覆面記者の目

明治安田J1 第14節 vs.岡山 ノエスタ(5/3 15:03)
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    2後半0
  • 0
  • 岡山
  • 宮代 大聖(51')
    井手口 陽介(73')
  • 得点者

「岡山さんは本当にいいチームだと思いました」
 これは吉田孝行監督が会見の中で語った言葉だ。今季、クラブ史上初となるJ1リーグでの戦いに挑んでいる岡山だが、ここまではシーズン前の下馬評を覆す見事な戦いを見せている。吉田監督もコメントしたように、前に早くボールを送り、相手の守備の裏を狙う戦い方を徹底し、14試合を終えて5勝3分6敗という成績を残している。岡山に対するリスペクトを持った上で言うと、戦力を考えれば善戦していると言って差支えはないだろう。
 この岡山を支えているのが、堅い守備だ。試合前の時点での失点数はヴィッセル(8失点)に次ぐ9失点だった。3-4-2-1の布陣をベースにした岡山ではあるが、守備時にはウイングバックを下げた5バックで対応する。しかし後ろが極端に重いという印象はない。ボールを奪った際には、前線に大きく蹴り出すためだ。この時点での目的は前線の選手にボールを届けるというよりも、リスクを遠ざけるというニュアンスが強い。そこに2シャドーが走りこむことで、ボール奪取を企図している。相手のプレスが弱い時には、丁寧なつなぎも見せ、自陣からボールを脱出させる。そして前に出てくる相手に対しては2シャドーがスイッチ役となり、相手をサイドに誘導しつつ、連続したプレスをかけていく。その際には球際での強さを重視し、相手に五分でぶつかることも厭わない。


 このように岡山の戦い方を整理してみると、1つのことに気付く。それはヴィッセルと同じ方向性の中でチーム作りが成されているという点だ。布陣は異なるが「守備をベースとしたチーム作り」、「縦に速い攻撃」、「球際での強さ」といった要素は共通している。試合後に前川黛也が「岡山は僕たちと同じ狙いを持っていた」と語ったのも、そのためだろう。 同じベクトルの上に作られたチーム同士の戦いにおいては、選手の能力差がそのまま試合に表れると言われる。しかし本当にそうなのだろうか。ヴィッセルと岡山を比較した時、選手個々の能力値においてヴィッセルが勝っていることは間違いない。しかしそれだけで勝てるほど、サッカーは単純な競技ではない。そこには「選手の能力差を試合に影響させる」ための仕掛けが必要なのではないだろうか。今回はそこから考えてみる。

 Jリーグの新人選手が必ず受ける質問の1つが「プロに入って一番驚いたことは?」というものだ。そして大体の場合、答えは決まっている。それは「スピードとパワーがアマチュアとは桁違い」という回答だ。これはほとんどの選手が感じることであり、偽らざる答えだ。現在は経営者として活躍する嵜本晋輔氏は、高校時代にはスピードとテクニックに優れた中盤の選手として知られていた。身体は高校生の中でも細い部類に属していたが、キレのあるドリブルで相手をかわし、試合を組み立てていた。その嵜本氏は高校を卒業後、G大阪に入団したのだが、全く通用しなかったと当時を振り返っている。フィジカルでは叶わないことは承知の上だったが、自分の持ち味を発揮するスペースを与えてもらえないほど、プロのスピードとパワーは異次元のものだったという。
 前述したようにプロの選手の見せるスピードとパワーは桁外れだ。それを示すデータがある。「体育学研究」という機関誌に掲載された「J リーグサッカークラブにおける上位カテゴリーへの選手選抜に関する横断的研究」(津越智雄、 浅井武:2016年)という論文の中で、JリーグクラブのU-18からトップチームに昇格した選手と昇格しなかった選手、プロのベンチメンバーの選手の運動能力を比較したものだ。データは2006年から2008年と古いものではあるが、プロのスピードを「見える化」したものとしては興味深いものなので、一部を紹介する。

