覆面記者の目

明治安田J1 第18節 vs.清水 アイスタ(5/25 14:03)
  • HOME清水
  • AWAY神戸
  • 清水
  • 3
  • 2前半0
    1後半2
  • 2
  • 神戸
  • 北川 航也(15')
    高木 践(24')
    高木 践(72')
  • 得点者
  • (57')宮代 大聖
    (90'+1)宮代 大聖

昨今の歴史ブームの中、様々なメディアで「戦国最強の武将は誰だ」といった企画が行われる。そこで必ず上位に名前が挙がる武将の1人が武田信玄だ。その旗印として有名なのが「風林火山」だ。正しくは「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」と書かれているのだが、これは「孫子」から引用された言葉だ。「孫子」とは、古代中国の兵法家である孫武によって記された、13篇からなる兵法書であるが、兵法のみならず、競争原理や人間理解にも応用されることが多く、今なお解説書が数多く出版されている。
 件の「風林火山」の文字は、その第7篇に当たる「軍争篇」に登場する。これを読むと「風林火山」には続きがあることが解る。「難知如陰 動如雷霆」というものだ。自軍の戦略は陰のように相手に悟られないように、いざ動く時には雷のように激しく一気呵成に、といった意味だが、先の風林火山と併せ、これらは全て指揮官による用兵上のポイントについて触れているものだ。そして、孫子では戦争の目的を「利益や国益の獲得」にあると定義しており、戦争を始めるのであれば、事前にその利害得失を十分に検証しなければならないとしている。そして、戦争中には状況に応じてその軍形を変化させ、有利になるように兵を動かすことこそが大事だと説いている。
 これをサッカーに適用するならば、素早く攻めることや落ち着いて守ることも大事だが、それ以上に大事なことは、自チームや相手チーム、気象条件、ピッチの状態、ジャッジの傾向などの様々な事象に応じた用兵こそが、勝利への道であるということになるだろう。そしてこれは概ねベンチの仕事でもある。
 昨日の試合終了直後に配信した速報版の中で筆者は、この試合のキーワードとして「幅」という言葉を挙げた。これは選手起用を含めた部分に「幅」を持たせられなかったことを敗因として考えたためだ。この「幅」とは、孫子が説くところの「状況に応じた用兵」と同じ意味だ。
 こうした視座に立ってこの日の試合を振り返った時、ヴィッセルのベンチワークにおいては3つのポイントがあったと思う。以下でそれについて考えてみる。


