覆面記者の目

YLC プライムラウンド 準々決勝 第2戦 vs.横浜FC ノエスタ(9/7 19:03)
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  • 大迫 勇也(84')
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ヴィッセルにとってJリーグYBCルヴァンカップ(以下ルヴァン杯)は、まだ手にしたことのない国内唯一のタイトルだ。今季は「J1リーグ3連覇」を含む「国内3冠」を目指して戦いを続けてきたが、またしてもルヴァン杯を掴むことはできなかった。
 これはサッカーに限ったことではないかもしれないが、シーズンで戦う競技においては「目の前の1試合も大きな流れの中にある」ということを、改めて思い知らされた試合となった。


 プライムラウンドに先だって行われたプレーオフラウンドにおいて、横浜FCは見事な勝利を挙げている。第1戦ではC大阪相手に4-1で敗戦を喫したものの、ホームに戻った第2戦では4-0と完勝し、勢いをもってプライムラウンドに乗り込んできた。そして4日前に行われた第1戦においてヴィッセルは0-2で敗北を喫した。この試合の前後、横浜FCを率いる三浦文丈監督、そして選手たちからはヴィッセルに対する恐れはそれほど感じられなかった。誤解されないように言っておくと、これはヴィッセルに対するリスペクトを欠いていたという意味ではない。ヴィッセルに対しては「Jリーグの中でも際立って強いチーム」という認識を三浦監督・選手ともに示していた。しかし8月に行われたJ1リーグ第26節において0-1でヴィッセルを破ったという実績が、彼らに「ヴィッセル相手でも戦える」という自信を与えたのだろう。そしてこの日の試合だ。試合前日に三浦監督は「ヴィッセルは強いパワーを持って試合に入ってくると思う」とした上で、メンタル面での準備が重要だとコメントした。また第1戦で3センターバックの中央に入っていた山﨑浩介は、ヴィッセルのホームゲームに対する気持ちを聞かれた際に「(リーグ戦で)勝利できている自信というのはあるので、アウェイですけど強気に行けると思います」と答えている。
 結局のところ、このプライムラウンドの2試合に横浜FCは「勢いと自信」をもって臨むことができており、ヴィッセルは不覚にも自身が与えてしまったその「勢いと自信」に飲み込まれてしまったと言えるのかもしれない。

 今季のルヴァン杯はこの日の試合で終わってしまったが、ヴィッセルにはまだ大きな目標が複数ある。そして、それらを確実につかみ取っていくためのヒントが、この横浜FCとの2試合では見つかったように思う。ルヴァン杯を「終わったこと」と処理し、次に気持ちを向けることも重要だが、ここで顕在化した問題に向き合い、その解決を図ることも同様に重要だ。ひょっとすると問題点を整理し、ルヴァン杯敗退という結果を戒めとすることこそが、次の大きな流れをつかむためには必要なのかもしれない。そう考えれば、この日の試合を振り返ることにも意味を見出すことができる。

 とはいえこの日の試合は事実上、前半25分の時点でほぼ終了してしまった。
 第1戦の結果を受け、この日の試合では3得点以上が必要だったヴィッセルに対し、横浜FCはリードを守り切ることが命題となっていた。いかにヴィッセルの選手たちが技量に優れているとはいえ、守ることに徹する相手から3点を奪うというのは相当なハードミッションだ。しかも2試合の合計得点によって最終的な勝敗が決するため、失点は許されない。こうした難しい状況下であるにもかかわらず、早い時間の退場処分によって1人少なくなるという事態は、この試合の難易度を数段階引き上げた。
 それでもアディショナルタイムを含めれば70分以上の時間を10人でプレーし、この日の試合には勝利したという事実を前にした時、この試合を戦った選手たちには拍手を送らざるを得ない。特に試合最終盤になってなお、ゴールを狙い続けた大迫勇也、酒井高徳、井手口陽介、エリキといった選手たちが見せた奮闘振りは見事だった。チャンピオンチームとしての意地もあったとは思うが、様々な場面で「闘う姿勢とは何か」ということを、彼らは全身で表現していた。しかし、残念ながら、長い時間、前線には1人だけを残し、GKを含めた10人で守る姿勢を貫いた横浜FCの守りを崩しきるまでには至らなかった。エリキと武藤嘉紀に訪れたビッグチャンスをそれぞれが決めていれば、結果は異なるものになっていた可能性は残るが、それも含めて今季のルヴァン杯だったと考える他ないだろう。

