覆面記者の目

天皇杯 準決勝 vs.広島 パナスタ(11/16 15:05)
  • HOME神戸
  • AWAY広島
  • 神戸
  • 2
  • 1前半0
    1後半0
  • 0
  • 広島
  • 永戸 勝也(24')
    佐々木 大樹(69')
  • 得点者

J1リーグ所属クラブで、今季ここまでに50試合以上の公式戦を戦ってきたクラブが2つある。1つはこの日の試合を含め52試合を消化したヴィッセル。そしてもう1つが57試合を消化した広島だ。
 2月の「FUJIFILM SUPER CUP 2025」で開幕を迎え、春先にはAFCチャンピオンズリーグエリート(以下ACLE)24/25を戦い、今はACLE25/26を戦っている両クラブの消化試合数の差はACLE24/25 Round8の2試合、そしてJリーグYBCルヴァンカップの準決勝と決勝の3試合分だ。ちなみに今季のJ1リーグで優勝争いに生き残った鹿島と柏だが、ここまでに消化した公式試合数は、鹿島が42試合、柏が47試合となっている。この比較は両クラブの成績を何ら毀損するものではないが、同一リーグ内で消化試合数に大きな差が生まれていることは事実だ。
 かつて、FIFAは選手のコンディション維持のために、年間出場試合数の上限を55から60試合以下に設定すべきだという意見を発表したことがある。当時のFIFA技術部門の最高責任者で、現役当時はオランダ代表としても活躍したマルコ・ファン・バステン氏によれば、これはあくまでも上限値であり、選手が最高のパフォーマンスを発揮するためには、試合数をより少なく収めるべきだという。今季、ヴィッセルが「J1リーグ3連覇」を逃した理由をここだけに求めるつもりは毛頭ないが、これは業界全体で考えるべき問題であるように思う。
 チャンピオンチームや優秀な選手の試合数が増えていくというのは、様々な競技において見られる事象ではある。この「王者の宿命」は受け入れる他ないが、コンディション維持という視座に立って考えた時、少なくとも中2日と中3日が連続するような現在のスケジュールは見直されるべきではないだろうか。

 G大阪戦後の本項において「残る試合でヴィッセルの強さを示すという点に全ての選手がフォーカスしなければならない」と書いた。しかしこれは相当に難しいことであるとも思っていた。一時は「J1リーグ3連覇」に近づいていただけに、大きな目標を1つ失った反動は大きいと考えていたためだ。しかしこれは杞憂だった。試合前、武藤嘉紀が発した「天皇杯は『やはりヴィッセルは強かった』と思わせる大会にしなければならない」という言葉は全ての選手の思いであり、そこに向けてチーム内の意思は統一されていた。筆者のような凡夫が考える以上に、ヴィッセルの選手たちはタフだった。



 孫子は兵法第3章に当たる「謀攻篇」の中で「勝利を知る道」として5つの条件を挙げている。そしてその中には「上下の欲を同じくする者は勝つ」と記されている。これは組織内の意思統一が大事であるということだ。これだけを聞けば至極当たり前のように思われる。しかし組織をまとめる上で、これほど難しいことはないというのが実情だ。これまで話をうかがった指導者のほぼ全てが、それを認めている。ある元指導者はその理由として「選手個々の事情」を挙げていた。アカデミー年代のようにある程度定められた年代の選手だけで構成されているチームとは異なり、プロチームは選手の年齢分布が広い。当然、選手としての「残り時間」は個々に異なっている。選手たちが勝利を目指して戦うことは本能だが、その先に見据えているものは異なっている。それは仕方のないことではあるが、そのズレがチームをまとめる上でのネガティブファクターになるというのだ。もちろんこの日のヴィッセルでも、選手個々に見据えている未来は異なっているだろう。しかし試合後に多くの選手が「タイトルを獲り続けること」の重要性に言及していた。それが武藤が言うところの「今季の自分たちの強さの証明」なのだろう。これは即ち「自分たちの強さに対する自信」でもある。過去2シーズンでタイトルを3つ獲得したことで、チーム内に芽生えたこの「自信」こそが、ヴィッセルの選手にとってのプライドだ。そしてこれこそが、三木谷浩史会長が経営に参画した2004年以降、ヴィッセルが求め続けてきた「勝者のメンタリティ」と言える。この日の試合では、これが今のヴィッセルには備わっていることを実感することのできたように思う。

