覆面記者の目

J1 第17節 vs.名古屋 豊田ス(9/19 17:03)
  • HOME名古屋
  • AWAY神戸
  • 名古屋
  • 2
  • 1前半1
    1後半0
  • 1
  • 神戸
  • 金崎 夢生(42')
    金崎 夢生(56')
  • 得点者
  • (15')山口 蛍

数か月前、2021年のダボス会議のテーマが「グレート・リセット」になるというニュースが流れた。この言葉をタイトルにした書籍を目にしたのは、何年も前のことだったように記憶しているが、なるほど今回のコロナ禍によって経済が転換点を迎えたという視点に立てば、この言葉は活きてくると感心した。
 コロナ禍によって、それまでの方針を大きく変えなければならないという点では、ヴィッセルも「グレート・リセット」を必要としているのかもしれない。


 名古屋に敗れたことで、公式戦8試合勝利から遠ざかった。
ヴィッセルのメンバーやサッカーの質を考えた時、これは「異常事態」と言ってもよい。優れた能力を持つ選手が多く揃っているだけに、シーズン前は優勝争いのダークホース的存在として名前を挙げる人も多かったヴィッセルの現状については、サッカー関係者の多くが戸惑っている。その多くが「この超過密日程の中で、戦力の薄さが響いている」と、理由を分析している。これは大方の声でもあるだろう。そんなことはトルステン フィンク監督自身が最も承知している類の話だ。シーズン開幕前からフィンク監督は「今年はAFCアジアチャンピオンズリーグ(以下ACL)もあり、厳しい日程になる。これを乗り切るためにも若手選手が力をつけることが、最も大事なことだ」と、複数の場所で発言している。
しかし現状は、若手選手は期待ほどの成長を見せていない。これは練習量とは無関係の結果論だ。文字通り結果論ではあるが、レギュラーを脅かすところまで至っていないのは現実であり、これがレギュラーの稼働率を異常に高める要因となっている。二転三転しているACLの日程を考慮し、ヴィッセル、FC東京、横浜FMの3クラブはリーグ戦の日程消化を急いでいる。今季はコロナ禍によって3か月以上もの中断期間を挟んだため、それは無理を伴うものとなっている。Jリーグもそれは十分に理解している。リーグ戦を成立させるためには、兎にも角にも日程を消化しなければならない。となると、スポーツの根幹である「公平性」を担保することは不可能だ。そのため今季は「昇格あり、降格なし」という、超法規的ともいえるレギュレーションでのリーグ戦開催となっている。
この状況はFC東京や横浜FMも同様であり、ヴィッセルだけが厳しい訳ではないという声も一部にはある。まずはヴィッセルがどの程度厳しいのか、現状を整理してみる。

 3クラブの在籍人数を比べると、FC東京が31選手、横浜FMが37選手に対して、ヴィッセルは29選手(2種登録含む)。この中でリーグ戦の出場記録を持つ選手の数は、FC東京、横浜FMとも27選手だったのに対して、ヴィッセルは23選手だった。
 次にこの出場記録を持つ選手たちが、消化試合の中でどの程度出場しているかという割合を調べてみた。18試合を消化しているFC東京で最も出場時間が多いのは、センターバックの渡辺剛で89.38%(1,448分)の出場時間だった。ヴィッセルと同じく19試合を消化している横浜FMでは、ボランチの扇原貴宏が78.65%(1,345分)の出場率だった。これに対してヴィッセルで最も多かったのは山口蛍で、出場率は驚異の96.55%(1,651分)だった。さらにヴィッセルで2位の酒井高徳も89.53%(1,531分)と、全体でも2位の出場率となっていた。
 この出場率に着目してみると、各チームの特徴が浮き彫りになった。全体の50%以上出場している人数が、FC東京が9選手、横浜FMが11選手、ヴィッセルが10選手となっていたのだが、興味深いのはその分布だ。FC東京は61.6%から89.38%の中に9選手が分布しており、ヴィッセルは57.31%から96.55%までに10選手が入っている。この2チームは似た傾向だったが、異なる傾向を見せたのが横浜FMだった。50.41%から78.65%までの中に11選手と「広く浅く」分布していたのだ。
 こうした数字からは、ヴィッセルは「特定の選手」に負担が偏っており、彼らの疲労蓄積がそのままチーム状況に反映されていることが推測できる。その「特定の選手」とは、出場割合が7割を超えている西大伍(70.64%)、セルジ サンペール(71.17%)、古橋亨梧(73.1%)、大﨑玲央(73.57%)、飯倉大樹(73.68%)、そして傑出した出場割合となっている酒井、山口の7選手だ。アイドル好きの人ならば「神セブン」とでも呼びたいところだろうが、今のヴィッセルにとってはそんな悠長な話ではない。
昨日の名古屋との試合でも、古橋や酒井などはスタンドから見ていても疲労の色がかなり濃く、本来のパフォーマンスが発揮できているとは言えなかった。大﨑も最終ラインからボールを運ぶ上で、これまでは相手をかわしていた切り替えが、相手を剥がせなくなっていた。これは名古屋の選手のレベルが高かったのではなく、大﨑自身の動きにいつものキレがなかったためだと思われる。


