覆面記者の目

J1 第23節 vs.広島 Eスタ(10/18 17:03)
  • HOME広島
  • AWAY神戸
  • 広島
  • 2
  • 2前半0
    0後半1
  • 1
  • 神戸
  • 佐々木 翔(43')
    レアンドロ ペレイラ(48')
  • 得点者
  • (84')ダンクレー

今から半世紀以上前、プロ野球の世界に「王シフト」という言葉が生まれた。王貞治氏に対して広島カープが見せた守備陣形のことだ。打球の70%以上が右方向に飛んでいるというデータに基づき、野手の6人をセンターから右方向に守らせるという極端な守備を敷いた。後年、この奇策を打った白石勝巳監督に話を聞いた先輩記者の話を紹介したい。このシフトを提案した時、コーチ陣からは猛反対されたという。左ががら空きになる以上、そこに打たれたら長打になるというのが理由だったという。しかし白石氏には計算があったそうだ。「そこに打つようであれば、王は打撃フォームを崩すことになる。長期的に見れば、どちらに転んでも損はない」という考えだ。そして話の最後に白石氏は「王は一度も左を狙わなかった。だからあれだけの打者になれたのだろう」と語ったという。

 この試合においてヴィッセルは、自らの長所を発揮できないままに試合を終えた印象がある。最後のシーンを考えればドローが相応しかったのかもしれないが、トータルの試合内容を振り返った時、「広島の試合」であったことは間違いない。前回対戦の借りを返すべく、万全を期して臨んだ試合ではあったが、返り討ちにあってしまった。その最大の理由は、ヴィッセルが自らのスタイルを貫けなかった点にあるように思う。これについて考えるために、まずは2つのポイントを振り返ってみる。


 1つ目はサイド攻撃だ。この試合で三浦淳寛監督は4-3-3の布陣で試合に臨んだ。GKには飯倉大樹。最終ラインはセンターバックにトーマス フェルマーレンとダンクレー。サイドバックは西大伍と酒井高徳。中盤はアンカーにセルジ サンペールを置き、インサイドハーフにアンドレス イニエスタと山口蛍。前列は中央にドウグラス、左に古橋亨梧、右に郷家友太という布陣だ。これに対して広島は3-4-2-1の布陣。元々噛み合わせが悪いこの二つの布陣ではあるが、どちらが有利ということもなく、この時点ではイーブンの関係にある。
そして、広島の一つ目の狙いは酒井の箇所だった。
 ヴィッセルの攻撃において最大のストロングポイントが左サイドであることは、言を俟たない。その中で鍵を握っているのが、酒井の位置だ。酒井―イニエスタ―古橋の3者の関係性で構築されるこのサイドは、酒井が高い位置を取ることから始まる。そして酒井と古橋がサイドとハーフスペースで入れ替わりながら敵陣の深い位置まで侵入していく。これを許してしまうと、広島の布陣は大きく乱れる。そのため2列目のエゼキエウを中心に、酒井に蓋をすることが最初の目的だった。酒井の位置を低い位置に留めて置く限り、広島の右サイドは高い位置を取ることができる。
 エゼキエウの守り方は実にシンプルだった。酒井の前に立ち、突破に対しては正面で走路をブロックするというものだった。酒井にボールを出す上ではフェルマーレン、或いは飯倉といったところから出るケースが多いが、酒井を追い越さないようにして、ボールを受ける際に前に立つ。これを繰り返すことで、酒井が前に出られないようにした。酒井をフォローするためにイニエスタや古橋が下がってくる場面もあったが、その際には右ウイングバックの茶島雄介やボランチの野津田岳人といったところがこれに合わせ、数的な同数を維持することに徹していた。そのためイニエスタの技術で抜けたとしても、最終ラインの野上結貴を残しているため、守備の体制はさほど崩れていなかった。