 この試合でヴィッセルは、数的不利を覆すためにバランスを崩して戦うことを余儀なくされたため、本来の強さを発揮することはできなかった。横浜FCのアカデミー出身である18歳の前田勘太朗は「色々と課題が見えた試合ではありました」と前置きした上で、この試合では「思ったほどには圧倒されなかったと感じています」という感想を口にした。前田自身は「自分の力量を思い知らされるような試合になる」と覚悟していたというが、実際にはそこまでヴィッセルの力を感じる場面はなかったようだ。1人少ない中で失点のリスクを消しながら得点を奪いにいくという、あたかもアクセルとブレーキを同時に踏みながら走るかのような戦いを強いられたことで、局面単位でもヴィッセルの選手には大きな負荷がかかっていた。


 試合後に酒井はこの日の試合について「やれることはやったと思う」としつつも、トーナメントである以上、敗退したという結果が全てと、悔しさを押し隠しつつも、敗北を潔く受け入れていた。そして横浜FCとの2試合で顕在化した問題点についても明確に指摘した。その問題点を一言で言うならば「チームとしての厚みが不足している」ということになるだろう。酒井は「昨季はリーグ戦も任せられるような層の厚さがあった」とした上で、チーム全体の質を上げる必要性に言及した。闘将が発したこの言葉は正鵠を射ている。

 この酒井の言葉を裏付けるシーンが、この日の試合でも見られた。試合終盤、酒井が左センターバックに入るという緊急事態の中、残り時間を守り切りたい横浜FCは、それまで以上に重心を後ろに置いていた。その中でヴィッセルは、試合途中から右センターバックとして投入された飯野七聖のクロスを大迫が頭で合わせ、84分にこの日の試合における先制点を奪った。このエースのゴールは、チームに勢いをもたらした。あと1点を奪うことができれば、2試合合計をドローに持ち込むことができる。その希望が、一時的にカンフル剤の役割を果たし、ヴィッセルの選手の足を前に動かした。この時間帯には酒井がハーフウェーライン近くまで進出することができており、ヴィッセルは相手陣内でボールを動かすことができていた。さらにこの時間帯は横浜FCに足を攣る選手が続出していた。ヴィッセルにとっては、横浜FCの守備ブロックに緩みができた時間帯でもあった。これを見た酒井と試合途中からボランチに入っていた扇原は、前への選択肢を優先しながらボールを動かしていた。残り時間はアディショナルタイムを含めても10分程度であったため、彼らは今が「リスクを負ってでも前に出る時間」という認識を持っていたのだろう。
 しかし残念なことに、この意識がチーム全体には共有されていなかったように見えた。

