覆面記者の目

明治安田J1 第35節 vs.新潟 デンカS(10/26 14:03)
  • HOME新潟
  • AWAY神戸
  • 新潟
  • 2
  • 0前半1
    2後半1
  • 2
  • 神戸
  • 島村 拓弥(74')
    若月 大和(90')
  • 得点者
  • (45'+3)大迫 勇也
    (52')大迫 勇也

「勝たなければいけない試合でしたし、勝てる試合でもありました」
 これは試合後の会見で吉田孝行監督が発した第一声だ。前日、首位に立つ鹿島が京都と引き分けたことで、この日の試合がヴィッセルにとって「勝たなければならない試合」だったことは事実だ。しかし結果は2点のリードを守り切ることができず、痛恨のドロー。鹿島との勝点差5は変わらず、残り試合数を考えると「J1リーグ3連覇」はおろか、AFCチャンピオンズリーグエリート26/27(以下ACLE)の出場権獲得圏内である2位も厳しい状況に置かれてしまった。過去に何度も書いたように、J1リーグは世界でも類を見ない「実力拮抗」のリーグだ。今季は低迷し、前日の試合結果によってJ2リーグへの降格が確定した新潟が相手とはいえ、決して楽に勝てるものではない。とはいえ両チームの戦力を比べた時、ヴィッセルが勝っていることは間違いない。さらにヴィッセルは、全ての選手がこの日の試合の意味を十分に理解していた。既に目標を失っていた新潟に対しても、誰一人として手を抜くことなく、全力で勝点3をつかみ取りに行った。しかし思うような結果を残すことはできなかった。「相手があること」ではあるが、この日の試合に対して両チームが持っていたモチベーションには大きな差があったことを思えば、やはり「勝たなければいけない試合」だった。


 世界最古の舞台芸術と言われる能における奥義を記した書として知られる「風姿花伝」。作者は室町時代に活躍した世阿弥だ。江戸時代まで能は猿楽(さるがく)と呼ばれていたのだが、世阿弥が活躍した当時は様々な一座が存在しており、熾烈な生き残りゲームが繰り広げられていたようだ。立合(たちあい)と呼ばれる舞台には複数の一座が上がり、そこで人気を落とすことがあれば、解散に追い込まれるという厳しい世界だった。世阿弥も一座の棟梁として芸を磨きつつ、人気を獲得していったのだが、同時に一族繁栄のためのマニュアルを書き留めた。これが「風姿花伝」であり、秘伝の書として子孫だけに受け継がれていった。
 この中で世阿弥は「初心忘るべからず」という言葉を記している。これは謙虚さを求める言葉と思われがちだが、世阿弥は異なる文脈で使用している。世阿弥が説くところの初心とはあらゆる可能性を持っている状態を指している。そして世阿弥は、能楽者の人生には7つの段階があり、その中で3度初心に返るべきタイミングがあると説いている。最初は芸の形が整った青年期だ。2度目は役者としての絶頂期である壮年期。そして3度目は老いた時だ。こうしたタイミングで自分が本来持っていた可能性を思い出し、さらなる精進を積むことが役者としての成功に欠かせないという。芸がこなれた時にこそ守りに入るのではなく、自身の可能性を信じて新たな変化を求めることが生き残り策であるということを、世阿弥は子孫に伝えようとしたのだ。こうした意味であるならば「初心忘るべからず」という言葉は、サッカーチームにも通じる心構えなのではないだろうか。

