覆面記者の目

明治安田J1 第9節 vs.新潟 国立(4/6 14:03)
  • HOME神戸
  • AWAY新潟
  • 神戸
  • 0
  • 0前半1
    0後半0
  • 1
  • 新潟
  • 得点者
  • (12')長谷川 元希


 2年半前、吉田孝行監督が3度目となる監督に就任し、ヴィッセルに大きな変革をもたらした。吉田監督がチームに求めた戦い方はシンプルではあったが、それは優れた能力を持つ選手たちの力を素直に引き出すための方策となった。その結果、ヴィッセルは力強さと速さを備えたチームへと成長し、過去2シーズンで3つのタイトルを獲得した。その実績が評価され、今シーズン前には多くの関係者が優勝候補の筆頭にヴィッセルの名前を挙げていた。しかし、大方の予想に反し、ヴィッセルは苦しんでいる。J1リーグ戦8試合を消化して、奪った勝点は9。まだ30試合残っているとはいえ、J1リーグ3連覇という目標を見据えた時、安閑としていられる状況でないことは事実だ。


 この原因は明らかだ。ライバルチームによる「ヴィッセル対策」が進む中で、ヴィッセルがそれを越えるだけの成長を見せることができていないためだ。ヴィッセルに対しては「素晴らしい選手が数多く揃っている」と評価する人は多い。それは紛れもない事実ではあるが、それだけで勝てるほどJ1リーグは甘くない。複数の会社を経営する筆者の知人は「会社経営は下りのエスカレーターを上るようなもの。一瞬でも足を止めたら、落ちていくだけ」と話してくれたことがあるが、この言葉はサッカーにも通じている。この2年間、ヴィッセルがJリーグを牽引する存在であったことは、誰もが認めるところだ。しかしその強さは、ライバルたちの闘争心を掻き立てた。その結果、どのチームも徹底した「ヴィッセル対策」を立てて、試合に臨んでくる。当然、ヴィッセルにはそれを上回る強さが求められているのだが、ここまでの8試合を見る限り、まだそれは見えてこない。
 どの競技にも共通して言えることだが、過去からの積み上げの上にチームを作っていくというのは最も効率的な方法だ。その意味でも、吉田監督が「自分たちの戦い方」にフォーカスし続けることは正しいと思う。しかし今、ヴィッセルが直面している問題は、その「自分たちの戦い方」への対策が奏功しているという事実だ。であればこそ、ここで一度「自分たちの戦い方」を因数ごとに分解し、継続するべきことと新たに加えるべきことを整理すべきであるように思う。

 書き出しから厳しい言葉を並べることになってしまったが、この日の試合にはそれだけのインパクトがあった。新潟に対するリスペクトを持った上で言うと、前節までリーグ戦未勝利だった新潟は「勝たなければならない相手」だった。丁寧にボールをつなぐ戦いを目指している新潟だが、スピードや強度が特段勝っているチームではなかった。試合後の会見で樹森大介監督が「難しい時間帯の方が多かった」、「内容的には厳しかった」といった言葉を使ったのは、選手個々の力、チームとしてのスピードや強度といった点において、ヴィッセルが勝っていたという印象が強かったためだろう。しかしこの日の試合について言えば、ヴィッセルが新潟を上回っていたとは言えない。もちろん何人かの選手が口にしていたように、試合序盤に得点を取ることができていれば異なる結果になった可能性はあるが、前半の途中から、ヴィッセルは攻め手を見つけきれないまま時間を空費した。こうした現実に直面した以上、ヴィッセルは今の戦い方を根本から見つめ直す必要があると思う。そうした意味では、この試合は今季の分水嶺とも呼ぶべき試合だったのかもしれない。この試合を契機に「自分たちの戦い方」を再構築することができれば、ヴィッセルには戦うだけの力は十分にあるはずだ。本稿では、改善すべき点を中心に見ていこうと思う。