 試合前日、吉田孝行監督は広島について「リーグ戦では2戦2勝することができたが、どちらに転んでもおかしくない試合だった」と語り、「本当に強いチームなのでリスペクトしています」とコメントした。広島を率いるミヒャエル スキッベ監督も、同様のコメントを残している。やはり試合前日の会見の中でヴィッセルについては「速い、高い、強い、巧いと全てが揃っているチーム」とした上で、「神戸との試合は非常に良い挑戦になる」と語った。両チームの指揮官が互いを強いと認めている理由は、戦い方が似通っているためでもある。基本システムこそ異なるが、どちらのチームも速い切り替えをベースとした堅い守備でボールを奪い、素早く相手陣内に攻め入っていくという基本構造は同じだ。それだけに、指揮官にとって予想外のことは起き難い。いわば「お互いの手の内は解っている」という状態だ。さらに言えば、両チームとも能力の高い選手が揃っている。こうした両チームの今季のJ1リーグ戦における対戦が2回とも1-0というロースコアに終わったことは、決して偶然ではない。そしてこの日の試合も、同じ流れだった。この日の試合の流れを追っていくと、今のヴィッセルが採るべきスタイルが浮き彫りになる。

 前段でも記したように、両チームのスタイルは似通っている。そのため両チームとも素早く相手陣内には攻め込むが、どちらも守備意識が高く、決定的な場面を作るには至らない。そして奪ったボールを素早く前に送るため、ボールと人が激しく行き来する流れが続いた。そうした流れの中で24分にセットプレーからヴィッセルが先制し、一歩前に出た。前半終了間際には、広島が立て続けにクロスやシュートを繰り出してきたが、ヴィッセルの守備がこれを抑えきった。そして後半開始から、スキッベ監督は選手交代によって流れを変えようとした。吉田監督も63分に、この試合ではベンチスタートとしたエース・大迫勇也を投入。その直後、ペナルティエリア内で武藤が相手GKに倒されPKを獲得。佐々木大樹がこれを決め、ヴィッセルが決定的とも思える2点目を奪った。試合終盤、スキッベ監督はさらなる選手交代によって、攻撃のテコ入れを図ったが、ヴィッセルの守備陣が落ち着いた守備で、最後まで守り切った。この日の試合をまとめると、こうした流れになるのだが、次はこれを段階別に分けてみる。



 まずはメンバーを押さえておく。この試合におけるヴィッセルの布陣は基本形ともいうべき4-1-2-3。GKは前川黛也。最終ラインは右サイドバックとして酒井高徳が先発復帰を果たし、センターバックは山川哲史とマテウス トゥーレル。左サイドバックには永戸勝也。中盤は扇原貴宏をアンカーに置き、インサイドハーフには井手口陽介と宮代大聖。前線の中央には佐々木が入り、右に武藤、左に広瀬陸斗という3枚が並んだ。

