覆面記者の目

明治安田J1 第25節 vs.町田 Gスタ(8/10 19:05)
  • HOME町田
  • AWAY神戸
  • 町田
  • 2
  • 2前半0
    0後半0
  • 0
  • 神戸
  • 中山 雄太(6')
    相馬 勇紀(36')
  • 得点者


 ヴィッセルはこの試合で、J1リーグでは今季初となる「無得点&複数失点」での敗戦を喫した。ちなみに0-2というスコアはシーズン開幕戦となった「FUJIFILM SUPER CUP 2025」と同じであり、それ以来の「無得点&複数失点」の試合となった。

 この結果、ヴィッセルの順位は3位に後退。首位を勝点差1で追いかけることとなった。逆に町田は首位から勝点差4の5位に上昇。優勝戦線に生き残った。試合前の時点で、首位に立っていたヴィッセルと町田の勝点差は6あった。これが3になるかそれとも9になるかという意味では、典型的な「6ポイントゲーム」だった。ヴィッセルを主語にして考えるならば、こうした試合では確実に勝利をつかみ、ライバルをふるい落としていかなければならなかった。

 ここまでは、結果に対する愚痴だ。実際にヴィッセルの選手たちは吉田孝行監督が常日頃から口にする「目の前の試合に集中」という意識が沁みついており、まだ順位はさほど気にはしていないようだ。恐らく強風の影響もあったと思われるが、この日の失点シーンだけを見れば、2点ともが「ゴラッソ」であり、割り切って捉えるしかないだろう。しかし、試合全体を振り返った時、この日の試合は4日前の天皇杯における東洋大学との試合と同質であったように思う。メンバー構成や対戦相手のレベルが異なっているとはいえ、「相手のストロングポイントを消しながらの戦い」というヴィッセル対策に嵌められてしまったという点において、この試合が残した課題は大きい。
 
 室町時代に成立したとされる「塵塚物語(ちりづかものがたり)」という説話集がある。その中で「当機立断は大将の第一の器量なり」という武田信玄の言葉を見た覚えがある。これが本当に信玄の言葉かという点においては疑問も残っているようだが、言葉としては見事なものだ。当機立断という言葉の意味は「適切なタイミングですぐに決断する」ということだ。戦国時代、戦場における大将の決断の遅れは、文字通り軍兵の死を意味していた。そのため大将には状況に応じて、即時に最善の手段を探すことが求められた。

 これはサッカーにも通底している真理だ。命を落とすことはないにせよ、状況に応じた対応が遅れてしまうと、勝敗を左右する。この日の試合に関して言えば、吉田監督が手を打つべきは前半の飲水タイムだったように思う。

 吉田監督は試合後、試合の入り方が良くなかったということを認めた上で「前半は相手のやりたいサッカーになってしまい、自分たちの陣地から抜け出せない時間帯が続いたことが敗戦という結果につながりました」とコメントしている。確かにその通りだった。しかし、飲水タイムに修正を施すことができていれば、2失点目は防ぐことができていたように思う。試合前から降り続いた雨、そして強い風の影響もあり、難しいコンディション下での試合だったことは間違いない。それだけに2点を追いかける展開というのは、いかに高い攻撃力を誇るヴィッセルとは言え、決して簡単ではなかった。しかしこれが1点差であれば、相手の対応も変わってくる。町田のベンチも最少得点差を守り抜く難しさが解っているだけに、町田の選手が前に出てきた可能性もある。そうした状況を作り出すことができていれば、試合内容は全く異なるものになっていた可能性は高い。

 
 町田を率いる黒田剛監督は、ヴィッセルに対してのリスペクトを常日頃から公言している。この日の試合後にも「昨季と今季を通して3試合勝てなかった神戸さんが相手であり、また試合前は首位を走っていた上にディフェンディングチャンピオンである神戸さんは、我々の前に立ちはだかってきた強豪クラブです。スキルだけではなく、メンタル面や球際で相手を上回ることができなければ相手に勝負の肝を持っていかれてしまいますし、勝つことに対して執念を燃やしてくるチームだからこそ『必ず相手を上回っていこう』と選手たちを送り出しました」と、クラブ史上初めてヴィッセルに勝利した喜びを言葉にした。

 ヴィッセルをリスペクトしているが故に、町田の戦い方は用意周到だった。単純に攻め込んでヴィッセルを崩すことはできないと考えた上で、人の配置も変えてきた。これに対して受ける立場であるヴィッセルは、チームのキーマンをアクシデントで欠いていたとはいえ、そこまでの準備があったようには感じられなかった。細かなところで「町田対策」はされていたと思うが、崩し方などは「いつも通り」だった。前記した悪コンディションを味方にすることもできず、町田にゲームをコントロールされたまま、試合を終えてしまった印象だ。

