覆面記者の目

天皇杯 ラウンド16(4回戦) vs.東洋大 ノエスタ(8/6 19:00)
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  • 2
  • 1前半1
    0後半0
    0延前0
    1延後0
  • 1
  • 東洋大
  • 井出 遥也(13')
    宮代 大聖(120'+1)
  • 得点者
  • (36')湯之前 匡央

120分の激闘に終止符を打つファイナルホイッスルが吹かれた時、東洋大の選手たちはその場に崩れ落ち、涙を流していた。そしてその姿を見つめるヴィッセルの選手たちに、いつもの笑顔はなかった。

 天皇杯史上初となる「大学生によるJ1クラブ連続撃破」を成し遂げた東洋大は、素晴らしいチームだった。全ての選手が足を止めることなく走り切り、ヴィッセルとの技術差を体力で埋めていた。ヴィッセルにボールを持たれた時には迷うことなく低い位置にブロックを形成し、集中した守りでヴィッセルの攻撃を食い止め続けた。また攻撃面でも縦に速い攻撃を繰り出し、一時は同点となるゴールを奪った。試合最終盤にGKのキャッチミスから失点を喫し、延長戦での敗北となったが、あの場面をしのぎ切っていれば勝敗はPK戦に持ち込まれていた公算が高い。この試合で東洋大の選手たちは、ここまで実力で勝ち残ってきたことをヴィッセルのホームスタジアムで証明して見せた。

 ヴィッセルにとってこの試合は反省点の多いものとなった。いかに東洋大が素晴らしいチームであったとしても、大学生であることには変わりがない。サッカーを生業としているプロクラブ、しかもJ1リーグ3連覇を狙う強豪クラブとしては、やはり実力差を示した上での「完全なる勝利」を挙げなければならなかった。
 カテゴリが異なる相手との対戦においては、上位に位置する方がプレッシャーを受けることは事実だ。「勝って当たり前」という状況が過度のプレッシャーとなり、行動(プレー)の質を下げるためだ。そうした意味では難しい試合だったと思うが、その難しさを露見させてしまったことは、今後への戒めとしなければならない。その意味でも、この日の試合は厳しい言葉で振り返らざるを得ない。


 試合後の会見で吉田孝行監督は前半の戦いについて「自分たちのサッカーの基準には達していないレベルだった」と、厳しい言葉で振り返った。吉田監督はこれについて「ボールの位置が変わった時のポジション修正」という表現で説明していたが、要は前半のヴィッセルは各選手のポジションが整っていなかったということだろう。これは残念ながらその通りだったように思う。
 ではなぜ、ヴィッセルは「自分たちのレベルに達しない」戦い方に陥ってしまったのだろうか。その理由については、試合後にGKの新井章太の発した言葉が正鵠を射ているように思う。新井は前半の戦い方が良くなかったことを認めた上で、その理由を「みんながボールを持てると感じてしまった」とコメントした。事実、ヴィッセルの選手が局面単位で見せるプレーは、東洋大を遥かに凌駕していた。東洋大の選手たちはキックオフ直後から積極的にプレスをかけてきたが、ヴィッセルの選手がそれに捕まる場面はほぼ見られなかった。しかもそのほぼ全てが、ポジショニングなどとは無関係なボールスキルの差によるものだった。これこそが落とし穴だったように思う。
 レベルの近いクラブとの対戦であるJ1リーグの試合であれば、個人のボールスキルだけで相手のプレスをかわし続けることは極めて難しい。そのため周囲の選手との連携が必要になる。ヴィッセルのサッカーはシンプルに前を目指すスタイルではあるが、それでもボールの動かし方や、それに伴う周囲の選手のポジショニングは細かく設計されている。しかしこの日の試合に限って言えば、ボールを持った選手は比較的簡単に前を向くことができ、そのまま自分でボールを運ぶことが可能だった。そしてここで重要なのは、これが東洋大にとっては想定内だったということだ。試合後の会見で東洋大を率いる井上卓也監督は、ヴィッセルの試合映像を見たが、勝ち筋を見つけることができなかったことを明かした。その上で選手たちには「我々は失うものがないのだから、積極的にチャレンジを続けよう」と話したという。要はヴィッセルにボールを持たれることは、覚悟の上だったのだ。そのため東洋大の選手たちに焦りはなかった。想定できていただけに、アタッキングサードまで侵入されても、複数の選手で粘り強く抑えるというのは予定された行動だったのだ。
 これに対してヴィッセルの側は、簡単にボールを運ぶことができてしまうため、選手間の連携への意識が希薄になっていた。ボールを失ったとしても、次のプレーで回収できてしまっていたことが、選手から「慎重さ」を奪っていたとも言える。

