでに顕在化していた問題に対する解決の遅れにあるように思える。「控え選手の底上げ」、「自陣からの効果的なボール脱出」、「攻撃方法の拡幅」といった問題を今のヴィッセルが内包していることは、今季序盤から諸所で見られていたが、今に至るまで大きな改善がないままであるように見える。シーズン当初からの「超過密日程」によって、それを図るための時間がなかったことは事実だが、結果としてこれがシーズン最終盤に「枷」となったのではないだろうか。
 以前にも書いたことではあるが、完璧な戦術はない。一時的にライバルたちを圧倒することはあったとしても、それはすぐに普遍化し、対応策を講じられてしまう。だからこそどんな状況であっても、チームは「進化」の速度を緩めてはならない。

 1965年に心理学者のブルース. W. タックマンが発表した論文によって、チームビルディングの過程が言語化された。これが「タックマンモデル」と呼ばれるものだ。それによれば、他人の集合体であるチームが機能性を獲得する過程では形成期(Forming)、混乱期(Storming)、統一期(Norming)、機能期(Performing)、散会期(Adjourning)という5つの段階があるという。まず形成期ではメンバー間の特徴を把握するためのコミュニケーションの活性化が重要だという。次の混乱期ではメンバー間の考え方の違いなど、個々の差異が明確になる。これを乗り越えると統一期を迎える。ここでチームとしての機能が備わり、規範が確立される。次にやってくるのが機能期だ。これは完成形と換言することができる。チーム全体のパフォーマンスが最大化される時期だ。そして散会期を迎え、再び新しいチーム作りが始まる。
 この「タックマンモデル」は主にビジネスの現場で使われるものであるため、そのままサッカーチームに適用できるものではないが、参考になる部分は大いにあると思う。ここで問題となるのは、今のヴィッセルがどの段階にいるのかという問題だ。これは人によってとらえ方も変わると思うが、筆者は統一期にいるように思う。吉田孝行監督は就任からの2年半でヴィッセルのサッカーを確立し、複数のタイトルを獲得した。ここに至る中で戦い方を整理し、それをチームに浸透させた。そのためチーム内での混乱は全く見られない。タックマンは統一期に必要な要素として、メンバーの自律的な行動の確立を挙げている。この自律的な行動というのは、チームとしての規範を逸脱するものではない。メンバーの全てが規範を熟知していることを前提として、その中で個人の判断が尊重されるということだ。
 今のヴィッセルは戦い方が定まっており、それが強さの源となっているのだが、ともすると「自分たちのやり方」に縛られてしまっているように見える場面もある。しかし時には規範を逸脱しているように見えるプレーが、チームの規範を活かすこともあるのではないだろうか。例えばチームとしては外からのクロスで得点を狙うとしても、相手の警戒を解くために、敢えて中にドリブルで切れ込んでいくようなプレーだ。全ての選手がチームの戦い方を理解し、それを受け入れているのであれば、その中では意外性を持ったプレーは許容される。だからこそ今は、能力を持つ選手たちが、自分の特徴をチームの戦い方の中で活かす方法を見つけるべき時期であるように思う。
 前記した「タックマンモデル」によれば、この統一期を越えることができれば、次は機能期がやってくる。チームとしての最大値を発揮できる時期だ。ここに移行することができた時、ヴィッセルは本当の「黄金期」を迎えることができるように思う。