 この日の結果を振り返る際には、いくつかの視点が必要であるように思う。1つ目は遠因とも言うべき問題だ。
 シーズン最終盤の大事な時期になってなお、ヴィッセルは負傷者に悩まされている。試合前日の会見でこれについて尋ねられた際、吉田監督は「確かに主力の怪我人が多く、なんとか入れ替えながら戦っていますが、1人戻ってきたと思えば、また別の離脱者が出るという繰り返しとなっています」と、苦しい台所事情を明かした。その上で「チーム全体としては成長していると思う」と、ここまでチーム一丸となって戦ってきた成果についても言及したが、チーム状態が万全でないことは明らかだ。この日の試合では井手口陽介がベンチメンバーに名を連ね、戦列復帰を果たしたが、一方でエリキ、酒井高徳は不在だった。今季は多くの試合で主力選手離脱の影響を受けたことは確かだ。その原因は2つある。1つは超過密日程だ。しかしこれはシーズンに入る前から判っていたことであり、ヴィッセルがどうこうできる類の話ではない。
 問題は2つ目だ。それは思うように進んでいない「チーム力の底上げ」だ。シーズンに入る前、吉田監督は「複数のタイトルを狙うためにも、2チーム分の戦力を揃える必要がある」と口にしていた。ヴィッセルの日々のトレーニングの強度の高さは有名だ。その中で選手たちは確実に力をつけてはいるはずだが、チーム力の底上げを実感するには至っていない。その象徴が天皇杯だ。既に準決勝進出を決めているヴィッセルだが、同大会ではここまでに4試合を戦っている。その内訳は大学生と1試合、J3クラブと2試合、J2クラブと1試合だ。これらの戦いに際して吉田監督は、リーグ戦での出場機会が少ない選手を中心に起用してきた。その結果、90分以内に決着をつけられたのは最初の1試合(2回戦)のみだった。これまでの対戦相手をリスペクトした上で敢えて言うと、この一連の試合で苦戦が続いたことは、吉田監督にとって誤算だったのではないだろうか。吉田監督の目論見としては、ここで結果を残した選手たちをリーグ戦でも起用しながら、チーム全体の底上げを図る予定だったように思う。しかし実際には、ほぼ全ての試合で途中から主力選手数名を投入せざるを得ない状況に陥った。
 ここで今季のリーグ戦の出場時間を見てみる。ここまで全ての試合でフル出場を続けているのはGKの前川黛也(3150分)だ。以下山川哲史(3103分)、扇原貴宏(2664分)、宮代大聖(2571分)と続き、19位の飯野七聖(501分)までが500分超となっている。続く20位の山内翔は175分と、ここに断層が生じてしまっていることが解る。さらにこの19人の選手を1試合あたりの出場時間で見てみると、3つのグループに分けることができる。1試合平均75分以上出場しているのは前川、山川、井手口、マテウス トゥーレル、宮代、扇原、酒井、永戸勝也の8人。9番目の佐々木大樹が72.25分であるため、ここまでの選手を第1グループと呼ぶ。そして45分以上の出場となっているのが、大迫勇也、武藤嘉紀、エリキ、鍬先祐弥、広瀬陸斗、本多勇喜の6人だ。これを第2グループと呼ぶ。そして40分未満の汰木康也、井出遥也、ジェアン パトリッキ、飯野を第3グループと呼ぶ。こうして見てみると今季のヴィッセルは第1グループと第2グループの選手15人をメインとして戦い、第3グループの4人がアクセントになっていたとも言えるだろう。
 こうした数字からもチーム全体の底上げは2チーム分を構成するには至らなかったことが判る。年間で60試合近く戦う中で、出場時間の偏りがあれば、一部の選手に負傷のリスクが高くなるのは致し方ない部分でもある。

 次の視点は「戦い方」だ。この日の試合では2つの視点が必要になるだろう。1つは「なぜ3点目を取ることができなかったのか」。そしてもう1つは「なぜ2点のリードを守り切ることができなかったのか」ということだ。
 まず最初の「なぜ3点目を取ることができなかったのか」という問題について考えてみる。この試合でヴィッセルが放ったシュートは17本。そのうち枠内シュートは11本と高い数値を記録した。チャンスの質を測る指標であるゴール期待値も、2.86という高い数値を記録している。ちなみにこの試合における新潟のゴール期待値は0.76だった。こうした数字からも、この試合ではヴィッセルの攻める時間が長く、チャンスも十分に作り出せていたことが窺える。ではなぜ3点目を奪うことができなかったのだろうか。1つには、試合中降り続いた雨の影響があったと思われる。何度かヴィッセルのカウンターが発動する場面はあったが、肝心の場面でボールが流れてしまったり、足につかない、あるいは足を滑らせるといった現象が見られた。しかし、それ以上に大きな問題は「ヴィッセルの攻撃が読まれている」点にあるのではないだろうか。
 この日の試合でも、ヴィッセルの攻撃方法はサイドからのクロスが中心だった。これはヴィッセルの特徴的な部分ではあるが、ここの比重が高くなりすぎているように感じられた。4-4-2のような形でセットしていた新潟だが、自陣ゴール前ではサイドからのクロスを想定した守備隊形を引いていた。そのためサイドから中央にかけて守備の形が整っていた分、守備ラインの外側、特に中央の守備はそれほど厚みのあるものではなかった。ヴィッセルのアンカーである扇原はこのエリアを使いながら、ボールをサイドに散らしていったが、新潟とすればここを使われることは想定内だったのだろう。むしろクロスの発射点であるサイドと、着弾点である中央を厚くして守る姿勢を見せていた。これは「ヴィッセルはサイドからのクロスで勝負してくる」と読んだ上での守備だったわけだが、ヴィッセルは多くの場面でその通りの攻撃で勝負していた。一見すると他の攻撃パターンを組み合わせた方が良かったように思われるかもしれないが、これが吉田監督の個性でもあり、特徴でもある。
 以前にも書いたことだが、吉田監督は一途とも言える指揮官だ。ここまで作り上げてきた「ヴィッセルの戦い方」に対するこだわりを見せ、その精度を高めることで、相手の対策を上回ろうとする。これは正誤の話ではない。大袈裟に言えば「哲学」の問題だ。しかしこれもシーズンという軸で振り返ってみると、変化は起きている。


