覆面記者の目

明治安田J1 第7節 vs.横浜FM ノエスタ(4/7 14:03)
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  • AWAY横浜FM
  • 神戸
  • 1
  • 0前半0
    1後半2
  • 2
  • 横浜FM
  • 宮代 大聖(66')
  • 得点者
  • (47')アンデルソン ロペス
    (83')ヤン マテウス


 Jリーグ史上6クラブ目となる「リーグ戦連覇」という目標を掲げ、今季の戦いに挑んでいるヴィッセル。7節終了時点で3勝2分2敗。首位に立つ町田との勝ち点差は5の4位。まだ全体の2割弱の消化率であることを考えれば、決して悲観的になるような数字ではない。それでも敢えて筆者は警告したい。今、ヴィッセルは岐路に立たされている。

 昨季のヴィッセルは圧倒的なリバウンドメンタリティーを持っていた。昨季のJ1リーグ戦においてヴィッセルが勝利を逃した試合は13試合(8分5敗)あった。特筆すべきは、それらの次戦の成績だ。そこでは11勝1分1敗、勝率85%という見事な成績を残したのだ。2試合続けて勝利から遠ざかったのは、年間を通じて2回しかなく、それはいずれも、体力の消耗が激しい夏場の戦いだった。「優勝するチームは連敗しない」という言葉を地でいくような成績を残したのだ。

 4日前の試合では鳥栖を攻め切ることができず、悔しい引き分けに終わっただけに、ヴィッセルの選手が横浜FM戦に必勝を期して臨んでいたことは間違いない。そう信じるに足るだけの熱い戦いを見せてくれたことは事実だ。しかし、結果的には自ら勝機を手放したような格好となり、敗北を喫した。対戦相手が、昨季最後まで優勝を争った相手であったことを考慮すれば、やむを得ない結果という声もあるかもしれない。しかしこの試合における横浜FMは、決して勝てない相手ではなかった。

 スポーツの世界で頻出する言葉の一つが「2年目のジンクス」だ。前年に好結果を残した選手やチームが苦しんでいると、必ずと言っていいほどこの言葉が登場する。長らくその正体は、「分析された結果」であると言われてきた。最近では統計学的観点から、これに異を唱える声も聴かれるが、未だにこの論は根強い。これを信じるならば、今季のヴィッセルも相手に研究された結果、なかなか波に乗り切れていないということになるのだろう。そして、それは事実であるようにも思える。

 攻守の素早い切り替えと球際の強さを基本として、ボール非保持時には前線から連動したプレスを敢行し、高い位置でボールを奪う。そしてボール保持時には、効果的にロングボールを使いながら、前線の大迫勇也を起点として、厚みのある攻撃で相手を押し込む。このサッカーが経験と能力を兼ね備えた選手たちの力を素直に引き出した結果、昨季は念願のリーグ制覇を成し遂げた。その印象が鮮烈であったがゆえに、「シンプルだが力強いサッカーを貫いたヴィッセルの優勝はJリーグの流れを変えた」と評する人も多かった。そしてライバルたちは、このサッカーに対する対策を用意して、今季に臨んでいる。

 こうした状況下で、指揮官には2つの選択肢が与えられている。1つはこれまでのスタイルを守ること。そしてもう1つはオプションを増やす、或いはスタイルを変更することだ。今季ここまでの試合を観る限り、吉田孝行監督は前者を選択していると思われる。宮代大聖や広瀬陸斗といった新戦力がもたらす変化はあるが、それは戦術的な変化ではなく、チームの根源に変更を加えるものではない。新しい戦力には「ヴィッセルのサッカー」に順応することを求め、その中で個性を発揮させている。そうであるならば、吉田監督はヴィッセルを今以上に隙の無いチームへと作り上げなければならない。しかしこの日の試合はベンチワークも含めた様々な局面で隙が生まれ、それが結果に直結してしまったように思う。