 試合後、山口は中2日のヴィッセルに対して、中1週間の名古屋という組み合わせは、コンディションの差が大きかったのではないかという問いに対して「コンディションの差はそれほどなかったと思う。それを言い訳にしてはいけない。全員がもっと走らなければいけない」と語った。誰よりも多く試合に出続けている山口の発言であるだけに、とてつもない重みを伴っているが、ここは山口の意見を尊重しつつも、敢えて異論を述べたい。
 ヴィッセルに加入以降、山口を見ていて感心するのは、コンディション調整の巧みさだ。C大阪アカデミー時代、三重県から数時間かけて大阪まで通い続けるという「過酷な移動」を日常としている中で、そうしたコンディション調整を身につけたのかもしれないが、とにかく山口は安定して試合に出場し、安定したパフォーマンスを見せ続ける。Jリーグ全体を見渡しても、傑出した安定感であることは間違いない。この試合でも一気にカウンターで前に上がり、先制ゴールを挙げたプレーには、最大級の賛辞を贈りたい。プロとなって10年以上、コンディションを整えるために、どれだけの努力をしているのかと思う。しかし、これは山口蛍という、名選手の特性的なものだ。
 その他の選手も、山口と同等にプロ意識は高く、コンディション調整に余念はないはずだ。それでもこれだけの過密日程であれば、疲労を感じ、パフォーマンスが落ちていくのは仕方のないことだ。

 ここ最近のヴィッセルの試合では、試合開始から45分、或いは60分頃までは安定したパフォーマンスを見せることが多い。その時間帯は、ボールを動かし、相手をロンドの中に閉じ込めゲームをコントロールしているのだが、時間経過とともにその精度が落ちていき、パスがつながらなくなっていく。選手交代も限定的であり、チームパフォーマンスを向上させるまでには至らないことが多い。それが現状であることは、衆目一致するところだろう。この名古屋戦では、その時間はさらに短くなり、古橋などは前半のうちに本来のパフォーマンスからは程遠くなっていたように感じられた。

 試合後、蓄積疲労によるパフォーマンス低下を問われたフィンク監督は「一致団結し、調整しながら戦う」と語ったが、これは決して解決策ではなく、何とかしたいという心中を吐露したに過ぎない。今のヴィッセルにとって最も必要なのは、「グレート・リセット」であり、そのための方策は大幅なターンオーバーによる、主力選手の休養に他ならない。

