「衆寡の用を識る者は勝つ」。これは孫子の言葉だが、兵力の大小に応じた戦いができるものが勝利するという意味だ。歴史上の戦いを紐解いていくと、この言葉が正鵠を射ていることに、改めて気づかされる。以前、大学で教鞭をとっている歴史学者と酒席をともにしたことがある。その際に聞いた話だが、古来、戦上手と呼ばれる武将は状況に応じた用兵に長けているという。そしてそうした武将に共通しているのは「戦略」、「作戦」、「戦術」、「戦法」の違いを正確に認識していることだという。これこそが、今のヴィッセルの戦い方を考える上で必要な知識であると思われるため、この話から始める。
「戦略」、「作戦」、「戦術」、「戦法」という言葉は似たイメージがあるため、我々は日常生活の中で混同して使いがちだ。しかしこれらの言葉はそれぞれ異なる意味を持っており、明確なヒエラルキー構造の中にある。頂点に立っているのは「戦略」だ。「戦略」は自分たちが進むべき方向を意味している。その「戦略」を実現するための方法が「作戦」だ。そして「作戦」を成功させるための手段こそが「戦術」だ。この「戦術」を現場で遂行するための方法が「戦法」ということになる。これをヴィッセルに置き換えてみれば、イメージはしやすくなる。
「戦略」は目標と換言することもできる。今季のヴィッセルにとっての「戦略」はアジア制覇であり、J1リーグ3連覇やその他のタイトル獲得ということになる。次に「作戦」だが、これは目標を達成するために必要な事項ということになるだろう。今季のヴィッセルで言えば、J1リーグ戦での目標とする勝利数やカップ戦における選手起用法、そして「レギュラーメンバー」の稼働率目標の設定や「控え選手」の底上げといったところだ。そして「戦略」だが、これは「作戦」と密接に関係している。ヴィッセルで言うならば、基本的な戦い方を軸として定め、その浸透度を高めるための方策を立てる。同時に「控え選手」たちに求めるスキルと、それを獲得するための方策など「作戦」を具体化させたものとなる。そして最後の「戦法」だが、これが現実の試合における戦い方だ。試合ごとに対戦相手を分析し、勝利するための道筋を見つける。その上で出場する選手にどういったプレーを望むかを定め、それを言語化し伝える。
ヴィッセルには様々な専門スタッフが在籍しており、こうした流れは踏まえているように見える。もし問題があるとすれば、最後の「戦法」を定める部分だ。レギュラーメンバーに負傷者が続発している中で、使える選手は限られている。「戦術」段階で定めた戦い方は、レギュラーメンバーの存在を基本として策定されているため、現時点でこれを遂行できる可能性は自ずと低下する。当然、現状の戦力を正しく把握した上で、目の前の試合における「戦法」=戦い方を定めなければならないのだが、ここで問題が生じているように思えるのだ。

以上のことを踏まえて、試合を振り返ってみる。
この試合に際して吉田孝行監督は、3日前に行われた前節から5人のメンバーを入れ替えて試合に臨んだ。スターティングメンバーは以下の通りだ。GKは前川黛也。右サイドバックは2試合連続となる松田陸。センターバックは右に山川哲史、左に岩波拓也。左サイドバックは日髙光揮。中盤はアンカーには鍬先祐弥、右インサイドハーフに山内翔、左インサイドハーフに濱﨑健斗。前線は右から飯野七聖、佐々木大樹、橋本陸斗という並びとした。大迫勇也、井出遥也、扇原貴宏、広瀬陸斗、マテウス トゥーレルといった主力メンバーはベンチスタートとした。その理由は恐らく次戦を重視したためだ。ヴィッセルはこの試合から中3日で、AFCチャンピオンズリーグエリート(以下ACLE)ラウンド16初戦を迎える。アジア制覇を目標として掲げるヴィッセルにとって、この試合が重要な試合であることは言うまでもない。しかもラウンド16はホーム&アウェイ方式で行われる。ヴィッセルにとってのホームゲームである初戦は、是が非でも勝っておかなければならない試合である。ここに「現時点での」ベストメンバーで臨むためにも、主力5人は使いたくなかったのだろう。
対戦相手の光州FCは、リーグステージでの対戦ではシュート0本に抑え込んで完勝した相手ではある。一見するとそこまで警戒する相手ではないように思えるかもしれないが、この時に活躍したメンバーの多くが、現在は戦列を離れている。そうした状況を考えれば、吉田監督の選択は十分に理解できる。