 昨日の試合後、Viber公開トークで配信した速報版の中にも記した、試合を決めた4つの要因について記していく。

 最初は「選手の配置」についてだ。試合を観た人ならば概ね同じ感想になると思うが、ヴィッセルの勝機は前半だった。前節から5人の選手を入れ替えて試合に臨んだ横浜FMに対し、ヴィッセルは序盤から圧倒的な優位を保っていた。横浜FMの布陣はヴィッセルと同じ4-1-2-3。この並びでヴィッセルのハイプレスをかわしながらビルドアップし、押し込んでいきたかったのだと思うが、最終ラインからの脱出が巧くいっていなかった。ここでの横浜FMにおけるポイントは、アンカーに入った喜田拓也だった。喜田がボールの脱出口になり、サイドバックを高い位置に呼び込みつつ、前線に厚みを持たせたかったはずなのだが、喜田まで思うような形ではボールが届かなかった。その理由はヴィッセルのハイプレスが嵌っていたためだ。相手のセンターバックとGKに対し効果的なプレスを敢行した結果、喜田は重心を後ろに置いた。結果的に横浜FMの守備陣4枚と喜田を、3トップとインサイドハーフの5枚で完全に封じたことで、横浜FMは前後が分断され、前を向くことができなかったのだ。試合後に喜田はこれは想定内だったと語ったが、ヴィッセルの狙いが見事にはまった格好となっていた。


 ここでのヴィッセルにおけるキーマンは、左ウイングに入った佐々木大樹だった。前節で戦列に復帰した佐々木だが、相手のパスをカットする場面が何度も見られた。その結果、佐々木が攻撃の起点になる時間が続いた。これについて佐々木は試合後に「そこは自分のストロングでもあるので、そこで負けていては話にならないと思う」と語ったが、そこまでの運びは見事だった。こうした流れの中で佐々木には2度大きなシュートチャンスが訪れたのだが、これがいずれも枠をとらえなかった。佐々木はこれを今後への課題として挙げていたが、シュートミスは誰にでも起きることであり、やむを得ないとも言える。問題は佐々木のポジショニングによって生じた守備の乱れだ。横浜FMが押し込まれ、蹴り返すだけになっている状況下であったため、佐々木は前への圧力を残し、攻撃を継続したかったのだろう。しかしここが落とし穴だったように思う。もちろんこの時間帯の横浜FMのプレーは意図的なものではなく、追い込まれていただけなのだが、それ故、佐々木は攻撃に意識が向きすぎてしまったように思う。ヴィッセルの志向するサッカーにおいては、攻撃と守備は一体であることが求められる。攻撃と守備というのはボール保持の有無に対して与えられた言葉に過ぎず、どちらの局面でも相手に対して支配的であることが狙いだ。ここで考えなければならないのは、「攻撃的に押し込んでいることは、必ずしも支配的であることを意味していない」ということだ。この日の試合に置き換えれば、前半の横浜FMの右サイドは押し込まれた状態ではあったが、これに対して支配的であるためには、背後の味方との連携によって抜け出すスペースを与えないように意識し続けなければならなかった。しかしこの時間帯の佐々木には、この意識が不足していたように思える。久しぶりの先発出場で、思いのほか巧くいっていたことで、気持ちが前がかりになり過ぎていたのだとすれば、理解はできる。しかし、いずれにしても佐々木の背後にはスペースが生まれ、横浜FMには逃げ道が生まれてしまっていた。前半40分頃までこれを活かす攻撃は見られなかったが、中央のスペースにボールを蹴り返すことで、ある程度の時間を稼ぐことができるようになっていた。ここで佐々木がもう少し控えながらプレーをして、アンカーの扇原貴宏や左サイドバックの初瀬亮を呼び込むようにプレーできていれば、局面は全く異なるものになっていたように思う。横浜FMに対する支配権を強固なものとしつつ、ヴィッセルは波状攻撃をかけることができていたのではないだろうか。

 この問題は、前節の鳥栖戦で見られた問題と同種だ。ボール保持時に取るべき行動としては、相手を押し込みつつ、反撃或いは逃亡のルートを与えないように配慮しなければならない。そのためにはカウンターへの対処をしつつ、全体を圧縮する必要があるのだが、直近の2試合についていえば、その意識が希薄だったように思う。事実、この日の前半、ヴィッセルが攻め込んでいる中でも、2列目の背後は圧縮されていなかった。試合後、横浜FMを率いるハリー キューエル監督は「神戸に対して、我々は『真ん中の空いてくる場所』をどう使うか考えていた」と語ったが、前記したように押し込まれる中でも、中央を使うことで危険を遠ざけることができていた点が、横浜FMにとっては反撃のヒントになっていたのだろう。そう考えれば、前半のヴィッセルの猛攻も、横浜FMの想定を上回ってはいなかったとも言える。横浜FMが反撃の糸口をつかむ前の時間帯に全体で押し込むことができていれば、前半のうちに勝負を決めることは十分に可能だったように思う。