 繰り返しになるが、失点そのものは「ゴラッソ」によるものであり、今後に向けて特別な対策が必要なものではないと思う。しかし天皇杯で東洋大に苦戦したように、前に出てくるチームに対してどのように戦うべきかという点については、チームとして対策を立てる必要がある。ボールスキルだけではなく、球際の強さ、勝利への執念といった全ての部分で高い能力を備えていると評されるヴィッセルだからこそ、現在のポジションに甘んじることなく、さらなる高みを目指していかなければならない。それこそがこの先に控えるいくつものタイトル争いにおいて、栄冠をもたらす原動力となる。

 以下に試合を振り返っていく。今季の町田の変遷を見ていると、サッカーにおけるスタイルの変更の難しさが解る。昨季、クラブ初のJ1リーグ挑戦にして、3位という好成績を残した町田は、今季「ボール保持にこだわった戦い」を模索していた。その結果、勝点は期待ほど伸びなかった。それを受けてシーズン途中から、昨季のスタイルに戻した。縦に速く攻め、相手陣内でのプレー時間を延ばすというシンプルな戦い方に回帰した結果、この日の試合を含めて「J1リーグ戦6連勝」というクラブ新記録を樹立した。

 この過程におけるキーマンは3人だ。1人は相馬勇紀だ。チームで最も総合力の高い相馬が、昨季以上に外側に流れる形が目立っている。この相馬を活かすために、両ウイングバックには中にポジションを取らせている。これによって「中盤でのボール奪取から相馬」という流れを確立している。2人目のキーマンは、この試合でも先発起用されたFWの藤尾翔太だ。ボールを握るサッカーにおいては難しさもあるが、昨季と同様のスタイルに戻した時点から藤尾が活きている。その役割は前線でのプレスだ。相手の最終ラインに対してプレスをかけ続けることで、そのキック精度を低下させるのが狙いだ。決して巧さを感じる選手ではないが、黒田監督の志向するサッカーにおいては不可欠な選手なのだろう。そして3人目のキーマンは、センターバックの昌子源だ。元日本代表にして海外でのプレー経験もある昌子は、町田における精神的支柱であるだけではなく、最終ラインからの展開を作り出す「砲台」の役割も担っている。この試合ではそれほど目立ってはいなかったが、昌子からサイドに散らすパスをウイングバックが拾う形は、自陣からひっくり返すための形として定着している。さらにこの昌子は、最終ラインの統率も担っている。昌子と最終ラインを形成しているのは、岡村大八と元ヴィッセルの菊池流帆だ。彼ら3枚は似通った特徴を持っている。それは縦に対する絶対的な強さだ。最終ラインから細かくつなぎながらビルドアップするといった戦い方には向かないが、相手のボールを縦に跳ね返すプレーにおいては強さを発揮する。そしてその高さという特徴を活かすために、セットプレーでは積極的に高い位置に出る。

 こうしてまとめてみると、今の町田のスタイルは昨季同様の非常にシンプルなサッカーであることが解る。このシンプルな戦い方に対して嵌ってしまい、自陣に押し込まれ続けたのが、この日のヴィッセルだったのだ。これについて、試合後に山川哲史は「右サイドも左サイドも後ろで少し2対1の状況を作れた分、前への意識が薄くなって、ショートパスも多くなりました。その中で結局ボールを下げて、前からプレスを掛けられて、GKからロングボールを蹴らされてしまいました。背後の意識を出したかったですし、後ろの選手も背後の意識をもっと持つ必要があったかもしれません」と振り返っている。

 この言葉通り、前からくる町田を引き込むようにヴィッセルはボールを下げる場面が目立った。ここで町田はそのボールを追い切った。これが町田の戦い方ではあるが、決してかわせないものではなかったように思う。山川は「背後の意識」という言葉を使っているが、こうした町田の動きに対して取るべき背後とは、相手の最終ラインの裏だけではない。目の前に立ち、プレスをかけてくる選手の裏でよかったのだ。せっかく相手のプレスに対して2対1のような数的優位が作れているのであれば、そこから抜け出して戦場を前に進めるだけでよかったのだ。しかし多くの場面でヴィッセルの選手はリスクを遠ざけるように長いボールを蹴り、それを回収されて二次攻撃を受けるといったことの繰り返しとなっていた。これこそが吉田監督が言うところの「自陣から抜け出せなかった」最大の理由だ。


