この日の試合でも好セーブを連発したGKの前川黛也は、試合後に「前節での負け方が特によくなかっただけに、この試合で勝利してチームを調子づかせたかった」とコメントした。その上で「最後、あのような形で負けてしまいましたが、今日は全体を通して防げたところもありますし、チャンスも多く作れていたので、マイナスばかりではないと思います」と、試合を振り返った。確かにこの日のヴィッセルは、決して悪い出来ではなかった。これは吉田孝行監督の感想でもある。吉田監督は「やらなければならないことを、選手たちはやっていた」と評価した。そして「これを続けるのが大事だと感じたゲームでした」と試合を総括した。
前節が「やるべきことをやらなかった結果の敗戦」であるとすれば、この日の試合は「やるべきことをやったが勝てなかった試合」と言うことはできるだろう。しかしここでいう「やるべきこと」というのは、ヴィッセルの戦い方の基本である「攻撃的な守備」や「素早い攻守の切り替え」、そして「球際の強さ」といったことであり、得点を奪うための具体的な方策については、やや足りなかったように感じている。

戦いを振り返る上では「戦いにおける3つの要素」を重視するという考え方がある。3つの要素とは「力」、「時間」、「空間」だ。「力」が勝敗を決めるのだが、その「力」は「時間」と「空間」の影響を受け、それによって変化していくというのが、その考え方の基本となる。これを理解するための解りやすい例を1つ挙げるなら、それは「関ケ原の戦い」ということになるだろう。
徳川家康率いる東軍と石田三成が事実上指揮を執る西軍の対決は、日本史上最大規模の合戦として名高い。この戦いについては一次史料が乏しいため、二次史料を参考とする他ないのだが、それに拠れば両軍の兵力は東軍の約7万に対して、西軍は約8万だったとされている。午前5時頃の着陣を終えた時点では西軍の方が「力」において勝っていたことになる。午前8時頃に始まったと言われるこの戦いの序盤は西軍が優位に立っていた。しかし西軍には様子見を決め込んでいた武将も多く、時間経過とともに東軍がやや優勢に変わった。そして正午頃、小早川秀秋の部隊が西軍に襲い掛かったところで、形成は完全に逆転した。そして午後1時頃には西軍は潰走。午後3時には東軍が戦勝を祝ったとされている。
これを前記した「戦いにおける3つの要素」に当て嵌めるならば、「時間」の経過が東軍には有利に働いたということになる。もし時間をかけることなく、序盤に西軍が一気に攻め切ることができていれば、勝敗は異なるものになっていた可能性が高い。そして「空間」だが、これは西軍が関ケ原以外の場所に兵力を割いていたことが影響した。大津城攻めや丹後田辺城攻めという別の場所での戦いに赴いていた兵力は、決戦当日に間に合わなかったのだ。これは東軍の視座に立てば、敵の戦力を分散させる策が奏功したと言える。このように「力」は直接対峙する相手との関係のみならず、「時間」や「空間」の中で相対化される。
これをこの日の試合に当て嵌めてみる。前半25分頃まで、試合の主導権を握っていたのはヴィッセルだった。ヴィッセルは高い位置でのボール奪取からショートカウンターでFC東京陣内に何度も攻め入っていた。しかし時間経過とともに、試合の図式は「崩しきれないヴィッセル」と「守りの堅いFC東京」へと変化していった。その中でFC東京がカウンターを見せる場面が増えていった。最前線に立つマルセロ ヒアンの縦の動きが、ヴィッセルを押し返す場面が増えていったのだ。FC東京の攻撃そのものは、前川の好セーブもあり、得点とはならなかったものの、試合の主導権は宙に浮く格好となった。
ここが勝負の分かれ目だったように思う。ヴィッセルにとっては、主導権を握っていた試合序盤に何としても先制点を挙げることが重要だったのだ。ここで先制点を奪うことに成功していれば、FC東京はカウンター狙いに徹することが難しくなった。そうなった時、初めてヴィッセルの特徴である「前からのプレス」が効果を発揮し、主導権を握ったまま、試合を進めることができたはずだ。