 次に「選手の役割」について記す。選手配置を決める際は、そのポジションに求める役割に応じて選手を選ぶ。ここで問題となるのは、その役割を担うことのできる選手が不在の場合の対応だ。これは全ての監督が直面する課題でもあり、その対処には監督の個性が表れる。この試合のヴィッセルについて言うならば、左ウイングということになるだろう。前記したように佐々木はプレーに課題はあれど、そのポジションをこなす能力は十分に持っている。繰り返しになるが、この試合では試合序盤に巧くいき過ぎてしまったが故に、最適なポジショニングへの意識が希薄になってしまっていただけであり、プレーそのものでは巧さを見せていた。佐々木以上に評価が難しいのは、その佐々木との交代で61分に投入されたジェアン パトリッキだ。パトリッキの武器は、言わずと知れた爆発的なスピードにある。吉田監督がパトリッキを後半の切り札的に使っているのは、疲れた相手にとって最も対処し難い選手だからだろう。となればパトリッキに期待されるのは、味方がボールを保持している時に、一気に裏を取る動きを見せることだ。ヴィッセルの中盤には扇原や山口蛍といった、ボールを散らすことのできる選手がいる。加えて相手が守りを固めた際には、大迫が落ちてプレーすることも多く、この場合はそれほど遠くない距離から正確なスルーパスが出てくることも期待できる。しかし実際のパトリッキは、裏を取るような動きを見せる回数はそれほど多くない。それよりは背後に控える左サイドバックの初瀬の近くまで落ちて、ボールを受けようとすることが多い。ボールタッチを増やすことで、自らのリズムを作り出したいという思いがあるのかもしれないが、そうした仕事をするのならば、パトリッキ以外の選手も選択肢として浮上する。パトリッキにしかできない仕事は、やはり味方がボールを奪ったタイミングで相手の裏を狙い、そのスピードで相手をひっぱり出し、守備陣形をかき乱すことだ。相手によってはパトリッキを無視する可能性もあり、さらにボールが出てこない可能性も十分にある。その場合はいわゆる「ムダ走り」を繰り返すことになるのだが、それこそがパトリッキの良さを活かす方法なのではないだろうか。この試合を大きく左右した前川黛也の退場劇は、パトリッキの動き次第では回避できた可能性がある。問題のプレーの少し前、ディフェンシブサードまで戻っていたパトリッキがボールを井出遥也にボールを預け、井出はこれを左サイドバックの初瀬に戻した。この間、パトリッキには喜田がマークについていたのだが、パトリッキには左サイドを駆け上がるだけの時間は十分にあった。しかしパトリッキがここで控えてしまったことで、初瀬の蹴った長いボールに対しては、中央から左に流れて武藤嘉紀が競ることになり、こぼれ球を喜田に拾われてしまい、そこからの展開で失点につながってしまった。結果論ではあるのだが、ここでパトリッキが左サイドを駆け上がる姿勢を見せていれば、喜田を引っ張ることができた可能性が高かったと思う。誤解してほしくないのだが、これはパトリッキが前川退場の原因ということではない。ここで言いたいのは、パトリッキには自らの特性を活かすプレーを徹底してほしかったということだ。パトリッキは常に、チームの勝利のために全力を尽くすことができる選手だ。だからこそ、投入するのであれば、ベンチは明確にタスクを与え、それをチーム全体で共有しなければもったいない。