 まず1つ目のポイントは「選手起用」だ。この日の試合で両チームのコンディションの差が、勝敗に大きく影響したことは間違いない。清水が中7日でこの試合を迎えたのに対して、ヴィッセルは中3日となっていた。コンディションの上では、清水が優位に立っていたことは間違いないだろう。そしてこの日の気象条件が、この差を顕著なものにした。試合開始直前で30度近くあった気温は、試合開始直後から上昇した。日差しも強く、ピッチ上の体感温度は30度を優に超えていたことだろう。試合後、吉田監督は「暑さは清水にとっても同じことであり、負けたことの言い訳にはならない」とコメントしていたが、これはその通りだ。しかし、スケジュールは予め解っていたことであり、それに対処するための時間は十分にあった。だがこの過酷な状況下で、吉田監督は前節と同じメンバーで試合に臨んだ。サッカーにおいては「勝利した試合のメンバーは、次の試合にも出場する権利がある」と言われる。勝っているときには、その流れに乗るべきであるという考えに基づいた言葉だ。しかし実際の状況を見れば、ヴィッセルはアウェイの連戦であり、前節がナイターだったことを思えば、14時キックオフとなったこの日の試合は、実質「中2日半」で迎えた試合だったのだ。
 試合開始直後、ヴィッセルは一気に清水陣内に攻め入った。ここでヴィッセルが見せる動きに対して、清水の選手は全くついていくことができていなかった。この状況について、吉田監督は「いい入り方をした」と評したが、これが現時点での両チームの実力差だと思う。しかしそれを続けることができなかったのは、偏に選手のコンディションによるものだろう。そして最初の失点をきっかけに、ヴィッセルの選手の動きは目に見えて落ちていった。清水を率いる秋葉忠宏監督による作戦が奏功したことも事実だが、それ以上に動くべきところで、ヴィッセルの選手たちがいつものような動きを見せることができなかったことは事実だ。この最初の失点は、右サイドバックの酒井高徳が、清水の司令塔である乾貴士に破られたことに端を発している。乾が日本人選手の中では傑出したボールスキルの持ち主であることは事実だが、いつもの酒井であれば、いかに乾が相手とはいえ、あれほど簡単に突破を許すことはなかっただろう。
 試合後に吉田監督は選手に疲労があったことを認めた上で、「自分のマネジメントは反省するところです」とコメントしたが、選手の力と疲労度のバランスを見誤ったのかもしれない。J1リーグ2連覇を果たしたことで、昨季からヴィッセルは苛烈な日程での戦いを続けている。これまでにも体力的に厳しい場面は何度もあったが、ヴィッセルの選手たちは、それすらも乗り越えてきた。そうした経験があったからこそ、吉田監督はこの日も選手たちの底力を信じたのかもしれない。しかし気持ちだけで身体を動かすには、自ずと限界がある。この日のヴィッセルの選手たちには、疲労と暑さを跳ね返すだけの体力は残っていなかった。
 この日の試合に先発したメンバーが、今のヴィッセルにおけるベストな組み合わせであることは間違いない。試合開始直後に見せたように、「ベストメンバー」が見せる力は、清水を上回っていた。しかしこの日に限っては、「ベストメンバー」で戦うことのできる時間には限りがあった。であるならば、大迫勇也や酒井、扇原貴宏、佐々木大樹といった疲れの見えるメンバーをベンチスタートとした上で、ベンチメンバーを中心とした元気な選手で試合に臨むという方法もあったように思われる。今のヴィッセルであれば、それでも十分に戦うことはできたように思う。
 この試合のベンチメンバーには複数ポジションをこなすことのできる広瀬陸斗と山内翔、最後方からボールを配球することのできる岩波拓也、ボールを握ることのできる汰木康也、守備に強さを発揮する鍬先祐弥、中盤で動きながらボールを運ぶことのできるグスタボ クリスマン、前線をコーディネートすることのできる井出遥也、そして爆発的なスピードで相手の裏を狙うことのできるジェアン パトリッキといった、個性豊かな、そして確かな実力を持つ選手たちが名を連ねていた。これは多くのチームにとっては、羨むばかりの面子だ。彼らをスタートから全力で動かし、試合終盤の勝負所で大迫や酒井といった「大駒」を投入するというプランも、こうした状況下では有効だったように思う。もちろんこれは結果論であるが、これだけのメンバーを抱えながらも、「いつものメンバー」にこだわったのは、少々もったいなかったように思える。


 2つ目のポイントは「ピッチ上のバランス」だ。前記したように、この試合ではヴィッセルの右サイドから最初の失点が生まれた。この失点そのものは乾の個人技に因る部分が大きく、ヴィッセルのバランスを問うようなものではない。しかしその後も清水はこのサイドを狙い続け、それがヴィッセルの反撃の芽を摘み続けた。試合後に秋葉監督はヴィッセル対策を複数準備したことを明かしたが、その中には「ヴィッセルの右サイドを狙う」というものもあったように思う。そう感じる程、この試合でヴィッセルの右サイドは狙われ続けた。
 こうした状況を生んだのは、昨季から続く課題が解決されていないためだろう。吉田監督が志向する戦い方においてこのサイドは、攻撃の中心となっている。ボール保持時には右サイドバックの酒井を高い位置に上げ、逆に左サイドバックが中にスライドする形で最終ラインを3枚にする。こうした配置を取る理由は攻撃の強化にある。一昨年の終盤にボランチをこなしたように、酒井は高い配球能力をも有している。その酒井の前に立つ右ウイングとしては、先日負傷による長期離脱が発表された武藤嘉紀やエリキといった突破力に優れた選手がいる。彼らの力を活かし、攻撃に厚みを持たせるというのが、吉田監督の意図するところだ。これによって前への圧力が高まり、ヴィッセルは過去2シーズン、並居るライバルたちを打ち倒してきた。
 この右サイドの攻撃はヴィッセルのストロングポイントではあるが、同時に最も危険な場所ともなっている。その理由はウイングに入った選手がバランスを欠く場面が多いためだ。ウイングの選手が中に入りすぎてしまうと、このサイドは高い位置を取った酒井が1人で広いスペースを管理することになる。

