「戦い方としては全然間違っていなかったですし、奪ったところを前につけて素早く攻撃していくということは継続してプレーするつもりでした」
これは「前半を踏まえて、後半はどのようにプレーするつもりだったのか」という問いに対する山川哲史の答えだ。前半の戦いについては、吉田孝行監督も同様の感想を抱いているようだった。吉田監督は「前半からカウンターのチャンスは作れていた」、「PKが決まっていれば、試合展開は異なるものになっていたと思う」といったコメントを残した。その上で次節の大一番・鹿島戦に対しても「何かを大きく変えるのではなく、自分たちがやっていることをより追求していきたい」と、今の戦い方を貫く決意を示した。
過去2シーズン、この戦い方で複数のタイトルを獲得してきた実績を思えば、自分たちの戦い方に自信を抱くことは頷ける。しかしこの日の試合で見せた「ヴィッセルらしい戦い方」は「間違いではないが、正解でもない」というのが、筆者の偽らざる印象だ。
司馬遼太郎の名著「関ケ原」の中にはこんなくだりがある。決戦前夜、大垣城で行われた西軍の軍議の席上、島津義弘・豊久の2名が夜襲を提案した。しかしこれに対して西軍の事実上の大将であった石田三成が「古来、数で敵に優る軍が夜襲をかけた例はなく、明日の戦いで勝利は疑いない。そのため夜襲の必要はない」と反対し、島津の提案を却下した。しかし実際には西軍の敗北だった。西軍で発生した寝返りや様子見といった事態が、石田にとって想定外だったことは間違いないと思うが、結果的に島津の提案を蹴ったことは、石田の判断ミスだったとも言える。
実はこの話は江戸時代に編纂された『落穂集』に見られる逸話であり、これを裏付ける一次史料はない。そのため多くの研究者によって史実としては否定されている。ではなぜここでこの話を書いたかと言えば、これこそが「間違いではないが、正解でもない」事態であるためだ。
事実、西軍は東軍を兵数で上回っていた。そして布陣も周囲の地形を巧く利用しており、敵を誘い込んでの包囲攻撃をし得る配置となっていた。その布陣の巧みさは、明治時代に日本陸軍の高等武官養成のために来日したドイツ人将校がその布陣図を一目見て「これは西軍の勝ちだ」と喝破したという寓話が生まれるほどだった。そう考えれば夜襲を断った石田の判断は間違いではない。しかし結果として西軍が敗れたことを思えば、正解ではなかったという評価を下されることになる。
この日の試合は、まさにそうした戦いであったように思う。そしてポイントは6つあったように思う。以下にそれを見ていく。

まず最初のポイントは「ハイプレス」だ。もはやヴィッセルの代名詞とも言える「ハイプレス」だが、それはこの日の試合でも変わることがなかった。前線の大迫勇也を中心としたハイプレスは、そのスピード感、強度ともJリーグではトップクラスだ。そのためヴィッセルと対戦するチームは、これに対する対応に苦慮することになる。それは浦和も同様だった。浦和を率いるマチェイ スコルジャ監督も試合後、ヴィッセルのプレスがPKを取られるきっかけだったことを認めていた。
しかし見方を変えれば、このヴィッセルのハイプレスが浦和の戦い方を定めたように思う。試合序盤から浦和は自陣でのボール保持時には、ヴィッセルのプレスを受ける前に縦に大きく蹴ることで、これを回避していた。そしてこれはリスクを遠ざけるための苦し紛れのキックではなく、明確な狙いを持っていた。浦和が狙っていた箇所は2つあったように思う。1つはヴィッセルの中盤、もっと具体的に言うならば、アンカーである扇原貴宏の脇のスペースだ。そしてもう1つはシンプルに、ヴィッセルの最終ラインの裏だ。この2つの使い分けだが、それはヴィッセルの状態によって決まっていたように見えた。その状態とは前線と中盤の距離だ。プレスを敢行する際の動きについて、ヴィッセルは相当に整備されているが、それでも状況によっては前線と中盤の間には距離ができる。ここで浦和にとって大きな戦力となっていたのがGKの西川周作だった。ベテランの域に達している西川だが、その特徴であるキックについては、未だ衰え知らずだ。低い位置でのボール保持時には、GKに戻し、そこから西川が低く鋭いボールを前に差し込む。このキックの精度が高いため、そのボールが中盤の選手につながる確率は高かった。浦和はそこから攻撃に転じたため、ヴィッセルのプレスは空転した。