 「選手の役割」ということでもう1点付記するならば、ハーフタイムがこの試合の鍵だったように思う。前半40分頃から、横浜FMは反撃の糸口を見つけていた。それは前記したこととも関係しているのだが、ヴィッセルの布陣が圧縮されていない中で、中央を衝くことだ。インサイドハーフの宮代を含めた前線の選手の重心が前にある中で、中盤のスペースを扇原が一人で管理する体制になっていた。これに対して横浜FMはサイドに広げる策をある程度放棄して、扇原の脇のスペースに2列目以前の選手を集中させることで、ヴィッセルを前後に分断した。扇原の守備は人につくことが多いことを考慮し、その周囲でボールを動かすことで混乱を作り出してきたのだ。状況としては横浜FMが押し返す格好でハーフタイムに突入したのだが、後半も前半と同じように試合に入ってしまったことが悔やまれる。吉田監督としては前半45分のうち40分近くをヴィッセルが圧倒していたため、特に変える必要は感じなかったのかもしれない。逆に横浜FMの立場で考えてみれば、前半最後の流れを受け継ぐ「後半開始直後」がチャンスと考えたのではないだろうか。事実、後半開始直後から横浜FMは積極的に出てきた。そして47分に先制ゴールを挙げた。ヴィッセルの側からこのゴールシーンだけを見れば、「事故」のように映ったかもしれないが、そこに至る流れを見た場合、横浜FMはここにかけてきたように思える。これを察知し、山口を下げたダブルボランチでバイタルエリアを管理することができていれば、横浜FMベンチはさらなる再考を余儀なくされただろう。

 今のヴィッセルの基本布陣である4-1-2-3の完成度が高いことは、誰もが認めるところだ。どこが相手であっても、その戦い方を堅持していくのも「王者の戦い方」としてはありかもしれない。しかし相手の狙いをかわし、戦い方を柔軟に変更することも、王者らしい余裕のある姿勢だ。どちらが正解ということはないため、最終的には吉田監督の決断次第とはなるが、吉田監督にとっては覚悟と手腕が試される。


 次に「非常時の戦い方」について考えてみる。この試合では2度にわたって非常事態を迎えた。1度目は65分の大迫の負傷交代だ。そして2度目は75分の前川の一発退場に伴う布陣変更だ。前者の時には井出を投入、宮代を前線中央に上げる形で基本布陣を維持したが、後者の際は武藤をベンチに下げ、山口と扇原のダブルボランチとした上で、インサイドハーフに井出とパトリッキ、ワントップに宮代という形に並びを変更した。この結果、布陣は4-2-2-1となった。吉田監督の意図は、バランスを取りつつ、得点を奪いにいくというものだったと思われる。ここで難しい判断を迫られたのが交代要員だ。前川が退場した以上、どこかを1枚削らなければならないのだが、吉田監督はここで武藤を下げる決断をした。連戦での疲れを考慮しての判断だったのだろう。人数的不利になった以上、次に考えるべきは如何にして前にボールを届けるかということだ。横浜FMが中盤から前を厚くしてきた以上、ボールをつなぎながら前に進むことは難しい局面だった。こうした状況下ではロングボールが効率的なのだが、大迫が不在であるならば、武藤がターゲット役を担うというのも一つの選択だったように思う。ここで役割を考えてみた場合、前線の近くでボールを動かす役は井出ということになる。そうなると攻撃の最後の局面は宮代とパトリッキが担うことになるが、1枚人数が削れた中ではパトリッキへの警戒が増すことは止むを得ない。そうなると前線でロングボールを収めることのできる武藤と宮代を残し、井出をトップ下とした1-2で前線を構成するという方法もあったように思う。こうした局面下ではシュートチャンスそのものが限られる可能性が高いため、シュート技術の高さで選んでも良かったように思う。

 その上でもう一人使ってみてほしかったのが、ベンチに控えていた井手口陽介だった。アディショナルタイムが12分取られた試合ではあったが、横浜FMは1点のリードを守る姿勢を見せていただけに、無尽蔵のスタミナでボールホルダーを追うことのできる井手口の投入は面白かったように思う。ボールホルダーに向かうという傾向は扇原と似たタイプであるため、扇原との交代で井手口を投入し、最終ラインの前に置き、ボールを追うことを徹底させた上で、山口に運び役を担わせることで前線との連携を保つという戦い方もあったように思う。