・10mスプリント
U18非昇格選手・・・・・1秒82
U18昇格選手・・・・・・1秒80
ベンチ入選手・・・・・・1秒75

・30mスプリント
U18非昇格選手・・・・・4秒34
U18昇格選手・・・・・・4秒26
ベンチ入選手・・・・・・4秒16

・50mスプリント
U18非昇格選手・・・・・6秒76
U18昇格選手・・・・・・6秒63
ベンチ入選手・・・・・・6秒46

 コンマ1秒前後の差ではあるが、これこそが瞬間的な判断を要求されるプロの世界では致命的な差となる。そして全体のスピードは、この調査時よりも現在は確実に速くなっている。サッカーが「瞬間の積み重ね」であることが判る数字だ。そして何よりも重要なのは、こうしたスピードを発揮するために必要な要素があるということだ。その要素とは「スタミナ」と「判断力」だ。
 この調査ではアカデミーから昇格した選手とそうでない選手の身体データも比較しているのだが、そこで最も大きな差が出ているのは体重だった。身長はほぼ一緒なのだが、昇格している選手は総じて体重が重い。これはパワーを示す数値であると同時に、スタミナの有無にも関係しているのではないだろうか。我々のような一般人であっても疲労が溜まった状態ではスピードを上げることはできず、判断も悪くなる。これと同じように、トップアスリートであるプロの選手も、スタミナがなければテクニックや判断力といった持てる力を発揮することはできない。井手口陽介がG大阪アカデミー時代から「怪物」と呼ばれたのは、まさにこのスタミナが傑出していたためだ。

 ここで話を岡山との試合に戻す。前記したように同じベクトルの上に築かれたチーム同士の対戦であったため、お互いに相手の狙いを理解した上で試合に臨んでいた。そのためキックオフ直後から、攻守が目まぐるしく入れ替わる展開となった。岡山はGKのスベンド ブローダーセンのキックを起点に、ロングボールを使いながらヴィッセル陣内に攻め入ってきた。しかしヴィッセルも岡山の狙いが解っているため、慌てることなくこれに対応し、チャンスを作らせなかった。試合後、岡山を率いる木山隆之監督はこの前半の展開は想定内だったことを明かした。木山監督は「後半に我々のパワーを使える場面は必ず来る」と読んだうえで、「前半の0-0はOK」と選手に伝えていたという。そのため「前半はチャンスは全くなかったが、その中でも中盤の選手が巧く戦っていたので、そこは良かったと思う」と前半を振り返っている。木山監督は前半を「ヴィッセルに慣れる時間」と割り切っていたのだろう。しかしここが勝負の分かれ目だったように思う。
 
 前記したように岡山はロングボールを使いながら、積極的にヴィッセル陣内に攻め入ってきた。そしてヴィッセルはそれを押し返しつつも、いつも通りのリズムで戦いを続けた。ここでヴィッセルが特別なことをせずに、いつも通りの戦いを続けたことが、実は岡山の体力を削り取っていたように思う。岡山の選手からはよく鍛えられているという印象を受けたが、選手個々の力ではヴィッセルに分があった。ヴィッセルの戦いについて、多くの関係者が「速い」という印象を口にする。ここでいう「速い」というのは前に出るスピードだけではなく、ボール非保持に変わった瞬間のネガティブトランジションも含んでいる。この試合でもそうだったが、相手陣内でボール非保持に変わった瞬間、ヴィッセルの選手のプレスがボールホルダーに襲いかかる。これに対して岡山はロングボールを蹴りこむ場面も多かったが、その際にもヴィッセルの選手は一気に戻り、守備陣形を整えていた。そしてボールを奪うと、次の瞬間には全員が前を向いて走り出していた。こうした「ヴィッセルの戦い方」は岡山の攻撃を食い止めるだけに留まらず、岡山に上下動を強いる効果があった。

 ここでヴィッセルにとって大きかったのは酒井高徳の存在だ。酒井は前半の30分頃から周りにロングボールを蹴らないよう指示を出しているように見えた。この指示の目的はアンカーの扇原貴宏を使ってボールを散らしていくことにあったとは思うが、同時に岡山をヴィッセルのペースに引きずり込むためだったように思う。この試合では岡山が守備に重点を置いていたこともあり、試合序盤からヴィッセルのボール保持率は高くなっていた。その中で、前記したように岡山のカウンターは問題なく防ぐことができていたものの、ヴィッセルの攻撃も一定のリズムに嵌りつつあったように思う。岡山の攻撃は右サイドに偏っていたこともあり、反撃も同じようなリズムになってしまっていたのだ。酒井はこの点も危惧していたのではないだろうか。
 ボール保持率が高い試合では、一見すると主導権を握っていると見えがちではある。しかしそれが一定のリズムになってしまうと、ボール保持を放棄した側には「守りからの反撃」というリズムが生まれてしまう。ポゼッションが試合の趨勢を表さない典型例だ。ボール保持率の高さを主導権に結びつけるためには、あくまでもボール保持側のリズムで試合を進めなければならない。そのためには攻撃する道筋やテンポを変えることで、守る側を動かし続けなければならない。酒井はそれが解っているため、ロングボールの割合が高いと判断し、アンカーを経由する形を増やそうとしたように思う。
 そして結果的に、これが大正解だった。岡山がリトリートして守りを固めるタイプであれば、アタッキングサードまでの道筋は試合のリズムに影響を及ぼさないが、ボランチの2枚とインサイドハーフの2枚が前に出てボール奪取を狙うスタイルだったため、ヴィッセルの動きが変わったことで、彼らのプレー位置も変化した。要はヴィッセルのリズムを保ったまま、前半を終えることができたのだ。