そう考えた時、この日の戦い方を続けていくことへの一抹の不安が残ることは事実だ。前節もそうだったが、試合序盤に相手を押し込みながらも、そこで得点を奪えなかったことが、勝敗を左右しているように感じてしまうためだ。今回の項ではそうした視点から、この先、ヴィッセルが身につけるべき戦い方について考えてみる。
昨日配信した速報版の中で、この日の試合には3つのポイントがあったと書いた。それは「ゴール前での崩し方」、「裏を狙う相手への対応」、そして「不可解な判定との戦い」だ。以下でこれらについて考えてみる。
まずは「ゴール前の崩し方」だ。この日の試合は、序盤の押し込んでいる時間帯に得点を奪うことができず、その後、カウンターに苦しめられたという流れにおいて、前節と同じ構造だったことは前記した通りだ。そしてこの序盤の押し込んでいる時間帯に、アタッキングサードで決定的な形が作れなかったという点においても、似た印象がある。異なっているのは、前節はバランスを崩したまま戦っていたのに対し、今節ではピッチ上でのバランスは取れていたという点だ。
この日の試合では、ヴィッセルは全体をコンパクトに保ったまま戦うことができていた。これは前節での反省を踏まえ、4日間という短い時間の中でポジショニングを見直した結果だろう。キックオフ直後には落ち着かなかったボールも、時間経過とともにヴィッセルが握る場面が増えていった。そしてその中でアタッキングサードまではボールを運ぶことができているのだが、そこからの崩しが見られなかった。その原因は複数あるが、1つにはペナルティエリアの中にボールを持ち込む回数が少なかったことが挙げられる。3バックで守るFC東京は、3枚のセンターバックがペナルティエリアの中を固めてきた。時にはそこにボランチの2枚が加わる格好で低い位置にブロックを形成していたのだが、これに対してヴィッセルは、ペナルティエリアの外からボールを差し込もうとする動きが目立った。好調を維持している宮代大聖は密集の中でも形を作ることができていたが、それでもペナルティエリアの中を先に固めたFC東京の守備陣の優位性を崩すには至らなかった。宮代を起点として、背後から走りこんだエリキがシュートを放つ場面もあったが、これもゴールを脅かすまでには至らなかった。
ここで考えるべきは、ヴィッセルが強さを発揮していた試合との差異だ。それを考えると、大きな差異は3点ある。
1つは武藤嘉紀の存在だ。この試合でもベンチ外となっていた武藤だが、出場した試合の多くでは武藤がペナルティエリアの中に自らボールを持って切れ込むシーンが目立っていた。武藤のドリブルはパワフルであり、守りを固めた相手に寄せられたとしても、そこでボールを握り続け、前進することができる。これがペナルティエリアの中を固めた相手の守備を崩してきた。そうして生まれたスペースの中で、大迫勇也や宮代、佐々木大樹といった選手が躍動し、得点を積み重ねてきた。
2つ目は大迫の存在だ。この試合でも途中出場となった大迫だが、コンディションが万全でないことは傍目にも明らかだ。それでも低い位置に落ちて、ボールを動かしていく技術を発揮する点は見事としか言いようがないが、こと攻撃においては、大迫らしい強さはまだ戻ってきていない。ヴィッセルにとって大迫はゴール前での決定機を作り出すだけでなく、ボールが行き詰った時の避難場所でもある。高さだけではなく、卓越した足もとの技術を持っているため、「とりあえず大迫に預ける」ことで、局面を打開することができていたのだ。
そして3つ目は左サイドからの攻撃の形だ。昨季の左サイドには、初瀬亮(シェフィールド・ウェンズデイFC)が不動のサイドバックとして存在していた。その初瀬から対角に大きな展開を作り出す場面が多かった。また初瀬が左サイドを駆け上がって、クロスを放つ場面も多かった。両足から精度の高いボールを蹴ることのできる初瀬は、サイドで相手との1対1を迎えたとしても、相手の身体に角度さえつければ、空いた側からボールを入れることができた。