 プロ野球界不世出の大打者・落合博満氏は、監督時代、選手から疲労を感じるとバッティング練習を止めさせていた。落合氏はその理由を「疲れている中で無理をしてバットを振ると、疲れている個所を庇うため、フォームが崩れる。それを続けていると、本来のフォームを見失う」と語っていたが、これはサッカーにも共通していると思われる。
 今のヴィッセルは、パスをつなぎながら相手をロンドの中に閉じ込めようとするが、疲れているため、本来の場所に動くことができない場面が散見される。そのため、何でもない横パスがタッチラインを割ったり、相手にカットされるという事態が起きる。それでもトレーニングの中で培った技術を活かして、ここまでは戦ってきたが、さすがに限界にきているように感じられる。このまま続けていると、パスをつなぐことだけが目的となってしまい、ここまで育ててきたチームとしてのメソッドに狂いが生じる可能性すらある。この先ヴィッセルが反撃していくためには、川崎FやC大阪も振り回すことのできたパスワークは根幹となる部分でもある。選手たちは、頭ではやるべきことは理解できているが、思ったように身体が動かない状態なのだろう。意図は感じるが、2つ目3つ目のパスがカットされるシーンがこのところ増えている。

 プロの戦いにおいては、勝利を目指すことが義務であり、目の前の試合に全力で当たることが求められる。しかし同時に、プロの戦いではトータルでの成績も求められる。ここで1試合、或いは2試合をターンオーバーさせて戦うことは、残り試合でヴィッセルが反撃するためには、決して無駄になる話ではないと思う。
 前記したように、FC東京は比較的、似通った疲労度であると思われる。しかしFC東京がサッカーの中でそれをヴィッセルほど感じさせないのは、サッカーのスタイルの差だ。FC東京に対するリスペクトを持った上で言うのだが、FC東京のサッカーはシンプルだ、中盤から後ろで守り、前線のブラジル人アタッカーに委ねる。これに対し、ヴィッセルのサッカーは運動量こそそれほど多くはないが、常に考えることが求められる。これは大きな差でもある。以前にも紹介したことがあるかもしれないが、日本サッカー協会会長を務めた岡野俊一郎氏は生前、「サッカーにダブルヘッダーがないのは、頭の疲労が激しいからだ」と言っていたというが、ゴールまでの道筋を複数考えながら、最適解を取り続けていくヴィッセルのサッカーは、いわば走りながら詰将棋を解くようなものだ。その疲労度は、計り知れない。

 ここでターンオーバーさせることは、若手選手の奮起を促す上でも有効な手段だと思われる。ヴィッセルの選手を出場時間順に並べた時、ケガの田中順也を除けば、下位はすべて若い選手たちで占められている。安井拓也から佐々木大樹まで8選手が、35%以下の出場にとどまっている。チーム構成が似通っているFC東京であれば、最多出場の渡辺を筆頭に小川諒也、安部柊斗が60%以上の出場を果たしており、高卒2年目の中村拓海でも30%を超える出場を果たしているように、若い選手がベテラン選手の中に食い込んでいっているのだ。ヴィッセルの若い選手が、FC東京の選手に比べ能力的に劣っているとは、どうしても思えない。アンドレス イニエスタを筆頭に高い実績を誇る選手が並ぶヴィッセルにおいて、レギュラー争いに食い込んでいくのは並大抵のことではないが、その気概を持ち続けているかという点は、プロとして問われる。


 名古屋戦で途中出場した郷家友太などには、特にそれを問いたい。この試合で郷家は、ほぼ存在感を示せなかった。周りの足が止まっていたことも考慮すべきではあるが、一度ペナルティエリア近くでボールを握りながら、前に仕掛けるそぶりも見せずボールを戻したシーンは、正直残念だった。周りが疲れているからこそ、そこで自分が流れを変えるという強い気持ちを出して欲しかった。もちろんバランスを崩してまで、攻撃を仕掛けるような自己顕示欲は求められていないとは思うが、チームを活性化させる積極性は絶対に必要だ。郷家の特徴である「巧さ」を勘案すると、そこで無理をせず確率の高い方を選択できるクレバーさと評価すべきなのかもしれないが、それは平時の話だ。主力選手の多くが疲労を色を隠せない以上、それをカバーするのは若い選手たちの義務でもある。彼らがその義務を果たさなければ、ヴィッセルが本当の強さを手に入れることはあり得ない。
 そう考えると、どこかの試合を彼らに預け、その勝敗に責任を持たせることは、ヴィッセルの未来を考えた時、有効な手段と言えるように思う。かつてヴィッセルの社長を務めていた安達貞至氏は、ことあるごとに若手選手だけの試合にも賞金をつけたいと口にしていた。トレーニングや練習試合では、本当の力はつかないというのがその根拠だったが、これは正鵠を射ている。公式戦に勝るトレーニングはない。だからこそ、もし若手選手がこの先、試合を任される時が来たら、それは「主力を休ませるためであり、勝敗は度外視している」ということでは決してないと、肝に銘じてほしい。その時は「勝利を義務付けられており、勝敗には責任を持たされている」ということである。