 この日の試合は入り方が全てだったように思う。試合後、ヴィッセルの選手たちからは「フワッと入ってしまった」という発言が多く聞かれた。この「フワッと」という言葉だが、これは決して集中できていなかったということではない。まずはここを読み解くことから始めたい。
 試合後の会見の中で、吉田監督は何度も「自分の責任」という言葉を口にしていた。それは単に勝敗の責任を取るというだけの意味ではないように思う。吉田監督は試合を総括する際に「自分たちもしっかりと準備はしてきたが」と前置きした上で、前半の2失点が痛かったと語った。その後、質問に答える中で2つのことを明らかにした。1つは町田の戦い方は想定内であったということだ。そしてもう1つは前からのプレスを敢行し、奪ったときにはロングボールで前進するという指示を出していたということだ。そしてこれが試合を難しくした1つの原因であるということを認めた上で「もう少しボールを持ってもよかったと感じています」と、反省の弁を口にした。これは厳しい言い方をすれば「作戦が嵌らなかった」ということになる。
 これはどのチームにも共通していることではあるが、試合開始直後のプレーには何らかの意思を込めている。もちろんそこだけで試合の趨勢が定まるわけではないが、戦う上での「雰囲気づくり」という点においては大きな意味を持っているためだ。キックオフ直後のプレーが嵌った時、チーム全体には「いける」という気持ちが生まれる。そのため試合開始直後のプレーについては、細かく指示を送る指導者も多い。
 試合開始直後から町田はロングボールを多用してきた。前記したように、これは吉田監督
にとって想定内ではあったが、ヴィッセルの選手に嫌な印象を植え付けたように見えた。この町田の勢いに押され、ヴィッセルは前からのプレスが嵌らず、後ろの選手は蹴り返すために前に出ることができないという状態に陥った。そうした状況下でヴィッセルの選手は何とか自分たちのリズムに戻したかったのだろうが、それができないまま、6分という早い時間に失点を喫してしまった。これこそが、選手たちが言うところの「フワッとした」状態だ。
 これが残念だったのは、町田の攻撃スタイルが吉田監督の想定にはあったという事実だ。もしこれが想定できていたのであれば、その可能性を選手に伝えた上で、その場合の対応策を準備しておいてほしかったという思いは残ってしまう。

 この試合への入り方という点でいえば、町田の選手たちは明確な指示を受けていたようだ。試合後の会見の中で町田を率いる黒田剛監督は、選手たちに時間帯ごとの精神状態や相手の心理状態を利用する方法などについて話をしたことを明かした。加えて黒田監督は「前半の15分までに何かが起こる」とも伝えていたということだが、こうした数字を挙げたことによって、町田の選手たちはより具体的に試合を想定することができていたのではないだろうか。黒田監督がこうした話をした理由だが、それはこの試合が「決勝戦」という、独特の雰囲気を持つ試合であったためだ。ご存じの通り、黒田監督は青森山田高校の監督として実績を積み上げてきた指導者だ。プロチームの監督としてはまだ3年目ではあるが、トーナメントにおける駆け引きについては十分な経験を持っている。だからこそ試合序盤に流れをつかむことで、選手たちから緊張感を取り払う重要性を理解していたのだろう。そしてそのために、なかば予言めいた発言をしたのだろう。この両指揮官の駆け引きは、試合に大きな影響を与えた。

 町田は精神的な部分だけではなく、戦い方においても入念な準備をしてきたようだ。選手の配置としては3-4-2-1だったが、ヴィッセルの4-1-2-3に対してのギャップを巧く利用していた。ヴィッセルの前線を形成する6枚に対しては3バックと中盤、そしてシャドーストライカーの1枚を使ってマンツーマンでマークしてきた。この目的は「ヴィッセルを気持ちよくプレーさせない」という一点に収斂する。試合前、町田の主将を務める昌子源はヴィッセルのことを「ラスボス」と呼び、最大の力をもって臨まなければヴィッセルを倒すことはできないと語っていた。この言葉にリップサービスはほぼ感じられない。自分たちと同様に、強度の高いサッカーで戦っているヴィッセルを「乗り越えるべき存在」とリスペクトしているが故の言葉だろう。
 そしてこの町田の抑え込みとロングボールへの対応に追われる中で、ヴィッセルは全くリズムをつかむことができないままだった。前に出れば大きく蹴られ、漸く後ろでボールを回収したと思ったら、全ての選手がマンツーマンで付かれているという状況が続く中で、ヴィッセルの選手たちはストレスだけを溜めこんでいったように見えた。ヴィッセルの攻撃に際して、比較的マークが薄かったのはサイドバックだった。しかしこれは罠だった。ヴィッセルの両サイドバックは、アタッキングサード手前までは進出できたのだが、町田の狙いはその裏にあった。ロングボールを使いながらの前進ではあったが、それをつないで決めきるという狙いではなく、陣地を回復した上でセットプレーを取りにいくというものだったのだ。
 こうした町田の狙いが嵌ったのが、最初の失点シーンだった。ハーフウェーラインを7〜8m越えた辺りからのロングスローを、タッチライン沿いでミッチェル デュークが頭で後ろに逸らした。これは山川哲史がクリアしたのだが、そのボールはウイングバックの中山雄太が回収。そこから縦にドリブルで突破され、深い位置からマイナス気味にクロスを上げられてしまった。このボールに前川黛也も飛び込んだのだが、その前に立った藤尾翔太の頭に当たり、そのままゴールへと吸い込まれてしまった。
 このゴールに至る流れの中では、ヴィッセルの側に複数のミスが重なっていた。しかし、6分という早い時間だったことを考えれば、失点そのもののダメージはそれほど大きいものではなかったはずだ。しかしここに至る流れの中で、全く思い通りに試合を運ぶことができていなかったことが、ヴィッセルの選手たちから余裕を奪ってしまったように思う。