 こうした実力で劣る相手と戦う上では2つの方法がある。1つは実力差で押し切ってしまう戦い方。そしてもう1つは、敢えて慎重に試合を進める方法だ。そして成功率が高いのは後者であることが多い。かつて夏の甲子園での優勝経験のある指導者と話をしたとき、面白いことを聞いた。強豪校ほど無名校との試合に対しては慎重に臨むというのだ。推薦制度などを利用して全国から優秀な選手を集める強豪校と無名校の差はとてつもなく大きい。そこで選手たちを自由に楽しませようとしたとき、ジャイアントキリングが起きるという。だからこそ強豪校の指導者は、無名校との試合に際しては守備を重視したメンバー選考を行うというのだ。
 孫子は兵法の中で「昔の善く戦う者は、先ず勝つ可からざるを為して、以て敵の勝つ可きを待つ」と説いている。この意味するところは、戦いの巧みなものは、まず負けない態勢を整え、相手が崩れるのを待つということだ。孫子はその理由として「負けないようにすることは自分でできることだが、勝つことは相手次第だ」ということを挙げた上で「勝利の方法を知っていることと、実際に勝利することは別物である」と記している。これをこの日の試合に置き換えると、ヴィッセルが取るべき戦い方は自ずと定まってくる。
 ボールスキルなど選手個々の能力を比較した時、ヴィッセルが確実に上回っていたからこそ、ヴィッセルはボールを握りながら「チーム全体で」押し込んでいくべきだったのだ。そして最終ラインをハーフウェーライン近くに設定した上で、幅を取るように配置し、相手を押し包むように戦っていくべきだった。その際には全ての選手が適正な位置に立ち、東洋大に抜け出すスペースを与えないようにしておく。そうすることで文字通り「圧殺」することを目指すべきだったのではないだろうか。


 これだけを苦戦の理由にしてしまうと、「驕り」のような気持ちだけが苦戦の原因であるように思われるかもしれない。しかし実態は違う。最大の原因は「ポジショニングの乱れ」だったように思う。これを説明するために、まずはスターティングメンバーを確認する。
 吉田監督は直近のリーグ戦から10人を入れ替えて、試合に臨んだ。GKは新井。最終ラインは右から飯野七聖、岩波拓也、本多勇喜、鍬先祐弥の4枚。中盤はアンカーの山内翔とインサイドハーフのグスタボ クリスマン、井出遥也の3枚。前線は右からエリキ、小松蓮、汰木康也という並びだった。ベンチには永戸勝也、山川哲史、扇原貴宏、井手口陽介、広瀬陸斗、宮代大聖、佐々木大樹といった「レギュラー組」を置いていたが、これは試合の質と結果を担保するための「保険」的な存在だ。この日の試合から中3日でJ1リーグ・町田戦が控えていることを思えば、この「保険」はできるだけ使いたくなかったというのが、吉田監督の本音だったと思う。しかし実際には、彼らを比較的早い時間で投入せざるを得なくなってしまった。
 ヴィッセルはこの先、チャンピオンチーム特有の「過密日程」を迎える。J1リーグ3連覇に向けたリーグ戦14試合、天皇杯準々決勝はもちろんだが、来月にはルヴァンカップ準々決勝、そしてAFCチャンピオンズリーグエリート25/26も始まる。こうした大事な試合を戦い抜き、結果を残すためには「戦力の厚み」が求められる。それを思えば、この日の試合に先発した選手たちは結果を残し、来る「過密日程」の中でチームに貢献できる存在であることを証明したかったはずだ。しかし結果としてそれは叶わなかった。逆に「保険」的存在である選手たちを最大限に使わなければ、「いつもの戦い方」を取り戻すことはできなかった。
 この試合に先発した選手たちにとっては辛い結果ではあったが、チャンスがなくなったわけではない。常に目の前の試合にベストメンバーで臨み、目の前の勝利を積み重ねたいと考えている吉田監督に、日々のトレーニングでアピールすることができれば、出場機会をつかむことができる可能性は十分に残されている。それをつかむためにも、この試合で露見したミスを知ることは、決して無駄ではない。

