覆面記者の目

J1 第2節 vs.広島 ノエスタ(7/4 19:33)
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  • 3
  • 広島
  • 得点者
  • (35')レアンドロ ペレイラ
    (48')浅野 雄也
    (81')レアンドロ ペレイラ

昨日、Viber公開トーク内で「この試合を読み解くカギは『自分たちのサッカー』ということになるのだろう」と書いた。まずはこの話から始めたい。

 勝負の世界では「手が合う」という言葉が頻繁に聞かれる。そもそもは「手が揃う」とか「予想が当たる」といった意味の言葉だったようだが、いつの頃からか「相性がいい」といった意味で使われることが多くなってきた。相撲の世界では「仲が良い」ということの隠語となっているともいう。このことから、好試合となる相手のことを「手の合う」相手ということもある。これを踏まえて考えると、ヴィッセルにとって広島というチームは、「手の合わない」相手といっても差し支えなさそうだ。
 筆者がこう思うのは、単なる勝敗上の話だけの話ではない。両チームの志向するサッカーの相性が悪く、一方の良い面が発揮された時には、もう一方の悪い面が顕在化してしまうという、「ゼロサム」のような関係にあるためだ。相手の良い部分を引き出しながら、ぶつかり合う好ゲームとはなり難い。これもサッカーの面白さの一端ではあるのだが、ヴィッセルの勝利を期待していた立場としては、何とも後味の悪さが残ってしまう。

 ポゼッションしながら相手を手のうちに入れていくヴィッセルのサッカーを「アクションサッカー」と呼ぶならば、広島のそれは完全な「リアクションサッカー」ということになる。3-4-2-1の布陣をベースとしながらも、守備時には全員が自陣に戻っての5バックとなり、ゴール前を固めて守り、そこからのカウンターを狙ってくる。今季は高い位置でボールを奪ってのショートカウンターも加えながら戦っているが、全ての行動がシンプルであるため、選手に迷いは少ない。この種のサッカーを志向する場合、運動量を担保することが難しいのだが、広島の選手たちは、90分間これを落とさないだけの体力を身につけている。そしてボールホルダーに対しては、複数の選手で強く当たっていくという決めごとを、愚直なまでにやり続けるだけの真面目さもある。このスタイルは城福浩監督就任以前から貫かれているものであり、最早「広島スタイル」と呼んでも差し支えないだけの確立されたものになりつつある。城福監督は2年前の就任時に、「これまで以上に足を前に出してくれ」と選手に求めたという。守備時の強度を上げるための発言ではあるが、これがチームに根付いている。


 サッカーに完璧な戦術が存在しない以上、当然広島にも弱点はある。それは「ボールを持たされた時」の戦い方が存在しないということだ。これを語る上では、「アクションサッカー>リアクションサッカー」という、誤った認識を完全に排除した上であることを前提としたい。自陣で守備陣形を整えることの多い広島にとって、ボールを握った際には、如何にしてボールを相手ゴール前に運ぶかということが課題となる。スピードとスタミナに優れた選手は多いが、ボールの動かし方は直線的であり、パススピードもさほど速いわけではない。そのため、相手に引かれてしまうと手詰まり感が出てしまう。だからこそヴィッセルのように「ボールを握ることのできるチーム」を相手にした際は、ボールを握ることを放棄し、守備の中で相手の長所を消しながら我慢の時間を経て、自分たちの得意な形に持ち込むことに徹してくるのだ。試合前日の、城福監督「我々がボールを持っている時から、どのエリアでどのぐらいの時間で持てているかというところから、彼ら(ヴィッセル攻撃陣)のストロングを消すことは始まっている」というコメントなどは、それを象徴的に表している。

