この試合は62分を境に、全く異なる様相を呈した。そこまで試合の主導権を握っていたのは横浜FMだった。ヴィッセルの若い選手たちは、このディフェンディングチャンピオンの試合運びに翻弄されていたが、トルステン フィンク監督による主力選手4人の投入によってヴィッセルが主導権を取り返した。これに対して横浜FMが70分に見せた選手交代は、さほどの効果を発揮しなかった。むしろヴィッセルに勢いを加速させる結果となり、最終的には試合終盤の古橋亨梧による劇的な同点弾へとつながっていった。結局は、互いに主力選手の存在感の大きさを再確認する結果となったのは皮肉というべきかもしれない。
ヴィッセルを主語として語った場合、この試合で先発起用された選手には大きなチャンスが与えられた。ここへきてけが人も戦列復帰し、3連勝と波に乗ってきた昨季の王者を相手に自分たちの実力を示すことができれば、それはチームにとっても大きな前進となるはずだった。そうした状況を理解し、各選手とも強い気持ちをもって試合に臨んだことは疑うべくもない。1週間前の浦和戦では自分たちの力で、勝利をつかみ取った。これを自信としていたことは間違いない。しかし、この試合では思ったような結果を導き出すことができなかった。その理由は色々考えられる。経験不足、慣れない連戦への対応、初めて対戦する相手との力関係等々。そのどれもが正解ではある。しかしここで落ち込む必要はない。今、彼らに求められているのは終わった試合を振り返って悔やむことではなく、この経験を糧に進むことだ。そのためにも、この試合を正しく振り返ってもらいたい。
以前、昭和の名投手と言われた人物から面白い話を聞いた。それは正しい反省の仕方だった。自分が打たれた場面を振り返る時、多くの選手は「あの球を投げていれば」、「あそこに投げていれば」と考えるが、それでは進歩がないというのだ。その人物曰く、「打たれた時点では、そこに投げる力がなかった」ということを認めた上で、「どうやればその球を投げられるようになるか」という風に考えるべきだという。これは面白い考え方だと思った。「その球を投げられる」というのは球種やコースの話ではない。そうした選択をできる思考力のことだ。それを手に入れるために、自分が何を習得すべきなのかという風に考えることで、次の努力の方向が定まるという。
この考え方は、この試合で出場した選手たちにも当てはまるように思う。この試合で得たチャンスを活かすというのは、この試合で活躍することだけではない。この試合で巧くいかなかったという事実を糧に、鍛錬を積み、次の機会にもっと大きな仕事をすることができれば、チームにとって大きなプラスであり、この試合で起用したフィンク監督の期待に応えたことにもなる。
一方、フィンク監督は試合後、前半の戦いについて「我々はパスミスをしたり、スペースの使い方がよくなかったりしたため、前半については横浜F・マリノスのほうが内容で上回っていたと思います」と認めた。その後、若手選手たちの評価について尋ねられると「若い選手たちのせいで、ああいう状況になったとは言いたくない」と語り、あくまでも巧くいかなかったのはチームとしての問題であり、横浜FMという試合巧者との力関係の文脈で語った。これを、フィンク監督の優しさと捉える方もいるだろう。そうした部分があることは否定できないが、筆者はそれほど単純で感傷的な話だけではないと思っている。
試合前日、フィンク監督は今のヴィッセルの力について、1試合単位であればどこにでも勝てると自信をのぞかせた上で、「シーズンを通して川崎Fや横浜FMより良い成績で終われるかとなると、難しいと思います」と続けた。川崎Fの継続性、横浜FMの戦力を高く評価した格好だが、これは当然、フィンク監督が白旗を掲げたということではない。逆にフィンク監督がこの先の戦いを見据えているからこそ飛び出した、宣戦布告のようなものであると筆者は思っている。
リーグ戦は4割程度の試合を消化したところで、ヴィッセルは現在10位。シーズン前の期待からすれば物足りなさを感じる方も多いと思うが、勝負所はまだ先だ。今の時点では上位との差を見ながらの戦いで良い。川崎Fが頭一つ以上抜け出しているが、2位のFC東京との勝点差は7。決して悲観するような差ではない。今の時点では、目の前に迫ったJリーグYBCルヴァンカップ、そして10月に再開されるAFCアジアチャンピオンズリーグを意識しながら、戦力の底上げを図るべきだろう。