 この失点シーンの事象としては、山川のクリアミス、酒井のポジションミス、それに連動した複数の選手のポジショニングの狂い、そして前川の飛び出しといった、複数のミスが重なっていたが、最も大きかったのは酒井のポジションミスだったように思う。
 ここで中山がドリブルで上がってきたときの配置を振り返ってみる。中山にとって選択肢となりえる選手は、中山の左前でタッチライン沿いに立っていた相馬勇紀だけだった。これに対して中山の左外に武藤、正面に井手口陽介、その左隣で中山とデュークとを結ぶ線上には扇原貴宏、そして井手口の背後には酒井という並びになっていた。さらに言うと、この場面で藤尾はボールに背を向け、ペナルティエリアの外側を中央に向けて走り出していた。要はこの場面で中山に与えられた選択肢は相馬へのパス、もしくは自らが縦に持ち込むの2つだったのだ。そして中山は相馬に出すようなキックモーションを入れつつ、ドリブルで前に出るのだが、この動きに井手口が釣られた。僅かに外に動いてしまったため、扇原との間にスペースが生まれた。ここで酒井は井手口のカバーが役割だった筈なのだが、井手口と同じタイミングで中山のキックモーションに釣られ、酒井も外側に動いてしまった。そのため中山には縦の道が生まれたのだ。この時の酒井の考えは、町田で最も警戒すべき選手である相馬にボールを持たせたくないというものだったのかもしれない。そのため中山からのボールを受けた相馬の動きを止めるために、早く動き出そうと考えていたようにも思える。しかしこの場面で中山が相馬へのパスを選択した場合、相馬に寄せるのは、相馬の前に立っていた武藤に任せてよかったように思う。仮に相馬がドリブルで上がろうとしても、そこには扇原と酒井で対応できたはずだ。そして相馬がその場からのクロスを選択した場合には、扇原の背後にいた山川とマテウス トゥーレルが十分に対応できただろう。結果的に酒井が外に出てしまったことで中山は縦に上がることができたのだが、山川がこれを摑まえるべく外に出た。これによってトゥーレルも山川がいたポジションに入るなど、全体が1つずつずれてしまった。そのため藤尾はトゥーレルと永戸勝也の間に飛び込むことができたのだ。
 試合後、吉田監督と選手たちは揃って「自分たちらしくないミスがあった」という意のことを口にしていたが、この1失点目のシーンなどはまさにそれだった。吉田監督はこのシーンについて「ラインの深さ」を問題点として挙げていたが、筆者はそこだけではないように思う。サッカーに「もしも」は禁物だが、もし武藤が一気に相馬のところまで戻っていれば、中山のキックフェイントに酒井が釣られることはなかっただろうし、ここに至る前、いつも通りのリズムでプレーできていれば、酒井が釣り出されることも、そこから連続してズレていくということもなかったように思う。結局は試合のリズムをつかみきれないうちに攻め込まれたことで発生したエラーだったということになるのかもしれない。

