覆面記者の目

明治安田J1 第32節 vs.清水 ノエスタ(9/27 19:03)
  • HOME神戸
  • AWAY清水
  • 神戸
  • 2
  • 0前半1
    2後半0
  • 1
  • 清水
  • 鍬先 祐弥(65')
    酒井 高徳(90'+2)
  • 得点者
  • (40')小塚 和季

見事な逆転勝利だった。ヴィッセルがJ1リーグのホームゲームにおいて、前半にリードを許した状態から逆転勝利を挙げたのは、実に2016年8月に開催されたFC東京戦以来だという。昨今のヴィッセルの強さから考えると意外でもあり、俄かには信じがたい話だ。この事実は「サッカーにおける得点の難しさ」を如実に物語っている。
 過去に何度も書いてきたことだが、同カテゴリー内における実力の拮抗は、他国にはないJ1リーグ最大の特徴でもある。そのため一方のチームが守りに徹してしまった場合、ゴールをこじ開けることはなかなかに難しい。アウェイチームがリードして折り返した場合となれば、なおさらのことだ。
 この日他会場で行われた試合では、首位に立っている鹿島、順位の近い広島や町田も勝利を挙げている。もし試合に敗れていれば、順位は4位まで下降する可能性があった。そして何よりも首位との勝点差は7に広がっていた。これは残り試合数を考えれば、相当に厳しい数字だ。そうしたことを考え併せれば、この日の勝利の価値は弥が上にも高まるというものだ。しかも試合終了直前に、チームの精神的な柱とも言うべき選手が決勝点を決めるという劇的な展開だ。酒井高徳のゴールが決まった瞬間、スタジアムを包んだ熱狂は、この先複数のタイトルに挑むヴィッセルにとって最高のムードを醸成したと言える。
 
 文字通りの「生き残りゲーム」に突入している優勝争いだが、こうした厳しい争いを勝ち抜くためにはチームの実力とは別に、2つの要素が求められる。それは「劇的勝利」と「ラッキーボーイの登場」だ。優勝争いには尋常ではない緊張感がある。一発勝負であるトーナメントとは異なり、リーグ戦は試合を積み重ねてきた結果が問われる。シーズン終盤になって、そこに身を置いているクラブというのは、それだけの結果を残し続けてきただけの力と勢いを持っている。いわば横一線のような状態にあるのだ。そうした争いを抜け出すためには「ムード」という、数字では表すことのできない力こそが、最後の一押しとなる。そしてこの「ムード」を最も醸成しやすいのが「劇的勝利」という事象であり、それをもたらす「ラッキーボーイ」の存在だ。そう考えれば、ヴィッセルが目標を達成した暁には、この日の試合が「ターニングポイント」として語り継がれる試合となるだろう。


 こうした「劇的勝利」を挙げた試合では、とかく勝利という結果のみにフォーカスされがちではあるが、実は内包されていた問題点にも目を向ける冷静さこそが重要だ。思えば過去2シーズン、ヴィッセルには優勝争いの中でも「結果」と「内容」を分けて考える冷静さがあった。そしてそれをチームにもたらしたのは、大迫勇也、武藤嘉紀、酒井といった選手たちの経験と向上心だった。彼らが見せた「常に上を目指す」姿勢が、ヴィッセルを勝利という結果だけに満足しない「戦闘集団」へと昇華させた。加えてクラブが「アジアの頂点」という高い目標を掲げ続けていることも、その効果を増大させた。今季もヴィッセルはJリーグ、そしてアジアの頂点を目指して戦い続けている。この高い目標を達成するためには、この日の試合についても改善点を見つけ、さらなる成長につなげなければならない。