この試合で新潟は、ヴィッセルに対してマンツーマン気味の守備を準備していた。ヴィッセルのボール保持時には、ボールホルダーに対して強く寄せることで、ヴィッセルの勢いを止めようとし続けた。そして自分たちの志向する「ボールをつなぐ戦い方」ではなく、シンプルに縦に蹴ることで、リスクを遠ざけていた。ここでヴィッセルにとって最大の誤算だったのは、高い位置からのプレスが回避され続けたことだ。
 昨季はヴィッセルの代名詞とも言われたハイプレスだが、この戦い方を完遂するには3つの要素が求められる。1つめは言わずと知れた「体力」、2つ目は「戦術理解」、そして3つ目は「高い守備ライン」だ。前線の選手がスイッチを入れ、相手のボールホルダーに対してパスコースを限定するように、全ての選手が動き続けなければならない。要は相手のビルドアップ時の自由を力ずくで奪う戦い方であるため、少しの緩みも作らないようにすることが肝要なのだ。
 ハイプレスをかける上では3つの方法がある。1つ目は中を切る形だ。プレスをかける際に中へのパスコースを切ることで、ボールをサイドに誘導し、最後はタッチライン際に追い込んでパスコースを限定し、ボールを奪いきる形だ。この時にファーストディフェンダーは、相手のセンターバックの間に立ち、センターバック間でのパスコースを切る。これと連動して2列目以降は縦パスのコースを切りながらサイドへ誘導していく。そしてタッチライン際でボールを奪い切る。2つ目はオールコートマンツーマンだ。これは文字通り、マークする選手に対して徹底的についていきながらボールを奪い、そこからショートカウンターを狙う方法だ。そして3つ目だが、これはヴィッセルが得意としている外を切る形でのハイプレスだ。これは外にボールを動かしていくことを阻害するやり方だが、扇原貴宏、井手口陽介、齊藤未月、鍬先祐弥といった選手や、昨季まで在籍していた山口蛍(V長崎)のように高いボール奪取能力を持つ選手が多いヴィッセルには適している方法だ。
 この外を切るハイプレスを敢行するにあたっては、ウイングの選手にはカバーシャドーの動きが求められる。相手のボールホルダーとサイドバックとの間に立ち、サイドバックへのパスコースを背中で消しながら、ボールホルダーに対してプレスをかけていく。ここで中央へのパスコースだけを僅かに空けておき、そこにボールが入った瞬間、ボランチとインサイドハーフで挟み込んでボールを奪うというのが理想的な流れだ。

 ここで話を今季の戦い方に戻す。今季、ライバルたちはヴィッセルが見せるハイプレスに対して様々な対策を講じているが、その方法は2つに大別される。1つは早い段階で蹴る。そしてもう1つはコースを切る動きに対して裏をかくというものだ。
 まず1つ目だが、これは解りやすい。相手のボールホルダーは、ヴィッセルのハイプレスが発動する前に自分で前に向けて大きく蹴る。もしプレスが発動した後であれば、GKに下げて、そこから大きく蹴り出す。その際、鹿島のように前線にターゲットとなる選手がいるチームはそこを狙って蹴ることが多いが、そうした選手がいない場合はリスク回避と割り切って深い位置まで蹴ることで、ヴィッセルの最終ラインを下げようとする。
 次に2つ目の方法だが、これは昨季にも見られた形だ。相手のセンターバックの選手は、敢えてヴィッセルのボランチにマークを受けている選手にボールを入れる。これを受けた選手は前を向くのではなく、味方のサイドバックの進路上にボールを落とす。これによって、ヴィッセルのウイングとサイドバックの間のスペースを使いながら前進する。これらの方法は決して目新しいものではなく、むしろ定番とも言えるハイプレス対策だ。

