覆面記者の目

J1 第16節 vs.FC東京 ノエスタ(9/12 19:03)
  • HOME神戸
  • AWAYFC東京
  • 神戸
  • 2
  • 1前半0
    1後半2
  • 2
  • FC東京
  • 安井 拓也(24')
    ダンクレー(93')
  • 得点者
  • (50')アダイウトン
    (58')ディエゴ オリヴェイラ

この試合を前にトルステン フィンク監督は、トーマス フェルマーレンの戦列復帰を示唆していた。今やヴィッセルの守備の要へと成長した大﨑玲央が戦列を離れ、ここ数試合、見事な活躍で守備を支えてきた渡部博文は累積警告で今節は出場停止。相も変わらず厳しい状況が続く中、圧倒的な実力と経験を持つフェルマーレンが先発メンバーに名を連ねたことは、ヴィッセルにとって明るいニュースとなった。さらに待望のアンドレス イニエスタ、そして郷家友太がベンチメンバーとして登録された。少しずつではあるが、本来の戦力が整いつつある。

 後半アディショナルタイムに生まれた劇的な同点弾は、ヴィッセルには安堵感を、そしてFC東京には落胆をもたらした。試合後、FC東京のディエゴ オリヴェイラは、項垂れたままなかなかベンチから立ち上がろうとはしなかった。自らの勝ち越し弾が消えたことももちろんだが、それ以上に目の前で勝点2が逃げていった現実を受け入れ難かったのだろう。追いついたヴィッセルの側にも喜びはなかった。ホームで負けなかったというのは最低限の結果であるということを、全員が認識しているためだ。またもや勝点3を取り逃がしたという感情が、チーム全体を支配していたようだった。その意味では、「勝者なき試合」だったというべきなのかもしれない。

 FC東京を率いる長谷川健太監督は試合後の会見の中で、3点目を取れなかったことを悔やんで見せたが、これはヴィッセルにとっても同じことだ。前半のうちに追加点を取るチャンスは十分にあったが、それを決めることはできなかった。試合の流れを考えれば、前半のうちに追加点を挙げていれば、FC東京の戦意を大幅に下げることもできていたと思われる。今季のヴィッセルには、こうした「if」を伴う試合が多いことは事実だ。それが波に乗れていない原因ではあるのだが、そこにはいくつかの問題が内包されている。


 この試合でフィンク監督は3-4-3の布陣を採用した。発表されたメンバーから想定すれば4-3-3の可能性も考えられたが、実際にはセルジ サンペールを最終ライン近くでプレーさせる「偽3バック」とも呼ぶべきスタイルとなっていた。最近のヴィッセルは、様々な布陣を試しているが、その根本にあるのは「サンペールがプレーするスペースを確保する」という考え方だ。卓越したキープ力と展開力を持つサンペールは、Jリーグナンバーワンのゲームメーカーだと筆者は見ている。サンペールはボールを握りながら、相手のプレッシャーをかわし、ボールを前に運ぶことができる。前にスペースがあれば、自ら突破することもできる。そして僅かなスペースを見つければ、そこにスルーパスを通し、局面を一瞬で動かす。これまでJリーグに登場したゲームメーカーの多くは、縦方向にボールを散らすことでゲームを組み立ててきたが、サンペールはそこにスペースと時間という概念を加えた。自分がボールを握り続けることで、味方にスペースと時間を作り出しているのだ。味方にそれを与えるということは、自分自身はそれだけ狭い局面に追い込まれていくのだが、それを可能にしているのが卓越したボールスキルだ。守備面に関しても、デュエルの強さがあるため、簡単に相手に前は向かせない。ハプニング的にこぼれてきたボールに対する咄嗟の反応も良く、どのようなボールもコントロールできるため、ペナルティエリア付近での守備でも事故は起こさない。アンカーとして絶対的な存在になるのも当然だ。
 このサンペールに対しては、FC東京もマークをつけてきた。中盤を構成した髙萩洋次郎と品田愛斗、それにアルトゥール シルバがその役割を与えられていた。長谷川監督の策としては、この3枚でボールの出どころであるサンペールにプレッシャーをかけることで、高い位置でボールを奪い、そこから得意のショートカウンターにつなげるというものだったのだろう。しかし3人の中での役割分担が曖昧だったため、サンペールはノープレッシャーでプレーできる時間が長かった。ウイングバックの酒井高徳と西大伍に対してはディエゴ オリヴェイラと田川亨介が引っ張られたため、中央で山口蛍と安井拓也は比較的自由が確保された。
 この形を作った上で、ヴィッセルはロングボールを効果的に使った。FC東京は「ヴィッセルは低い位置からつないでくる」と予想した上で策を練っていたため、上記のようなミスマッチが生まれていた。ワントップのアダイウトンが寄せてくるのを待ってそれを外し、サンペールを中心にロングボールを蹴っていった。前線がそれを収めることができなくとも、中盤の構成が定まっていたヴィッセルは安定的にセカンドボールを拾い、攻撃を繰り返すことで、主導権を握った。