 この日の試合でポイントとなったのは「ポジショニング」だ。これについて考えるためには、清水の行ったヴィッセル対策を考える必要がある。
 試合前、清水を率いる秋葉忠宏監督は何度も「アクション」という言葉を使い、選手に求めているものを説明した。3-4-2-1でセットしている清水だが、秋葉監督がポイントとしているのは両ウイングバックだ。「5バックにも5トップにもなることができる」という表現を使い、両ウイングバックに対して上下動を要求していることを明かした。これは一見すると精神論的な言葉に思えるかもしれないが、そうではない。清水の基本とする戦いにおいてサイドは守備時においてはボールの脱出口であり、攻撃においては起点となっている。ボール非保持時にはゴール前を3枚のセンターバックで固め、その周りにウイングバックとボランチを配することで7枚での守りを完成させる。そしてボール脱出に至る経由地として、シャドーストライカーの1枚を落とし気味にし、ボール保持に変わった瞬間、そこを経由させて、ウイングバックを前進させる。こうしてミドルサードを通過した辺りでサイドを変える。この過程で中央を経由する場合には、2枚のボランチが経由地となる。そしてサイドではウイングバックとシャドーストライカーの2枚を基本として起点を作る。そこから中央にクロスを入れるというよりも、ゴール前を横切るようにボールを走らせながら、背後から選手を飛び込ませる。こうした基本設計の中で、ボールは将棋の桂馬のような動きを見せるのだが、その入り口と出口をウイングバックに求めているのだ。
 秋葉監督のこの戦い方にはもう1つの狙いがある。それはシャドーストライカーに自由を与えるという狙いだ。特に乾貴士の自由な発想とそれを実現する技術力を高く評価しているからこそ、ここに求める役割をシンプルかつ最小に留めているのだろう。乾、そしてこの試合でゴールを決めた小塚和季にアタッキングサードでの攻撃の采を預けるというのが、秋葉監督の基本的な考え方であったようだ。
 こうした基本的な戦い方の中に、清水の「ヴィッセル対策」はあった。狙いは2か所だった。1つはヴィッセルのアンカーである扇原貴宏の脇のスペース、そしてもう1つは右サイドバックの酒井の裏のスペースだ。この2か所で勝負を仕掛け、ヴィッセルの布陣を崩すという秋葉監督の狙いは決して珍しいものではない。むしろ「ヴィッセル対策」としてはオーソドックスの部類に入る。

 ここで視点をヴィッセルの側に戻す。この試合における清水の狙いは、吉田孝行監督にとって想定内だったはずだ。そう考える理由は、この「ヴィッセル対策」が前回対戦時と同じだったためだ。そして吉田監督は、こうした状況下で特別な準備はしなかったように見えた。前回対戦時はヴィッセルが中3日であったのに対して、清水は中7日。さらに30度を超える気温と強い日差しが影響を及ぼしていたことは事実だ。これを敗因として捉えれば、この試合に際して、いつも通りに臨んだ吉田監督の判断は頷ける。しかしこの考え方には落とし穴もあった。それは井手口陽介の不在だ。この試合で井手口はベンチ外となっており、代わって起用されたのは、前節と同じく鍬先祐弥だった。この井手口と鍬先の違いこそが、この試合における落とし穴だったように思う。