 試合序盤だが、先に流れを作り出したのは広島だった。キックオフ直後から積極的に攻め入ってきたのだが、ここでポイントとなったのは広島のスタイルだった。GKの大迫敬介と最終ラインの3枚は積極的にロングボールを使ってきたのだ。ここでのターゲットはワントップに入った木下康介。そしてその周囲をジャーメイン良と加藤陸次樹の両シャドーストライカーが走り回ることで、ボールを回収していった。これを押し上げたのはボランチの田中聡。サイドから圧縮していったのは東俊希と中村草太の両ウイングバックという構造になっていた。
 この広島のロングボールについては、ヴィッセルの想定内だったはずだ。J1リーグ戦における対戦時にも同様の形が見られたためだ。そのため、ヴィッセルの守備はミドルゾーンでブロックを構えるような形で対応する場面が多かった。
 この時間帯にヴィッセルを支えたのは、前記した切り替えの速さだった。広島の攻撃に合わせて全員が下がり、ボールホルダーに対しては複数人で挟み込むような形でボールを奪っていった。同時に球際での強さも見せた。ここでは、広島が同じスタイルであったことが幸いした。試合を通じて激しいデュエルがピッチ上の至る所で発生していたが、その多くを主審が流したのだ。もしこれが全く異なるスタイルのチームとの対戦であれば、判定基準は異なるものになっていたのかもしれない。
 ここで少し脱線するが、今季のヴィッセルの守備が際立っているのは反則ポイントにも表れている。前節終了時点における反則ポイントだが、ヴィッセルはJ1リーグで唯一のマイナス(-4)を記録している。2位の広島が15であることを思えば、圧倒的にクリーンな状態でヴィッセルはボールを奪い切っていると言えるだろう。さらに言えば警告数31、警告・退場なし試合数16は、ともにリーグトップの数値だ。これは吉田監督が日ごろから徹底している「無駄なファウルは犯さない」という指導が、チームに浸透している証左と言える。
 話を戻す。ヴィッセルの守備がクリーンであることは数字上も明らかだが、スタイルの異なるチームとの対戦ではどう判定されるか判らない。多分に印象が左右するためだ。しかしこの日の試合では両チームが似通ったスタイルであるため、判定基準もそれに応じたものだったように思う。そしてこれが試合を通じてブレなかったことが、ヴィッセルの守備をやりやすくした面はあるように思う。
 こうした序盤の流れの中で目を惹いたのは井手口の動きだった。井手口は完全にトップフォームを取り戻しており、ピッチ上の至るところに顔を出しながら、広島の攻撃の芽を摘み取っていった。配置の違いによって生まれるギャップを不利に働かせなかった背景には、この井手口の存在があった。

 次に見るのは先制点の場面だが、ここではセットプレーから得点を挙げたことを高く評価したい。G大阪戦終了後、J1リーグ3連覇を逃した原因を尋ねられた際に酒井は、セットプレーからの得点が少なかったことを理由の1つとして挙げた。実は今季のJ1リーグ戦でヴィッセルがセットプレーから挙げた得点数(17)は、J1リーグ最多だ。まだ試合が残っているため、確定的な数字ではないが、決してヴィッセルがセットプレーから得点を奪えていないということではない。しかしスコアレスドローに終わった鹿島戦で14回もコーナーキックのチャンスを得ながらも、それを得点に結びつけることができなかったように、今季はチャンスを活かしきれていない面があったことも事実だ。恐らく酒井が言及したのはこうした部分であり、単純な数値のことではないと思われる。特に試合展開が膠着した場合などは、セットプレーが打開策となる。そうした反省に基づいたというわけではないかもしれないが、吉田監督はこの試合の前、セットプレーを攻守両面において見直したという。その直後の試合でセットプレーからの得点が生まれたという事実は、この先、攻撃を再整備する上での推進力となるだろう。
 この貴重なゴールを決めたのは、コンディションの良化が明らかな永戸だった。広瀬が蹴った右コーナーキックがファー側に流れ、これを永戸が左足でダイレクトに蹴り返した。これが抑えの効いた見事な弾道のシュートとなり、ディフレクションしたボールがそのままゴール右に吸い込まれた。「こぼれ球への対応には自信があった」と試合後に話した永戸だが、まずはこのポジショニングが素晴らしかった。広瀬がコーナーキックを蹴る前、永戸はペナルティアーク中央にいたのだが、広瀬がキックモーションに入ると同時に小刻みに移動、密集から離れた場所を確保した。そして永戸がシュートを放つ際には、ペナルティエリアのギリギリ外で端から3分の1の場所にいた。ここにボールがこぼれてきたのは偶然であるにしても、絶妙なポジショニングだったと思う。



 この先制点は、その後の試合の流れを大きく変えた。広島のボランチである川辺駿は試合後に、永戸のシュートを「良いシュートだった」と認めつつも、「それまでは自分たちのペースで押し込んで、ほぼ相手にチャンスがない中で進んでいただけに、あの先制点が大きかった」と悔やんでいた。この川辺の言葉を試合前日のスキッベ監督の言葉と考え併せてみると、広島のゲームプランが見えてくる。スキッベ監督は今季のリーグ戦におけるヴィッセルとの対戦が2戦2敗に終わったことをについての受け止めを尋ねられた際、この結果は自分たちの守備に問題があったためではなく、ゴール前で見せる決定力の差によるものだという見立てを口にした。両チームの守備力は互角、攻撃力でヴィッセルが一枚上手と見ていたことが窺える。そのためロースコアのゲームになることを予想し、先制点を奪い、そのまま逃げ切りを図るというゲームプランだったように思える。そう考えると、試合開始直後から積極的に攻め込んできた姿勢も理解できる。