この日の対戦相手である福岡は、開幕から3連敗スタートとなったチームだ。試合内容は決して悪くはないが、波に乗れているわけではない。こうした状況も、吉田監督の選択を後押ししたのかもしれない。
ここで1つ目のテーマについて考えなければならない。それは「ヴィッセルの戦い方」はどこまで維持されるべきなのかという問題だ。
試合後、吉田監督はゲームプランについて尋ねられた際「試合の入りはハイプレスで自分たちのリズムに持っていく」としつつも、「我慢の時間が長くなることは想定していた」と語っている。この言葉から推測すると、吉田監督は前線からの連動したプレスで福岡を押し込みつつも、ゴールを奪う=福岡の守備を崩しきるまでのイメージは持ち難いと感じていたのだろう。しかし実際にはヴィッセルのプレスが嵌ることはなく、福岡にボールを思い通りに動かされる展開が続いた。こうなった原因は複数考えられるが、それらに通底しているのは「動き方の不徹底」だったように思う。ヴィッセルの戦い方においては、ボール非保持時には4-4-2に変化するのが基本だ。インサイドハーフの1枚(この試合では濱﨑)が上がり、前線中央の佐々木と2トップの形を形成する。同時に飯野と橋本の両ウイングはポジションを下げ、サイドハーフの位置に立つ。そしてもう1枚のインサイドハーフ(山内)はアンカーの横に入り、ダブルボランチを形成する。この形を整えた上で、前線からボールホルダーにプレスをかけていく。そして相手がプレスを嫌って蹴ってきた場合には、全体をミドルサードまで下げ、そこでブロックを形成する。要は形を整えることが前提となっているのだ。しかしこの日の試合では、この形が整う場面は少なかった。佐々木はいいタイミングでプレスを敢行していたのだが、周りがこの動きに追いついていなかった。特に両ウイングの立ち位置が不明確であったため、この試合では3-4-2-1でセットした福岡の両ウイングバックに蓋をすることができておらず、ボールの脱出口としての機能を許してしまった。
今季の福岡は3バックと4バックを併用しているため、選手にとっては考えるべきことが多かったのかもしれない。特に両サイドについては、自分たちのサイドバックとウイングの関係が安定していなかったため、最終ラインにおける4対3という状況を活かしきれていなかった。その結果、福岡の中央とサイドの連携を切ることができず、全体がボールホルダーについていく格好になってしまった。こうなってしまうと、ヴィッセルのチーム内でも経験の差が、そのままギャップとなってしまう。佐々木や山川、鍬先といった、リーグ戦でも出場を続けている選手たちとその他の選手の動きにはズレが見られた。特にボール保持/非保持が変わった瞬間の動き出しは全く異なっており、結果として多くの選手が孤立しているように見えてしまった。

サッカーのスタイルは異なれども「ポジションとボールは同じ列車ではなく、同じ車両で旅をする」という言葉は、サッカーにおいて守るべき鉄則を示している。この言葉を我々に教えてくれたのは、かつてヴィッセルで指揮を執っていたフアン マヌエル リージョ(マンチェスターC・アシスタントコーチ)氏だ。この言葉が意味するところは、組織を保つための適切な距離感を大事にしなければならないということだ。この試合、特に前半のヴィッセルは選手個々の意思が統一されているようには見えず、選手間の距離が崩れていた。そのため福岡のボールホルダーは、安全にボールを動かすための道を容易に見つけることができた。「レギュラーメンバー」が揃っているときのヴィッセルを相手にした場合、最初のプレスをかわしても、すぐに次のプレスが来るといった具合に連携しており、長いボールで最初のプレスを超えたとしても、ヴィッセルの選手がそれに応じた立ち位置を瞬時に整えるため、相手はパスコースを見つけることが難しい。「ヴィッセルの戦い方」というのは、こうした状況を作り出すことができるが故に成立している。
もう一点付記すると、吉田監督の指示通りに高い位置からのプレスをかけるということは、この試合に先発した全ての選手が意識していたと思う。しかし、そこには大きな要素が欠けていたようにも思える。それは「プレスはボールを奪うためにかける」という意識だ。当たり前のように思われるかもしれないが、この考え方は日本ではそれほど根付いていないのが現実だ。以前、Jリーグの公式YouTubeの中で、酒井高徳がこれについて話していたことがあったが、その場にいた選手や指導者には理解されていないようにも見えた。ここで酒井が話した「プレスにいく意味」はヨーロッパではスタンダードだ。しかし日本のアカデミー年代では「プレスにいくことで、相手に蹴り難さを与える」と教える指導者も多い。ボールを奪いにいってかわされることで、味方が不利になると考えるためだ。しかしヨーロッパの多くの指導現場では、プレスをかけるのは、相手からボールを奪うためと教えている。「ヴィッセルの戦い方」においても、プレスはボールを奪うことが目的だ。そのため球際の強さが必要になる。これが徹底されていなかったことも、福岡にプレッシャーを与えることができなかった理由であるように思う。