この3つの差異は、いずれも「人」だ。こうした差異が攻撃の迫力に影響しているということは、ヴィッセルのサッカーは「人」の存在に依拠していることの証明でもある。こうした話になると、「人に依存したサッカー」を批判的に語る評論家もいるが、それは違うと思う。どんなチームであっても、選手の個性を組み入れた戦術を作らなければ、力を発揮することはできない。その意味では世界中全てのチームの戦い方が「人に依存したサッカー」とも言える。ここで問題とすべきは、人が変わった中での戦い方の有無だ。ヴィッセルについて言えば、アタッキングサードでの攻撃方法が、人の変更に伴っていないように思う。それが押し込んでいる時間帯に崩しきれない原因なのではないだろうか。

この日の試合における3トップは、右からエリキ、佐々木、汰木康也という並びだった。インサイドハーフは右に井手口陽介、左に宮代の2枚。そして背後から彼らを押し上げるアンカーには扇原貴宏が入った。アタッキングサードでの起点は佐々木が担っていた。
ここで問題となるのはエリキのポジショニングだ。典型的なアタッカーであるエリキは、ボールの近くでプレーしたいタイプの選手だ。そのため自らのポジションを空けてでも、ボールの近くに寄っていく傾向がある。他の選手も高いボールスキルを持っているため、結果としてペナルティエリア外でのボール奪取は巧くいくのだが、バランスが崩れているため、起点ができた時、ペナルティエリアの中での人数が足りていない。単純に言ってしまえば3枚で守る相手に対して1枚ないし2枚で攻める形になってしまっていた。ヴィッセルのフォーメーションを活かすのであれば、前線の3枚を上辺とした逆三角形を保ちながら押し込んでいきたいところではあったが、この形が保たれていなかった。
今のヴィッセルにおいて、決定的な仕事ができる選手がエリキであることは間違いない。前への推進力や常にゴールを狙う姿勢は、大迫と武藤が万全ではない今のヴィッセルにおける生命線とも言える。しかしそのエリキを活かすためにも、全体の形を整えておくことは絶対に必要なはずだ。この日の試合について言えば、FC東京を率いる松橋力蔵監督をして「前半はダメダメだった」と言わしめつつも、相手GKが慌てるような場面はほぼ見られなかった。それはペナルティエリアの中での配置に余裕があったためであり、唯一得点の可能性を感じたのは、宮代が巧くシュートコースを見つけた場面だけだった。
繰り返しになるが、大迫や武藤が万全であれば、多少ポジショニングが崩れていたとしても、彼らがそのギャップを吸収してくれる。しかし彼らが万全でない今、ヴィッセルが以前と同じ戦いを続ける意味は薄い。

攻撃に関して一点付記すると、ポジショニングの崩れは左ウイングの汰木の存在を無効化してしまう。この試合で吉田監督が左ウイングに汰木、左サイドバックに広瀬陸斗という配置を採用した理由は、左サイドをオープンなものにしないためだったように思う。そもそもヴィッセルは右サイドバックの酒井高徳を高い位置に上げた「右上がり」の形を取ることが多く、左サイドはその分低くなる。前記したように、昨季までは初瀬がこのサイドにいたため、低い位置からでも対角のロングボールを駆使して攻撃を組み立てることができた。しかし初瀬が海外移籍した今、左サイドは短いパスを使いながら、相手をかわしていく形が主となっている。汰木と広瀬に佐々木や宮代が加わることで、密集の中で相手をかわすことはできていたのだが、相手の背後を取るような動きは多くなかった。エリキが動きすぎることに伴い、ちょっとした渋滞が発生してしまうため、汰木が前に出るスペースが作れないのだ。汰木はスピードで相手を振り切っていくようなタイプではない。どちらかと言えば、相手との1対1の中で、高いボールスキルを活かして前に出るタイプだ。そのため汰木を活かすためには、動くためのスペースが必要となる。しかし今はそうしたスペースを作り出せていない。