 先に誤解されないように言っておくと、鍬先が井手口に劣っているということではない。あくまでもタイプの違いという意味だ。この試合で右インサイド-ハーフに入った鍬先だが、試合序盤におけるキーマンとなっていた。試合開始直後からヴィッセルは前に出る姿勢を打ち出したのだが、その中で鍬先には3度のシュートチャンスがあった。これを決めることはできなかったのだが、この事実は鍬先のポジショニングが良かったことを示している。こうした場面が複数回訪れた中で、鍬先の中で「前への意識」は、普段よりも強くなったのではないだろうか。それは無理もない。しかしこれによって、ボール非保持時にボランチの位置に戻る距離は伸びたようにも見えた。
 ヴィッセルはボール非保持時、布陣を4-4-2に変更する。インサイドハーフの1枚が前線に上がり、2トップを形成、ファーストディフェンダーとしての役割を担う。この試合であれば井出遥也がそのポジションだ。そしてもう1枚のインサイドハーフは扇原の脇に立ち、ダブルボランチを形成する。井手口はこの時の戻るスピードが際立って速い。そのため扇原の脇を狙う相手に対して、その周囲の選手を抑え込むことで、扇原の局面を1対1にすることができる。これがヴィッセルの守備においては、大きな意味を持っている。
 扇原は球際での勝負を続けることのできる選手だ。ボールをめぐる攻防の中では、しつこさをも見せる。そして1対1の局面であれば、まず負けることはない。しかしこれが抜かれた時、扇原は最終ラインまで相手を追うことになる。これ自体が悪いわけではない。問題は、扇原が攻撃時の起点を担っているという点だ。攻撃時に前に向けてチーム全体を走らせることのできる扇原の位置が下がるということは、ヴィッセルの重心が下がるということを意味している。そうなったとしても、ヴィッセルにはロングボールによるカウンターという武器もあるため、これが一概に悪いということではない。しかし精度を考えた場合、やはり反撃の起点は高い位置にあった方が効果的だ。となるとボール非保持に変わった時、インサイドハーフがボランチの位置まで落ちる時間は短縮する方が良い。
 繰り返しになるが、この試合における鍬先のプレーに問題があったわけではない。むしろ前半のうちから積極的に攻撃に絡んでいった姿勢は高く評価されるべきであり、後半の同点ゴールを含め、チームへの貢献度は高い。しかし前記したような理由で扇原の位置を高く保つためには、もう少し全体が高い位置にセットされていた方が良かったのではないだろうか。これは鍬先の問題ではなく、ベンチの指示を含むチーム全体の問題だ。井手口という瞬間移動のような動きを見せる選手が不在なのであれば、個人の技量で成立しているメカニズムを、配置によって実現する工夫が必要だったように思う。これが1つめの「ポジション」に関する問題だ。

 2つ目の「ポジション」に関する問題だが、これは右サイドに関する部分だ。前回対戦時にもここが狙われたのは前記した通りだが、この日の試合でもここが狙われた。それを象徴しているのが失点シーンだ。
 40分に清水の右スローインから始まった流れの中で、ヴィッセルの守備が跳ね返したボールに中央で鍬先が反応した。鍬先は頭に当ててこのボールを前に送り、これを下がってきた大迫が頭で中央に戻した。ボールは中央に入っていたエリキの足もとに落ちたが、エリキがこれを収める過程においてマテウス ブエノと接触し、ボールを失った。ヴィッセル側にこぼれたボールではあったが、扇原の手前まで戻ってきた清水のワントップである髙橋利樹にこれを収められてしまった。髙橋は扇原をハンドオフで抑えたままマテウスとスイッチ。マテウスは中央で浮いていた乾にこれをつないだ。乾はヴィッセルの右サイドを狙うように斜めに動きながら、前に立った酒井が身体の向きを自分に向けるのを待った。そして酒井の向きが変わったところで、大外を上がってきた山原怜音にパス。山原がダイレクトに入れたクロスは、最後方に控えていたマテウス トゥーレルと戻ってきた鍬先、井出の間に正確に落ちた。ここに入り込んできた小塚が、やはりダイレクトに右足を合わせ、ゴール右に蹴りこんだ。
 この失点シーンにおいて、ヴィッセルの右サイドは酒井1人が守る形となっていた。この失点の発端が逆サイドでのスローインであったことを思えば、エリキが戻ってくるのがセオリーだ。しかしその前の攻撃で中に入ったエリキはそのまま中央に留まっており、間に合うような場所にはいなかった。このエリキが見せる攻撃時に中に入る動きは、そのまま相手の狙いどころとなっている。これは前回対戦時にも同じ問題が顕在化しており、その意味ではこの点についてヴィッセルは、未だ解決を図ることができていないということになる。