そしてもう1つの最終ラインの裏を狙ったボールだが、さすがにこの精度自体はそれほど高いものではなかった。しかしヴィッセルが全体で押し上げてきた際には、大きく蹴り出していた。この狙いは、ヴィッセル全体の位置を下げることにあった。前記したようにこのキックの精度自体は高くないため、ヴィッセルが回収する確率は高かったのだが、浦和の守備陣形を整える時間を稼ぐものとしては機能していた。
このように、この日の浦和にとってヴィッセルのプレスは注意すべきものではあるが、スコルジャ監督はシンプルな対応策を準備していた。そのため浦和の守備陣にとってプレーしやすさがあったことは事実だろう。
次に2つ目のポイントだが、これは右サイドの連携だ。これは1つ目、そして3つ目のポイントとも密接に関係している。この試合で右サイドはサイドバックに酒井高徳、右ウイングにエリキという並びでスタートした。繰り返しになるが、ヴィッセルは基本的に高い位置からボールを奪いにいくのが基本的なプランだ。これを受けてエリキは積極的に前に上がっていったのだが、これが単騎での勝負になるケースもある。そしてこの時が浦和の反撃のタイミングでもあった。
ご存じのように、エリキは前に出る力のある選手だ。そしてこのエリキの背後を埋めるのが酒井なのだが、この両者が近い距離でプレーすることができている時は、その攻撃力が発揮される。問題は前記したように、エリキが単騎で仕掛けた場合だ。エリキと酒井の間には広大なスペースが生まれる。基本的には、このスペースは酒井が1人で管理することが多いのだが、さすがの酒井でも埋めきれない場面はある。これまでそうした際には、右インサイドハーフの井手口陽介がそこをフォローしていた。しかし今は井手口が戦列を離れているため、そのスペースがヴィッセルにとっての懸案事項となっている。この試合で右インサイドハーフに入った鍬先祐弥が、井手口と同じようにフォローする場面は多かったが、鍬先は扇原の脇のスペースを埋める場面も多かった。
ここでポイントとなったのはエリキに対峙した、浦和の左サイドバックの萩原拓也だった。エリキを主語にした場合、この萩原を突破することができればチャンスの創出につながったのだが、多くの場面で萩原の身体を張った守備に行く手を阻まれた。

ここからは3つ目のポイントになるのだが、ヴィッセルの右サイドは浦和の攻撃の起点となっていた。前記したようにエリキと酒井の間にスペースがある中で萩原がボールを奪った際は、浦和の左センターバックとしてJ1リーグ戦初先発を果たしたルーキーの根本健太がヴィッセルの左サイドを狙った対角のボールを蹴っていった。酒井がエリキの後ろから詰めている場合は、根本もボールを失わないことを優先し、無理に蹴ることはなかった。このヴィッセルの右サイドを起点とした攻撃は、4つ目のポイントと関係している。
この試合でキーマンとなっていたのは根本だった。ダニーロ ボザの出場停止によって先発起用された根本だったが、敵ながら天晴れのプレーを見せた。ルーキーらしい思い切りのいいプレーで、大迫や武藤嘉紀、エリキ、宮代大聖という高い能力を持つ選手に対しても、臆することなく立ち向かった。同時にセンターバックコンビを組むマリウス ホイブラーテンとのチャレンジ&カバーを忠実に行い続けることで、ヴィッセルの攻撃を抑えきった。そしてこの根本の特徴である精度の高いキックで対角にボールを出し、局面を反転させていった。この根本のプレーに対してスコルジャ監督は「今後は出場機会を増やしていく」と、試合後に明言するほどの高い評価を与えていた。
次に4つ目のポイントだが、これは根本からのボールを受けた右サイドハーフの金子拓郎の動きだった。金子は右サイドでボールを受け、そこから縦への突破や、あるいは中に切れ込む動きなど、自由に動き続けた。ここでの狙いは永戸勝也だった。ここを狙いとした理由だが、これは永戸の前進を阻むためだろう。