 こうした流れの中で目立ってしまったのが、80分から左サイドハーフに入った山内翔だった。第1戦ではアンカーとして先発したものの、チームに勝利をもたらすことができなかった山内が、この試合に相当な決意をもって入っていたことは間違いない。事実、左サイドから相手守備ラインの裏を狙うボールを蹴るなど、「得点を奪う」という意思は他の選手たちと同様に持っていた。しかしこの時間帯に必要だったものが、もう1つあった。それは前記した「闘う姿勢」だ。象徴的なのは82分のシーンだ。ハーフスペースに立ち、ミドルサードの出口付近まで進出した酒井は、左タッチライン際に流れていた扇原にパスを出した。この時、山内は左ペナルティエリア角にポジションを取っていた。山内は扇原とアイコンタクトを取った上で、左の深い位置に抜けながらボールを受けようとした。山内は扇原が出したボールに足を伸ばしたが、これは意思疎通を欠いていたため、山内の爪先にかすったような格好となり、ボールはゴールライン方向に転がっていった。当然、山内はこれを追ったが、相手選手も山内に拾わせまいとボールへアプローチしてきた。すると山内はゴールラインより2mほど手前で走るスピードを緩め、そのボールを諦めてしまったのだ。そのため、相手選手はこのボールを守り切ってしまった。これは平常時であれば、それほど問題となるようなプレーではないかもしれない。実際、山内が全力で追い続けたとしても、ボールを拾うことのできる可能性は五分もなかったかもしれない。しかしこの状況は、そうした平時のプレーが許される状況ではなかったように思う。難しい状況であっても、最後までボールを追う姿勢を見せる必要があった。走り切っていれば寄せてきた相手にボールを当てて、CKが取れていた可能性も残されていた。例えボールを拾うことができなかったとしても、そうした諦めないプレーが、この試合の最終盤では重要だったように思う。
 また山内はサイドでボールを受ける際に、身体は中に向けているのだが、パスコースがないと判断した時点でボールを下げるシーンが散見された。これも前記したシーンと同様だ。山内が投入された80分という時間は、前記したように横浜FCの選手の疲労が明らかになっていた。ここでヴィッセルが優先的に追及すべきは、前線の大迫にボールを届けることだった。そう考えれば、山内に求められていたことは明確だ。それは自身が前に出ることで相手選手を引っ張り出し、高質なボールを配球できる酒井や扇原の前にスペースを作り出すことだ。だからこそ、こうした場面で山内にはリスクを負ってでも、前に出る姿勢を見せてほしかった。
 過去に何度か書いたことだが、山内は将来的に「司令塔」としての活躍を期待されている。そして山内は、それに値するだけの能力を持っている。しかし今は、思い通りにプレーできていた学生時代とは異なり、強度の高い相手との対峙に苦しんでいる。ルーキーイヤーだった昨季の序盤は「怖いもの知らず」でプレーできていた面もあったように思うが、プロの怖さ(強度・スピード)を知った今だからこそ、苦しんでいるのかもしれない。しかし今、山内が直面している壁を破ることができるのは自分自身でしかない。思うような結果はまだ残せていないが、それでも筆者は山内の将来については楽観視している。それは、山内が今の自分の立ち位置を冷静に見ることのできる「頭脳」を持っているためだ。これまで多くの「期待のJリーガー」を見てきたが、この「頭脳」を持っている選手は極めて少数だった。多くの選手が、自分の理想と現実のギャップの正体がつかめずに消えていった。そんな選手たちも努力はしていた。しかし自分の立ち位置を認識することのないままに技術だけを磨こうとしたため、徒労に終わってしまったように思う。それは現在地が判らないままに旅をしているようなものだ。山内には、この試合で酒井や扇原が見せた姿を忘れずに鍛錬を続けてほしい。そこには、山内に不足しているものが詰まっている。


 ここまで山内に対して厳しく指弾するような格好になってしまったが、これは他の「控え選手」についても言えることだ。厳しい言い方を敢えてすると、ここまで出場機会を得た天皇杯を含めても、J3リーグやJ2リーグ所属のクラブ、あるいは大学生といった「格下」の相手に対して、自分たちの強さを見せつけることはできなかった。多くの試合で対戦相手の選手たちが「ヴィッセルの選手は巧いと思ったが、怖いとは思わなかった」という意味の言葉を口にしていたことが、それを証明している。これは横浜FCとの初戦後にも書いたことだが、その理由の1つは「主力組」と同じプレーをトレースしてしまった結果であるように思う。「主力組」のサッカーを成立させるためには大迫の高さと巧さ、武藤の強さと速さ、井手口のスタミナ、扇原の視野とセンス、酒井の頭脳と迫力など、個々の選手の特徴と同じものが必要になる。異なる人間がプレーするのだから、それは無理というものだ。やはり各選手が自分の個性を把握し、それをどのようにピッチの中で発揮するかという点から戦い方は考えられるべきだ。
 そうした意味では、吉田監督も新しいステージに歩を進める時に差し掛かっているのかもしれない。ここまで吉田監督が作り上げたサッカーのエッセンスを改めて抽出し、その中で「主力組」以外の選手がそれぞれの特徴を発揮できる戦い方を策定する必要があるのではないだろうか。サッカーにおいて監督が用意する戦い方は、選手個々の持ち味が輝くステージであるべきだ。

 前記したように、酒井は戦力の厚さにおいては昨季よりも低下しているという見方を示した。これは選手の成長と密接に関係している。昨季、ヴィッセルの戦力が厚いということを端的に示したのは「控え組」が中心となって、主力選手中心の鹿島を降した天皇杯準々決勝だった。この試合に出場していた選手と、今回の横浜FC戦に出場していた選手を比較すると、かなりの数の選手が重複していることが判る。昨季のメンバーを見てみると、その中には佐々木大樹と鍬先祐弥の名前がある。ご存じの通り、彼らは今や誰もが認める「主力組」へと成長した。しかし今季は、まだそうした選手は現れていない。そう考えれば、昨季の試合にも出場していた山内や日髙光揮、飯野七聖といった選手たちには、一層の奮起が期待される。