 一方の右サイドに目をやると、左サイドほどのプレッシャーはなかったと言える。広島の中で最もボールスキルが高い、2列目の森島司が一人で見る場面が多かったからだ。森島と西の力関係でいうと、どちらかが圧倒できるほどの差はなく、西が高い位置に上がる場面も多く見られた。しかしこちらのサイドは、西を呼び込む動きのところに問題があった。ポジション的に言えば郷家なのだが、郷家が西を呼び込むまでの動きを見せられなかったため、決定的な崩しを作り出すことはできなかった。郷家がサイドに張り出し、ワンツーで西を中に走らせる場面は何度か見られ、それは西の攻撃力を活かす一つの形ではあるが、広島の守備が中央を固めているため、中へのクロスも決定的ではなかった。
 郷家はボールスキルも高く、フィジカルも何ら問題はない。西からのボールをワンタッチで返すこともできるのだが、ここで問題なのは郷家の球離れの良さだ。ワンタッチでボールを動かすのは、スピードを落とさないという点については高く評価できるのだが、最大の目的である「相手を動かす」という部分がなければ、スペースや時間を作り出すには至らないため、効果は半減している。さらに言えば郷家がつなぎ役に徹するであろうことは、広島は織り込み済みだったように思える。郷家がボールを受けた時、主に最終ラインの佐々木翔が攻撃的な進路に立っているだけの場面が多く、左ウイングバックの東俊希と同サイドのボランチ川辺駿は西の中央への動きを警戒していた。単純に言ってしまえば西は1対2、郷家は1対1の関係にあったのだ。ここで郷家が自ら仕掛ける姿勢を強く出すことができれば、川辺は対応が難しくなり、同じワンタッチパスでも相手が動いたはずなのだが、そうした場面はあまり見られなかった。要は、相手を崩す仕掛けが不足していたということになる。


 2つ目のポイントはアンカーの脇のスペースだ。サンペールをアンカーとして配置することの多いヴィッセルにとって、ここが最も警戒を要する箇所であることは言うまでもない。これはサンペールが云々という話ではなく、構造的な問題だ。デュエルの部分では強さを発揮するサンペールだが、広いスペースを一人で管理するタイプの選手ではない。その長所は攻撃面にある。ボールスキルが傑出して高いため、相手を引き付けながら前進し、そこでボールを捌くことができる。そのため引き付けた相手の分だけ、スペースが生まれ、ボールを握っている時間の分だけ、味方に時間を作り出す。一部専門誌などではスルーパスにばかりフォーカスしているが、最も大事なのはここだ。
 この試合では、広島が前述したようにサイドに蓋をする動きを見せていたため、ボールを握った際にはそれほど強いプレッシャーを受けることはなかった。実はこれも広島のサンペール対策だった。サンペールに食いついてしまい、そこでかわされてしまうと、その分だけ自分たちの守備に穴が開くことを理解しているため、サンペールがボールを握っている際はその受け手をマークする。それを繰り返すことで、サンペールを無効化しようとしたのだ。特に中央部の縦と左サイドを厳しく切っていた。こうなるとサンペールのフォローとして、イニエスタが低い位置まで落ちてこざるを得なくなる。イニエスタとサンペールのボールスキルであれば、広島の守備をかわすことは問題なくできるのだが、今度は肝心のイニエスタと前の攻撃陣との距離が開いてしまうという問題に直面する。結局は全体が低い位置にポジションを取ることになり、広島の守備に対して、帰陣して陣形を整えるだけの時間を与えてしまう。
 昨季終盤、ヴィッセルの基本形とされた形を思い出すと、サンペールが扇の要の位置に入り、全体が扇形のようにロンドを形成し、相手をその中に閉じ込めていた。そして前線に近い位置にイニエスタがいることで、攻撃陣はボールが出てくることを信じて相手ゴール前に飛び出すことができていた。相手が外を取った場合も、ビルドアップの動きの中で、ボールを使いながら相手を引き出し、ヴィッセルの意図する位置へ誘導していた。しかしこの試合ではサンペールは扇の要ではなく、全体的にも相手を閉じ込めるには至っていなかった。その形を整えないままにボールを速く動かしてしまったため、セカンドボール奪取率は低く、広島のカウンターがより発動しやすい状況になってしまっていた。

 ここまで挙げた二つのポイントを考えた時、ヴィッセルのサッカーにおいて最も大事なものが浮かび上がってくる。それは「時間とスペース」という概念だ。ビルドアップ時に時間を作ることで、味方がポジションを取り直す余裕を作り出す。同時に相手選手を引き付けることで、スペースを作り出す。そしてそのスペースを味方に使わせる。この連続した動作は理に適っており、相手をコントロール下に置く動きといえる。もう一つ大事なことは、これを実行する際にスピードよりも正確性が重要であるということだ。正確で速いことがベターであることは言うまでもないが、スピードと正確性のどちらが重要かといえば、完全に後者だ。以前にも紹介したフアン マヌエル リージョ元監督の「速く送ったボールは、それ以上のスピードで敵を連れて帰ってくる」という言葉は、これを表している。全員が正確なポジションを取ることから、ヴィッセルが目指すサッカーは始まる。ボールホルダーは、味方がポジショニングする時間を作るためにもボールを握り続けなければならない。そしてボールを動かしながら相手を自分たちが管理するスペースに閉じ込め、ボールを奪われた際は一気に取り返し、さらに優位なポジションを取る。この繰り返しこそが、ヴィッセルが目指すべきサッカーであり、だからこそオープンな展開になることは現に慎むべきなのだ。