 この試合を最も難しくしたものは「右サイド」だった。具体的には右ウイングでフル出場を果たしたエリキの動き方だ。過去に何度か指摘したことがあるが、エリキはボールに対して動きすぎる傾向がある。エリキが中に入りすぎてしまい、チームとしてのバランスを欠いた試合も過去にはあった。ストライカー特有なのかもしれないが、スペースを使って位置的優位を確立するよりも、ボールにプレーすることで状況を打開しようとしてしまうようだ。前線には自由を与える指導者も時には存在するが、吉田監督を含む多くの指導者にとってこうした特徴は諸刃の剣でもある。ヴィッセルも例外ではないが、攻撃と守備をシームレスな関係としておきたいチームは、ボール非保持に変わった瞬間、即時奪回を目指して態勢を整えなければならない。そのため選手がどこに立っているかは、常に重要なファクターとなっている。最近の試合ではエリキの背後に立つ右サイドバックの酒井高徳が、エリキのポジションが中に入りすぎないように自らの動きで調整してきた。またエリキが中に入った場合、中央の佐々木が右に流れる。或いはインサイドハーフの井手口がそのスペースを埋めるといった具合に、チームとしてその動きを包括してきた。
 しかしこの日の試合ではそうしたエリキのフォローをできる選手が少なかったため、エリキの空けたスペースが、そのまま相手の狙いどころになってしまった。それが最悪の形で顕在化してしまったのが36分の失点シーンだった。

 ここでまず注目したいのが、東洋大の最終ラインがボールを動かしているときの立ち位置だ。左サイドバックの山之内佑成が自陣ミドルサードからセンターバックにボールを戻した時、エリキは中央やや右で、ボールを受けたセンターバックを正面に見ていた。そして右のハーフスペースに立っていたのは、中央にいるはずの小松だった。試合の中でこうした位置取りになる場面は往々にして表れる。ボールを受けたセンターバックが右背後のGKにボールを戻す中で、エリキと小松は位置関係はそのままに左に動いた。これはGKが縦にボールを入れることへの警戒を続けたためだ。問題はこの後だ。相手GKは右サイドに開いていたもう1枚のセンターバックである岡部タリクカナイ颯斗にボールを渡したのだが、ここでもエリキと小松は位置関係を変えることはなかった。この時、右サイドを守ることができたのは、右サイドハーフのような位置に流れていた井出だった。しかしその井出もボールに合わせるように中に身体を向けていたため、ここで山之内の前にはスペースが生まれていた。ボールを受けた岡部はいったん右サイドバックにボールを渡し、再びそれを引き取った。ヴィッセルの出方を窺うための緩やかなパス回しではあったが、これに合わせるようにエリキはさらに中に入ってきた。そして小松もエリキとの横位置をキープしたまま動いたため、ボールが再び相手GKに戻った段階では、エリキはペナルティアークの左に位置しており、中央からやや右で相手GKに寄せたのは小松だった。そしてこの東洋大の緩やかなパス回しの中でボールが左に出ている間を利用して、左センターバックの福原陽向はペナルティエリア左角にポジションを取り、その前に山之内が立つという形が整っていた。
 ここで右サイドハーフのような位置にいた井出は福原と山之内を結ぶラインよりも内側の中間地点に立っていたため、相手GKにとっては山之内へのラインが見えていた。山之内に対してはボランチの位置からクリスマンが寄せていったのだが、山之内が前に立っていた選手とのワンツーで縦に抜け出す動きについていけなかった。