 過去に何度か書いてきたことではあるが、この2対1という場面で必要になる個人戦術を身につけることが、ヴィッセルが今よりも上に行くためには絶対に必要だ。そもそもこの個人戦術とは、選手が試合中に個々の技術や判断を用いて最適なプレーを展開する方法のことだ。ここには攻撃時のドリブル、パス、シュート、守備時のタックル、インターセプトなどが含まれているが、最も大事なのは1対1だけではなく、2対1、2対2、1対2といった小さな局面ごとの対応を学ぶことだ。これは特にスペインを中心に広まっており、アカデミー年代(U-13)で確実に身につけるべきものとされている。先月行われたF.C.バルセロナとの親善試合でも多く見られたが、ヴィッセルのプレスをいとも簡単に回避されたシーンを覚えている人は多いだろう。あの場面でバルセロナの選手が見せた動きこそが、個人戦術に基づいているものだ。そこでの原則は、守備位置をいたずらに下げないことだ。ある程度の高さを維持しつつ、少しでも前に出ることで味方の優位性を作り出していこうとする。そのために、「相手の動きを無効化するための動き」を最初に教えられる。その上で、如何にしてボールを前に脱出させるかを覚えていくのだ。

 これがスペインではU-13で身につけるべきものと言われていることは、ヴィッセルの選手が取り組む上での精神的な障壁になるかもしれない。ヴィッセルに在籍している選手は、ほぼ全員が日本国内でのトップレベルにあるためだ。しかし日本のアカデミーでは、こうしたことを教えずに済ますことが多い。秋に始まるAFCチャンピオンズリーグエリートでは、初見の相手との対戦も予想される。であればこそ、改めてこうした普遍的な技術を身につけておくことにデメリットはない。

 この日の試合であれば、前半は風下に立っていたこともあり、ロングボールが効果的に作用する可能性は少なかったように思う。ましてや前記したように町田の3バックは縦のボールに対する強さを持っている。いかに佐々木大樹が成長したとはいえ、風下の中で競り合うことに勝算は少なかったように思う。であるからこそ、選手個々が地上戦でボールを前に送り出していく選択をしてほしかった。

 こうした思いは吉田監督も持っていたのだろう。試合後に前半に押し込まれた理由を尋ねられた際には「風も多少は影響していたと思いますが、試合の入りから攻守に弱気でした。ディフェンスラインも少しいつもより蹴られる分深くなり、全体が重くなった部分もありますし、攻撃も前に前にというところで、誰がというわけではありませんが、チーム全体としてパスが多くなり、自分たちの良さが出せなかったです」と答えている。であれば、飲水タイムにボールの運び方を徹底してほしかった。もし、試合序盤から自分たちで前に運んでいく意識があれば、最初の失点も防ぐことはできたかもしれない。

 あの場面について山川は「ロングスローに対する備え」に問題があったという認識を示したが、町田の高さを警戒するあまり、ゴール前が重くなりすぎていた嫌いがあった。ゴールを決めた中山雄太がボールを受けた場所は、正にペナルティエリア正面外だった。そしてマテウス トゥーレルがクリアしたボールを胸トラップし、左足を一閃。外に巻き気味の見事な弾道でゴールに突き刺した。繰り返しになるが、これは中山のシュートを褒めるべきプレーだ。しかしそれとは別に、ヴィッセルの後ろへの重さが中山にスペースと時間の余裕を与えたことを覚えておきたい。

 この中山のボランチ起用は、この日の試合が初めてだったという。この理由について黒田監督は「中盤での空中戦の勝率を上げる狙い」と語った。これまで中山はセンターバックやサイドバックでのプレーが多かっただけに、高さを活かして相手の前に出る動きを食い止める強さを持っていると評価した結果だろう。この中山の存在が、ヴィッセルのロングボールを無効化した。最終ラインの3バックに対しては分が悪いと判断した場合、前線でボールを収める役割の佐々木は、自然とポジションを落とす。過去の試合では佐々木がミドルサードでボールを収め、そこから宮代大聖などを使って前に出ていく戦い方は効果的だった。黒田監督が警戒したのは、ここだったように思う。佐々木がミドルサードまで落ちてボールを収め、そこから宮代や広瀬陸斗、井手口陽介といった選手を使って前に出ていく形が整った場合、ヴィッセルは波状攻撃を見せる。最終ラインが縦に強いとはいえ、そうなった場合は失点のリスクが高く、何よりもチーム全体が低い位置に押し込まれ続ける可能性が高い。前記したように「前に出る」という原点回帰で波に乗った町田とすれば、佐々木が落ちた状態でボールを収めることだけは何としても食い止めたかったのだろう。