 また2失点目を喫したシーンだが、ゴールを決めたヤン マテウスはノーマークだった。そのためマテウスは余裕をもってコントロールショットを放つことができた。その直前、ペナルティエリア左角での攻防になった際、外に開いたボールに対して布陣を整える段階で、ヴィッセルの選手は十分に足りていた。ここでペナルティエリアの入り口で飛び込もうとしていた選手が2枚に対し、ヴィッセルの守備は5枚いた。強さを発揮するアンデルソン ロペスへの警戒は理解できるが、やや過剰な人数だ。そして左サイドの深い位置にボールが出た時、そこにはパトリッキがつき、ボールホルダーは山口が見る形になっていた。ペナルティエリア内では横浜FMの選手3枚に対して、ヴィッセルの選手は6枚と、十分に守り切る形は作れたはずだった。しかし、ペナルティエリア角にいたマテウスだけが浮いていた。こうした場面での守り方は、ある程度人につくことを優先せざるを得ない。シュートを打ってくるであろう選手を予測し、そこに人をつけるという守り方の方が、失点の危険性は少ない。今、ヴィッセルの最終ラインは非常に堅い守備ができていることを思えば、あの場面は割り切ってペナルティエリア内を薄くしてでも、シュートを打つ選手をマークしてほしかった。

 最後に「判定」についてだ。この試合を大きく左右したのが、大迫の負傷退場であることは前記した通りだ。これまで厳しいマークを受け続けてなお、ピッチに立ち続けたエースの負傷は、チームにとって大きすぎる影響を及ぼした。映像を見直してみると、このシーンで大迫は相手センターバックの上島拓巳との競り合いの後、足を踏まれる格好で捻っているように見える。そしてこれ以前から、上島との接触で大迫はダメージを受け続けていた。その前には落ちてくるボールを収めようとしたところに、背後から身体を当てられ、そのまま倒された。これは柏戦で汰木康也が負傷したのと同様の構造で、既にボールを受ける体制を整えた選手に対するプレーとしては、やや危険なものだった。上島は試合前から大迫をマークするということについて、並々ならぬ意欲を燃やしていた。現在、日本人選手の中でトップの強さと技術がある大迫相手にどこまで戦えるかというチャレンジ精神は悪くない。そして試合の中で厳しくギリギリを攻めるというのは、プロとしては当然の所作だ。こうした部分を第三者の目を持ってコントロールすることこそが、審判に課せられた使命なのではないだろうか。エキサイティングな試合を演出し、観客の満足度を高めることは、プロの試合が興行としての側面を持っている以上、当然のことだ。しかし同時に、選手を危険なプレーから守ることも、興行を持続させるためには欠かせない要素であるはずだ。正直に言って、この日のジャッジは「流しすぎてしまった」ように思う。上島は、大迫とのシーン以外でも競り合いの後、相手の足首付近に着地するシーンが散見された。もちろん上島にケガをさせようなどという意図はない。しっかりと身体を寄せた結果だろう。しかしこうした危険なプレーがあった場合、審判が注意し、時には警告を使いながら試合をコントロールすべきだった。

 59分にマテウス トゥーレルが受けた警告も、決して褒められたものではない。その直前の味方の接触に対する報復行為として、一発退場を受けてもおかしくないものだった。このように、この日の試合は荒れ模様でもあった。その理由は、審判のコントロールミスにあったように筆者は感じている。そしてそれによって、両チームの選手が等しくストレスを受けていたとも思う。

 昨季は優勝を争った両チームの試合であるだけに、この日は両チームの選手とも気持ちの入ったプレーを続けた。それに呼応するように、スタンドは熱を帯び、素晴らしい雰囲気の試合だった。それだけにプレーヤーの気持ちの高ぶりを審判にはコントロールしてほしかったというのが正直な感想だ。


 試合には敗れたが、1人少なくなってなお、最後までゴールを狙い続けたヴィッセルの選手の気迫は胸に訴えかけるものがあった。試合終盤、前に出て相手のパスをインターセプトし、そのまま上がっていった酒井高徳の気迫あふれるプレーには、素直に感動した。右袖につけられた黄金のリーグエンブレムに対する誇りでもあるのだろう。この試合を観て、やはりヴィッセルは連覇を狙うにふさわしいチームだとの思いを新たにした。

 だからこそ、次節では昨季見せたような強さを見せてほしい。今季、初のJ1挑戦にして、堂々たる戦いで首位に君臨している町田との国立競技場でのアウェイゲームだが、ディフェンディングチャンピオンとしての強さを見せつけてほしい。高校サッカー界の名伯楽に率いられた町田は、シンプルではあるが力強いサッカーを展開している。それを支えているのは、選手たちの気持ちのこもったプレーだ。全ての選手が2度追い、3度追いを厭うことなく続ける町田との試合に際して、「受けて立つ」という気持ちで臨むことは禁物だ。町田の強さを上回る強さを示し、上昇の契機としてほしい。