 吉田監督が3年以上の時をかけて積み上げてきた戦い方を考える際には、ベースとエッセンスに分けて見る必要がある。ベースとなるものは3つだ。「前線からの連動したプレス」、「攻守の素早い切り替え」、そして「球際での強さ」だ。これらはどのような戦い方であっても、遵守することが選手には求められている。そしてこの上に「ロングボール」などのエッセンスが加わるのだが、「サイドからのクロス」もその1つだ。そしてこうしたエッセンスの部分は出場している選手によって使い分けられている。
 サイドからのクロスというのは、もちろん「大迫ありき」の戦い方だ。大迫は密集の中でも高さで勝負することができ、そこからシュート、パスなど様々な方法を選択できる。この傑出した能力を活かすための戦い方が「ロングボール」であり、「サイドからのクロス」だ。他のエッセンスを見てみると、1つにはサイドからドリブルでの侵入という方法がある。これは昨季、武藤が頻繁に見せた崩し方でもある。相手ブロックの前でボールを握り、そこから一瞬の前に出るスピードと力強さでブロックの中に切れ込んでいく。そしてペナルティエリア内では大迫や宮代、佐々木といった選手を使ってゴールを陥れる。また今季新たに加わったエッセンスが2つある。1つは裏にこぼれたボールに走りこむエリキを活かす戦い方。もう1つは相手ブロックの前でのパス交換による崩しだ。これは佐々木と宮代のコンビを軸とした方法だ。佐々木の身体の強さとセンスで時間を作り、そこにアジリティと足もとの技術に長けた宮代が絡み、一気にペナルティエリアの中に入り込む。
 話を分かりやすくするために、ここではこれらの方法を「大迫システム」、「武藤システム」、「エリキシステム」、「佐々木・宮代システム」と呼ぶ。そしてこれに照らし合わせていくと、この試合では「大迫システム」がメインとして使用されていたことが解る。しかし前記したように、新潟の守備はそれを想定した守備陣形を整えていた。そう考えると他のシステムを採用したいところではあるが、ここに現在ヴィッセルが直面している課題がある。この4つのシステムの中で共存が形になっているのは「大迫システム」と「武藤システム」だ。他の2つはまだ共存の形を整えるには至っていない。であれば「武藤システム」を加えてほしかったところだが、試合を観る限り、武藤のコンディションは未だトップフォームを取り戻すには至っていない。相手に対して身体を張って勝負を仕掛ける武藤のスタイルは、コンディションの影響を受けやすい。そのため、この試合では「武藤システム」を発動させることはできなかったというのが実情なのではないだろうか。

 以前、筆者は「戦い方に幅を持たせてほしい」と記した。理想を言えば相手の状況に応じて速攻と遅攻を使い分けてほしいところではあるが、これを1人の監督に望むのはいささか酷なのかもしれない。吉田監督の基本は速攻にあり、それをベースとして考えるのであれば、前記した「エッセンス≒システム」の共存こそが、現実的に幅を持たせる方法なのではないだろうか。この日の試合だけを見れば、後半2点目を取った後は、大迫を囮として使い、「佐々木・宮代システム」で勝負を仕掛けることができれば、「大迫システム」を想定していた新潟の守備を混乱に陥れることができたように思う。これができなかった理由は後述する。