今年の特殊なスケジュール、そして連日の暑さを考えれば、ケガのリスクは例年よりも高い。この状況下で上位陣を追撃しつつ、カップ戦で結果を残すには、「控え選手」の質を引き上げていく以外にない。個々のレベルはもちろんだが、それをチーム戦術の中にフィットさせ、「誰が出ても同じサッカーができる」というレベルまでチームを成熟させていかなければならないのだ。それを意識しているからこそ、フィンク監督はこの連戦の中でターンオーバーさせながら、主力選手の負担を軽減すべく戦ってきた。それは、鹿島戦から始まる5連戦の中で20名を超える選手を起用したことからも窺える。
多くの指導者が「実戦に勝る練習なし」と言う。かつてヴィッセルの社長を務めた安達貞至氏などは「練習試合では駄目だ。真剣勝負の場である公式戦でなければ無意味だ」と、よく口にしていた。その考えの下、出場機会の少ない若手を下位カテゴリーにレンタル移籍させ、そこで公式戦経験を積ませた。その好例が、現在、柏で活躍する三原雅俊らであることは、古いサポーターの方ならばご記憶だろう。
若い選手にとって、今のヴィッセルで公式戦に出場することは、当時より更に大変な難事となっている。どのポジションにもワールドクラス、或いは代表経験者やそれに類する実力者が控えている。通常通りのシーズンであったならば、出場数0でシーズンを終える選手も少なくなかっただろうが、今季に限ってはそうはならない。そう考えると、若い選手たちにとっては、今季ほど成長のチャンスがある年はないともいえる。だからこそ、この試合で結果を出せなかったことを嘆くのではなく、現在の自分の立ち位置を認識し、それを解決するために必要なことを考えてほしい。それをフィンク監督も望んでいる筈だ。
この試合の前半、ヴィッセルはボールを握ることができなかったため、いつものようにクローズした試合を作り出すことはできなかった。目立ったのは、ミドルレンジのパスが相手選手にカットされるシーンだった。そこから横浜FMはカウンター攻撃を仕掛け、スピードでヴィッセルを翻弄していた。ポゼッションを志向しているチームとして、ヴィッセルと横浜FMは括られることが多い。しかし、見せているサッカーは大きく異なっている。ヴィッセルはボールを握りながら、相手をパスワークの中に閉じ込め試合をコントロールしようとするのに対し、横浜FMは素早くボールを動かしながら、相手ゴールに迫ろうとする。前線に仲川輝人やマルコス ジュニオールといったスピード型の選手を配しているため、それを活かそうとしているのだろう。だからこそヴィッセルの最終ライン、あるいはその前から出されるパスに狙いを定めていた。中でもサイドに広げようとするボールに対しては、徹底的にそれを狙ってきた。ここでボールをカットすることは、ヴィッセルのウイングバックを押し込むことにもつながり、小田裕太郎や小川慶治朗といったウイングのプレーヤーも低い位置に留める効果も期待できるからだ。
ここで、「パスを通すにはどうすればよかったのか」という課題に直面する。パスの精度を高めつつ、パススピードを上げるという考え方もあるが、これは個人能力に依拠する以上、正解ではないように思う。改善すべきは、パスを蹴る前の行動だったのではないだろうか。具体的には、ボールを自分で前に運んでからパスに移行するべきなのだ。ドリブルは、その目的から「突破するドリブル」と「運ぶドリブル」に大別される。これらを、状況に応じて使い分けることが求められる。ここで、ビルドアップに際して意識してほしいのは、「運ぶドリブル」だ。この場合、目的は相手を抜くことではなく、相手のラインを超えることだ。これは無理に密集の中や、相手選手に仕掛けるのではなく、あくまでも相手選手の裏側に出ることだけを目的としている。これによって相手の守備陣形に歪みを生み出すことができれば、そこが急所となる。
これを使うのが巧いのはセルジ サンペールや大﨑玲央だ。見ていると、サンペールは教科書通り、前に運ぶ際は3つの方法を駆使している。自分の前にスペースがあるときには、そのまま前に運ぶ。そしてパスしたい方向に相手選手がいる場合は、相手を引き付けるようにドリブルし、パスコースから相手を遠ざける。そして複数の選手が前にいる場合は、その中央を抜くようにドリブルする。サンペールなどはこうしたドリブルによって、パスを出しやすい位置にボールを運んでから、パスを選択することが多い。それが正確無比なパスを生み出す準備行動となっている。