ここで「ヴィッセルの戦い方」はどこまで維持されるべきなのかという問題に戻る。筆者の私見ではあるが、この日のメンバーで試合に臨むのであれば「ヴィッセルの戦い方」にこだわらなかった方が良かったように思う。前記したように「ヴィッセルの戦い方」には守るべきルールがあり、その前提を外してしまったときには、ボールホルダーを追いかけるだけの無軌道なサッカーに堕してしまう危険性を孕んでいる。だからこそ、主要メンバーが揃わない時間帯は「ヴィッセルのサッカー」を捨てる勇気も必要だったように思う。吉田監督のプランとしては、60分過ぎまでスコアレスで持ち堪えてくれれば、最後に主力選手を投入して勝負をかけるつもりだったのではないだろうか。もしそうであるならば、ミドルゾーンで4-4のブロックを組み、失点しないことに重きを置く。その上で、攻撃は相手の裏を狙ったカウンターに徹するという方法もあったように思える。このやり方で福岡を崩せた可能性は決して高くはないかもしれないが、少なくとも福岡のテンポで試合が運ぶことだけは防げたのではないだろうか。
繰り返しになるが、この試合では吉田監督は難しい決断を迫られ続けた。4日後のACLEを念頭に置きつつも、J1リーグ戦での初勝利を挙げたいという思いが、指揮官を迷わせたのだろう。この試合では吉田監督の決断にも割り切りが感じられなかった。そう感じた理由は攻撃方法と交代策だ。
まず攻撃方法だが、いつものようにロングボールを使うという選択は避けるべきだったように思う。この日のスターティングメンバーの中で、前線で高さを維持できるのは佐々木のみだった。これに対して福岡は大迫への警戒感から、最終ラインには高さのある選手を揃えていた。いかに佐々木が高さがあるとはいえ、これは分が悪い戦いだった。さらに全体的な押し上げも足らなかったため、セカンドボールも福岡が回収する場面が目立っていた。最終ラインの踏ん張りと福岡の拙攻もあり、40分まではスコアレスの状態が続いたが、最後はゴール前での攻撃を受ける中でのオウンゴールという形で失点を喫した。オウンゴールというのは悔やまれる結果ではあるが、残念ながらここに至るまでの流れを考えれば、失点はやむなしだったように思う。そう考えた理由の1つはサイドバックだ。「ヴィッセルのサッカー」においては、右サイドバックを高く上げ、最終ラインに残った3枚は右にスライドして3バック気味に守る。そして左サイドからの対角のボールを使い、右サイドを前進させる。しかし本多勇喜や酒井といったサイドバックの主力選手が不在の状況下では、この形を採ることは難しい。4枚の位置的高さにそれほどの差がつかないのであれば、全体構造は変容することになる。であればこそ、「いつものような」ロングボールを使うことは、逆に危険でもあった。
そして交代策だ。吉田監督は後半頭から大迫と広瀬、61分にトゥーレルと扇原、そして77分に井出と、主力選手を逐次投入していった。試合後には「大迫は45分間ならば(次戦への影響を最小限に抑え)いけるかなと思っていた」と語った上で、「あまりにも修正しないといけないところが多かった」と、交代の理由を明かした。確かに前半は一方的な福岡の流れであり、ヴィッセルにはチャンスらしいチャンスは生まれなかった。しかし「修正しなければいけないための交代」というのは、「ヴィッセルのサッカー」を基準にしたときの考え方であり、この日の福岡が相手であれば、戦い方の変更でもう少しの時間は持ち堪えることができたように思う。得点は生まれないかもしれないが、膠着状態に持ち込んだ上で、最後の15分間に主力選手を集中投入した方が、チームとしてのパワーは出たように思う。