 次にこれらが「ヴィッセル対策」として奏功している理由について考えてみる。まず両方について言えることは、この「ヴィッセル対策」を無効化する方法はあるということだ。1つ目の長いボールを蹴り出してくるという方法への対策だが、この場合最終ラインが高い位置を維持することができていれば、相手の蹴ったボールを受けた時点から前に圧力を高めることができる。相手にターゲットとなる選手がいたとしても、最初からそこをマークしていれば、大きく破綻することはないだろう。そして2つ目のサイドバックを前進させる方法に対してだが、これはサイドバックとウイングの位置関係を整理することができていれば、そこで止めることができる。要は全体の立ち位置が重要ということだ。
 そしてその視座に立った時、今のヴィッセルには緩みが生まれているように思う。全体をコンパクトに保てていないため、相手にとってはボールを動かすスペースが見つけやすくなっているのだ。そしてこれは誰か特定の選手の責任ではない。選手個々には動くだけの理由がある。そこに歯止めをかけ、時には励ましながら布陣を整えるのは監督を含めたベンチの仕事だ。
 最終ラインが高い位置を取り切れていないのは、相手のカウンターを警戒するためであるように思われるが、その背景には「狭い局面の中でビルドアップすることができない」というヴィッセルの弱点がある。そのためアンカーがセンターバックと同じか近い高さを取ってしまうため、前に出ているインサイドハーフとの間にスペースが生まれてしまう。一方サイドでは得点を取るためにウイングの選手が中に入ってしまい、サイドバックが1人で管理しなければならなくなっている。そうなると前進を試みる相手のサイドバックのフォローとして、相手の2列目やフォワードの選手がハーフスペースを使って動いてくるため、サイドバックはさらに翻弄されてしまう。今季のヴィッセルの守備が嵌っていない最大の理由は、この全体の立ち位置が曖昧になっているためだ。相手の攻撃を受けているときのヴィッセルの立ち位置を5レーンに当て嵌めて見ると、多くの選手が同じレーンに入り込んでしまっていることが判る。そのため、ボール保持に変わった際、ボール周りで渋滞が起きている。井出遥也のように交通整理ができる選手がピッチにいる場合には、スペースを巧く埋めながら全体を整えてくれるのだが、井出が不在の時には選手それぞれが自分の思いを優先して動いてしまっているように見えるのだ。
 サッカーにおいて攻撃と守備は表裏一体だ。攻撃は守備の始まりであり、守備は攻撃の第一歩と言われるのはそのためだ。そして「ヴィッセルの戦い方」を遂行するためには、攻守一体となっていることが求められる。一見するとセンターバックがビルドアップ時に起きるミスを想定して高い位置を取らず、前にボールを動かそうとしないのも「攻守一体」で考えた際のリスク管理のように見える。しかしこれは間違いだ。攻守一体という以上、ボール保持時には強気に攻め込んでいきつつも、ボールを失った際には即時奪回を図る意識を持ち続けなければならない。要は「攻め込む意識ありき」で戦わなければならないのだ。

 全体の立ち位置が乱れているということは、相手に対する優位性が確立できていないということでもある。局面単位で見た時、ヴィッセルの選手の能力が相手選手を上回っている場面は多い。しかしそれはビデオゲーム的に見た時の話であり、サッカーがチームスポーツである以上、実際には1対1で勝っていることがチームの優位性を保証するわけではない。ボールホルダーは常に味方に対して動くための「時間とスペース」を渡す意識がなければ、それはボールを持っているというだけに過ぎなくなる。ボール保持を優位性に昇華するためには、サッカーが「時間とスペース」を管理する競技であるという本質を忘れてはならない。この考え方が浸透していれば、ボールを持っていない選手の動きは自ずと定まってくる。相手ゴールを目指すという前提を踏まえつつ、ボールを受ける位置や次に向かうべき場所を考える。そして時には相手を引き付けながら動くことで、味方に対して時間とスペースを渡す。この思考は個人によって異なるため、それをすり合わせる必要がある。それを行う場所が、日常のトレーニングだ。トレーニングの中で選手同士が互いの特徴をつかみ、それを記憶することで、試合の中でスムーズに相手に合わせた動きができるようになる。