 ここ最近は毎試合書いているような気がするが、エリキの使い方は、この先ヴィッセルがタイトルを狙う上で定めなければならないポイントだ。この試合の序盤、エリキは確実に攻撃を牽引していた。右サイドの高い位置で相手との1対1を制し、何度も前に上がり、チャンスを創出していった。その過程では、処理の難しい浮いたボールを足裏を使って制するなど、ブラジル人選手らしい卓越したボールさばきを披露した。ボールスキルも高く、相手の守備を突破するスピードと力強さもある。さらにはペナルティエリア内で味方を使うクレバーさも併せ持っているエリキは、実に得難い能力の持ち主だ。性格も真面目で明るく、誰からも愛される好人物だ。今季序盤、負傷者の続出に伴い、緊急補強的に獲得したエリキだが、その活躍がなければ、ヴィッセルが今の位置にいることはなかっただろう。しかしこのシーンが象徴するように、攻撃時に中に入りすぎてしまい、サイドを空けてしまうことも多い。それだけにこの「エリキが空けたスペース」は、ヴィッセルにおける「狙われどころ」ともなっている。
 ここで誤解されがちなのは、エリキの守備力だ。見る限りエリキは球際での勝負も厭わずにこなし、相手との距離の取り方にも問題はない。むしろ守備に関しての能力は高いというべきだろう。唯一の問題点は中に入った後、そこに留まる点にある。吉田監督が求める守備においては、ボール非保持に変わった瞬間、全員が「いるべきポジション」に戻ることを基本としている。であれば攻撃で中に入ったとしても、ボール非保持に変わった瞬間には、全力で本来の場所に戻ることが要求されるはずだ。もしエリキの攻撃力を活かすために、そこを許容しているのであれば、チームとしてこれに対する手立てを講じなければならない。しかしアンカーシステムを採用している以上、中盤から後ろをバランスよく守るためには、今の形がベストだろう。それでもエリキを中に残すのであれば、この試合で言えば大迫や宮代大聖がエリキの動きに合わせて移動し、エリキを中央に置いた形に変化する他ない。こう考えてくると、やはり守備時にエリキにポジションを戻す動きを要求する方が、現実的な解決策であるように思う。
 こう書くと攻撃力を落とすことを推奨しているように思われるかもしれないが、そうではない。吉田監督が志向する戦い方においては、守備こそが攻撃の始まりであり、ピッチ上の全ての選手が正しく配置された中で強度の高い守備によってボールを奪い、そこから縦に素早く攻めるということが基本となっている。そう考えれば守備位置を戻すことは、強い攻撃を繰り出すための策であり、攻撃重視を否定するものではないということが解る。

 ここまで「ポジション」というキーワードで2つの問題点を指摘してきたが、この日ヴィッセルが素晴らしい試合を見せたことは事実だ。特に吉田監督が見せた交代策は、これまでの吉田監督にはあまり見られなかった大胆さが感じられた。試合後、吉田監督は「ゴールへの迫力を出したい」と考えて、武藤を投入した意図を説明した。そして何よりも見事だったのは85分の交代策だった。鍬先と宮代を下げ、飯野七聖と小松蓮を投入した。そして飯野を右サイドバックに置き、酒井をボランチに移した。小松は前線で大迫と2トップとなり、これによってヴィッセルの布陣は4-4-2に変化した。