 スコアが動いた後、広島は攻撃のギアを上げてきたが、これに対してヴィッセルはそれまでの守備を崩すことなく守り続けた。広島は最終ラインとボランチからウイングバックを経由する形でヴィッセル陣内に攻め入ってきた。その中でコーナーキックを取られる場面もあったが、ここでも前記したセットプレーの見直しが奏功した。コーナーキック時にはゾーンで守るヴィッセルだが、高さのある選手にははっきりとマークをつけるなど、ゾーンとマンツーマンを併用することで、ゴール前を守り抜いた。そしてこぼれ球のシュートに対応するため、常に中央に人を残し、シュートブロックを意識したプレーを徹底していた。
 こうした守備と相手のシュートミスやトラップミスにも助けられ、ヴィッセルはリードを保ったまま、前半を終えることに成功した。

 この前半の流れは、そのまま後半に影響した。1点を追うスキッベ監督は、後半開始から加藤に代えてトルガイ アルスランを投入した。昨季途中、広島に加入したアルスランはボルシア・ドルトムントのアカデミー出身。トルコとドイツで世代別の代表選出経験を持つ選手だ。スキッベ監督は、ヴィッセルのゴール前に迫る回数は確保できていると判断したのだろう。巧さのあるアルスランを前線近くでプレーさせることで、最後の形を作り出そうと企図したと思われる。しかしこれが、ヴィッセルにとっての守りやすさにつながった。アルスランほどの巧さはないかもしれないが、加藤には動き続ける嫌らしさがあり、これがヴィッセルにとって難しい要素だったためだ。それを象徴しているのが41分のプレーだ。前川が蹴ったロングボールを、佐々木と競った中野就斗が頭で跳ね返した。これをピッチ中央で拾ったのが加藤だった。そして加藤はこのボールを左ウイングバックの中村に預け、自らは酒井と山川の間を衝くように左に動いた。この時、加藤の動きに呼応するように最前線の木下も左に動く素振りを見せたため、ヴィッセルの守備は全体がそれに合わせて向きを変えながら戻っていた。しかしこの時、ジャーメインだけが逆方向に動いていた。そして中村はそれを視認しており、ジャーメインに浮き球のパスを通した。ヴィッセルの守備は全員が連動して動けていたため、中村が蹴ったボールの軌道は、あたかも左斜め上方向に引かれた複数の平行線と交錯する一本の線のような格好になってしまった。全体の逆を衝いたことで、ジャーメインはトゥーレルと永戸の間のスペースを使い、フリーでボールを受けた。この時はジャーメインが下がりながらのトラップだったこともあり、バランスを崩し、ボールを受け切れなかったが、ジャーメインの位置からヴィッセルゴールとの間に選手は不在であり、形としては極めて危険なものだった。
 この場面のように全体を引っ張るような動きのできる加藤がピッチを後にしたことは、ヴィッセルにとって大きな意味を持っていた。

