覆面記者の目

J1 第28節 vs.横浜FC ニッパツ(11/8 14:03)
  • HOME横浜FC
  • AWAY神戸
  • 横浜FC
  • 2
  • 1前半1
    1後半0
  • 1
  • 神戸
  • 一美 和成(11')
    安永 玲央(91')
  • 得点者
  • (9')郷家 友太


 古い本なので記憶が曖昧なのだが、村上春樹の短編小説の中で、「立派な王国が色あせていくのは、二流の共和国が崩壊するよりずっと物哀しい」というフレーズがあった。村上春樹らしい、印象的な表現だった。
Jリーグで最も魅力的なサッカーを見せていたヴィッセルは、今、自分たちが積み上げてきたものを思い出せずにいるように映る。
ヴィッセルが目指すと宣言したポゼッションサッカーとは何だったのか。今回の項では、もう一度そこを整理することから始めたい。

 ヴィッセルの志向するポゼッションサッカーに通底しているのは、「攻撃は最大の防御」という思想だ。ボールを握っている間は相手に攻められることはない。これを実現するためには高いボールスキルを必要とする。そしてヴィッセルはアンドレス イニエスタを筆頭に、そうした選手を集めた。
 この試合でもヴィッセルのポゼッション率は59%。ほとんどの時間帯でヴィッセルがボールを握り、横浜FC陣内でゲームを進めた。横浜FCもポゼッションサッカーを志向しているチームではあるが、ボールを握るという点においては、ヴィッセルが上回っていたことは確かだ。

 ではここ最近、なぜヴィッセルは勝てなくなっているのか。失点という局面だけにフォーカスした場合、守備が問題のように思われるかもしれないが、筆者は逆の見解を持っている。最近のヴィッセルがゲームを優位に進められない原因は、むしろ攻撃面の停滞にあると思っている。
 サッカーにおいて攻撃と守備は不可分の関係にある。「攻撃は守備の始まりであり、守備は攻撃の始まりである」と言われるのは、そのためだ。ヴィッセルが志向するポゼッションサッカーにおいて天敵となるのは、自陣低い位置でブロックを組み、ヴィッセルの選手を高い位置に呼び込んだ上で、その背後を衝いてくるカウンターであることは言うまでもない。そのためポゼッションを志向するチームにおいては、攻守の切り替えの重要性に言及されることが多い。しかし、ここにこそ落とし穴がある。

 確かに背後を衝かれた際の対応は、常に考えておく必要がある。しかしそこには「ボールの失い方」というものが影響する。ポゼッションサッカーを志向する以上、全体がコンパクトに保たれたまま攻撃を続け、パスをつなぎながら相手のブロックに隙を作り出す工夫を続けなければならない。その過程では、イニエスタのような決定的な仕事ができる選手との間でボールを出し入れする必要がある。当然相手はそこをマークしてくるため、ボールを失う場面も出てくる。問題はそこで全体の距離感が適切に保たれていれば、全体を連動させながら守備を行うこともできるということだ。ここが、現在のヴィッセルには見られない最初のポイントだ。
 チーム全体がボールを前に運ぶためには、ビルドアップ時に「前が空いていれば上がる。相手が寄せてきたら惹きつけてリリース」という基本を忠実に守らなければならない。しかしこの試合で、これを実践していたのは渡部博文と山口蛍だけだった。全体の距離感を図ることなく、イニエスタにボールを入れるという選択をしてしまうため、攻撃時に全体が間延びしている場面が多く見られた。