ヴィッセルにおける永戸は、サイド攻撃に際しての軸となる選手だ。現在のJ1リーグの中で最もサイドからのクロスが多いヴィッセルにとっては、欠くことのできない選手でもある。スコルジャ監督は永戸が高い位置から放つクロスを警戒していたからこそ、永戸を狙わせ続けたのではないだろうか。ここで金子に課されていた役割は、永戸の体力を削ることだったように思う。ボールを足の外側に置くことができる金子は、相手に寄せられても、時間を作ることができる。この金子に対して、永戸はその動きを制限するように対処を続けていた。時には同サイドのセンターバックである本多勇喜とのコンビネーションで追い込み、金子を抑え続けた。金子にとっては、ここを突破してチャンスを創出できればベストだが、それが無理であっても仕掛け続けることで、永戸を動かし続け、その体力を削っていくことができれば、目的は達成されたことになる。
本来であれば永戸は90分間のハードワークに十分に堪えうる選手であることを、これまでの試合で証明してきた。しかしこの日の試合では、60分頃から動きは低下していたように見えた。そこには中2日という超過密日程に因る疲労も影響していたのだろう。執拗に狙われ続けたことで、時間経過とともに永戸の体力は削られていった。これこそがスコルジャ監督の狙いだったように思う。

この永戸の箇所を狙う上では、もう1つの仕掛けも為されていた。それは浦和の前線でワントップを務めたイサーク キーセ テリンの使い方だ。そしてこれが、この試合における5つ目のポイントだった。
スウェーデン代表経験もあるテリンの身長は190cm。この長身を活かすため、テリンは本多のサイドに立つ時間が長かった。本多の身長は172cm。テリンとは20cm近い差がある。さらに言えば永戸も本多と同じ172cmだ。このサイドにテリンを立たせるのは、至極当然と言うべきかもしれない。前記したようにトゥーレルが出場停止となっていたこの日の試合は、テリンにとっては戦いやすい環境が整っていたとも言える。
しかしヴィッセルのサポーターであれば誰もが知るように、本多には並外れた跳躍力がある。加えて本多は絶妙のタイミングで跳ぶことができる。これまでにも自分よりも明らかに大きな選手に対して競り負けることがなかったのは、その跳躍力とそれを活かすための「跳ぶ技術」があったためだ。実際にこの試合の中でも高さでテリンに引けを取る場面はほぼ見られなかった。スコルジャ監督が、この本多の特徴を知らなかったとは思えない。それでもなお、ここに当ててきたのは、2つの効果が期待できると判断したからではないだろうか。1つは跳び続けることに因る本多の疲労。そしてもう1つは永戸と本多に高さという課題を提示することで、プレーし難さを与えることだ。
これに対して吉田監督には1つの選択肢があったように思う。それは岩波拓也の起用だ。本多と比較した時、岩波には高さとキックという2つの武器がある。もしセンターバックが岩波と山川のコンビであれば、テリンの立ち位置は変わっていたのかもしれない。そうであれば永戸も守備に割く力の一部を攻撃にまわすことができたのではないだろうか。念のために断っておくと、これは本多と岩波の優劣の話ではない。単純に相手の狙いを外すための策だ。そしてもう一点、岩波には正確なロングフィードという武器がある。サイドに張り出したウイングを活かすということを考えた場合、岩波のキックには期待ができる。相手との相性という視座に立った時、岩波を起用する価値は十分にあった試合だったように思う。

ここでキックの効果について、付記しておく。
この試合では両チームの守備陣におけるキック精度の違いが、戦いに影響を与えたように思う。前記したように浦和ではGKの西川、そしてセンターバックの根本が、低く速いボールを積極的に蹴り入れてきた。中でも西川のキックは精度が高く、ヴィッセルがアタッキングサードまで運び、作り出した局面を簡単に反転させ続けた。これによってヴィッセルの選手は上下動を余儀なくされた。加えて超過密日程の影響もあり、時間経過とともにスピードが落ちていったように見えた。