 この流れの中で決定的な2点目が生まれた。その伏線は大迫の投入だった。63分に吉田監督は広瀬に代えて大迫を投入、佐々木を左ウイングに移した。それまでにも攻撃の形が整いつつあったヴィッセルではあるが、大迫という明確な目標ができたことが2点目につながったと言えるだろう。
 63分に自陣左で中村がボールを持ったところで、このボールを宮代が奪った。右に出た宮代に対して、中村は即時奪回とばかりに寄せ、その動きを止めたが、そこに走りこんできたのが井手口だった。井手口は右外にボールを突き、上がってきた酒井に預けた。酒井はこれをダイレクトで折り返したのだが、その際の目標は大迫だった。大迫に対しては、この試合では3センターの中央に入っていた中野が巧く身体を預け、跳ばせなかったのだが、そのすぐ背後で跳んだのが佐々木だった。しかし佐々木の身体は伸び切っていたため、ボールは真上に上がった。そしてこのボールに誰よりも速く反応したのが大迫だった。瞬時に身体を入れ替えて中野を外し、ボールの落ち際をシュートしようと企図した動きを見せた。しかしこれが正確にはヒットせず、飛び出してきた相手GKにボールを押さえられたかに見えた。しかしこの時相手GKは、右から走りこんできた武藤と接触しており、武藤を倒したとしてヴィッセルにPKが与えられた。
 この一連のシーンでは5つのポイントがある。まず1つ目は中村からボールを奪った場面だ。この時、中村に寄せたのは宮代だったのだが、影響を与えたのは酒井の存在だった。中野が頭で左に弾いたボールを受けた中村は、そこから中に進路を取った。そのため中から迫ってきた宮代がボールを突くことができたのだが、この時、中村の動きには一瞬の躊躇があった。中村は当初外に動こうとしていたのだが、酒井が走りこんで来る姿が目に入ったため、中に進路を変えたのだ。ここで酒井が思い切って上がることができたのは、前記した加藤の交代が影響していたように思う。
 2つ目のポイントはその直後の井手口の動きだ。宮代と中村がボールを争っているところに巧く入り込み、酒井のクロスにつなげたのは井手口のボール奪取技術とセンスゆえだ。
 3つ目のポイントは酒井のクロスだ。この時、酒井は迷うことなく大迫を目標にしていた。右に動きながら大迫の位置を確認し、ダイレクトにボールを蹴っていた。これは大迫の持つ絶対的な信頼感が為せる業と言える。
 4つ目のポイントは佐々木の動きだ。佐々木も、大迫が目標となることは理解していた。そして大迫が跳べないとすれば、それは中野がそれを阻害するためであり、中野が高さで競り勝つことはないと判断していたのだろう。そのため大迫が跳べなければ、その背後で自分が跳ぶことで、ボールに当てることはできると思い、迷うことなく大迫のピッタリ背後に立ったのではないだろうか。
 そして5つ目のポイントは武藤の動きだ。酒井がクロスを入れた時、武藤はゴールエリア右にいた。これをマークしていたのは左センターバックの佐々木翔だった。そして佐々木大樹が跳んだ瞬間、武藤は迷うことなくボール方向に移動しているのだが、その動き出しは速く、瞬間的に武藤は佐々木翔の前に出ている。恐らく佐々木大樹の跳んだ身体の向きから、次の戦場が予測できていたのだろう。
 この15秒程度のシーンでは、加藤の交代、大迫の投入という2つの事象が影響し、試合を決定づけるプレーが生まれた。



 このPKの判定についても触れておく。試合後に大迫敬介は「あれがファウルであれば、僕にできることはない」と口にしていたが、これは偽らざる気持ちだろう。GKの大迫は大迫勇也がシュートを打つことを予測した上で、そこに飛び込んでいる。映像を見直してみると、GKの大迫は確実に武藤を倒しており、武藤のボールへのチャレンジを妨げる格好にはなっている。しかし武藤は視野の外から飛び込んできていただけに、GKの大迫にこれを避けろというのは、土台無理な話だ。判定に誤りがあるわけではなく、GKの大迫にとっては不運以外の何物でもない。むしろ瞬間的に大迫勇也の動きを見抜き、それに反応した大迫敬介の能力の高さの表れだったと思う。

 このPKによる2点目は、事実上、試合を決定づけた。この直後、スキッベ監督は勝利を求め、攻撃的な布陣に切り替えた。その中で川辺を交代させたのだが、これがヴィッセルにとってのやり易さにつながった。広島は最終ラインの前でボールを回収する力が弱まったため、ボランチの背後でヴィッセルがボールを握る場面が増え、攻撃的に試合をコントロールすることができるようになったのだ。