この試合でヴィッセルの若い選手たちは、相手を引き付けてかわすということはできていたのだが、そこですぐにパスを選択してしまうため、まだ相手の陣形は崩れていない。そのため相手選手が塞ぐべきコースは変わっておらず、パスが網にかかり、カウンター攻撃の起点となってしまっていたのだ。パスをつなぎながら攻撃の形を組み立てていくためにも、ボールを前に運びながら味方を自分のパスレンジの中に捉える工夫が求められる。
そして62分以前、ヴィッセルが内包していた最大の問題点は「時間を作る」ことができていなかったことだ。これはボールを握って、相手を引き付け続けるということだけではない。パスの種類を使い分けることで、受け手の時間をコントロールすることだ。それが次のプレーを自然と生み出すことになる。また時間を作ることは、味方の陣形を整理することにもつながる。だからこそ「時間を作ることのできる選手」は、ピッチ上で中心となる。その意味では安井拓也への期待は高い。今の安井は、試合を重ねるごとに成長している状態だ。「アンドレス イニエスタとのポジション争い」という、凡そ世界中のサッカープレーヤーが羨むような、そして誰もが逃げ出したくなるような過酷な位置にいることが、安井の急激な成長を引き出した。恐らくイニエスタと違うプレーを心掛けたことが、常に移動しながら攻撃を組み立てていく今のスタイルを確立しつつあるように思う。この試合でも、動く際には必ず首を振り、周囲の状況を確認している。この試合で、安井が完全な形でボールを奪われたのは、前半背後から猛然と迫ってきた前田大然に奪われた一回だけだったように思われる。様々な種類のボールを蹴り分けることのできる技術もある安井には、この先「時間を作る」ということを意識してプレーしてほしい。
若い選手が苦労する中、特に厳しい結果に終わったのが菊池流帆と小田の2選手だ。両者とも持ち味を発揮する場面は少ないまま、途中交代となった。菊池などは自身のSNSで「屈辱的なホームデビュー」と投稿したように、自身にとってもショックだったようだ。両選手とも技術的な部分以上に、「頭のスタミナ」が不足していたように思う。この「頭のスタミナ」こそがアマチュアとプロの最も大きな差でもある。この試合で途中から出場し、ゲームの流れを一変させた選手たちは、なぜボールをつなぐことができるのか。彼らは常に状況を把握し、2手3手先を読みながらプレーを組み立てているからだ。そしてそのイメージが共有できているために、ボールをつなぎながら、有機的な集合体として動くことができている。この「考え続ける」プレーというのは、想像以上に疲労を伴うそうだ。乱暴に例えれば、詰将棋を解きながらサッカーをやっているようなものだ。日本サッカー協会会長であった故・岡野俊一郎氏に言わせると、頭のスタミナは一流の選手でも90分が限界だという。しかもこれは相手によって疲労度が異なる。一瞬の隙をゴールに結びつける横浜FM相手では、菊池や小田といった若い選手たちが、そこまで持たなかったとしても無理はない。が、それが許されるのも今だけだ。次に出場機会をつかみ取った際は、「頭のスタミナ」が強化されたことを、自らのプレーで証明しなければならない。
2失点目は菊池が取られたPKによるものだ。この時間帯の判定基準はやや厳しい気もしたが、主審の判定には従わなければならない。味方が苦労して得点を挙げたことを理解しているが故に、菊池は勝ち越しを許すことになったこのファウルはショックだったのだろう。ここから後、菊池のプレーは気持ちと身体がバラバラであるように見えた。ここで菊池に、一人のレジェンドプレーヤーのことを紹介したい。それは現在ヴィッセルでスクールコーチを務めている北本久仁衛だ。「神戸の鉄人」と呼ばれた北本だが、長年ヴィッセルの守備の中心として君臨した裏には、数えきれないほどの失敗があった。若いころは熱くなりすぎて、警告を受けることもしばしばだった。しかしそこで北本は、それら失敗でめげることなくプレーし続け、やがては自分のプレースタイルを身につけ、周囲の信頼をも勝ち取っていった。センターバックのミスは、得点に直結しやすいため、精神的なダメージも大きい。菊池の辛い気持ちも理解できるが、ここが運命の分かれ道だ。ここで消極的にならず、強い気持ちでプレーし続けることができれば、道は開ける。北本よりも高い身体能力と足もとの技術を持っている菊池だけに、「2代目神戸の鉄人」を襲名するくらいの気持ちで鍛錬を積んでほしい。