 これについて佐々木は試合後に「(菊池)流帆くんの土俵で戦ってしまいました。素直に悔しいです」とコメントしたが、正確には菊池の土俵ではなく黒田監督の思惑に絡めとられてしまったというべきだろう。中山を中盤に配置したことで、佐々木が落ちた状態でボールを収める道が試合序盤から断たれていたことを思えば、吉田監督には早い時間帯で足もとでの前進を指示してほしかった。ヴィッセルの選手たちのボールスキルを活かしたパスワークで勝負した場合、試合の様相を一変させることはできたかもしれない。この日のピッチコンディションを考えれば、それは難しかったのかもしれないが、自分たちのやり方が対策された中で、異なるやり方を見せることで、相手のやり方を変化させる可能性はある。遠回りのように思えるかもしれないが、一旦別の戦い方に切り替えることで、自分たちが志向している戦い方を貫くための舞台が整うことは往々にしてある。自分たちのやり方に自信を持つことも、それを貫き、先鋭化していくことも大事ではあるが、素晴らしい武器であるからこそ、それを繰り出すための舞台を作る工夫は欠かさないでほしい。

 そして最初の失点以上に厳しかったのが、36分に相馬に決められた2失点目だった。この失点について右サイドバックを務めた鍬先祐弥は「右サイドの緩さが出た」とコメントしたが、正直に言って日本代表にも招集された相馬を抑え込むという役割は、サイドバックが本職ではない鍬先には荷が重かったかもしれない。鍬先の守備力は総じて高いが、相馬は外からカットインしての動きに特徴を持っている。サイドを専門としている酒井高徳がいれば、相馬を外に追いやる守備で、シュートチャンスを与えなかったようには思うが、鍬先にそこまでを望むのは酷というものだ。酒井はアクシデントによる欠場だったようだが、これは町田にとってラッキーだったと言うべきだろう。


 この日の右サイドだがサイドバックは鍬先、ウイングには汰木康也という並びを吉田監督は採用した。左ウイングを務めることの多い汰木が右に位置するのは珍しいことではあるが、吉田監督は汰木のドリブルで3バックの外側を攻めてほしかったのだろう。しかしこれは難しい要求だった。その理由は汰木と対峙する相手の相性の悪さにある。このエリアで汰木に対峙したのは、左ウイングバックに入っていた林幸多郎だった。林は170cmと高さはないものの、豊富な運動量と粘り強い守備を評価され、主力として数多くの試合で起用されている。林の守り方は、相手選手に対して球際で勝負を挑むスタイルであり、コースを制限するといったスタイルではない。これは汰木にとって、最も苦手なタイプとの対峙を意味していた。汰木は独特のリズムでボールを持つことができる選手だ。卓越したボールスキルがあるため、変幻自在のドリブルで相手の密集の中に切れ込んでいくこともできる。しかし球際で勝負を仕掛けてくるタイプの選手に対しては、勝負を仕掛けないことが多い。これは正対してボールを持ちたくないためだろう。

 球際で勝負に出る選手と対峙すると聞いた時、寄せてくる動きを華麗にかわし、そのまま裏を取るような動きをイメージされる方も多いだろう。しかし実際には、そうした相手には正対することで、相手の動きを制御する必要がある。正対した場合、ボールホルダーに複数の選択肢があるため、ボールホルダーの側に主導権があることが多い。しかしここで主導権を握ったままプレーを続けるためには、2つの方法がある。1つはスピードに乗った状態で相手に向かっていくやり方だ。これによって相手は左右へのパス、ドリブルなど複数の選択肢の中からプレーを選ばなければならなくなる。またもう1つの方法だが、これはスピードに乗っていない場合の動き方だ。この場合は細かくボールを触りながら、相手に向かっていく。どちらの方法にせよ、相手の前で動きを止めてしまった場合、複数の選択肢を提示しているというメリットは失われる。イメージとしては前者がリオネル メッシ、そして後者がアンドレス イニエスタが見せていた動き方だ。

 汰木の場合、目の前の相手に対して仕掛けるというタイプの選手ではなく、常に状況を確認し、周囲を巧く使いたいタイプの選手だ。こうした選手の場合、ゆっくりと時間が流れる時には無類の強さを発揮するが、町田のように忙しなく動いてくるチームに対しての相性は良くない。