 ヴィッセルは、5月に行われたここまでの6試合で10失点を喫している。勝敗は3勝3敗の五分ではあるが、それ以上に失点が続いていることには留意すべきだろう。これについて酒井は試合後に「攻めているときのリスクマネジメントができていない」と、その問題点を指摘している。確かに相手陣内で攻撃を仕掛けている中で発生したリフレクションを、そのままゴール前まで運ばれてしまうケースが最近の試合では目立っているように思う。勝っているときのヴィッセルは、ボール保持時にはボール非保持になった時のことを想定し、高い位置で奪い返すことができる態勢が整っている。しかし最近の試合では、ピッチ全体のバランスが崩れていることが多く、相手にとっての走路を残してしまっている。
 サッカーにおいて、攻撃と守備は表裏一体の関係にある。「攻撃時には守備を、逆に守備時には攻撃を考えろ」と言われるのは、サッカーは攻守が目まぐるしく入れ替わる競技であるが故だ。野球やアメリカンフットボールのように攻撃と守備が、明確に分離されている競技であれば話は別だが、サッカーにおいては攻撃と守備はシームレスに存在している。過去2シーズンに比べて得点が少ない今季、選手たちが攻撃に意識を向けていることは理解できる。しかし過去2シーズン、得点を奪うことができていたのは、攻撃時にボールを奪われても、奪回するまでの時間が短かったためだ。それまで守り続けていた相手が前に出たところでボールを奪うことができていたため、結果としてヴィッセルの攻撃の時間は長くなっていた。これこそが吉田監督が目指していた「ヴィッセル本来の」スタイルだ。今季、これが崩れているように見えるのは、やはりピッチ上のバランスが崩れているためだろう。

 とはいえ、ピッチ上のバランスに気を配りすぎて、前に出る力や勢いを失ってしまうことは避けなければならない。これはサッカーに限った話ではないが、勝負においてはどこかでリスクを冒さなければならないためだ。特に技量に大きな差がない戦いにおいては、その「勝負所の作り方」が勝敗を分ける。プロ棋士に話を聞くと、仕掛け方は人によって異なるものの、タイトルを獲得するような棋士は必ずどこかで大勝負を仕掛けてくるという。
 Jリーグでプレーする外国籍選手や外国人指導者が必ずと言っていいほど口にするJリーグの特徴の1つが「実力差が小さいこと」だ。どのクラブにもタイトル獲得の可能性があり、逆に降格の危険性もある。こうしたリーグで勝ち抜いていくためには、試合の中でリスクを冒す瞬間は絶対に必要だ。ヴィッセルにとっては、それが右サイドの攻撃となっている。そしてそれを成り立たせてきたのは、酒井の存在だった。試合の流れを読む目、プレーを予測する能力、並走する相手に対してのコースの切り方、そして球際での強さなど、守備で必要とされる能力を高いレベルで備えているため、酒井はこのサイドでの守護神であり続けた。前節でも書いたことだが、チームとして生じた歪みを酒井が吸収することで、それが表層化することを防いできたのだ。しかしここに来て、その歪みを吸収しきれなくなっているように見える。疲労など様々な原因がそこにはあると思うが、むしろこれまでその歪みを吸収し続けてきたことが驚異的だ。

 繰り返しになるが、勝利をつかむためには、時にはリスクを冒さなければならない。しかしそれは常に出し続ければいいという類のものではない。前に紹介したプロ棋士は、タイトルを獲るような棋士は仕掛けるタイミングが巧いと話してくれた。これはサッカーも同じだ。90分間の中で「ここ」という勝負所は、そう何度もあるものではない。基本的には相手の出方を探りながら、その仕掛けるタイミングを探す時間こそが、試合の流れを作り出す上で最も大事な時間なのだ。そのためにも、平時はピッチ上のバランスを整えて戦う必要がある。その意味では、右サイドから攻撃を仕掛ける際にも、ボール非保持に変わった瞬間のことを想定しながら、プレーする必要がある。ヴィッセルがこの先の戦いで安定した結果を残し、「J1リーグ3連覇」という偉業を成し遂げるためには、この右サイドのバランスを酒井1人に背負わせる体勢からの脱却が必要だ。
 とはいえ、これは決して簡単な問題ではない。武藤、エリキとも攻撃に特別な力を持った選手であり、彼らの動きを制限することによって、彼らの本来の力を発揮できなくなってしまうのでは本末転倒だからだ。特に武藤の長期離脱が確定した今、エリキをどのように使うかという問題は、ヴィッセルの攻撃力と直結している問題であるだけに、吉田監督としても軽々な対応は取り難いだろう。これは筆者の私見だが、エリキの攻撃力を活かしつつ、ピッチ上のバランスを保つという上では、メンバー選考を含む基本布陣の見直しも必要なのかもしれない。そもそもヴィッセルが多用する4-1-2-3といった布陣は、スタート時の並びに過ぎない。実際の試合の中ではボールの位置、味方の位置、そして相手の位置からポジションは決定されるべきだ。であるならば、特に基本布陣にこだわることはなく、各選手の役割をもう一度明確に定め直すことが、このピッチ上のバランスを整える上での特効薬となるのかもしれない。