この攻撃時のポジショニングの問題は、2つ目のポイントである「裏を狙う相手への対応」にもつながる。この日の試合の様相が変わったのは、26分だった。センターバックの木村誠二が自陣深い位置から大きく蹴ったボールに対して、右ウイングバックの白井康介が走りこんだ。GKとの1対1を迎えた白井のシュートは前川の好セーブで事なきを得たが、このプレーがカウンターを狙うFC東京の戦い方を象徴していた。松橋監督はヴィッセルにボールを握られることを想定した上で、こうしたロングボールで裏を狙う形を準備していた。その上で2つの工夫を見せた。1つは両ウイングバックをサイドに張りつかせたことだ。白井と左ウイングバックの遠藤渓太はボールの保持、非保持に関係なく、タッチライン沿いにポジションを取る場面が多かった。これによってヴィッセルに押し込まれる中での「脱出口」となり、そのままヴィッセルの裏を狙うための先兵として位置付けていたのだろう。そしてもう1つの工夫は、ワントップのマルセロのポジショニングだ。マルセロの特徴を一言で言うならば「スピードとパワー」ということになるだろう。シュート技術を含むボール周りの技術については、特に高いという印象は受けなかったが、前を向いた時のスピードは脅威だった。松橋監督はこのマルセロのポジションを落とし、ヴィッセルのセンターバックとボランチに対しては2シャドーの俵積田晃太と佐藤恵充をぶつけた。この2シャドーはボールを失う場面も多かったが、彼らに課されていたのはヴィッセルの中央を固めるセンターバックとボランチの目を引き付けることにあった。これによってマルセロをフリーにして、そのスピードを活かすのが狙いだった。
このように松橋監督がヴィッセルの守備を崩すための仕掛けを考えた背景には、松橋監督自身の経験が活きていたためだろう。昨季は新潟を率いてヴィッセルと戦った松橋監督だが、対戦の中でヴィッセルのネガティブトランジションのスピードは体験していた。さらに高いボールスキルを持った選手が揃っていることも、十分に承知していた。それを崩すためには単純なスピード勝負で挑むのではなく、スピードが武器のマルセロを活かすための「死に役」を作る必要があるという考えだったのだろう。そしてそれを俵積田、佐藤というFC東京の攻撃をけん引する能力のある選手に担わせることで、効果を高めようとしたのだろう。要は飛車を捨てて玉を取りに行ったような格好だ。
このFC東京の攻撃を受け止める上で大事だったのは、FC東京のボール脱出口でもあったサイドへの蓋だった。吉田監督の志向するサッカーにおいては、攻撃と守備はシームレスでなければならない。ボール非保持に変わった瞬間、即時奪回を狙うことのできる状態を保っていることが求められる。しかし前段でも書いたように、ボール保持時にポジションが乱れているため、相手に対して攻め口を残してしまっていたのだ。エリキのいる右サイドは酒井が巧く複数の相手を見ながら対応していたものの、高い位置で相手の狙いを潰すという視座に立てば、決して褒められた状態ではなかった。全体が最適化されていなければ、ヴィッセルの特徴である「素早い攻守の切り替え」も、目の前の事態への対処という面が強くなってしまい、その効果は半減してしまう。さらにそれがFC東京のロングカウンターへの対処であったため、ヴィッセルの選手は上下動の距離が長くなり、ボール保持に変わった時、前に圧力をかける力も薄れてしまっていた。
ここまで見てきた2つのポイントを整理してみると、今のヴィッセルに必要なのは「今のメンバーに応じた戦い方の策定」であることが判る。吉田監督が言う「これを続けていくことが大事」というのは、チームの基礎である「攻撃的な守備」や「球際の強さ」だ。そしてそれを成り立たせるための要素こそが「正しいポジショニング」だ。こうした部分を整えた上で、今のメンバーで発揮できる最大値を考えることこそが、ここから巻き返すための条件でもある。
過去2シーズンに渡って、ヴィッセルのサッカーはJリーグを席巻した。その結果どのチームもヴィッセルの「前からのプレス」に対しては、それを回避するための方法を準備して試合に臨んでくるようになった。この日の試合でもFC東京の守備陣は、早めにウイングバックに蹴り出す場面が多かった。ボール非保持時に2トップを形成し、ファーストディフェンダーの役割を果たす佐々木と宮代は、これに対してプレスの開始位置を落としていた。これは正しい対応だが、相手ゴールとの距離は長くなる。そのためボールを奪取したとしても、それを前に運ぶ時間を使われ、相手の陣形は整ってしまっていた。であるならば、チーム全体で前に運びながら、少しずつ相手の守備位置を押し下げていくような工夫が必要だった。ヴィッセルの特徴であるスピード感のあるショートカウンターは、高い位置でのボール奪取があって、初めて効果を発揮する。このように全ての狙いには、その発動条件がある。この組み合わせと選手の特徴を考え併せれば、自ずと「やれること」は定まってくる。