 ここでもう一人、前半のカギを握っていたのが左ウイングで先発起用された初瀬亮だった。サイドバックのイメージが強い初瀬だが、この起用には可能性を感じさせた。そもそも両足から精度の高いキックを蹴ることのできる初瀬は、180cmと身体のサイズもある。サイドバックで起用された際は、苦手とされている守備への意識を強めざるを得ないが、この位置であれば後ろに酒井がいるという安心感もある。攻撃面での特徴が存分に発揮された。31分にはハーフウェーライン付近から、右前に大きく展開。古橋亨梧に絶好のシュートチャンスを創出して見せた。今はまだ前に上がった状態からスタートするサイドバックというイメージでのプレーであるため、自身が走らされて左前に起点を作るボールへの反応は鈍いが、これは実戦経験を積むことで解消される類のものだ。奇策的ではあったかもしれないが、想像以上に初瀬は器用だった。筆者個人としては、ヴィッセルの攻撃に新しい形が誕生するような気がした。

 長谷川監督も認めたように、前半はヴィッセルが一方的にFC東京を攻め立てた。FC東京のチャンスは21分にディエゴ オリヴェイラが右サイドから折り返したボールに、アダイウトンが飛び込んだシーンだけだったが、ここではアダイウトンに詰めた飯倉大樹が、見事な反応でシュートをセーブした。
ヴィッセルがゲームを優位に進める中で先制点が生まれた。24分にショートカウンターから抜け出した古橋のシュートが右ポストを直撃。前に上がってリフレクションを拾ったサンペールが右の古橋につなぎ、古橋が折り返したボールにフリーで走り込んだ安井がきっちりと合わせてゴールを陥れた。完璧な崩しからの得点ではあったが、最後の場面にはいくつかの工夫があった。古橋がサンペールからボールを受けた時点で、相手選手3人が古橋を見ていた。彼らが最初に警戒していたのは、古橋のカットインからのシュートだった。事実、古橋はそれまでにも、そうしたプレーを見せていたことで、相手にそれを印象付けていた。そして3人のうち一人が背後のスペース=安井が走りこんできたスペースに戻ろうとした瞬間、古橋の背後を西が上がっていった。この西の動きで、FC東京の選手は動きが一瞬止まった。そのため古橋は真っすぐ横のスペースにボールを出し、安井を呼び込むだけだった。


 J1リーグ初得点を決めた安井だが、今季の成長は著しい。この得点シーンもそうなのだが、常に首を振りながら状況をアップデートしているため、スペースを見つけるのがより早くなっている。昨季以前は、ボールスキルこそ高いが、スペースを見つける動きと判断がそれについていっていなかったが、今は思考速度が上がり、判断結果をプレーで表現できるようになってきた。また線の細かった身体も、確実に厚みを増し、堂々たるプロの身体になってきた。ヴィッセルアカデミー時代からセンスは認められていたが、今やそこに力強さも加わっている。憧れのイニエスタを間近に見ながら、学ぶだけではなく、イニエスタとは違う自分のプレーをイメージし続けてきたのだろう。最近の安井からは「代役感」は微塵も感じられなくなってきた。
 それだけに、2失点目を呼び込んだようなミスはいただけない。本人もそれを痛感しているため、試合後には「得点を素直に喜べない」と語った。今はその気持ちがあれば良い。前節、菊池流帆に関する箇所でも書いたことだが、今はミスを恐れるのではなく、ミスから学ぶことを優先してほしい。そして近い将来、何倍もの勝点をチームにもたらすことで、この借りを返してほしい。ただし、プロはアマチュアと違い、プレーと結果は「契約」という形で評価される。将来への期待が込められている間はともかく、ある時期を超えてからは、無情なまでに結果のみで評価されていくことになる。サッカー界やその他のスポーツ界にも目を向け、そうした厳しい世界を生きている先人の振る舞いからも学んでほしい。