運命の分かれ道という意味では、小田も同様だ。新人選手に対しては、相手チームがデータを持っていないため、最初は目立つことが多い。小田の場合は、確かな能力があるため、並みの新人と同列には扱えないとは思うが、それでも小田も自分の持ち味をどう発揮するべきか、今は迷いがあるように見える。この試合では得意な左サイドでのプレーだったが、判断ミスが目立ったことは事実だ。高校を卒業して半年もたっていない若者に色々な要求をするのは酷かもしれないが、それがプロの世界だ。小田の能力ならば、相当に上の世界まで行けると思うからこそ、敢えて難しい要求をしてしまう。登場から強烈なインパクトを残した小田だが、ここ2試合は壁に当たり、ブレーキ役となっている。この壁を一気に乗り越え、スター選手へと駆け上がってほしい。
何度も繰り返しているが、この試合では62分に投入された選手たちが流れを変えた。そこに頭から出場していた山口蛍と大﨑が加わり、ヴィッセルの土台が形成されたのに対し、横浜FMは前線の仲川とマルコス ジュニオールをベンチに下げたことでその土台を失った。特にサンペールのマークを担当したジュニオール サントスはプレスにいく位置を定められなかった。それはヴィッセルの土台ができたことで、ビルドアップの起点が複数になったため、どこを抑えるべきか見定められなかったためだろう。この結果、ヴィッセルは終盤に2得点を挙げ、さらに押し込みながら試合を終えた。
この試合で2得点を挙げた藤本憲明は、ワンタッチゴーラーとしての特徴を巧く活かした。相手の最終ラインにプレッシャーをかけ続け、スペースに走りこむ意識を見せ続けた。このプレースタイルは、ボールに触る回数も限定されるため、ストレスフルな部分もあると思うが、そこで徹底できるのが藤本の良さでもあり特徴でもある。フィンク監督も「今後も使っていきたい」とコメントしたが、鹿島戦での判断ミスをしっかりと取り返すあたり、さすがにベテラン選手だ。様々な苦労を重ねてきた藤本のゴールは、感情を揺さぶる。
そして起死回生のゴールを挙げた古橋亨梧だが、こちらは久し振りのゴールとなった。サンペールからのボールに抜け出し、飛び出してきた相手GKの位置を見て落ち着いてループを選択した。この試合では前記した通り、ヴィッセルが思うようにボールを動かしていたこともあって、久し振りに古橋がゴールに専念していたように思う。「取る役」に徹すれば、これくらいのゴールは決める能力を持っているだけに、このゴールが本人にとっても吹っ切れるきっかけになるものと期待している。
特筆すべきは、この試合で左センターバックに入った渡部博文だ。最近は出場するたびに、成長を見せているが、この試合も例外ではなかった。横浜FMの速いプレスに対しても、動じることなく動きを外し、前に運んでパスを出すというテクニックを見せ続けた。今や弱点を克服したというレベルではなく、進化を続けている。この渡部の成長は、ヴィッセルのサッカーが成熟していくシンボルなのかもしれない。
それにしても、感慨深い夜となった。懐かしい白黒の縦じまの25周年記念ユニフォームを身にまとった選手たちがピッチ上を躍動した。それが、ヴィッセルの歴史を表したスタンドのコレオグラフィーと相まって、素晴らしい光景を我々に見せてくれた。
懐かしいユニフォームではあったが、以前とは決定的な違いがあった。それは胸の星だ。タイトル獲得の証であるこの星は、逞しくなったクラブの証左でもあり、25年という歴史の先を明るく照らしてくれる希望の星でもある。
何もかもがスケールアップしたヴィッセルだが、一つだけ変わらないものがある。それは神戸への思いだ。その強い思いをもって、中3日でのYBCルヴァンカップ準々決勝に臨む。ここで獲得する新しい星は、神戸とヴィッセルの未来をさらに輝かしいものにしてくれることだろう。25年間の思いを背負って戦う「港町の戦士」たちの、さらなる奮起に期待している。