 次のポイントはボールを運んだ後だ。ポゼッションサッカーを志向する上では、ボールを簡単に失う選択は避けなければならない。具体的にはロングボールやサイドからのクロスだ。確率が高いとは言えないこうしたボールは、局面によっては使う必要もあるが、基本的にはセカンドボールを回収できる目途とともに選択されなければならない。この試合での小川慶治朗からのクロスを郷家友太が決めた場面のように、相手守備を引き出したスペースに勝負するような、ある程度以上の成功確率が見込めるものがそれだ。
 この試合では少なかったが、最近のヴィッセルはサイドからのクロスが多いように思う。ドウグラスという高さと強さを併せ持つ選手がいるためだろうが、その成功率を考えれば、サイドからの単純なクロスは避けるべきだろう。サイドからボールを入れるのであれば、前記した小川と郷家のようにスペースがある場合、若しくはイニエスタが時折見せる、サイドからゴール近くまで切れ込んでいってマイナス気味に入れるものなど、味方の優位性が担保されている場合の選択肢であるべきだ。

 ボールを運ぶ際にも注意すべき点が二つある。それは「味方が動く時間を作る」、そして「ポジションの優位を意識する」という2つだ。前者はボールホルダー、後者はボールを受ける選手に求められる。そしてこの2つは不可分の関係にある。ボールホルダーが急ぎ過ぎてしまうと、味方の優位性が担保できなくなる。この場合の優位性というのは、よく解説者などが口にする「数的優位」といった単純なものではなく、ポジションによって作り出す優位性のことだ。相手のマークを引き付ける動きによって、チームとして、その先の展開をやりやすいものにすることだ。そのためにはゴールからの逆算が、選手全員に共有されていることが条件となる。相手がゴール前にブロックを組んでいる場合は、まずその手前のバイタルエリアで味方が前を向いてボールを受けることを優先させる。ボールホルダーは、味方がそうしたポジションを取るための時間を作らなければならず、受け手はそうしたポジションを意識しながら動かなければならない。
 これはサッカーに限ったことではないが、何か物事を成し遂げるに当たっては、短期目標、中期目標、長期目標(最終目標)といった形で考えなければならない。これをサッカーに置き換えれば、最終目標がゴールを奪うということになり、そこからの逆算が求められる。この道筋を共有するために、日々のトレーニングがある。
 試合の映像を見直してみると、後半、三浦淳寛監督は「急ぎ過ぎるな」という言葉を何度もピッチに送っている。想像するに、三浦監督は味方がポジション的優位を確立するための時間を、ボールホルダーに求めたのだろう。こうした思考経路をたどれば、自ずとボールの周りに人が集まることはなくなる。ボールを中心に、ピッチ上にロンドが出現するのは、ポゼッションサッカーにおいては当然の帰結点でもある。

 ヴィッセルが見失いつつあると感じるのは、正にこの部分だ。ポゼッションサッカーと言った時に勘違いされがちなのが、「ポゼッション率」だ。ボールを握っている時間を示すこの数値は、高いに越したことはないが、その実態と併せて考えなければならない。ヴィッセルに限ったことではないが、相手のブロックを崩しきれない場面では、ブロックの周りでボールを動かす時間が増える。当然ポゼッション率は上がっていく。しかしこれが相手を自分たちが制御しているかといえば、むしろ逆だ。ブロックの周りでボールは持ち続けているが、相手が全く動かなければ、この場合局面の支配権は相手にあると考える。今のヴィッセルは、ボールを早く動かすことにフォーカスする傾向が見られるため、選手個々は動いているものの、相手との関係性でいえばイーブンであることが多い。そしてボールホルダーに寄せられると、その近い距離に必要以上に人が集まりすぎてしまい、ピッチ上に生まれたスペースを活用できていない。