 前半に得点を奪うことはできなかったが、岡山はヴィッセルに合わせて動き続けたことで、確実にスタミナを消耗した。ブローダーセンは試合後、「後半は相手(ヴィッセル)が強度を上げてセカンドボールを取りにきて、勝負に負けてしまった。負けに値する試合だったかなと思います」とコメントしていたが、これこそがこの試合でヴィッセルが仕掛けた罠だったとも言える。岡山はヴィッセルの戦いに付き合ったことで、本来の自分たちのテンポよりも若干速い動きを続けることを余儀なくされた。これが明らかに速かった場合は、木山監督は全体をリトリートして守ることで体力の温存を図ったように思うが、プレーの流れを寸断するほどの速さではなかったことが、ベンチの介入を阻んだのではないだろうか。しかしこれがジャブのように効いたため、後半の岡山のプレー速度は低下していたように見えた。もちろん時間経過とともにプレースピードや精度は低下するのが普通ではあるが、その低下幅において岡山はヴィッセルよりも大きかったように思う。
 後半のヴィッセルは、扇原を起点としてボールを動かしていったのだが、岡山もボールサイドに人を集めてきたため、随所で密集状態が発生した。しかしその中でもヴィッセルの選手たちは動じることなくボールを動かし、密集から抜け出していった。これはボールスキルの高さを示すと同時に、岡山がテンポの変化についていくことが難しくなっていたためでもあるように思う。こうした局面でモノをいうのが、前記したスタミナだ。ヴィッセルは選手のボールスキルの高さやスピードが注目されがちではあるが、それを90分間続けることのできるスタミナを持っていることを忘れてはならない。このスタミナがあればこそ、試合終盤になってもボールを追い続け、素早い攻守の切り替えを見せることができるのだ。

 ここで最も大事なことは、チーム全体のスタミナという点においても、ヴィッセルは進化を続けているということだ。試合後、宮代大聖はリーグ戦4連勝の受け止めを尋ねられた際、全員での攻撃と守備を誰一人サボることなく続けていることが連勝の要因とした上で、戦い方を継続する中で、その基準を日々引き上げていることが試合につながるという考え方を示した。その上で「基準は昨年よりも今年の方が絶対に上がっています」と、チームの成長に自信を見せた。
 とはいえ簡単な試合ではなかった。岡山の前に出る力は強く、球際の強さも際立っていた。こうした中でもヴィッセルが安定した守備を見せることができたのは、山川哲史の成長に拠るところが大きい。以前は低い位置でのボール回しによって、前に出る相手に押し込まれる場面も散見されたが、ここ数試合、山川はボール保持時のポジションを高く取ることで、リスクを軽減している。また前記した密集の中でボールを動かしていった裏側には、アンドレス イニエスタ在籍時に培った技術がある。ヴィッセルは過去の経験を積み上げていく中で、強さを増してきたチームでもある。
 変幻自在な戦い方を見せるチームのような幅はないかもしれないが、今のヴィッセルには絶対的な安定感と力強さがある。例えて言うならば、ヴィッセルは剃刀ではなく鉈のような重厚感を持った業物といったところだろう。そしてそれを日々研ぎ続けているために、切れ味は日々増している。それを選手が実感できているところが、今季も好結果を期待させてくれる。


 この試合でヴィッセルには2つの収穫があった。1つは「プランB」とも呼ぶべき形に目途が立ったこと、そしてもう1つは2人の選手の「試運転」ができた点だ。次はこれについて説明する。
 まず1つ目だが、この試合における最も大きな要素は「大迫勇也、武藤嘉紀、マテウス トゥーレル」の不在だった。この3人は誰もが認めるヴィッセルの「核」となる選手だ。彼らの状態について吉田監督はコメントは控えるとしつつも「悪くはないです」と説明した。その彼らを使わずに「ヴィッセルらしさ」を保ちつつ、勝利することができた意味は大きい。


 次に、この試合で「試運転」できた2人の選手とはジェアン パトリッキと齊藤未月だ。パトリッキは開幕戦以来の実戦、齊藤は一昨年の大きなケガ以来初のリーグ戦出場と、状況の違いはあったが、彼らが戦列復帰を果たしたことは、この先に控える戦いを見据えた時に大きな意味を持っている。ここから暑さが厳しさを増す中では、戦力の厚みが勝敗を分ける。その意味でも実績と経験のある彼らが戦列に復帰したことは、ヴィッセルにとって福音と言えるだろう。