 もう一点この日の試合だけについて言えば、吉田監督にはもう少し大胆な手を打ってほしかったという思いが残った。トゥーレルの退場後はフォーメーションを4-4-1に変更し、バランスを取る戦いにシフトした。これ自体が誤りだったとは思わないが、試合終盤の選手交代には、他の選択肢もあったように思う。この試合では80分に武藤に代えてジェアン パトリッキをピッチに送り出したが、パトリッキはそもそもが前に出るスピードで勝負する選手だ。その力を発揮するためには、相手の裏側にスペースが必要になる。しかしこの時間帯は、既に横浜FCの足は止まりかけており、低い位置でのブロックを守る戦いにシフトしていた。こうした状況では、パトリッキの特徴は発揮され難い。横浜FCが高い位置からのプレスも見せていなかったことを考え併せれば、ここで小松蓮を投入し、4-3-2の形で攻撃するという方法もあったように思う。その場合、前線は大迫と小松というハイタワーだけになってしまうように思われるかもしれないが、大迫の万能性を考えれば「小松が大迫に得点を取らせる」という形に変化する可能性も十分にあったように思う。実際、第1戦で小松は「高さ」という部分においては、横浜FCの守備を上回っていた。そもそも生粋のウイングプレーヤーがいない中では、前線を2トップにしたとしても、状況にそれほど大きな変化は生まれないのではないだろうか。それよりも目標が明確になるメリットの方が、この場面では大きかったように思う。
 これに関してもう1点付記すると、横浜FCの前線のプレスが見られない状況下では、センターバックにGKを加える形で最終ラインを形成し、最終ラインに相手の前線を越えさせる形としても良かったように思う。博打的な戦い方ではあるが、トーナメントという特性を考慮すれば、同点、そして逆転へとつなぐためには、その程度の大胆さは必要だったのではないだろうか。この形ができていれば、最終ラインが上がる分だけ、人数的な不利は解消される。さらにはこの時間帯に攻撃の起点となっていた酒井と前線の距離も近くなるため、パス精度の向上も期待できる。吉田監督は、GKを前に出した形はリスク管理の観点からあまり好まないようではあるが、この試合の終盤に限っては、積極的にリスクを負うべきだったように思う。


 選手個々の成長だけではなく、ヴィッセルには解決すべき問題がもう1つある。それは攻撃力の回復だ。
 J1リーグ戦において、今季も優勝争いに加わっているヴィッセルではあるが、今季は得点数が思ったほど伸びていない。この傾向は夏を迎えてより強くなっている。7月以降の公式戦13試合の戦績は9勝1分3敗と、決して悪い数字ではない。しかし90分以内で複数得点を奪った試合となると2試合しかない。しかもこの中には下位カテゴリとの対戦である天皇杯も含まれているのだが、それらの試合でも90分以内に複数得点を挙げるには至っていない。これだけを見ても、得点数の減少は明らかだ。
 ではなぜヴィッセルの得点数は減少しているのか。選手の負傷の影響を挙げる人もいるだろう。漸く大迫&武藤の2枚看板は戦列に復帰したが、それと入れ替わるように佐々木が戦線を離脱するといった難しい状況が続いていることは事実だ。しかしヴィッセルには名前を挙げた3選手以外にも、宮代大聖やエリキといった他クラブが羨むような能力を持った選手が存在している。そう考えれば、選手の稼働状況を理由として挙げることは適当ではないように思う。
 ここで筆者の考える得点数の減少の理由は「攻撃パターンの少なさ」だ。ヴィッセルはロングボールを巧く使いながら、素早く前進することができる。そのためアタッキングサードに入る回数は多く、それが相手にとっての脅威となっている。しかし最後の部分で簡単にクロスを入れてしまう傾向が強いことも事実だ。この日の試合でもアーリークロスの数は多く、それらのほぼ全てが跳ね返されていた。アーリークロスが効果を発揮するのは、相手の守備が整っていない状況下だ。相手がペナルティエリアの中で態勢を整えようとしているような時であれば、攻撃の選手の前に出る力で押し切ることもできる。しかし相手の守備が整っている中では、守備側の選手はクロスを出す選手と受ける選手を同一視野内に捉えることができる。そのためボールの落下地点さえ間違えなければ、守備側の選手が主導権を握ったままプレーすることができる。
 ではどうするべきか。1つには深い位置まで切れ込んだ上でのマイナスのクロスやゴール横までドリブルで切れ込んでいくようなプレーを増やすことだ。武藤や汰木、そしてサイドに流れた大迫は、時折そうしたプレーを見せているが、肝心のサイドバックやアンカーから入るボールのほとんどがアーリークロスであり、精度もそれほど高いものではない。やはりサイドバックとウイングの連携による深い位置からの攻撃を増やすことが、得点力の回復につながるのではないだろうか。