そう考えた理由は「試合のテンポ」だ。テンポとは試合全体の流れと換言することができる。このテンポを変えるタイミングは2つだ。1つはハーフタイム、そしてもう1つは選手交代だ。テンポが一方に偏っていない場合には、ハーフタイムに「戦法」を変えることで自分たちの流れに持ち込むこともできるだろうが、この試合のように一方的になってしまった場合には、集中的な選手交代が最も効果的だ。最終ラインからボールを運ぶことのできるトゥーレル、中盤でボールを散らすことのできる扇原、サイドで起点を作ることのできる広瀬、前線の近くで時間とスペースを作り出せる井出、そして高い決定力を誇る大迫の5選手が一斉にパワーをかけることができれば、テンポを一変させることも可能だったように思う。しかしこれが逐次投入になってしまった場合、その効果は薄れてしまう。
これはあくまでも外野の感想であり、結果論に過ぎないことは承知しているが、この試合に限っては吉田監督にもいくつかの手は残されていたように思う。

ここ2年間に見せたヴィッセルの躍進の象徴となった試合の1つが、昨季の天皇杯準々決勝だった。前の試合からフルターンオーバーして臨んだこの試合では、多くの主力選手をベンチあるいはベンチ外としつつ、鹿島を3-0で破った。この試合で先発出場していた主力メンバーは左サイドバックの本多、アンカーの鍬先、左ウイングの汰木康也、そして前線中央に入った佐々木の4人だった。この鹿島戦とこの日の試合を比べた時、違いはコンビネーションのある個所の有無だったように思う。鹿島戦では本多と汰木の左サイド、そして汰木と佐々木という2つのつながりがあった。しかしこの日の試合には、そうした箇所がなかった。さらに言えば、この鹿島戦はチームが連勝中という状況下でもあり、そうした勢いも影響していたのかもしれない。
いずれにしても、こうした「控えメンバー」を中心として挙げた勝利は、チームに「底上げ」という希望をもたらす。その意味でも、この日の試合には大きな期待がかけられていた。それを選手たちも意識していたことは、試合後のコメントからも明らかだ。しかし望むような結果は得られなかった。この試合に出場した選手たちにとっては厳しすぎる結果ではあったが、今はこの現実と真摯に向き合ってほしい。
では彼らがここから巻き返すためには、何が必要なのか。それは2つあるように思う。1つは個人レベルでのスキルアップだ。そのためには、自らの力を正しく認識することから始めなければならない。これはサッカーに限った話ではないが、プロスポーツにおいて選手は、それぞれの武器を持っている。しかしそれが自らが身を置いているリーグの中で、どのレベルにあるのかを知らなければ、明確な目標は立てることができない。その意味では、ヴィッセルというチームは最適な環境だ。全てのポジションに、国内トップクラスの力を持った選手がいるためだ。まずはトレーニングの中で、彼らを相手に自らの武器で立ち向かってほしい。最初はそれが通用しない可能性が高い。しかし、そこでどうすれば通用するようになるかということを真剣に考えてほしい。
そしてもう1つは、チームが求めるプレーと自分の特徴の融合だ。「ヴィッセルのサッカー」というのは、決して難しいことを要求されているわけではない。サッカーそのものはシンプルな構造の上に成り立っている。しかし高いレベルでの遂行を要求される。そこに入っていくためには、チームが求めるプレーをオートマティックに出せるようになるまで、身体に覚えこませなければならない。それこそが判断速度を上げるための王道だ。その中で、自分のどういった特徴が活きるのかを模索しなければならない。
これはこの試合に出場した多くの選手に言えることだが、この試合で起きたミスの多くは、普段であれば周囲を固める「レギュラーメンバー」たちが吸収してくれるものであり、その不在によって試合の中で顕在化したということだ。
ここまで厳しい指摘を続けてきたが、収穫もあった。最大の収穫は濱﨑のプレーだった。そのプレーについては吉田監督も「本当にいい選手だと思う」と賛辞を呈していたが、それだけのものを、この「現役高校生Jリーガー」は見せた。小柄ながらも前への推進力は強く、相手に臆することはない。以前、濱﨑については直線的な部分を改善点として評したが、この試合では緩急もついており、対峙する福岡の選手を上回っていた。その濱﨑が最も優れている点は、蹴る直前でもプレーをキャンセルできる点だ。これができる選手というのはJ1リーグ全体を見渡しても、決して多くはない。技術的にはこの試合のスタート時にピッチに立っていた22人の中で、濱﨑が最も高いものを見せていたと思う。そんな濱﨑だが、ストップ&ゴーの動きも多い。これは足に負担のかかるプレーだが、これまで対峙してきたアカデミー年代の選手相手であれば、余裕をもって行えていたことだろう。しかし、J1リーグで対峙する選手に対しては、濱﨑もフルパワーで挑まなければならないため、足への負担が心配される。濱﨑にはペナルティエリアの周りでも仕掛けることができるだけの技術とスピードがある。こうしたことを考え併せた時、今はインサイドハーフではなく、ウイングでの起用の方が適しているように思う。