 次に3つ目のポイントだが、これは「試合中の修正能力」だ。この試合ではコーナーキックから2失点を喫したわけだが、問題はその2失点ともが同じ構造だったことにある。清水のキッカーを務めた松崎快の蹴ったボールの質は高かった。スピードもあり、正確にヴィッセルの守備ラインを超えていった。これに対し清水は中央で高橋祐治など、高さのある選手を飛び込ませた。結果的にこれは囮だったのだが、その強度が高かったため、ヴィッセルの守備陣はこの動きに釣り出された。そして、2度ともファーサイドでフリーになっていた高木践に決められてしまった。恐らくこのセットプレー時の形は、清水がこの試合に向けて準備してきたものだろう。コーナーキックの際にヴィッセルはゾーンで守ることを確認した上で、中央に囮を置き、ファーサイドに立つ高木にボールを届けるというのがその図式だ。このやり方がはっきりしていたにもかかわらず、ヴィッセルは試合を通じて守り方を変えることができなかった。これは試合中にやり方を調整する「幅」が不足していたためだろう。
 ヴィッセルの守備にはマテウス トゥーレルと山川哲史という高さと強さを持つセンターバックコンビがいるため、オーソドックスなセットプレーであれば、負ける可能性は低い。だからこそ清水は彼らを無効化するための策として、この日見せたやり方を準備してきたのだろう。しかし、1度ならば兎も角、同じ形で2度も決められるというのは、「J1リーグ戦3連覇」を目指すチームとしては、あってはならないことだ。

 ここまで3つのポイントを挙げてみたが、これらの解決にはベンチの関与が必要だ。実際にプレーする選手たちが「虫の目」でプレーしているとするならば、ベンチは「鳥の目」で試合を見て、選手に的確な指示を送り続けなければならない。ヴィッセルには大迫や酒井を筆頭に、試合の流れや全体像を把握することのできる選手が複数人いる。しかしピッチ全体のバランスやセットプレー時の注意点といった部分については、ベンチが全体を俯瞰した目でとらえた上で指示を送るべきだろう。これこそが試合中における、ベンチと選手の正しい関係だ。この日の試合に限って言えば、清水の狙いは明確だったように思う。右サイドを酒井が一人で守る体制になる場面が多いことを事前に把握した上で、複数人で仕掛ける。そして中央では、ヴィッセルのプレスを回避するために最終ラインがラフに蹴り、同時にラインを上げることで、中盤での人数を増やし、セカンドボールを回収する。そしてデザインしたセットプレー。こうした相手の狙いに対して、基本形からどのように変化させるかを決定することは、まさにベンチワークだ。
 この試合で苦戦を強いられた原因の多くは、その対応次第では防ぐことができたものであったように思う。試合後に吉田監督は「自身のマネジメントについては反省しなければならない」と、自らにも厳しい評価をくだしていた。選手を信じることが吉田監督の長所であり、選手からの信頼を勝ち得ている理由ではあるが、ピッチ外から見ているからこそ判る部分を、もっと積極的に発信し、ピッチ内に伝える努力を続けてほしい。

 ベンチからの指示という点で1つ付言するならば、攻撃時のスピード調整にも期待したい。秋葉監督の狙いもあり、清水の守備は前から厳しく来る場面は少なかった。前記したようにヴィッセルのロングボールを跳ね返し、そのセカンドボールを拾うことが狙いだったためだ。そのため清水の守備位置は低く、ミドルサードまではスペースも多かった。ヴィッセルにとっては複数の選択肢を持ちながらプレーできる状況だったのだ。しかしこの日のヴィッセルは、そうした状況を活かすことができなかった。選手の蓄積された疲労が影響したのかもしれないが、無理に縦に差し込んでいく場面が目立っていたように思う。速い攻撃がチームの基本であることは解るが、それを繰り出すための状況が整っていない場合には、自分たちの仕掛けによって、そうした状況を作り出すことが求められる。その意味では、試合序盤に攻撃のペースを落とし、ボールを動かしながら、清水を引き出していくような工夫をベンチから求めても良かったように思う。試合序盤に明らかになったように、トータルでのボールスキルはヴィッセルに分があったことを考えれば、この日の試合運びは少々もったいなかったように思う。