 得点力の低下についてはもう1つ、地上戦でつなぎながら崩すという部分が熟成されていない点も影響しているように思う。ロングボールを積極的に使いながら素早く前進し、アタッキングサードではクロスを入れるというヴィッセルの戦い方は、大迫を筆頭としたレギュラー選手の特徴を活かすための戦い方だ。この効果を最大化するため、吉田監督はボールの着弾点を細かく定めるなど整備を続けてきた。この戦い方を否定する必要は皆無であり、ヴィッセルのメインの戦い方として大事にするべきだ。
 しかし最大の問題は、こうしたヴィッセルの攻撃傾向がほぼ全てのライバルに分析され、対策を立てられているという点にある。多くのチームが低い位置にブロックを構え、ヴィッセルの入れてくるクロスを跳ね返すことで、失点を防ごうとしている。こうした状況を前にした時、まだヴィッセルが未着手である「地上戦での崩し」を攻撃メニューに加えるタイミングを迎えているように思う。多くのライバルがミドルゾーンから低い位置にブロックを組んで、ヴィッセルの攻撃に対処している。今はこの外側を回りながら、クロスによってこれを打開しようとしているが、既にヴィッセルのサイドからのクロス攻撃はある程度の完成を見ているため、それほど大きな向上は難しい。であればこそ、かつて志向したようなポゼッション型のサッカーを目指すという意味ではなく、引いた相手のブロックを崩すためのパスワークを整備することは、攻撃力の復活に直結するように思う。ビルドアップを含めた地上戦にはそれほど大きなウェイトを置いていなかったヴィッセルにとって、これは「未開の大地」でもある。吉田監督にとっては大きなチャレンジかもしれないが、取り組むだけの価値は十分にあるのではないだろうか。

 最後にこの試合の判定についても触れておく。トゥーレルが退場処分となったプレーだが、正直に言ってレッドカードに相当するプレーだったようにはとても思えなかった。サッカー関係者の中でも、こうした意見を持っている人は少なくない。映像を見直してみたが、相手選手との接触時にトゥーレルは足の裏を下に向けており、危険性を低下させた上でボールにチャレンジしたように筆者の目には映った。それがあったため、ビデオアシスタントレフェリーも確認を要請したのだとは思うが、それを経てもなお、判定が覆ることはなかった。
 この日の主審の判定基準は、最後まで不明瞭だった。トゥーレルの退場よりも前、明らかに大迫が背後から倒された場面で相手はボールにチャレンジする姿勢は見せておらず、大迫を倒すことだけを目的にしているように見えた。こうしたプレーがノーファウルであったことを思えば、この日の判定基準はどこに置いていたのか理解し難い。試合後の会見の中で吉田監督はトゥーレルの判定についても言及し、最後に「画像でもしっかり見てたんですけど、足に当たってなくて地面についていた。クラブとしてもリーグに対して間違いだったと伝えてもらえれば」とコメントした。自分たちで変えられないことについては言及しない吉田監督としては、実に珍しいと思う。それほどまでに納得感の薄い判定ではあった。

 ルヴァン杯は敗退となってしまったが、ヴィッセルのタイトルへの挑戦は終わっていない。中4日で迎える柏との試合は、J1リーグ3連覇に向けての大きな意味を持つ試合だ。トゥーレルを欠いた状態で迎えることになる可能性は高いが、それを言い訳にすることはチャンピオンチームには許されない。過去にもヴィッセルはこうしたピンチを何度も迎え、その都度、全員の力でそれを乗り越えてきた。連戦によって蓄積された疲労も心配ではあるが、こうした状況を乗り越えてきたからこそ、今がある。
 「神戸はいつだって全員で戦う」
 スタジアムでもよく耳にするこの言葉は単なる掛け声でもなければ、気持ちを奮い立たせるためのスローガンでもない。全ての選手・スタッフが「自分にできること」を最大限の力でやり切るという「決意」だ。そしてこの「全員」には、当然ファン・サポーターも含まれている。ヴィッセルにかかわる全ての人の力を結集し、この難局を乗り越えなければならない。それが為された時、ヴィッセルはその先に広がっている最高の景色にまた一歩、近づく。