 守備面についても同じことが言える。全員が正しいポジションを取れていないため、ボールを失った際、近くの選手が素早く取り返しにいっても、それが連続しない、そのため個人で取り返す作業の連続になる。ネガティブトランジションのスピードにこだわることはもちろん大事なのだが、その際にも全員が正しいポジションを取っていることは、守り切るための条件となる。逆に言えば、これが整っていればボールを失ったとしても、そこから相手に攻め込ませることはなく、逆にボールを持っている相手を狭いエリアに押し込むこともできる。そこでボールを奪うことができれば、十分なスペースを使ったカウンター攻撃も可能になるのだ。


 三浦監督が選手にスピードを求めるのには、合理的な理由がある。広島などは顕著だが、中央に強固なブロックを築く相手に対しては、如何にボールを握ったところで、それを崩すことは難しい。ならば相手の陣形が整う前に素早く前にボールを送り、一気に攻め切る。これが最も効率的な攻撃であることは、言うまでもない。そしてヴィッセルには、ドウグラスや古橋といった、そうした攻撃でも効果を発揮する選手がいる。しかしこの試合に関する限り、三浦監督の中で迷いがあったようにも感じている。それは自らがスポーツダイレクターとして追求してきた、ヴィッセルが理想とするサッカーと、現実的な勝点との選択における迷いだ。サッカーに完璧な戦術が存在しない以上、どちらが間違いということはない。どちらを選択するにせよ、振り切ってしまわなければ、それは結果には結びつき難い。

 こうしてこの試合のポイントを振り返ってくると、前節で採用した3バックは、この試合で露見したヴィッセルの問題点を解決する一つの方法であることが判る。両サイドバックをウイングバックの位置まで上げることで、攻撃のスタート位置は高くなる。また昨季見せたような、3バックの間にGKを迎え入れる「偽4バック」とでも呼ぶべき形は、相手の攻撃に対して人数的な釣り合いを取り、ビルドアップを容易にするだけではなく、アンカーに対するフォローとしても機能する。ただしこの場合、サイドからの攻撃に対しては、ウイングバックが上下動を要求されることになり、ここが疲弊してしまうと、本来の目的が失われてしまうというデメリットもある。

 前記した通り、サッカーに完璧な戦術は存在しない。どの戦術にも長所と短所がある。選手に応じた比較の中で、それは決定されるしかない。しかも相手との兼ね合いの中で、時には広島戦のように噛み合わせの悪い結果に陥る可能性もあるのだ。監督にとっては、これほど難しい決断はないだろう。しかし一つだけ言えることは、三浦監督の中にすでに正解はあるはずだということだ。理想を追い求めたリージョ元監督、それを現実論の中に落とし込んだトルステン フィンク前監督。こうした指導者に対して、スポーツダイレクターとして向き合ってきた三浦監督は、彼らのエッセンスを吸収している筈だ。いわば材料は揃っている。あとはそれを正しく加工し、調理することができれば、最高の料理が出来上がる。三浦監督がスポーツダイレクターとして集めた選手たちが、それだけの素材であることは間違いない。

 次節は中2日で、ホームに鹿島を迎えての戦いとなる。現実的に考えて、何かを変えるような時間はない。まずは広島戦からの回復を優先することになる。そこで最も重要なのが、メンタル面の回復だ。試合終盤には怒涛の反撃を見せ、最後は古橋のクロスが東の手に当たったが、残念ながらハンドは認められなかった。映像で見直してみたが、古橋の蹴ったボールは明らかに東の掌に当たっていた。さらに東の手は身体の幅よりも広がっており、ハンドを取るべき事案だった。上手くいかないなりにも、最低限の勝点1は持ち帰れるはずが勝点0に終わったという事実が、選手の気持ちに暗い影を落としても無理はない。しかしそこに留まっていてはいけない。次の試合までに切り替えるのも、またプロの仕事なのだ。ヴィッセルの選手たちは十分に承知しているだろうが、今は鹿島戦の勝利だけを考えてほしい。


 最後に、冒頭の話の続きを少しする。「王シフト」に対して、王氏は「ホームランにシフトは関係ない。全員の頭を超えればいいんだろうという思いで打席に入っていた」と後に語っている。どんな対策をされたとしても、それを質的に超えていくことで、相手の狙いを無効化する。茨の道ではあるが、これこそが王道でもある。