この試合で輝きを放った「ダイヤの原石」は、ヴィッセルにとっての希望だ。しかし世界レベルで見た時には、17歳という年齢は決して若すぎるということはない。この先、どういった起用になるかは不明だが、濱﨑には小さくまとまることなく育ってほしい。そのためにも、ボール非保持時の正しいポジショニングや相手との向き合い方など、ボールに関与しないプレーについても、そのレベルを高めてほしい。

そしてもう1つの収穫は松田陸だった。ヴィッセルでの2試合目となった松田だが、前に出るタイミングやボール非保持に変わった瞬間の動きなどは、前節よりもスムーズになっているように見えた。そして何より積極的に声を出している姿は、若い選手が多いこの日のメンバーの中では頼もしい存在だった。負傷者が多い中、こうした経験もあり、戦術理解の早い選手の存在は、チームを救ってくれる存在になるのではないだろうか。
声を出すという点においては、山川に一層の奮起を望みたい。決して前に出るタイプの性格でないことは承知しているが、苦しい時間帯に声で指示を送り、チームメイトを鼓舞することこそが主将に求められる振る舞いだ。昨季までのJ1リーグ2連覇において、山川は堂々たる中心選手として60を超える試合に出場し、タイトル獲得に貢献してきた。そのプレーを認められたからこその主将だ。昨季までの山川は、酒井たちベテラン選手の動きを見て、それについていくという意識だったかもしれないが、今や周りから見られる存在になっている。その自覚をもって、ピッチに入る瞬間から声でもチームを牽引してほしい。
この過密日程をこなす中で、鍬先や佐々木にも疲れが出ているように見えた。しかし試合後に吉田監督が「この日のメンバーが、今プレーできるフィールドプレーヤーの全て」と話したからも、今は休養を与える余裕はないのだろう。彼らの回復力に期待はしているが、そこには自ずと限界がある。今はチーム全体で戦い方を整理し、少しでも負担を抑えるべく、効率的な動きを模索する他ないだろう。
選手が限られている状況下でチームが効率的な動きをするためには、今、チャンスが巡ってきている選手たちの急速な理解度アップが不可欠だ。「こういったチャンスでアピールできるかどうかということは、自分も含めて全員が奮起しないといけないシチュエーションなのかなと思っています」という、岩波の試合後の言葉通りの状況だ。次の試合までの日数を考えれば、身体の疲れを取ることが優先されるだろうが、頭を働かせるだけの時間はある。映像を見て「ヴィッセルのサッカー」をもう一度学び、その中で自分がどういったプレーをするべきかをイメージしてほしい。競馬界のレジェンドである騎手の武豊は、競馬開催日の前日には、自分が騎乗するすべてのレースのイメージトレーニングを行っているという。スタートから道中の位置取り、仕掛けのタイミングまで、そのレースに出走するライバルたちの動向をもイメージしながら、頭の中でレースをシミュレーションしているというのだ。そしてこれがあるために、武はレース中に起きる想定外のトラブルにも落ち着いて対処することができている。中央・地方合わせて4700を超える前人未到の勝利数は、こうした努力の上に成り立っている。
冒頭でも書いたように、次戦は中3日でのACLEだ。グループリーグでは完勝した光州FCとの戦いだが、今のヴィッセルの台所事情を考えれば、以前の対戦結果は、一旦頭の中から消した方が良いだろう。まずは、今使えるメンバーで「できること」を整理し、それを高い次元で遂行することに集中するべきだろう。それが最良の結果を得るための近道であるように思う。その意味では、吉田監督の分析力が、勝敗の大きなカギを握っている。
光州戦は平日のナイトゲームだ。ヴィッセルサポーターの皆さんも仕事や学校など様々な予定があるだろうが、ここは万難を排してスタジアムに駆け付けてほしい。クラブの苦しい時、皆さんの声が選手を鼓舞し、背中を押す。「神戸はいつだって全員で戦う」。この言葉を胸に、今こそ「一致団結」して、この難局を乗り越えてほしい。