 ではなぜリズムをつかむことができなかったのか。それは攻撃における指示が、試合と適合していなかったためであるように思う。その指示とは、前線中央でスタートした佐々木大樹を、ロングボールを蹴る際の目標としたものだ。過去の試合の中で、佐々木が高さで競り勝った場面は何度もある。それだけを見れば、佐々木には高さがあると思われがちだが、佐々木の高さは巧さでもある。佐々木の身長は180cm。大型化が進む中では、決して大きいといった部類の選手ではない。しかし佐々木は相手とのタイミングをずらして跳ぶことができる。これが巧さだ。これを活かし、自分よりも身長の高い相手の上からボールを叩いた場面は数多い。繰り返しになるが、こうした場面で見せてきた佐々木の高さは巧さであって、常時繰り出せる類のものではない。そのため、この試合では佐々木が前線でボールを収める場面はほぼなかった。前記したように、町田がマンツーマンで付いていたこともあるが、後ろからのボールを頭で落とすようなプレーにおいて、佐々木は分が悪かった。


 ロングボールを使って攻め込む場合、前線の選手が味方にボールを落とすことは絶対条件とも言える。ヴィッセルがこれまでそうした戦い方で効果を発揮してきたのは、前線に大迫がいたためだ。これは高さと巧さを兼ね備えた大迫の存在が特異なのであって、佐々木に問題があるためではない。もしこの試合でロングボールを多用するのであれば、町田のように陣地回復を目的とし、スローインを含むセットプレーにつなげるためのものであるべきだったように思う。
 結局、佐々木を目標としたため、ヴィッセルが蹴ったロングボールは、その後の展開につながらなかった。これを繰り返したことが、リズムを作り出せなかった最大の原因なのではないだろうか。


 この問題は、今季のヴィッセルが抱え続けた根源的な問題に直結している。それは「レギュラーメンバーの代役不在」という問題だ。大迫をはじめとして、今のヴィッセルの戦い方において根幹となる選手は限られている。この試合ではミスが目立ったアンカーの扇原なども、その1人だ。しかしこうした選手の代役は、未だ見つかっていない。この日の試合でロングボールを指示したということは、吉田監督は佐々木に大迫の役割を担ってほしかったということでもある。もし小松蓮がメンバーに入ることができていたならば、その役割は小松だったのかもしれない。また山内翔がメンバーに入ることができていれば、早い時間帯で扇原に代えて山内を投入することができていたのではないだろうか。しかし彼らはメンバー入りすることができなかった。それはトレーニングを通じて、最も間近で見ている吉田監督の判断であり、そこに間違いはないだろう。今季、吉田監督はカップ戦を使って、若い選手たちにチャンスを与えてきた。しかしそこで若い選手たちは、首脳陣を納得させる結果を残すことができなかった。この「若い選手が伸び切れなかった」という事象が、シーズン終盤になってヴィッセルを苦しめている。
 同時にこれは吉田監督自身の問題でもある。根幹を成す選手が使えない時の戦い方を別に整備することこそがベンチワークであるためだ。この日の試合でいえば、佐々木を前線の中央に置くのであれば、地上戦でボールを運んでいくという選択肢があっても良かった。これについては吉田監督も会見の中で言及しているが、その通りだと思う。町田の強度は高く、守備は堅牢だが、ことボールを運ぶという能力については、ヴィッセルが町田を上回っていたことは間違いない。事実、試合の中で見られた密集の中でのボール回しにおいて、ヴィッセルがやられた場面は皆無だった。逆に考えれば、ヴィッセルは町田がプレーしやすく、望む試合展開に、自ら付き合ってしまったとも言えるだろう。

 後半、佐々木のクロスを宮代大聖が決めた得点が象徴的だが、佐々木と宮代のコンビネーションは相変わらず独特のリズムを持っている。互いの信頼関係に基づいているためだろう。佐々木がボールを持って左から入ってくるタイミングで、宮代は佐々木を信じてゴール前で巧くポジションを取っていた。宮代のシュートは正確に枠を捉えており、相手GKが一歩も動くことのできない見事なものだった。この両者の関係を見る限り、この試合で攻撃の中心に据えるべきは、宮代・佐々木コンビだったように思う。地上戦でボールを前に運び、宮代と佐々木を前で勝負させる形を採っていれば、勝敗は異なるものになっていた可能性はあった。しかし現実には、宮代は低い位置でプレーする時間も長く、ボールを運ぶ役割を担う場面が多かった。今のJリーグ全体を見渡しても、宮代が傑出した攻撃能力を持った選手であることは間違いない。酒井や扇原、武藤、広瀬陸斗といった、試合の流れが読めるベテラン選手たちのお膳立てがあれば、宮代と佐々木を前でプレーさせる形を作り出すことは、十分にできたように思う。