 この試合で大きな役割を果たしたのが、大迫に代わって前線の中央に入った佐々木大樹だった。この試合における佐々木は大迫のように高い位置で起点を作ることはせずに、ボール保持時にはわずかにポジションを落とし、味方からのボールを引き出していった。岡山の最終ラインが高さで勝っていたための判断だろう。そして自ら時間を作る役割を担いながら、周りの選手を活かすべくプレーを続けた。自身のシュートチャンスも何度かあったものの、それ以上に周りの状況を見ながらプレーする姿勢が目立っていた。最初の得点シーンではペナルティエリア内中央でボールを受けつつも、ヒールで背後を走る宮代にボールを落とした。そして2点目のシーンではドリブルで前に持ち込む際、緩急をつけた動きで周りの選手が上がってくる時間を作り出した。この試合における佐々木のプレーエリアを見てみると、アタッキングサード全体をカバーしていたことが判る。それを示しているのが走行距離とスプリント回数だ。佐々木の走行距離は10.80kmと井手口(10.89km)に次ぐチーム2番目の数字、スプリント回数ではチームトップとなる20回を、それぞれ記録している。これは大迫とも異なる佐々木独自のスタイルと言えるだろう。

 この佐々木と見事なコンビネーションを見せたのが、1ゴール1アシストを記録した宮代だった。佐々木とのコンビネーションについて宮代は「練習でもずっと見てくれている感じはしており、自分も関係を崩さないように意識している」と試合後にコメントしたが、お互いの位置と意思を把握していることを感じさせるプレーを見せた。この両者の関係について言えば、ボール非保持時のポジショニングも優れていた。インサイドハーフに入った宮代と前線の佐々木は、ボール非保持時には2トップに変化し、ファーストディフェンダーとしての役割を果たさなければならない。しかし単純に2トップの形となるのではなく、岡山の3バックに対して、高さを変えながらプレスをかけていった。そのため背後でセカンドボールを回収した際、どちらかがボールを受けることのできる位置を取っている場面が多く、これも試合のリズムを作り出す上で一役買っていた。
 今季リーグ戦での初ゴールを決めた宮代だが、シュートシーンには技術の高さが詰まっていた。佐々木からのボールを受けた時、宮代の前には右ウイングバックの佐藤龍之介が立っていたのだが、宮代はわずかに左に流れることで、佐藤の身体の向きをコントロールした。その上で左に動く際、宮代は左足の甲にボールを乗せ、わずかに浮かせた。そしてこのボールに逆回転をかけた。これによって佐藤をかわすと同時に、シュートを打ちやすい位置にボールを置いた。そして2バウンド目の上がり際を左足で打ち抜いている。テニスでいうところのライジングショットの要領だ。これは相手GKにシュートを放つタイミングをつかませない効果を持っている。そしてシュートコースだが、いわゆる「ニア上」を狙っていた。この難しいシュートを難なく決めた宮代のシュート技術の高さには、改めて驚かされた。
 そしてアシストシーンだが、佐々木からのボールを受けた際、宮代はシュートを意識していた。それは宮代の「欲を言えば、大樹くんのパスが前に来ていたら自分で、というのはあったんですけど」という試合後のコメントからも明らかだ。しかしこれがシュートできるボールではないと分かった瞬間に判断を切り替えた。ここで宮代は身体の角度をオープンにして佐々木からのボールを受けた。この時点で、左足を軸に広いスペースの方を向く準備が整った。そして右足の爪先でボールを止め、そのまま右足のアウトで井手口の走路に正確なボールを配球した。並みの選手であれば身体を回すようにして左足で出してしまうところだが、身体を回転させるという無駄を省いたことで、宮代は背後から追ってきた藤井海和を無効化した。
 戦列に復帰以降、試合を重ねるごとにコンディションを上げてきた宮代だが、この試合は完全復活を印象付けるものだった。