 この場面でのポイントは2点ある。1つは小松と大迫の共存だ。これまでは大迫との交代で入ることが多かったが、大迫へのマークが厳しく、下がって攻撃をコントロールする場面も増えている中で、この共存は前線の高さを維持するための方策としてはベストな組み合わせであるように思う。小松は高さだけではなく、密集の中で身体を張る強さもある。さらに身体の使い方も巧い。決勝点をアシストしたシーンでは住吉ジェラニレショーンが内側から身体を当ててきたが、ここで無理に中に向くのではなく、体軸を外側に向けるように動いたことでその力を空転させた。そのため住吉の身体は支えを失い、内側から寄せてきたキム ミンテとの接触で倒れた。ここで小松が外に向きを変えていなければ、そのままキムに寄せられていた可能性は高く、それをかわしたとしてもファウルを取られていた可能性もある。さらに中に入る大迫を見つつも、それが安全ではないと判断し、マイナス方向にクロスを入れる冷静さもある。
 ヴィッセルに加入以降、出場した試合では確実に存在感を発揮している小松だが、試合後には支えてくれるスタッフやチームメイトへの感謝を口にしつつ、その影響でパフォーマンスも上がっている実感があるとコメントした。この先、小松の出場機会は増えていくだろうが、持っている能力をフルに発揮することができるようになった時、どんな選手になるのか期待は膨らむ。


 もう1つのポイントは言うまでもなく酒井のボランチ起用だ。思えば一昨年のシーズン終盤、当時不動のボランチだった山口蛍(V長崎)の負傷を受けて、酒井はボランチでプレーしている。その時もチーム全体のバランスを前に向けつつ、積極的に攻撃に絡む動きを見せ、チームを勝利に導いている。そしてこの時もパートナーは扇原だった。攻守のバランスを取ることのできる扇原とチームを前に向けることのできる酒井のコンビは、4-4-2という布陣には最適の組み合わせなのかもしれない。
 そしてこの組み合わせを可能にした裏側には、飯野の存在があることも忘れたくない。この試合で飯野は球際での執着と粘りを見せた。そこからヴィッセルの最終盤の猛攻が始まったことを思えば、飯野も逆転勝利の立役者の一人と呼ぶべきだろう。球際の強ささえ発揮できれば、飯野のスピードはサイドでの脅威となる。飯野の成長が酒井のボランチ起用を可能にした。

 そしてこの試合でもう1人、試合を通じて見事な活躍を見せたのは左サイドバックの永戸勝也だった。清水の斜めに動く攻撃に対して、永戸は的確な守備を見せ、突破を許さなかった。そして球際での勝負から前に出る姿勢を見せ続け、対面する清水のベテランウイングバックである吉田豊を押し込んでいった。同点弾のシーンでは扇原からの武藤を狙ったクロスをゴール前で相手選手が頭で弾いたところに走り込み、身体を寄せてきた吉田を抑えながら、ゴールライン上からクロスを入れた。これが正確に中央の武藤のところに飛び、武藤が頭でバーに当てるが、その跳ね返りを拾った大迫の技ありの折り返しを鍬先が頭でゴールに流し込んだ。この鍬先のJ1リーグ初ゴールは、永戸がお膳立てしたと言っても過言ではないだろう。
 決勝点のシーンでは相手選手が頭で戻したボールに飛び込み、ジャンプしたまま空中で左足を振り、前線に正確なボールを供給した。これが前記した小松のプレーにつながり、最後は酒井が仕上げ、ヴィッセルはギリギリで勝点3を手にした。
 攻守両面において見事な活躍を見せ続ける永戸の存在は、これまでともすると右サイドの陰に隠れがちだった左サイドを一気に活性化した。この永戸の獲得は、エリキと並び、今季のヴィッセルの戦いを支えている。