 次に「なぜ2点のリードを守り切ることができなかったのか」について考えてみる。そこには2つの理由があるように思う。1つは後述する交代策と密接に関係している。そしてもう1つの理由は、後方からのボール脱出の仕組みを備えていないことにあるのではないだろうか。ヴィッセルの守備においては山川とトゥーレルのセンターバックコンビが基本になる。この両者の関係性は良く、現在のJ1リーグの中でも屈指のコンビとなっている。裏に抜けるスピードに対してはトゥーレルが対応し、山川がそのカバーにまわる。これで相手のカウンターを幾度も止めてきた。問題はボールを回収した後だ。これはGKの前川をも含めた問題点だが、パスワークで相手を動かしつつ、前に向けてボールを動かしていく方法が未だ確立されていない。そのため、この日の試合の終盤のように相手に押し込まれた時間帯には蹴り返したボールを再び拾われ、そこから二次攻撃を受けるケースも少なくない。これまでそうした場面では井手口が驚異的な運動量でスペースを消し、ボールを回収していた。この試合で戦列復帰を果たした井手口だが、まだコンディションは回復途上であり、本来の運動量を見せるには至っていなかった。
 こうした自陣からのボール脱出においては、GKをどのように使うかがカギとなる。守備と同数でのプレスをかけてきた場合、GKをそこに加えることで人数的な優位を確立し、そこからのボール脱出を図るというやり方は、今やスタンダードな方法だ。しかし自陣でのリスク管理を徹底しているため、吉田監督はこれをあまり好まない。前線に大迫というボールを収めることのできる選手がいるため、そこに向けて蹴ってしまう方がリスクは遠のくという考え方なのだろう。これが間違いなわけではない。しかし、そこまでもが相手に想定されているという現状に鑑みれば、やはり何らかのボール脱出の方法、それも遠くに蹴るだけではなく、確実に味方にボールをつなぐ方法を構築しなければならない。


 最後の視点は「選手交代」だ。
 この日の試合で吉田監督は交代カードを使い切った。選手の体力マネジメントを考えた上での交代ではあったように思うが、そこには2つのポイントがあったように思う。1つは62分の飯野から広瀬への交代だ。この試合で右サイドバックに入った飯野は、序盤からアップダウンを繰り返していた。決して守備型の選手ではないが、傑出したスピードと運動量でそれをカバーするタイプの選手だ。これに対して広瀬はバランス型とも呼ぶべき選手だ。全てのプレーをこなすことができる選手であり、その平均値は高い。そして最も優れているのは、状況を読む目と精度の高いクロスだ。そのためウイングに入った時、広瀬は持ち味を最大限に発揮する。しかしサイドバックに入った場合、前線との物理的な距離が生まれてしまうため、クロスという持ち味を発揮することが難しくなる。ましてやこの試合のように「大迫システム」で戦うのであれば、広瀬を前線で起用することの意味は大きい。
 新潟のアカデミー出身でもある飯野にとって、この日の試合は特別な意味を持っていたはずだ。そして飯野は「気持ち」で戦う選手でもある。であれば、もう少し飯野を残しておいても良かったのではないだろうか。それでも疲労度を考慮して交代するのであれば、別の選択肢もあったように思う。それは前節でも書いた「岩波拓也の起用」だ。
 試合後、右サイドを破られ続けたことに関して、どのように修正したかったかを尋ねられた山川は「相手がボランチを含めてサイドバックも高い位置を取って、サイドハーフも間に立って、フォワードも関わってというところで、4、5人がパスの選択肢にいる中で、自分たちはサイドバック、サイドハーフ、センターバックとボランチのところで少しずつズレて、スライドし切れずに後手に回ってしまったのが修正し切れなかったところ」とコメントした。確かに試合終盤、新潟が前に出る中で、ヴィッセルにはズレが生まれていた。結果的にそれが痛恨の同点弾につながってしまったわけだが、ズレが生まれているのであれば、それを力で吸収するという方法もあったように思う。それが岩波の投入だ。岩波を右のセンターバックに置いた上で、山川を右のサイドバックに出す。若いころ経験していたとはいえ、山川は本職のサイドバックというわけではない。当然、そこで課されるタスクは守備だ。縦の強さを持つ山川をサイドバックに置き、センターバックに岩波を入れることで、センターバックが並んで守る強さは生まれる。そして岩波から前線を目標にしたロングボールを蹴らせることができれば、それは新しい展開を生み出した可能性がある。この日の新潟は試合終盤、スピードのある選手を前に置き、そこに対してボランチの位置から長谷川元希にボールを蹴らせることで攻撃を組み立ててきた。リードを守るという視座に立った時、最終ラインを固め、全体を下げた上でブロックを形成することができれば、異なった結果をつかみ取ることができたのではないかと思ってしまう。
 2つ目のポイントは宮代から汰木康也への交代だった。前記した出場時間を考え併せれば、宮代が疲弊していることは容易に想像がつく。この日の試合でも複数回見られた、足を滑らせる動きは疲労が原因だったのかもしれない。しかしこの日の試合で得点の可能性を感じさせていた選手の一人が宮代だったことも、また事実だ。この日の試合に限って言えば、交代させるべきは武藤だったように思う。ヴィッセルの看板ともいうべき武藤だが、まだコンディションが万全でないことは傍目にも明らかだった。武藤らしく全ての局面で全力でプレーしていたことは間違いないが、武藤本来の力強さが見られなかったことも事実だ。吉田監督は武藤の力強いドリブルでの突破を期待していたと思うが、この日のプレーを見る限り、まだその状況にはない。であれば武藤を下げて、左ウイングに広瀬を入れることが、「大迫システム」で戦っていたこの試合では得策だったように思う。
 またこの試合でも強度の高い守備を見せていた鍬先を下げざるを得なかったことも、ヴィッセルにとっては厳しい選択だった。前記したように新潟のボランチである長谷川が攻撃の起点になっていたことを思えば、球際で強く勝負できる鍬先を長谷川に当てることで、ある程度以上、新潟の攻撃を止めることはできたように思う。