 以上のことを前提とした場合、ヴィッセルには二つの戦い方があった。一つはポゼッションを軸とするいつも通りの戦い方、そしてもう一つは敢えて広島にボールを握らせる戦い方だ。どちらが正解ということはない。そしてトルステン フィンク監督は前者を選択した。試合後、城福監督は「前半はボールを持たれすぎた」と語っていたが、これは感覚的な話ではない。前半のヴィッセルのポゼッション率は60%。試合を通じてのヴィッセルのポゼッション率は65%。広島の選手の実感としては、殆どの時間帯でヴィッセルにボールを持たれていた感覚だろう。その意味ではヴィッセルも広島も狙い通りの戦い方となった。試合後の会見で、フィンク監督は「自分たちがやりたいサッカーの形には入れたと思う」とコメントした。事実、試合開始直後からヴィッセルは落ち着いてポゼッションし、広島を自陣内に留め、ボールを動かしながらブロックの隙を見つけ出そうとしていた。

 結果的に敗北は喫したが、このフィンク監督の狙いは正しかったように思う。それは、今季のヴィッセルが狙うべきはリーグタイトルであるからだ。広島戦だけに勝つということを目的にした場合は、別の戦い方もあったかもしれない。しかしそれは付け焼刃的なものであり、決して自分たちのベースにはなりえない。1年間を通じて、全てのチームを上回ったものがリーグチャンピオンのタイトルであるならば、確立された自分たちの戦い方で相手を倒していく強さは必要になる。現時点の練度で上回られていたとしても、正面突破を図ったフィンク監督の姿勢は、強い決意の表れであると評価したい。

 では問題点はどこにあったのだろう?それを考える上では、この4か月間にも及ぶ中断ということに触れざるを得ない。全てのチームに共通したことではあるが、この影響はヴィッセルにおいても顕著だった。
 コロナウイルスの感染拡大を防止するために、全てのチームが通常のトレーニングを自粛し、個人単位でのトレーニングに切り替えた。全ての選手が、個人レベルでは考え得る最適のトレーニングを行っていたと思うが、外出もままならない中では、できることには限りがある。チームもオンラインでのトレーニングなど工夫を凝らしていたが、体力的な部分も含め、チーム作りは振出しに戻ることを余儀なくされた。当然チーム内の連携も作り直しになる。
 昨季からのメンバーが中心のヴィッセルにおいても、この影響は想像以上に大きかった。それは細かくパスをつなぐ場面で見られた。パスコースは、多分に技術的な部分に依拠しているため、それほど大きなミスは見られなかったのだが、スピードの部分においては乱れが見られた。パスは、それを受ける相手のスピードを考慮しながら出さなければならないのだが、それが合っていなかったのだ。そのため広島のブロックを崩しにかかった部分で、数歩戻ったり、無理に足を延ばさなければならない場面が散見された。距離にして1m前後の些細なものではあったのだが、受ける体勢が十分ではないため、次のアクションに影響を及ぼしてしまった。その結果、思ったような崩しができず、広島のブロックを突破してペナルティエリア内に入る回数は、それほど多くはならなかった。ヴィッセルのサッカーは、圧倒的なポゼッションで相手を翻弄する。それを成立させるのが、確度の高いプレーであることは言うまでもない。それでも、既にベースは構築されているため、相手ブロックの前まで運ぶ上では見事な動きを見せる。事実、この試合でもアンカーに入ったセルジ サンペールを中心に、プレスをかけてくる相手をいなしながら、ボールを前に運び続けた。それこそが、敵将の言う「持たれすぎた」という部分だ。しかし相手が強度と密度を高めてくるペナルティエリア付近では、繊細なパスワークが必要となる。そしてこの日のヴィッセルは、それを発揮するには、細かなコンビネーションが取り戻しきれていなかった。
 これに対して広島のサッカーは「シンプル」であるが故、ヴィッセルに比べてスタイルを取り戻すのにかかる時間は短い。それまでの蓄積があればこそではあるが、この試合に限って言えば、チームとしての練度は広島が上回っており、それが結果に直結したとも言える。