 まずここまでの流れの中で感じる疑問は、ボール非保持時の態勢だ。4-1-3-2でセットするヴィッセルだが、ボール非保持に変わった瞬間4-4-2に変化し、守備の陣形を整えるというのは2年前からのスタイルだ。この日の試合でもこれを踏襲していたとすれば、エリキと小松の2トップにした上で、左インサイドハーフの井出が右サイドハーフに動いていたことになる。これはエリキの「中央に入ってしまう癖」を考慮しての態勢だとは思うが、ポジションに与えられている役割を考えた時には、ミスマッチであるように思う。
 過去に井出が出場した試合では、井出はボール非保持時の2トップの1角に入り、ファーストディフェンダーの役割を担うことが多かった。これは味方の立ち位置を把握した上で、相手のパスコースを限定することのできる井出の頭脳を活かす上では最適解だった。守備におけるファーストディフェンダーは、その後のチームの守る方向を決める役割を担っている。そのためボールだけではなく、味方と相手の位置関係から、その後の流れを予測することのできる選手でなければ、効果的な動きを見せることはできない。その井出をサイドハーフで使ってしまうのは、頭脳労働が得意な従業員を肉体労働に従事させるようなものであり、特性を活かしているとは言い難い。
 そう考えれば、この日のメンバーで「ボール非保持時の4-4-2」を踏襲する必要はなかったのかもしれない。前記したようにリーグ戦では酒井がエリキの動きを制御することで、チームの形を守っていたが、酒井の役割を担える選手がいないのであれば、ウイングを下げ、ダブルボランチにしただけの4-2-3-1で守る体制でも良かったように思う。
 どの選手が出場したとしても、チームとしての形を維持することができるというのは理想的ではあるが、選手の特性がそれと合わないのであれば、次のプランを用意しておくことも重要だ。繰り返しになるが、この失点に至る流れを見た時、エリキと小松の2トップの守備は効果的だったとは言えない。どうしてもボール非保持時の4-4-2を維持するのであれば、井出とエリキの2トップとした上で、身体を張ることができる小松を右サイドハーフに出した方が、もう少し効果的だったようにも思える。


 この失点に至る流れの中では、クリスマンの守備にも改善すべき点は見受けられた。前記したように山之内がスピードに乗った突破を見せる中で、クリスマンは比較的早い段階で山之内のマークに動いた。そして山之内がワンツーで抜け出そうとした時、クリスマンは一瞬スピードを緩めていた。ほんのわずかではあったのだが、この瞬間的なズレがそのまま山之内の突破を許すことになった。ひょっとするとクリスマンはワンツーではなく、山之内が動きを止めて作り直すと判断したのかもしれないが、ここでの正解は山之内を追い越す形になったとしても、前に行ききることだった。仮に山之内が動きを止めたとすれば、次の瞬間からクリスマンは並走ではなく、正面を向いた形での守備をすることができたためだ。

 こうして前に出た山之内は、ヴィッセル陣内のアタッキングサードに入ったあたりで、中に進路を変えた。この動きの中でクリスマンは外側に弾き出され、山之内を止めることができなかった。山之内と並走したクリスマンだったが、山之内が身体の向きを内側に向けた時、クリスマンはまっすぐ前を向いていたため、山之内にとっては「薄い壁」のような形になってしまっていた。ここでクリスマンが取るべきだったのは、並走して身体を寄せることではなく、こうした場面で酒井が見せるような中への進路を切る動きだった。この形になった以上、優先すべきは中への侵入を遅らせ、ゴール前の守備陣形を整える時間を作ることだったのだ。しかしクリスマンはボールを奪う、若しくは山之内を外に弾き出すことを目的としていたのだろう。山之内が進路を変える判断がもう少し遅ければ、それも可能だったようには思えるが、ここはクリスマンの判断ミスだったと言わざるを得ない。

 試合序盤からヴィッセルに圧倒されていた東洋大だが、この得点シーンの前から流れをつかみ始めていた。試合序盤に彼らの特徴であるボールをつなぐプレーを断念し、ロングボールを主体としてヴィッセルの裏を狙っていたが、飲水タイムにヴィッセルの右サイドの守備が不安定なことを見抜いた上で、そこで山之内を活かす戦い方に切り替えてきた。この東洋大の変化に対して、この日のヴィッセルは試合の中で効果的な手を打つことができず、主導権を取り戻すために「レギュラー組」を大量投入せざるを得なくなった。サッカーにおいてベンチが試合中にできることには限界があるが、飲水タイムがあったことを思えば、この日の前半の戦い方はベンチワークを含めて、反省点の多いものとなってしまった。

 後半頭から吉田監督は永戸と佐々木を投入した。それに伴い鍬先を右サイドバックに移し、山之内の突破に対する備えとした。ここで交代となった飯野だが、前記した右サイドの混乱の犠牲者だったようにも思える。飯野の前に出る力は、確実に東洋大を圧倒していたのだが、結局右サイドの広い範囲を一人でカバーしなければならなくなったことで、持ち味である前への推進力を発揮する場面は少なかった。
 またこのタイミングで交代となった小松だが、ヴィッセルの前線に求められる複数の役割をこなしきるところまでは至っていない。しかしそれは時間的な問題であり、試合を重ねるごとに確実にやれることは増えている。ストライカーとしては、早く得点が欲しい気持ちはあるだろうが、今の動きを続けながら、前線での起点として求められる動きを習得していけば、ゴールはそう遠くない将来に生まれるだろう。身体の強さや怯まない気持ちの強さは十分に見せているだけに、この先の成長に期待している。