 こうした交代策はあくまでも結果論でしかない。筆者が交代させるべきだったと書いた武藤が3点目のゴールを奪っていれば、武藤に賭けた吉田監督の采配が当たったということになる。さらに言えば選手の状態を最も正確に把握しているのは、吉田監督以下ベンチスタッフだ。基本的に試合でしか見ることのない我々とは異なり、毎日間近に選手を見続けている吉田監督の判断が最も正しいというのは、こうしたことを語る上での前提でもある。

 冒頭でも書いたことだが、今季のヴィッセルが思ったように勝点を伸ばすことができない背景には、ACLEとリーグ戦、そして複数のカップ戦を並行して戦う超過密日程の影響がある。同じACLEに出場している広島や町田が、この終盤戦で勝点を伸ばしきれていないことからも、それは明らかだ。これが王者の宿命と言ってしまえばそれまでではあるが、このスケジュール問題はJリーグに一考を求めたい。こうした厳しい状況を乗り越えての勝利には価値があるといった考え方もあるかもしれないが、それは選手やクラブに犠牲を強いた上で成り立っている。

 この試合の結果、ヴィッセルは残り3試合で勝点5を追いかけるという、極めて厳しい状況に追い込まれた。「逆転できる勝点は試合数とイコール」というサッカー界で頻出する言葉を信じるならば、今のヴィッセルは徳俵に足がかかった状態だ。しかしヴィッセルには天皇杯、そしてACLEも残っている。これらを並行して戦い、そこで結果を残していかなければならない。そのためにも今は一旦、鹿島との勝点差を頭の中から消し去った方が良いだろう。「目の前の試合に集中する」という吉田監督の戦い方こそが、今のヴィッセルが進む道なのかもしれない。
 しかしその中でもアップデートは続けていかなければならない。吉田監督には短い時間ではあるが、「大迫システム」、「武藤システム」と「佐々木・宮代システム」の共存を考え出してほしい。この日の試合を観る限り、大迫はトップフォームを維持している。1点目のシーンで見せた技術は、身体にキレがなければできるものではない。そして佐々木も試合を重ねる中で、確実に状態は良化している。それだけにこうした複数のシステムを同居させる方法を見つけることができれば、根源的な解決ではないかもしれないが、ヴィッセルの戦い方には「幅」が生まれる。

 そしてもう1人期待したいのが山川だ。今季から主将としてチームをまとめている山川だが、本来は前に出るようなタイプの人間ではないように見える。タイプ的には「背中でチームを引っ張っていく」キャプテンなのではないだろうか。しかしこうしたチームが苦しい時こそ、言葉が重要な役割を果たす。ヴィッセルに加入以降、弛まぬ努力を続けた結果、今の地位をつかみ取った山川は、今季もここまで見事な活躍を見せている。そんな山川の言葉には独特の重みがあるはずだ。キャプテンとしてチーム全員の意思を再度まとめ上げ、戦闘集団となって残る試合に臨んでほしい。

 次戦は中9日でのACLE蔚山戦だ。グループ首位に立っている蔚山との直接対決ではあるが、ここで勝利し、そこから中3日で迎えるG大阪戦にむけて弾みをつけてほしい。前節の項でも書いた「意志あるところに道は開ける」という言葉を信じ、ヴィッセルらしく戦ってほしいと願うばかりだ。