 最後に試合についても少しだけ触れておく。この試合が機能していたのは、前述したように前半の途中までだった。そこまでのヴィッセルのサッカーは、見事だった。名古屋を率いるマッシモ フィッカデンティ監督は、序盤から失点を喫するまでの流れについては、ヴィッセルのサッカーを高く評価していた。そのため、ヴィッセルが動ける間は守備に徹するよう指示を送り、失点後の飲水タイムにはイニエスタのマークを、人に強い米本拓司に変更するなど、ヴィッセルの攻撃を食い止めることに注力していた。
 ヴィッセルも体力消費を抑えながらうまく戦っていたが、マテウスのドリブル突破に体力を削られていった格好となってしまった。それでも2試合連続スタメン起用となった前川黛也を中心によく堪えていたが、2つのPKという不運に見舞われてしまった。最後はイニエスタも積極的な仕掛けを見せたが、らしからぬパスミスが散見されたのも、蓄積された疲労ゆえだろう。


 待望の戦列復帰を果たしたドウグラスだが、序盤はボールを前線で収める強さを見せ、ヴィッセルの攻撃にリズムを取り戻した。しかし時間経過とともにボールが入らなくなると、下がって受けに来るなど、前線での怖さはそれ程発揮できなかった。試合後には、まだトップフォームでないことを認めていたが、これは時間経過とともに解決する問題であり、心配は要らないだろう。寧ろ周りのコンディションが回復すれば、嫌でも前線で勝負する機会は増える筈であり、それがドウグラス本来の動きを取り戻すためのアシストとなるだろう。

 この試合を決定づけたのは二つのPKではあったが、フィンク監督が試合後に言及したように、二つ目のジャッジについては首を傾げざるを得ない。ルール改正により、今季はPKの基準が大きく変わってはいるが、映像で見直してもあの場面でサンペール、渡部博文ともファウルを取られるようなプレーには見えない。試合を通じて判定基準が曖昧だった印象を受け、円滑に試合を運営したとは言えないように感じた。

 とは言え、これまたフィンク監督が言及したように、この日のヴィッセルは低調なままであり、PKがなくても勝利したとはいえない。その意味では攻め切れなかった前節のC大阪を含め、コンディション回復が急務であることを印象付けた試合となってしまった。


 今季のヴィッセルにとって、大きな意味を持っているのがACLであることは言うまでもない。以前、Jリーグの職員の方から「ACLに出ると、クラブが成長する」という言葉を聞いたことがる。運営など、様々な面からバックアップしているJリーグの職員は、ACLの厳しい戦いを経て、出場クラブがフロントも含め、成長していくのを実感しているということだった。そう考えても、ヴィッセルにはACLで大きな結果を手に入れてほしい。幸い、グループリーグは首位に立っており、グループリーグ突破に最も近い位置にいる。このアドバンテージを活かすためにも、チームのコンディションを整え、若い選手たちを戦力として計算できるところまで、早急に引き上げてほしい。
 この苦境を、どのように乗り越えるか。監督や選手だけではなく、フロントスタッフまでをも含めたヴィッセルのクラブとしての力が、今、問われている。