 吉田監督も言及したように、この試合で喫した失点は、本来のヴィッセルであれば防ぐことのできるものばかりだったように思う。しかしこうした大一番でミスが出たということは事実であり、そこを逃さずにとらえた町田が勝利したのは当然の結果だったと言わざるを得ない。J1昇格2年目にしてタイトルを獲得した町田の成長力には、素直に敬意を表したい。その上で敢えて言うと、ヴィッセルはこうしたクラブにとって立ちはだかる「ラスボス」であり続けなければならなかった。しかしこの日の試合では、自滅とも言うべき結果に終わってしまった。


 この日の悔しい結果によって、今季のヴィッセルは無冠に終わることが確定してしまった。しかし、ヴィッセルの未来は、決して悲観すべきものではない。進むべき道を言葉にして示したのは酒井だった。酒井は「ヴィッセルにタイトルを獲る力があることは判っている」とした上で、「今季取りこぼした理由を細部まで突き詰め、それをチーム全員で共有し、修正することができれば、再びの戴冠は可能だ」と語った。これに呼応するように、武藤も「またタイトルを獲れるヴィッセル神戸というのを示したいと思います」とコメントした。この悔しさを味わうことができたのは、過去2シーズンでタイトルを獲得したからこそだ。これ自体がクラブとしての成長であり、月並みだが、この悔しさは必ずヴィッセルを強くしてくれる。山川が語ったように、今季は細かな部分で緩みがあったのかもしれない。それは「超過密日程がもたらした疲労」が原因の1つであることは間違いないだろう。しかし来季以降、再びタイトルを獲得するということは、この「超過密日程」との付き合い方を覚えなければならないということでもある。そのためには、やはり若い選手たちの奮起が必要だ。この試合でベンチ外となっていた選手たちには、この日の敗戦の原因は自分たちにあるという意識をもって、この先のトレーニングに臨んでもらいたい。来季は、ヴィッセルアカデミー所属で、先日のU-17W杯でも目覚ましい活躍を見せた瀬口大翔など、新たに高い能力を持つ選手も加わる。チーム内の競争がさらに激化することは間違いない。その競争の激しさは、チームの成長と比例する。そして、その先にはチームとしての「機能期」が待っている。そこでヴィッセルの強さを存分に発揮した時、今季の悔しさを晴らして尚余りある栄冠が待っていることは間違いない。

 最後に印象的だった場面を紹介したい。それは試合後に行われた表彰式だ。準優勝としてメダルを授与されたヴィッセルの選手たちは、誰一人メダルを首から外すことなく、歓喜に沸く町田の様子を見つめていた。天皇杯の決勝で敗れたチームの中には、メダルを外すなど、露骨に悔しさを表現する選手も少なくないが、これは紳士的な行動とは思えない。優勝したチームに対してはもちろん、ここに来るまでに敗戦したチームに対しての敬意も欠く行為だからだ。ヴィッセルの選手たちの心の内は悔しさに満ちていたはずだが、それを抑え込み、勝者を称える姿勢に「王者の矜持」を見た気がした。彼らならば身体中に満ち溢れた悔しさを、新たな力に変えて、来季爆発させてくれることだろう。


 ヴィッセルの「機能期」突入に向けた戦いは、既に始まっている。その初戦は中3日で行われるAFCチャンピオンズリーグエリート25/26・上海申花戦だ。そこから中3日でJ1リーグ戦が控えていることを考えると、メンバーは大幅に入れ替わる可能性も高い。いずれにしても上海の地で出場機会を得た選手には、ヴィッセルの新時代へのスタートを任されたという思いを持ち、心して戦ってほしい。その先にヴィッセル神戸の新しい道がある。