 また攻撃面では2トップのドウグラスと古橋亨梧が、試合勘を取り戻しきれていなかったように見えた。両選手ともボールが足につかず、攻撃を寸断させてしまう場面が散見された。城福監督は試合前、注意すべき点としてこの二人の名前を挙げていた。両選手の前に飛び出すスピード、そして突破する力は高く、アンドレス イニエスタという「最終兵器」の威力をより引き出しつつある。そう述べて、この二人に自由を与えないことが、試合の鍵だと話していた。事実、広島の守備はこの両者に集中していた。イニエスタやセルジ サンペールといった「出発点」よりも「目的地」を抑える策だった。これは理に適っている。
 イニエスタやサンペールは、高いキープ力を持っており、それぞれ一人で複数の選手を剥がすこともできる。ここに食いついてしまうと、それは他の複数の箇所で緩みが生じるということにつながってしまう。そう考えれば、彼らほどのキープ力はないものの、ゴールに近い位置でプレーしてくるドウグラスや古橋に守備を集中させるのは、当然の帰結点だったともいえる。
 そして広島の守備は厳しかった。特にドウグラスがゴールに背を向けて後ろからのボールを受けようとする場面では、ほぼ100%身体を当てることで体勢を崩しにかかってきた。そしてそこからターンを試みた段では、足もとに厳しく寄せることでシュートを打たせないようにしていた。ドウグラスと一緒にプレーした経験のある選手も多く残っているため、その実力を知っていればこその厳しい対応だったのだろう。
 古橋に対しても同様だった。左サイドに大きく開いて、そこからイニエスタ或いは酒井高徳とのワンツーで抜け出そうとする古橋に対して、その走路を塞ぐことで思うようなプレーをさせなかった。外に逃げる分にはそれほど厳しくいかず、内に入ることを徹底して防ぐ対応は、古橋の怖さを正しく認識していた結果ともいえる。
 そしてドウグラス、古橋両者への対応に共通して言えることだが、必ず複数の選手で対応していた。これを遂行するためには全員が90分間動き続けなければならない。長い中断期間明けでこれだけ動けるとは、筆者も思っていなかった。厳しいトレーニングを課しているという話は聞いていたが、短期間でここまで仕上げてきた広島がいい準備をしてきたことは認めざるを得ない。


 こうした点をまとめて「試合勘」と表現するならば、それは守備面にも影響していた。それはGKの飯倉大樹に顕著だった。誤解なきようにしていただきたいのだが、飯倉のプレーに特段の問題があったわけではない。それどころか、最終ラインの中に入ってボールを動かすことのできる足もとの技術や、守備範囲の広さはさすがだった。しかし飯倉のプレーを支える「前への飛び出し」という点においては、中断前とはタイミングが違っていたように見えた。相手の出てくるスピードと味方の位置や戻るスピードを計算に入れて、飛び出すタイミングを決めているはずだが、そこに僅かな計算違いがあったとしても、それは仕方のないことだろう。この部分ばかりは、実戦を重ねることでしか身につかないからだ。通常の場合、12月頭にシーズンを終えたとしても、次のシーズンが3月頭には始まっているため、中断期間は3か月にも満たない。しかもその間、キャンプでの練習やトレーニングマッチを繰り返すことでその感覚を研ぎ澄ましていく。しかし、今回の場合、そうした機会がほとんどないままに実戦を迎えざるを得なかった。この日、大当たりだった相手GKの大迫敬介のように、ゴールマウスの中にステイして守るタイプであれば、飛んでくるシュートへの反応だけに集中することで守り切ることもできるが、飯倉のように前に出ることで守備範囲を広げるタイプにとっては、試合の中でのスピードを読む力が求められるだけに、不運だったというほかない。とはいえ、飯倉が元来持っている能力は高い。この試合をこなしたことで、試合特有のスピード感もだいぶ取り戻したことだろう。トップフォームへ戻る日はそう遠くない筈であり、心配は要らないだろう。