 後半は「レギュラー組」が続々と投入され、それに伴いヴィッセルは試合の主導権を握った。後半は東洋大にチャンスらしいチャンスを作らせることがなかったのは、「レギュラー組」の存在の大きさを示す結果となった。その中で学び取ってほしいのが、アンカーを任された山内だ。57分という比較的早い時間に扇原との交代となったが、その後、ヴィッセルのチームとしてのベクトルが前を向いたことが、今の山内が抱える問題点を示している。ボールスキルも高く、試合を俯瞰してみる頭と強いフィジカルを併せ持っている山内はヴィッセルアカデミー出身。筑波大時代は大学ナンバーワンボランチの名をほしいままにしていた俊英でもある。持っているものが大きいだけに、自然と期待も大きくなる。しかしルーキーイヤーだった昨季から、まだ思うような活躍を見せるには至っていない。山内と扇原の違いは守備の意識であるように思う。扇原はボールサイドに顔を出す場面が多く、積極的に守備にかかわっていく。それはボール奪取後に前を向くためだ。プロ選手ならば、誰もが常に顔を上げ、周囲の状況を確認している。差があるとすればその回数だ。扇原は広い範囲の守備に関与することで、顔を上げる回数を担保している。そのためボールを奪った後、前にボールを散らすことができる。これに対して山内は、それほど積極的に守備に関わっているイメージはない。もちろんやるべきことはやっているのだが、それよりも自らをフリーなポジションにおいて、ボールを受けた後の動きを準備しているのだろう。しかしその動きに対しては、相手もマークを強める。そのため、山内はボールを受けた時、前の選択肢を消されていることが多いように思う。これを解消するためにも、もう少しプレーエリアを広げてみてはどうだろう。その中でボールサイドに積極的に顔を出すことができれば、そこから山内が意識しているような展開を生み出すことができるように思う。山内ほどの技術があれば、瞬間的に体勢を整えることは難しくないだろう。山内が持てる力を発揮することができるようになった時、ヴィッセルの中盤は厚みを増す。


 延長後半アディショナルタイムに起死回生のゴールを決めたのは宮代だった。広瀬が放ったクロスを相手GKがファンブルし、そのボールを頭で押し込んだ格好ではあったが、これは偶然ではない。試合後に宮代は「それまでにも相手GKが何度かボールをこぼしていたので」とコメントしていたが、この一発に賭けることができる勝負勘はストライカー特有のものだ。ゴール自体は「事故的」ではあったが、後半レギュラー組が東洋大の勢いを削ぎ、押し込み続けた結果でもある。その意味で、延長になって広瀬を投入した吉田監督の判断は正しかった。広瀬の良さが最も発揮される左ウイングではなかったが、確実にボールを前に運び、ゴール前に送ることのできる広瀬を投入したことで、ヴィッセルは九死に一生を得た。レジェンドマッチではアップ中に肉離れを発症するといった、相変わらずの「天然っぷり」を見せてくれた吉田監督だが、監督としての勝負勘は冴えを見せていた。

 厳しい戦いではあったが、無事に天皇杯も準々決勝に駒を進めることができた。次は「3連覇」に向けてのリーグ戦だ。吉田監督も言及したように、次戦の対戦相手である町田は、ここへきて公式戦6連勝と波に乗っている。補強の効果もあり、チーム自体も確実に力をつけており、昨季と同様に手強い相手であることは間違いない。この日の消耗が心配ではあったが、試合後に山川がコメントしたように町田戦に向けての良い準備となったようだ。それくらいのタフさがなければ、この先ヴィッセルを待ち受けているタイトル獲得への試練は乗り越えていけない。逞しさを増したヴィッセルが、この夏をもっと熱くしてくれそうだ。

今日の一番星
[該当者なし]

汰木が半袖に着替えるほどの暑さの中、ヴィッセルの選手が奮闘したことは間違いないのだが、大学生相手に苦戦を強いられたという事実は重い。冒頭でも記したように東洋大は守備も整備された素晴らしいチームではあったが、ヴィッセルが目指す位置を考えた時、この試合結果は喜ぶべきものではないと思う。頑張りを見せてくれた選手たちへのリスペクトはあるが、この先への期待を込めて、敢えての「該当者なし」とさせていただく。