 こうして見てくると、今のヴィッセルに起きている問題点は「ディシプリン」が失われているという1点に集約されているように思える。その象徴が、ここまで書いてきた「立ち位置」に表れているように思えるのだ。
 かつてヴィッセルで指揮を執っていた松田浩氏(G大阪フットボール本部長)が好んで使っていた「ディシプリン」だが、これはチームの規律、約束事、共通理解といった意味だ。その意味では、今のヴィッセルには緩みが生じているとも言える。そしてこの緩みが生じた理由は、2連覇という結果にあるのではないだろうか。
 昨年末、プロ野球のオリックス・バファローズを率いていた中嶋聡監督の辞任が発表された。それまで最下位だったチームを率いていきなりのリーグ3連覇を達成した中嶋監督だが、昨季は5位と低迷した。4年間の監督生活で3度の優勝を飾った実績を思えば、1年の不振で辞任というのは潔すぎる気もしたが、辞任に当たってのコメントは厳しいものだった。そこで中嶋監督は「チームに緩みが生じていた。これを変えることができなかったのは自分の責任」と語っていた。ここでいう緩みとは攻守交替時の動きや一塁まで全力疾走しないといった小さなプレーのことだ。3連覇という実績を残す中で「我武者羅さ」が失われ、こうした小さな緩みが積み重なっていると中嶋監督は考え、自らの辞任という劇薬でチームを甦らせようとしたのだろう。
 ヴィッセルの選手たちも2年間で3度のタイトル獲得という実績を残したことで、自分たちの強さに自信を持つことができたと思う。しかしここに落とし穴がある。国見高校のスローガンではないが、正に「自信と過信は紙一重」だ。選手個々はそうした意識を自覚することはできないと思うが、チーム全体として見た時、ヴィッセルの攻撃力があれば何とかできるという思いが生まれてしまっているように感じられる。それが正確な立ち位置を取り続けるという「辛く苦しい作業」を完遂できなくなっている一因であるように思えるのだ。

 話を戦い方に戻す。
 今のヴィッセルにおいて守るべきものは他にもある。1つは慌てて蹴らないということだ。この試合の失点は、まさにこれを守ることができなかったがゆえにおきた事故でもあった。12分に自陣から山川哲史が、自分の前に立っていた井手口にボールを入れたのだが、ここで井手口はボールを失った。そしてそのボールを持ち込んだ長谷川元希に蹴りこまれてしまった。この原因は山川の不用意なパスだ。山川がボールを持った時点で、井手口が山川を見ながら前に立っていたことは事実だが、この時、井手口には複数の相手選手がマークについていた。さらに言えば山川の周囲に相手選手は不在であり、山川が落ち着いてボールを運ぶこともできた場面だった。厳しい言い方をすれば、このパスは責任逃れのパスであり、不要なパスだったと思う。山川はボール保持やパスといった攻撃的な部分でのプレーに自信がないため、こうした選択をしたのかもしれない。もしくは井手口の能力に期待をした結果だったのかもしれない。しかし、前記したように井手口の周りに複数の選手がいたことは事実であり、ここにパスを出すことは、リスクを高めることでしかなかった。
 ここで山川に思い出してほしいのは、かつてヴィッセルで指揮を執っていたフアン マヌエル リージョ氏(マンチェスターC・コーチ)の言葉だ。リージョ氏はヴィッセルに在任中「慌てて出したパスは、倍のスピードで相手を連れて戻ってくる」と、選手たちに指導していた。この言葉は「パスを出す際は、受け手の優位性を確認する」という大原則を意味している。これをこの場面に当てはめれば、山川のパスは受け手の優位性を考えていないものであり、結果としてボールは長谷川という相手選手を連れて戻ってきたということになる。
 ここまで山川のプレーについて書いてきたが、同様のことは他のポジションの選手たちにも散見された。1点を追う中で焦っていた気持ちは理解できるが、多くの場面でヴィッセルのパスには焦りが表れており、守りを固める新潟のブロックを崩すどころか、逆に新潟のカウンターを呼び込む結果になっていた。以前にも書いたように、引いて守りを固める相手を崩すことは容易ではない。だからこそ丁寧なプレーの積み重ねが必要なのだ。スピードのあるパスで相手を崩そうとする気持ちは理解できるが、パスを出す際には最低限、味方の優位性を確認しておかなければ、それはピンチを呼び込むことにつながってしまう。

 そしてもう一点、パスを出す際に重要なのは、これまた過去に何度か指摘したように「相手を引き付ける」ことだ。チームとして前を目指すというコンセプトが徹底されている以上、進行方向は相手ゴール方向が原則となる。であればボールホルダーには「相手が来なければ前進、相手が来たら引き付けてリリース」という鉄則を遵守してほしい。これは昨季以前も徹底されていたわけではないが、相手が「ヴィッセル対策」を立てて試合に臨んでいる以上、この原則に則った丁寧な崩し方が求められる。逆に言えば、この原則をこれまで組み入れていなかったということは、こうした原則を組み入れることで、昨季とは異なる「2025年型」のヴィッセルになることができるとも言える。
 ボールホルダーが前進するということは、周りの選手には動くための時間が与えられるということでもある。さらに相手を引き付けることで、スペースも渡すことができる。ということは局面的にも優位性が確立されることになる。その優位性は小さいものかもしれないが、それを繰り返すことで、相手の守備組織のズレは大きくなっていく。そうなったとき初めて、大迫勇也や武藤嘉紀、宮代大聖といった選手の力が発揮されることになる。大迫たちは傑出した力を持つ選手ではあるが、いつも1人で全ての局面を打開することができるわけではない。そもそもサッカーは、守備側が有利なように設計された競技である。その中で得点を奪っていくためには、得点を奪うための舞台づくりを疎かにしてはならない。