 厳しい結果に終わった試合ではあったが、ヴィッセルにとって明るい材料もあった。1つは好調を維持している宮代大聖の存在だ。この試合で挙げた2得点は、いずれも素晴らしい得点だった。最初の得点は井手口が蹴った左コーナーキックに対して、相手の守備の前から相手選手の間に飛び込んで決めたものだった。そして2得点目だが、こちらは左ペナルティエリア角近くから本多勇喜が入れたクロスボールに対して、クロスの方向を変えるような当て方でゴール右に流し込んだ。このゴールについて宮代は「自分はそんなに身長が高いわけではないので、タイミングとポジショニングでうまくいったかなと思います」と試合後に振り返ったが、その言葉通り2度とも相手の間を取ったポジショニング、跳ぶタイミングとも文句なしの動きだった。
 大迫へのマークは依然厳しい。しかしこれは、大迫の周りにはスペースが生まれやすいということでもある。それだけにインサイドハーフとして大迫の背後でプレーしている宮代が好調を維持しているということは、ヴィッセルの得点力の向上にも期待がもてる。


 そしてもう1つは井出のプレーだった。後半開始から投入された井出だが、持ち味であるインテリジェンスを感じさせるプレーは健在だった。攻撃時にはコネクター役を担いつつも、バランスを欠いている箇所を埋めるように動くこともできる。また低い位置でのボール保持時には、前のバランスを見ながら、時にはアンカーの横まで落ちてボールを引き出す動きを見せることで、相手の守備を動かすこともできる。得点力に優れた「大駒」の多いヴィッセルの攻撃陣の中で、井出の存在は異彩を放っている。この井出の動きこそが、今のヴィッセルには最も必要な要素だ。その井出がプレー時間を延ばしていることは、ヴィッセルの復調に向けての福音でもある。

 そしてもう1人特筆すべきは鍬先だ。豊富な運動量と球際の強さを併せ持つ鍬先は、守備時のチームに安定感をもたらす。この試合でも終盤の2点を追いかける局面では、鍬先が全体を背後から支える態勢を整えていた。これが宮代が挙げた2得点目につながった。ボランチだけではなく、サイドバックもこなすことのできる鍬先が戦列に名を連ねていると、吉田監督にとっては選択の幅が広がる。清水のように明確な狙いを持って攻め込んでくる相手に対しては、鍬先のように球際で勝負できる選手は大きな戦力となる。

 この日の試合に敗れ、中3日での3連戦は2勝1敗で終えた。J1リーグ戦は次節が折り返しとなる。現時点での順位は6位。首位に立つ鹿島との勝点差は10。試合消化数が少ないとはいえ、目標達成のためには、これ以上離されるわけにはいかない。次節は2位につけている柏とのアウェイゲームだ。徳島や浦和でも指揮を執ったリカルド ロドリゲス監督を迎えた柏は、これまでとは全く異なるスタイルで好調を維持している。幅を取ったウイングバックにシャドーの選手が絡みながら、ハーフスペースを使う。そしてポジションチェンジも多く、時にはシャドーの選手が最終ラインまで下がる。さらに相手のハイプレスに対してはロングボールで対応。ボール非保持に変わった瞬間に、全体での即時奪回を目指す。こうした戦い方の根底にあるのは、ポジションにこだわることなく、位置的優位を確立しながら試合を進めるという思想だ。こうした相手に対しては、「人につく」守備ではなく、「バランスを保ちつつ」スペースを管理するという考え方で守る必要がある。その上で球際での勝負に勝利し、優位性を保ったまま試合を進めたい。
 決して楽な試合にはならないだろうが、上位のチームから勝利を挙げることは勝点差を詰めるだけではなく、チームに勢いをもたらす。まずは連戦で蓄積された疲れを癒し、フレッシュな状態で柏戦を迎えなければならない。その上で、もう一度チームの状態を整理し、本来の形に戻すための工夫が必要になる。

 吉田監督以下コーチ陣にとっては、厳しい日程の中で難しい舵取りが続いていることは確かだが、それを乗り越えなければ「アジアの頂点」に立つことは難しい。この日の悔しさを糧に、これまで以上に「強いヴィッセル」を作り上げてほしい。
 吉田監督は現役時代、J1残留を決め、涙を流して盛り上がるチームメートを横目に、きっぱりとした口調で「優勝して涙を流したい」と語った。その言葉を監督として実現させた吉田監督だが、今もう一段階の成長を求められている。その手腕と成長に対して、1人の吉田孝行ファンとしても期待している。