ヴィッセルの守護神であるGKの前川黛也は、そのセーブ技術においては日本人選手の中で上位に位置するものを持っている。この日の試合でも決定的な場面でのシュートセーブを見せたように、その存在は何度もチームを助けてきた。しかしキックについては、まだ改善の余地が残されている。この日西川が見せたように、GKからのキックで試合を作ることができるようになれば、ヴィッセルの攻撃には新たな幅が生まれる。
そして最後の6つ目のポイントだが、それは選手起用の順番だ。この試合に際して吉田監督は、早い段階での勝負を選択したのではないだろうか。それは選手の疲労を考慮した場合、十分に理解できる戦い方だった。浦和よりも先に得点を挙げ、それを粘り強く守っていくというプランそのものは間違っていなかったように思う。そのため大迫、武藤、エリキ、宮代を先発で同時起用したのだとは思うが、全体の疲労度が高い中で、この攻撃における軸とも言うべき選手たちを一気に使ってしまうことはリスキーだったのではないだろうか。
この試合では前半に相手との接触があった影響かもしれないが、大迫が前半のみで退き、66分には宮代とエリキも交代となった。結果的に武藤のみがフル出場を果たしたのだが、前線における攻撃の質は、パスワークも含め、選手が変わるたびに低下したように思う。これは変わって出た選手に問題があるわけではなく、戦力分布の問題だ。ヴィッセルの選手たちは得点を奪うために、全ての選手が残る体力を振り絞り戦い抜いていたが、交代を繰り返す中でパワーが落ちていった感は否めない。選手の疲労度が高くないのであれば、これでも良かったように思うが、チーム全体に疲労が蓄積されていることを考慮すれば、戦力を均一化しておく戦い方の方が良かったように思う。
ここまで筆者が感じた6つのポイントについて見てきたが、結局のところ、蓄積された疲労が試合に大きな影響を与えた感は否めない。直近の試合だけを見れば4連戦ではあったが、今季のヴィッセルはリーグ戦開幕前のスーパーカップを含め8連戦からスタートしたように、超過密日程下での戦いを続けてきた。コーチ陣やスタッフは、コンディション管理に力を尽くしているが、それにも限界はある。シーズン終盤のここに来て、蓄積された連戦の疲れが出たとしても、それは無理ないことであるように思う。
その疲労を強く感じたのが、宮代のプレーだった。この試合では先制するチャンスとなったPKを外したこともあり、試合後には「自分のせい」と、自らを責めるような言葉を発していた宮代だが、動きがどこか重そうに見えたのは疲労の影響ではないだろうか。3日前に行われたメルボルンとの試合にも途中出場した宮代だが、そこでも30分近くプレーしていたことを思えば、これはやむを得ない。そしてその疲労は判断力にも影響を与える。それを象徴していたのがPKのシーンだ。ここで宮代が蹴ったボールは、ゴール左下を狙った鋭い弾道ではあったが、相手GKは最初から分かっていたかのように、ドンピシャでこれに合わせて、失点を防いだ。思えば昨季の浦和戦でも宮代は西川にPKを止められているのだが、その時に狙ったコースもゴール左下であったように記憶している。このキックについて宮代は「蹴るコースは決めていた」と試合後に明かしたが、蹴る際に助走の速度を変えるなどの方法で相手を先に動かす工夫はあっても良かったように思う。これらを全て疲労のせいと片付けてしまうのは乱暴であるとは承知しているが、疲労に起因する判断力の低下もPK失敗の一因であったように思えてしまう。
スコルジャ監督はそんなヴィッセルの状態を把握した上で、ヴィッセルの戦い方を研究し、この日の戦い方を策定していたように感じた。試合後のコメントからも、ヴィッセルに対する強いリスペクトは感じられたが、ヴィッセルの選手の特徴を分析し、その中で自チームの特徴を活かすような戦い方を見せていた。その象徴が47分の得点シーンだ。