最後にこの日の試合における3つ目のポイントである「不可解な判定との戦い」についても記しておく。この日の主審が見せた判定基準には一貫性が感じられなかった。試合後、吉田監督も判定基準が理解できなかったという意のことをやんわりと口にしていたが、指揮官のみならず、選手にとってもストレスフルな試合だったことは間違いないだろう。判定によって負けたとは全く思っていないが、観ている側の納得感としては極めて薄い試合となったことは間違いない。
特にFC東京のセンターバックであるエンリケ トレヴィザンに対する判定は不可解だった。32分に山川哲史が自陣から出した長いボールに対してエリキが抜け出したところで、背後を追走していたエンリケが転倒、エリキを背後から倒すような格好となった。この時、エリキは完全にFC東京の守備の裏を取っていたため、ヴィッセルにとっては大きなチャンスになると思われた。ヴィッセルにとっては好機を潰された格好だったが、これは単純なファウルと判定された。エンリケはエリキとの接触前、バランスを崩しており、意図的なプレーとは見なされなかったのだろう。しかしその後もエンリケは競り合いの中で何度も肘を使っており、後半には宮代が頭部を負傷した。しかしそのいずれもがカードの対象とはならなかった。既に試合序盤にエンリケにイエローカードを出していたことが影響したとは思いたくないが、不可解な判定だったことは間違いない。その一方で37分に酒井に出されたイエローカードは、悪質なプレーではなく、接触した位置を考えても、FC東京の好機を潰したというほどのプレーではなかった。このように最後まで判定基準は一定しないままだった印象が強い。
ここで問題としたいのは、マテウス トゥーレルが試合後に受けたイエローカードだ。審判に対する異議によるものだとは思うが、これは不要な行為だったと言わざるを得ない。判定に対してストレスフルであったことは、両チームの選手に等しく訪れた「不幸」であり、ヴィッセルだけが「被害者」というわけではない。さらにいえば判定は自らの力で変えることができないものであり、そこと戦う意味はない。守備の要であるトゥーレルが意識すべきは、如何にして不要な警告を受けないかであり、それこそがチームへの貢献でもある。トゥーレルの気持ちは理解できるが、そうした不満を抑え込むことも、プロとしては大事な要素だ。
これは以前にも書いたことがあるが、サッカーにおいてピッチ上には3つのチームがあると言われる。それは対戦する2チームと、審判団というチームだ。この3チームには「試合を円滑に進める」という共通した目的がある。その意味では、この3チームは協力関係にあるべきなのだ。
審判について触れる時、「大変な仕事を一生懸命やっている」という擁護論があるが、これはプロである審判に対する侮辱であると思う。大変な仕事を一生懸命やっているという点においては選手や監督・コーチも同等だ。先日広島を率いるミヒャエル・スキッベ監督が審判を批判したとして、ペナルティーを課されたが、審判もプロである以上、批判にさらされるのは当たり前だ。批判をさせないことが審判を守ることではないと思う。

この日の敗戦によって、ヴィッセルは上位陣との差を詰めることはできなかった。消化試合数が少ないこともあり、今はまだ順位を気にする必要はないが、自分たちの戦い方を貫いた結果の敗戦であったことは重く受け止めなければならない。前記したように、吉田監督の下で作り上げてきたサッカーのエッセンスは維持しつつも、戦い方に幅を持たせていくことは、全てのチームから対策されている今のヴィッセルにとって最も大事なことだ。次節までの1週間、吉田監督の手腕が試される。
次節はノエビアスタジアム神戸にG大阪を迎え撃つ。ダニエル ポヤトス監督体制も3年目を迎え、サッカーのスタイルが固まってきたG大阪は、能力の高い選手が多く名を連ねている強敵だ。この近隣のライバルとの戦いに勝利し、再びチームに勢いをもたらしてほしい。ヴィッセルにはそれができるだけの力は十分に備わっているはずだ。