 試合終盤、途中投入されたジェアン パトリッキのドリブルに対して林と相馬がファウルで止めざるを得なかったように、町田のようなチームにはスピードに乗って動き続けるタイプの方が適している。この日のメンバーで言うならば、飯野七聖を右ウイングに入れた方が、林の動きを制御するという意味では効果的だったのかもしれない。


 この日の試合における最大の収穫は、もちろん「エースの帰還」だ。58分に投入された大迫勇也だが、その存在感は別格だった。前線で見せたプレスは、確実に相手のコースを限定しており、これ以降、ヴィッセルがセカンドボールを回収し、前にボールを入れていく回数が増えたことは事実だ。そしてそれまで自由にプレーしていた昌子の近くに大迫が立ったことで、昌子は窮屈そうなプレーが多くなり、これ以降ボールを散らす場面は減った。まだコンディションは回復途上であり、この試合では時間限定の出場だったということだが、シーズン終盤という大事な局面で大迫がピッチに戻ってきたことの意味は大きい。これまで佐々木が必死に担っていた前線の起点としての役割を渡すこともできる。逆に佐々木がその役割を続けながら、大迫が「決める役」に戻ることもできる。さらに言えばインサイドハーフの位置からラストパスを供給することもできる。1人で多くの選択肢を持つ大迫の戦列復帰は、吉田監督にとって単に手駒が増えるだけではなく、戦術の幅を広げることでもある。同時に前記したサイドの守備において成長を見せた快速フォワードのパトリッキも戦列復帰した。


 ここまでヴィッセルは吉田監督の遣り繰りもあり、上位に戻るところまできた。これは単純に吉田監督を含めたヴィッセルのクラブとしての成長の賜物だ。ここから一気に突き抜けるためには、力で相手を圧倒していく試合も必要になる。複数のタイトルを獲得するチャンスに恵まれている今季、大事な局面でエースが戻ってきたことは、掛け値なしに今後への福音となる。 

 この試合では「審判との付き合い方」というテーマも浮上したように思う。審判に同情的な立場を取れば、ヴィッセルと町田という強度の高いチーム同士の対戦はファウルの基準が作り難いと言える。しかしこの日の主審の判定には疑問の残るものが多かった。悪意はないとは思うが、佐々木の顔面に肘が入った場面がノーファウルであったりと、判定基準が最後まで不明瞭なままだった。もちろんこれによって負けたというつもりはないが、折からの悪天候と併せて、観る側にストレスを与えるものだったように思う。さらには菊池のハンドが見逃されたことも理解できない。競り合いの中で押されたためということだろうが、それこそがハンドという反則であり、到底納得のできるものではなかった。

 この日の主審は、今季序盤の名古屋戦で主審を務めた人物だった。あの時も武藤嘉紀の怪我に繋がった悪質なファウルを警告で済ませ、大迫の幻のゴール、その後のPKにつながる前のインゴールに対する判定など、ヴィッセルの立場に立った時には、この日の主審に対して複雑な思いを抱いてしまう。とはいえ、これは1人のサポーター目線での不満だ。プロである選手たちは、そんなことにこだわりは持っていなかったはずだ。しかしファウルの基準が不明瞭なため、選手たちが試合を通じてストレスフルな状態に置かれていたことは傍目にも明らかだった。この試合から導入された「キャプテンオンリー」というルールに則り、山川が説明を何度か求めてはいたが、ジャッジが安定感を取り戻すことはないままに試合を終えた印象だ。「キャプテンオンリー」というルールは施行されたが、当該選手がその場で説明を求めることはこれまで通りだという。であれば、選手は不可解な判定に対してはその場で説明を求め、その後はそれを忘れてプレーするしかない。この日の試合を見る限り、疑問が残った時にはすぐに説明を求めるようにした方が、スムーズな試合運営に資することになるのではないだろうか。

 いずれにしてもこの日の試合は、内容・結果とも完敗だったと認めないわけにはいかない。しかし山川が試合後にコメントしたように、ヴィッセルはこうした失敗を成長の糧にしてきたからこそ、ここまで強くなることができた。ヴィッセルを規範としている町田に敗れたとはいえ、ヴィッセルならばこの日の敗北を明日の勝利につなげてくれるはずだ。そうした姿を見続けてきたからこそ、それを信じることができる。中5日で迎える横浜FCとの試合では、また一つ強さを増したヴィッセルを観ることができるものと固く信じている。