 最後に吉田監督の選手起用についても考えてみたい。この試合で何人かの選手は、明らかにコンディションが悪かったように見えた。2月からの連戦を考えれば無理からぬところであるが、であればこそ流れを変えるような積極的な選手起用を見せてほしかった。例えば汰木康也だが、この試合で汰木に対しては前に立つという形で相手選手は、その突破を防ごうとした。以前にも書いた通り、汰木のドリブルは相手が並走した時に威力を発揮する。前に立つ選手を一瞬でかわすタイプのドリブルではない。であれば、試合途中でこのサイドの配置を変えることは、流れを変えるという意味でも必要だったように思う。さらにアンカーの扇原だが、この試合では縦に速く攻めてくる新潟への対応に翻弄され、特徴である大きな展開を作り出す場面はほぼ見られなかった。この日の新潟に対しては、齊藤のような前に出てボールを奪うことのできる選手の方が向いていた可能性はある。


 試合後、吉田監督は武藤や大迫の交代について尋ねられた際、武藤はトレーニングを十分に詰めていなかったとコメントした。これは吉田監督らしくない言葉であるように感じられた。これまで吉田監督はチーム内に聖域は作らず、コンディションの良い選手を使うという原則を守り通してきた。であればこの試合に限っては、武藤の先発起用はその原則に反していたように思う。大迫と武藤はヴィッセルの代名詞のような選手であり、彼らの力なくしてタイトル獲得がなかったことは誰もが認めるところだ。しかしそんな彼らですら、聖域ではないということを示すことこそが、チーム内に正当な競争意識をもたらすのではないだろうか。
 ここで筆者が書いているのは、あくまでも外部の意見であり、選手のコンディションを正確に把握できているのは、日常から選手を見ている監督やコーチ陣だ。そのことを承知で敢えて言わせていただくと、この試合ではもっと大胆な選手起用があっても良かったように思う。実際に試合途中で投入されたカエターノやグスタボ クリスマン、エリキといった選手たちは可能性を見せてくれた。彼らにもう少し長い時間が与えられていれば、異なる結果を得ることも可能だったように思えてしまう。


 ここまで様々に厳しい指摘を続けてきたが、冒頭でも書いたように、この試合を変革の契機としてほしい。ヴィッセルには優れた能力を持つ選手が多く揃っていることは、紛れもない事実であり、彼らの力を素直に発揮することができれば、今季も優勝争いに十分に食い込めるはずだ。しかし、今は全体に緩みが生じているため、選手の力の総和よりも低い力しか発揮できていないように思う。この状況を打破するためにも、吉田監督が率先して「2連覇」という言葉を一旦、頭の中から消し、2年半前、どん底状態にあったチームを預かった時の気持ちでトレーニングに臨んでもらいたい。以前、プロ野球のタイトルホルダーから「過去の栄光を早く忘れることが、成長への近道だ」という言葉を聞いた。彼は「過去の栄光はリビングにいるべきものであり、グラウンドに居場所はない」と語っていたが、常に新しい挑戦を続けることこそが、積み上げてきたものを守り続ける唯一の道なのかもしれない。


 次節の対戦相手は、昨季一度も勝利することができなかった東京Vだ。そしてそこから川崎F、町田といった上位陣との対戦が続く。この連戦を勝利することができれば、チームには確実に勢いが生まれる。そのためにも、この1週間の過ごし方が大事だ。吉田監督にはこれまでのように妥協なき姿勢で、チームを再構築してほしい。時間は少ないが、その基本は既に選手たちに浸透している。最高の1週間を過ごし、反撃への第一歩を力強く踏み出してほしい。