 もう一点付記しておきたいのは、難しい状況でプレーを続けた守備陣の奮闘だ。今年の異常な暑さによって、どのスタジアムもピッチ状態の管理には苦しんでいる。ノエビアスタジアム神戸も例外ではない。特に激しいプレーが連続するゴール前の状況は厳しいものがあった。特にアウェイゴール側においてその傾向は顕著であり、コイントスで勝った清水がサイドの交換を申し出たのは、体力のあるうちに得点を奪うため、ヴィッセルに難しい守備を強いるという狙いがあったためだろう。事実、ゴール前でのボールの挙動は安定せず、一度は相手が入れたクロスを山川哲史がクリアしようとしたところ、蹴る直前にイレギュラーし、あわやオウンゴールという場面もあった。ここではGKの前川黛也が落ち着いてこのボールをキャッチしたが、その後も守備陣は低い位置でのボール回しにおいては、いつも以上の慎重さを要求された。しかし最後まで集中力を切らすことなくプレーを続け、失点を最小に抑えたことは評価に値する。
 中でも山川は決勝ゴールが決まり、ヴィッセルの選手が酒井を中止とした喜び合う輪に背を向けて、清水のリスタートを防ぐべくピッチに立ち続けた。万が一に備えるこの姿勢は、山川が集中し続けていたことの証左であり、主将の振る舞いとしても見事なものだった。

 繰り返しになるが、この日の勝利はチームのムードを一気に高めた。ここからの逆転優勝に向けて、ヴィッセルはチームが文字通り「一致団結」している姿を見せた。同点ゴールを挙げた鍬先は、試合後、前節の試合後の岩波拓也と同様に、負傷によって戦列を離れている新井章太のユニフォームを身に纏い、「いつだって神戸は全員で戦う」という言葉を体現して見せた。
 この先も負けられない戦いが続くが、そのためにも次戦のAFCチャンピオンズリーグエリート25/26リーグステージ MD2のメルボルン・シティ戦は重要な意味を持っている。次戦までは中3日、さらにそこから中2日で浦和とのアウェイゲームという日程を考慮すれば、メルボルン・シティ戦は大幅にターンオーバーして試合に臨む可能性は高い。今季のヴィッセルにとってのテーマの1つでもある「選手層の底上げ」という点においては、まだ目覚ましい結果は出ていない。もしここでレギュラー以外の選手が出場機会をつかむようなことがあれば、今度こそ一発回答を見せてほしい。全てのタイトルを狙いつつ、ライバルチームよりも多くの試合を戦わなければならないヴィッセルにとって「控え選手」の活躍は、絶対に欠かすことのできない要素だ。どのようなメンバーになるかは不明だが、出場した選手が大いにアピールしてくれることを期待している。

今日の一番星
[酒井高徳選手]

この日の試合においては酒井以外の選択肢はあり得ない。試合最終盤に劇的なゴールを決めた酒井の活躍は、文字通りチームを救った。右サイドバックで先発した酒井だが、本文中にも書いたように、最後の10分近くをボランチとしてプレーした。そこまでにも右サイドバックとして走り続けてきた酒井だが、ポジションを移した後も足を止めることはなかった。ボールに直接絡む場面は少なかったものの、バランサー的な役割を扇原に任せ、自らは相手の前線が作るトライアングルの中で動き続け、味方に指示を出し続けた。90分に飯野の粘りから、右サイドを抜けた場面では一気にスピードを上げ、ペナルティエリア内の深い位置でコーナーキックを獲得した。そして得点シーンでは、小松の入れたマイナス方向へのクロスにトップスピードで走り込み、そのままスピードを緩めることなく左足に当て、ゴールに流し込んだ。この場面であの速度で走りながらボールを蹴った場合、打ち上げてしまう可能性は高い。それを防ぐために、自らの身体を倒し、物理的にボールを抑え込んだ判断はさすがの一言だ。この試合では、走行距離11.54㎞と、ベテランながらこの日ピッチにいた誰よりも長い距離を走った。常にチームを鼓舞し、若い選手に厳しい言葉をかける酒井の存在は、チームの精神的な柱となっている。そしてその言葉に説得力を持たせているのが、誰よりも自分に厳しい評価を与え続ける酒井の態度だ。文字通り「生きた教科書」となっている酒井は、ここ数年のヴィッセル躍進の立役者だ。熱さを言葉だけではなくプレーで表現することのできる、ヴィッセルの「掌中の珠」ともいうべき闘将に、最大限の敬意を込めて一番星。