右コーナーよりも手前からのフリーキックの際、テリンを少し控えた箇所に立たせ、前に入った選手には、ボールに合わせて跳んだヴィッセルの選手たちをブロックさせた。その上でテリンを遅れてそこに飛び込ませたことで、テリンは十分な体勢で頭に当てることができた。テリンのJリーグ初得点となったこのやり方は、決して珍しいものではない。むしろゴール前で高さを活かす方法としては、オーソドックスな部類に入るだろう。しかしこれがペナルティエリア内をゾーンで守るヴィッセルにとっては有効だったのだ。

ではこの試合はどのように戦うべきだったのだろう。1つには前線からのプレスを弱めることが有効な手段だったように思う。
吉田監督が試合後に語ったように、前線のプレスから複数回カウンターチャンスが生まれていたことは事実だ。しかし浦和がそれを想定した戦い方を見せていた以上、全体をミドルゾーンまで下げ、浦和にボールを持たせるという選択肢もあったように思う。浦和の攻撃はシンプルではあったが、全てヴィッセルが前に出てくることを前提として用意されたプランだったためだ。ここでボールを押し付ける戦いができていれば、試合の流れは異なるものになった可能性がある。
ヴィッセルの戦い方において最も重要なのは、前後の距離感だ。これをコンパクトに保つことで、セカンドボールの回収率を高めるのが、攻撃に連続性をもたらす上での鍵となっている。チーム全体が疲労している今の状況下では、試合の流れの中で全体が間延びしてしまう時間帯はどうしても出てくる。そして前線からのプレスは、それを誘発するきっかけともなりかねない。この試合で攻撃に連続性が持たせられなかった原因の1つは浦和の素早い蹴り返しにあったわけだが、これを無効化するためにも、全体の距離を保ちやすく、上下動を減らす戦い方を優先すべきだったのではないだろうか。
これが冒頭で書いたように、この試合の戦い方が「間違いではないが、正解でもない」と感じた理由だ。
またもう1点付記すると、最終ラインからの脱出に時間を要していたことも、ヴィッセルの戦いを難しいものとしたように思う。これは以前から顕在化している問題点だが、最終ラインからのビルドアップを試みる中で、ヴィッセルはGKと最終ラインの間でのパス交換が多い。そこからボールを動かしながらチーム全体で上がっていくのならばともかく、ミドルサードからは長いボールで前線を走らせることが多いだけに、ここに時間をかけることは得策ではないように思う。
本来であればビルドアップの技術を高めなければならないのだろうが、最早そういうことを言っている時期ではないだけに、今はテンポや着弾点の変更という目先の変化によって問題解決を図るのが正しい対応であるように思う。
この試合の結果、ヴィッセルは順位を4位に落とした。この原稿を書いている時点では、まだ鹿島が試合を終えていないため、順位は確定していないが、最悪のケースでは勝点差は7にまで広がる。ヴィッセルの目標である3連覇には黄色信号が灯ったと言わざるを得ない状況だ。こうした状況下では、ライバルの勝敗を見て戦うことは下策だろう。今のヴィッセルに残されているのは、リーグ戦残り5試合を全て勝利することだけだ。「人事を尽くして天命を待つ」ではないが、相対的なものである順位に囚われることなく、目の前の試合に集中して戦う他ない。そしてこれこそが、吉田監督が「らしさ」を発揮する局面であるように思う。吉田監督は決して巧みに言葉を操るわけではないが、実直な物言いで人の心を動かすことができる人物だ。その特徴は現役時代にも、こうした苦しい場面でこそ力を発揮していた。幸いにも次節までには2週間近く空く。試合後に吉田監督が明言したように、まずは疲労回復に全力を尽くしてほしい。そして悔しさを抱えている選手たちの心をまとめ、残る5試合に全てをぶつけられるようにチームをまとめなおし、導いてほしい。それこそが試合直後、悔しさを押し殺し、選手たちにありったけの声でエールを送っていたヴィッセルサポーターに応える唯一の方法だ。
残るリーグ戦5試合では「日本一諦めの悪いチーム」らしい戦いを見せてくれるものと確信している。そこにこそ奇跡への道がある。「奇跡を起こすのは神ではなく人である」ということを、ヴィッセル史上最高の選手たちが証明してくれることを固く信じている。