 この試合で顕在化した問題点としては、セットプレーへの対応を挙げたい。試合を動かした先制点は左コーナーキックを、ニアサイドに入ったハイネルが頭ですらし、それがファーサイド側にいたレアンドロ ペレイラの足もとに落ちてしまい、それを流し込まれたものだった。ここでレアンドロ ペレイラの得点そのものは、さほど問題ではない。ボールの落ち方は多分に偶然性に拠ったものであり、落ちる場所が違っていれば得点とはならなかったと思われるからだ。問題はニアサイドでハイネルの頭に合わされたことにある。コーナーキック時、ヴィッセルはゾーンで守っている。加えてゴール前に背の高い選手が入るため、ニアサイドでの高さ勝負では負けることが多い。そのためこの場面のように、落ちた場所によっては失点につながってしまう。ここでセットプレー時の守備体系をマンツーマンにするのか、それとも人の配置を変えるのか。いずれにしても何らかの改善は必要かもしれない。

 この試合では「これぞヴィッセル対策」とでもいうべき戦いをされてしまった。今後もこうした戦いを見せてくるチームは、必ず出てくる。ここで話は冒頭の「自分たちのサッカー」に戻る。「ポゼッションしながら相手を崩す」という基本部分は練度も高くなってきており、変える必要はないだろう。「自分たちのサッカー」を貫きながら、相手を倒すためには、アタッキングサードでのパターンを増やすことだろう。そのヒントは西大伍が示していた。試合中、何度も右サイドで相手の裏を取り、そこからゴール前へのクロスやマイナスのボールなど変幻自在のプレーを見せていた。このセンスの塊のような選手には、相手の急所が見えていたのだろう。事実、西から生まれたチャンスは多く、それが一つでも決まっていれば、試合の結果はまた違ったものになっていたかもしれない。
 相手が低い位置に強固なブロックを組んだ場合、その間でボールを受けてターンして突破していくプレーは強力ではあるが、成功率は高くない。であればその確度を高めるためにも、サイドに起点を作り相手のブロックを広げていく工夫は必要になる。そうして中央に入るドウグラスや古橋にスペースさえ与えることさえできれば、高い決定力で相手ゴールをこじ開けてくれるだろう。

 試合勘ということで最後に付記するならば、何試合かはレフェリーもそれを取り戻す戦いが続く。試合後にフィンク監督が言及したように、ペナルティエリア内でヴィッセルの選手が倒された場面は何度かあった。この試合の審判団が見せた、試合の流れを大事にしたジャッジは悪くなかったが、レフェリーも試合についていくことに一生懸命であり、余裕があったようには見えなかった。誤審が云々ということではなく、レフェリーも試合勘を取り戻す戦いの最中であるということを念頭に入れた戦いを数節は心掛けた方が良さそうだ。


 最後に、この日のための準備を続けてきたクラブスタッフにも、最大限の敬意を表する。無観客での開催となったゲームではあるが、事前から様々な企画を練り、スタンドをヴィッセル色で染め上げていた。そして新応援システムを使い、無観客であることを忘れさせるようなムードを作り出していた。今回の「コロナ禍」に対しては、早くから正しく恐れ、他クラブのお手本とのなるような応援スタイルを確立させたヴィッセルらしい試合運営だった。

 悔しい敗戦とはなったが、フィンク監督の言うように、ヴィッセルのサッカーが否定されたような敗戦ではない。選手たちが本来の調子を取り戻せば、「苦手」広島相手でも、十分に渡り合えることは間違いない。そして何より、チームが成長していることを感じることもできた。それを感じさせてくれたのは、左センターバックで先発出場した渡部博文だ。アグレッシブに前にボールを運び、相手を引き付けて時間とスペースを味方に作る意識が、これまで以上に見られた。30歳を超えたベテランだが、チームの成長に合わせ、渡部もまた成長している。この試合では出番はなかったが、ベンチ入りを果たした佐々木大樹など、楽しみな存在も増えてきた。「超過密日程」を戦い抜くためには、こうしたチーム全体の底上げは必須だ。
 この日の結果は真摯に受け止める必要はあるが、今は自分たちのトップフォームを取り戻すこと、そして体力の回復を最優先してほしい。先行きの読めない今季のリーグ戦ではあるが、まずは中3日で行われる次節アウェイ鳥栖戦、そこから中2日での大分戦に集中し、最良の結果で乗り切ってほしい。