 特筆すべき働きを見せたのが、左サイドバックとして出場した鍬先祐弥だった。この試合で左サイドバックに入った鍬先だが、自身がコメントしたように、岡山の狙いどころとなっていた。特に前半は攻撃の8割を右サイドに集中させた岡山は、鍬先の背後を狙ってきた。ボランチが本職の鍬先にとっては厳しい状況ではあったが、その中で見事な対処を見せ続けた。鍬先に対しては右シャドーの木村太哉が終始仕掛ける形となった。ゴールライン方向にボールがこぼれた際、ボールをガードする鍬先を木村が突きとばす格好になる場面も複数回見られたが、鍬先は怯むことなく身体を張り続けた。前に立つ右ウイングの広瀬陸斗とのコンビネーションも良く、自陣深い位置からでも焦って蹴り出すことなく、広瀬とのパス交換でボールを脱出させるなど、岡山に思ったような攻撃を許さなかった。この時間帯にこのサイドが決壊していれば、試合の流れは一変していた可能性が高い。その意味では狙い撃ちにされつつも、それを防ぎとめた鍬先の守備が試合のリズムを作り出したとも言える。
 鍬先について感心するのは、その成長度合いだ。この試合でも相手のプレスをボールコントロールでいなし、そこから左足で対角や前を狙う場面が何度も見られた。鍬先の利き足は右だが、左でも蹴ることができるようになっている。その結果、自らの立ち位置によって蹴る足を変えるなど、プレーの幅を広げている。こうした技術を習得するためには、相当の努力が必要だ。それを思えば、鍬先の成長には頭が下がる。

 試合終盤に訪れたこの試合唯一のピンチも、前川の身体を張った守備で守り切ったヴィッセルは今季のJ1リーグ戦では4試合目となる完封勝利を挙げた。岡山最大の武器であるルカオのパワーと高さも、前節に続きセンターバックに入った本多勇喜を中心に無効化し、最後まで危なげのない試合運びを見せた。
 この試合の結果、ヴィッセルは暫定ながら順位を5位に上げた。首位に立っている鹿島との勝点差は7あるが、ヴィッセルの消化試合数が2少ないことを思えば、上位陣を射程圏内に捉えたと言ってもよいだろう。しかし今季もJ1リーグは混戦模様だ。1つの勝敗によって、順位は大きく変動する。気を抜くことのできない試合が、依然として続く。

 次節は近隣のライバルであるC大阪との戦いだ。今節、C大阪は京都を相手に2点差をひっくり返す逆転勝利を挙げているだけに、ムードは高まっているだろう。順位こそ15位だが、香川真司を筆頭にタレントの揃うチームであり、簡単な試合とはならないだろう。中2日と厳しいコンディションではあるが、「ヴィッセルらしさ」を発揮することが勝利への近道であることは言うまでもない。互いの意地とプライドがぶつかり合う近隣ライバルとの一戦に勝利し、我々観る者のゴールデンウィークを最高の形で締めくくってくれることを期待している。

今日の一番星
[井手口陽介選手]

 1ゴール1アシストの宮代、全ての得点に絡んだ佐々木も候補だったが、試合を通じて攻守に躍動した井手口を選出した。この日の2点目となった井手口のゴールは、井手口にとってヴィッセルに加入以降、リーグ戦での初ゴールとなった。その豊富な運動量と高いボール奪取能力で、今やチームに不可欠な存在となった井手口だが、この試合ではチーム最多となる4本のシュートを放っている。以前にも書いたことがあるが、井手口が攻撃に顔を出す場面が多い時は、ヴィッセルが巧く試合を運べているときでもある。吉田監督の求める素早い攻守の切り替えを最も体現できる選手が井手口であるためだ。その井手口を支えているのが、前記した無尽蔵とも思えるスタミナだ。この試合のヒートマップを見ると、井手口は両ペナルティエリアに挟まれた全てのエリアをカバーしていたことが判る。それだけでも驚異的だが、その中で90分間スピードを保ち続けた。本文中でも触れたように、この能力こそが井手口を「怪物」足らしめている。そんな井手口のシュートは見事だった。前に走り込みながら宮代の落としたボールに対し、ペナルティアークの外側からダイレクトに左足で振りぬいた。このシュートシーンでは力を抜き、コースを意識した蹴り方を見せたが、ボールは伸びのある素晴らしい弾道で右ポストを叩き、そのままゴールに入った。このシュートも見事だったが、井手口らしさはその走行距離にある。このシュートにつながるボールが自陣から前の佐々木に入った瞬間、井手口はセンターサークルよりも5mほど後ろに位置していた。要は佐々木がボールを受けてから5秒程度の間に前線まで上がってきていたのだ。このゴールが決まったのは73分だった。普通の選手であれば疲れが出る時間帯でありながら、何食わぬ顔でロングスプリントを決めることのできる井手口の能力は、やはり「怪物」であると思わせてくれた。気が付けばどこからともなく現れ、ピッチ上のあらゆる場所に顔を出し続ける「笑顔の忍者」に、ヴィッセルでの初ゴールへの祝意も込めて一番星。