 ヴィッセルが数か月前までできていたことを表現できなくなっているのは、結果が伴わないという事実が生み出した焦りなのかもしれない。しかしここが踏ん張りどころだ。2年前から積み上げてきたものは、確実にヴィッセルの財産となっている。事実、今季圧倒的な強さを見せている川崎Fをして、「やはりヴィッセルは強い」と言わしめたのは、そうした力がついている証左だ。ここで短期的な結果を求め、これまで積み上げてきたものを放棄してしまうことは、日本サッカーのけん引役からの撤退を意味している。そして何よりあまりに勿体ない。
 新しいことに取り組む場合、こうした結果につながらない時期はどんなスポーツにもあることだ。王貞治氏は一本足打法を習得することで、他の追随を許さぬ本塁打王となったが、不振に陥る度「本来の打ち方に戻せ」と言われたという。しかしそこで自らの努力が灰燼に帰すことを嫌い、周囲の雑音をシャットアウトし、思うところを貫き通したことが、あの立場を作り上げた。ヴィッセルも同じだ。攻撃的なサッカーを展開する上では「守備が強化されればもっと良くなる」といった声は聞かれる。しかし冒頭でも書いたように、攻撃と守備が不可分な関係にある以上、ここで守備に対する意識だけを強調することは、作り上げた攻撃力も捨て去ることになってしまう。


 思うに任せなかった試合ではあるが、今後への光明となりそうなのが、先発起用された佐々木大樹だった。特に前半の佐々木は、相手に寄せられた際も味方を待つのではなくキープ、そこからドリブルでの脱出を図ることで優位性を確保しようと試みていた。対面したマギーニョから強い圧力を受けていたが、それに怯むことなく自分が仕掛けることで味方のフリーランを促していた。ペナルティエリア近くではもう少し積極的にシュートを狙う姿勢を見せてほしいとは思ったが、これは試合勘も影響するため先に続く問題ではないだろう。

 79分に投入された安井拓也についても、佐々木と同様の評価をしている。佐々木との交代で登場した安井は、常に首を振りながらプレーしていた。これは安井の特徴でもあるが、味方と相手の位置を把握しながらプレーしているため、どこに動くべきか迷いがない。もちろん判断を誤る場面もあったが、こうした動きを続けることこそが、ヴィッセル本来のサッカーには叶っている。最後、シュートをポストに当ててしまったのは残念だったが、安井はヴィッセルが志向するサッカーに自らを適合させている。

 彼らとは逆に、そのプレーが変質していると感じたのが小川だった。ゴールをアシストするという結果は残したが、小川の動きは数年前のような直線的なものに戻りつつあるように感じた。実直な性格の選手であるだけに、状況を打開しようと必死だったことは解る。しかし以前に見せたような弧を描く動きが減少し、直線的にプレーしているため、味方に時間を作るという点においては不満が残った。相手の急所を見抜く直観力を持った選手であるだけに、そこへ至る動きを確立できれば、チームにとって大きな武器となるだけに、もう一度自分に求められているものを思い出してほしい。


 そしてもう一人本来のプレーではないと感じたのが、山口蛍だった。この試合ではアンカーの位置でスタートした山口だが、献身的な動きは相変わらずで、何度も味方のピンチの芽を摘み取っていた。この点には素直に脱帽するしかないのだが、不満が残ったのは攻撃時だ。横浜FCの守備はオーソドックスであり、どこか1点を崩すような狙いのものではなかった。試合後、横浜FCを率いる下平隆宏監督は「前半は押し込まれており、巧くいかなかった」と振り返っていたが、先制点を挙げたこともあり、ヴィッセルが優位に試合を進めていた。しかし山口は、いつものインサイドハーフでプレーしている時に比べ、球離れが早かったように思う。前にスペースがある中でアンカーの位置からボールを前に運び、全体を押し上げる司令塔の役割が期待されたが、ボールをイニエスタに預け、自らは最終ラインの近くまで落ちる場面が散見された。想像するに、サイドバックを高い位置に上げるための戦術だったのだろうが、相手の2トップを考えた場合、両センターバックとGKの飯倉大樹にそこは任せて、もっと攻撃的な位置取りをしてもよかったのではないだろうか。元々プレー一つひとつの質は高い選手であり、試合を読む冷静さも持ち合わせている。個人的には日本人では最高の選手の一人だと思っているのだが、この試合ではヴィッセルに来る以前の守備的なイメージが強かった。イニエスタに次ぐ攻撃センスの持ち主である山口には、やはり攻撃を意識してほしい。