 こうして試合の流れを振り返ってみると、この試合の勝因が「ヴィッセルの守備力」にあったことが判る。広島が勢いをもって先制点を狙いに来た時間帯を凌ぎ切ったことが、最大の勝因だったとも言えるだろう。そしてこの守備力を担保しているのが、前記した「切り替えの速さ」と「球際の強さ」だ。得点力が低下した今季、残る試合で勝利を積み重ねるためには、この「守備力」を軸とした戦い方に振り切るのが正解だと思う。その意味でも注目したいのが51分のプレーだ。
 ヴィッセルの右コーナーキックはニアでクリアされ、これを受けたアルスランがマークに来た井手口を背負いながらヒールで前に流した。これに走りこんだ木下には山川が並走したが、バランスを崩し、前に出ることはできなかった。山川を振り切った木下は、前に立つ酒井を挟むように外側を上がってきていた中村にボールを渡した。トップスピードのままボールを前に運んだ中村に対して、酒井は「名人芸」とも言うべき対応を見せ、ペナルティエリアの手前でボールを奪い切った。そして酒井は自陣ゴールライン方向にポジションを取っていた永戸にパス。永戸はこれを右足でダイレクトに蹴り返し、ハーフウェーライン手前の右タッチライン際に立っていた佐々木大樹に正確なパスを通した。佐々木は背後から上がってきていた井手口にボールを戻し、井手口はこれをダイレクトでピッチ中央の広瀬に渡した。広瀬は身体を時計回りにターンしながら、アウトで左タッチライン際を上がってきた武藤にパス。ここで武藤は完全にフリーとなっており、ペナルティエリア左角近くまで進み、ファーサイドに柔らかいクロスを上げた。ここに飛び込んできたのは佐々木大樹だった。タイミングは悪くなかったが、身体が伸びており、シュートは枠を捉えなかった。しかしこの一連の攻撃は「これぞヴィッセル」と呼びたくなるようなスピードと厚みを持ったカウンターとなった。
 この場面を振り返ると、全ての選手がピッチ上の端から端までを走り切っていることが解る。これこそが今のヴィッセルが持つ強さの根源だ。

 この勝利によって、ヴィッセルは天皇杯連覇に王手をかけることに成功した。決勝戦の相手は町田だ。広島とは異なる個性を持ったチームだが、強度の高さで勝負しているという点においては似たところもある。今季のJ1リーグ戦における対戦成績は1勝1敗。昨季もシーズン終盤まで優勝を争ったこの「新興のライバル」は手強い相手だ。しかしヴィッセルには「自分たちの強さを証明する」という、タイトルとは別の目的もある。王者の誇りを胸に、1週間最高の準備を進めてほしい。
 試合後のインタビューで永戸、武藤が相次いで口にしたように、現在戦列を離れている新井章太をはじめとした多くの選手が必死に戦い、勝利のバトンをつないできたからこそ、決勝戦を迎えることができる。起用されるメンバーは「ヴィッセル代表」という誇りを持ち、仲間たちの思いを賜杯へと変えてほしい。



【今日の一番星:酒井高徳選手】
全ての選手が戦う気持ちを全面に出し、最高の仕事を見せた試合だったと思う。しかしその中でも別格の存在感を見せたのが酒井だった。本文中でも触れた51分のシーンでの守備は「お見事」の一言に尽きる。木下が山川を振り切った時、ヴィッセルと広島は2対3の形になっていた。しかも木下、中村ともスピードに乗った状態だったため、酒井が1つでも対応を誤っていれば、同点に追いつかれていた可能性は高い。しかしここで酒井が中村に対して見せた動きは、中村からあらゆる選択肢を取り上げるものだった。木下がボールを離すのを見て、まずは中村に身体を寄せ、中へのコースを切った。その上で身体を寄せ続けることで、まずは中村から「ボールを扱う自由」を取り上げた。そして中村の足からボールが離れるのを待ち、中村の動きを止めた。そこで初めてボールに向けて足を出した。ここで中村から「体勢を整える自由」も奪ったのだ。そして最後はボールと中村の間に自らの身体を差し込み、ボールを支配した。この身体を差し込む際には、左足を軸として回転しているのだが、この瞬間は酒井もボールから離れている。しかしここでの目的は中村からボールをガードすることにあるため、これが正解だ。そして左足で自らの前にボールを移動させた。この一連の動きに1つでもズレがあれば、中村は酒井を振り切って抜け出していただろう。このプレーについて酒井は「切り取る」と表現したが、文字通りボールと中村を切り離し、ボールを奪って見せた。これは経験だけではなく、未だ衰えを見せない体幹の強さやスピード、技術などがあればこそのプレーだ。自陣ゴール前では声を出し続け、チーム全体を鼓舞し続けた。この闘将の戦列復帰こそが、今のヴィッセルにとっては最も大きな意味を持っている。自らのプレーの意図やチームの進むべき方向など、あらゆることについて言語化する頭脳をも持ち合わせた「港町の闘将」に敬意を込めて一番星。