 久しぶりの出場となった山川哲史だが、こちらは及第点だったと思っている。同点を許したのは、山川のクリアミスであることは明らかだ。ゴール前の緊迫した場面で山川のクリアしようとしたボールが、相手FWの一美和成へのプレゼントパスのような格好になってしまい、ヴィッセルはリードを失った。反省すべきプレーではあるが、あれは山川が成長していくためのコストだと筆者は思っている。むしろその後、ミスを引きずることなくプレーし続けた山川の落ち着きを高く評価したい。過去にも書いたことだが、センターバックのミスは、失点に直結する。そしてミスをしないことには、成長できないポジションでもある。この試合でチームのリードを失わせてしまったという事実は重く受け止めつつも、今までのプレーを貫き通すことこそが、山川のさらなる成長を生み出す。


 試合後、郷家は失点が続く守備について「集中力をもっと高め、それを保たなければならない」と改善ポイントを挙げた。郷家は実際に思ったことや感じたことは自分の中に押し留め、外向きには言葉を選び、抽象論の中に本音を隠しているのだろうが、もし失点を集中力の問題と捉えているならば、それは危険な兆候だ。失点には全て原因があり、集中力や注意力といったメンタル面の緩みだけで失点することなどあり得ない。
 かつて、先輩記者から「株価が1円上がるには、それだけの理由がある」という言葉を聞いた。全ての事柄には理由や原因があるということを、新米記者だった筆者に教えようとしたのだろう。その後、数十年にわたって記事を書いてきたが、この言葉は未だに重く受け止めている。目の前で起きている事柄の原因を考えることこそが、次のステップへの足がかりになると思っているためだ。
 これはサッカーも同じだ。最後の失点シーンのように状況判断を誤ったプレーは、状況の認識に問題があるのであり、そうしたことをチーム内で共有しておくためにこそ、日々のトレーニングはある。座学とは言わないが、そうした状況判断を常に言葉にして、チーム内で共通認識を高めておくことができれば、あのようなミスは防げるのではないだろうか。

 1-2と最小点差の試合ではあったが、試合内容を見ると「やりたいこと」がはっきりしていたのは横浜FCであり、ヴィッセルは選手間の意思統一が図り切れていないように見えた。ここでいう意思というのは「勝ちたい」という根源的な部分のことではなく、具体的にどの様にボールを運び、ゴールをどうこじ開けるかといったメソッドと同義だ。
これでJ1復帰初年度の横浜FCとの今季の対戦成績は1分け1敗となってしまった。横浜FCに対するリスペクトを持った上で言うと、まさか2試合とも勝てないとは、シーズン前には想像もしていなかった。横浜FCの下平監督は試合前、「開幕戦で対戦したヴィッセルを相手に、この間の成長を見せたい」と意気込みを語っていたが、その成長をまざまざと見せつけられてしまった。横浜FCには決勝ゴールを挙げた安永玲央をはじめとして、若く才能のある選手が育っている。「降格」のない今季、下平監督はこうした若手選手を調子に応じて起用することで、彼らの急成長を引き出している。これに対してヴィッセルは前節からメンバーを6人入れ替え、経験の浅い選手を起用するなど、月末から再開されるAFCアジアチャンピオンズリーグ(以下ACL)を見据えた戦いをしなければならなかった。こうした両チームの置かれた立場による違いはあった。しかしこの敗戦は、そうしたことを超えたものであったように思う。自らの積み上げてきたものを信じ、一途にそれを貫いた力の前に、ヴィッセルの迷いが屈したと見るべきだろう。


 繰り返しになるが、ヴィッセルには他チームには真似のできない「オリジナリティー」がある。それを貫くことこそが、この苦境を脱する最短ルートであり、来るべきACLの舞台で輝くための唯一の道である。ACLまでに残された時間は、そう多くはない。それまでの残る試合で、ヴィッセル本来のサッカーを取り戻し、力を見せつけてほしい。今はそれを切に願っている。