 前半がヴィッセルの試合であったとするならば、後半はFC東京の試合だった。それを導いたのは、高萩のポジショニングだった。前記したように、サンペールへのマークが曖昧だったことを受けて、高萩をトップ下のような位置に移し、役割を明確にしたのだ。ここで一つの謎が残った。映像で見直してみたのだが、高萩のポジションが移動したことによって、中盤はイーブンに近い形にはなっているが、ロングボールへの備えができているというほどではなかった。しかしヴィッセルは後半になると、従来からの形であったショートパスをつなぎながら組み立てるサッカーを選択しているように見えた。藤本憲明と古橋の関係性も、試合を重ねる中で良化しつつあり、初瀬に対するFC東京の抑えは不明瞭なままであったため、前半と同じサッカーを続けても良かったように思える。ロングボールに対して前線で競り合えなくとも、山口と安井の優位性は失われていなかった。ひょっとするとロングボールを使い続けると、FC東京の望むオープンな展開になると考えたのかもしれない。しかし、高い位置でのボール奪取からのショートカウンターを狙うFC東京にとっては、ヴィッセルのスタイル変更は望み通りだったように思える。

 筆者なりにこの理由を考えてみると、一人の選手の存在に行き当たる。それはディエゴ オリヴェイラだ。前半、FC東京に生まれた唯一のチャンスも、ディエゴ オリヴェイラの右サイド突破から始まっている。そして同点弾のシーンでもディエゴ オリヴェイラの中央突破が起点となっていた。この場面ではマークしたフェルマーレンをハンドオフで制し、バランスを崩させての力強い突破を見せている。ここでヴィッセルにとっては、ディエゴ オリヴェイラを回避するという課題が生まれたのではないだろうか。フェルマーレンという、ヴィッセルの守備陣の中では傑出した実力の持ち主ですら後手を踏んだという事実が、実際の存在以上の恐怖心を与えたとしても、それは無理もない。となればディエゴ オリヴェイラを走らせて、疲弊させるためには、食いつかせてリリースするを繰り返すのが正しい方法ではある。ロングボールを返された際に、ディエゴ オリヴェイラにボールが入ると厄介なことになると考えたのであれば、このヴィッセルの選択に対しては一応の説明にはなる。

 しかし、これとても狙ってのことではなく、偶然だったのかもしれない。いずれにしても、前半と同じ戦い方を続けられなかったことが、ヴィッセルにとっての誤算だった。これは穿ち過ぎかもしれないが、最初の失点を喫した瞬間から、全体のムードが変わっていたように感じられた。クリーンシートをなかなか達成できないことは事実だが、乱暴に言えば、今ヴィッセルが志向しているサッカーは、0でゴールを守り抜くタイプのサッカーではない。であればこそ、失点を恐れるのではなく、前に出られなくなることそのものを恐れなければならない。勝利から遠ざかっているからこそ、失点を恐れてしまうのだとすれば、その気持ちは理解できる。しかしヴィッセルの本筋は何か、ということを思い出すことこそが、勝利への近道だと思うのだ。


 その意味ではイニエスタ投入後は、気持ちが前に出ていた。プレーそのものは、ヴィッセルが目指すサッカーではなかったように思うが、負けるわけにはいかないという気持ちは、十分に観ている側にも伝わってきた。
 そのイニエスタだが、トップフォームではないことは明らかだったが、やはり存在感と技術は別格だった。ルーズなボールであってもイニエスタのところでは、確実にマイボールになり、強くプレスをかけられてもボールを失わないため、ヴィッセルの攻める時間が確実に増えた。密集を抜けるドリブル突破や、ミドルレンジからのキックには本来のキレはなかったが、それでも同点弾を演出してしまうのは、これこそが「世界の頂点」だと恐れ入るしかない。

 イニエスタが戦列復帰を果たした今、ヴィッセルが直面するのは、複数の戦い方を使い分けるという問題だ。多くの主力選手を欠き、若い選手を中心に戦ってくる中で、ロングボールを使った戦い方も実戦で効果を発揮するレベルであることが判った。相手の狙いを外すことが勝利への近道だとするならば、従来の戦い方とどう共存させ、どの選手にどんな役割を与えるかを整理しなければならない。

 この試合をもって、リーグ戦も折り返しを迎えた。集中開催のようになっているため、正直、あまり実感はないが、兎にも角にも17節を消化した。ヴィッセルの獲得した勝点は20。シーズン前の期待値からすれば低い数値ではあるが、注目すべき点もある。それは「連敗がないこと」と「引き分けが多いこと」だ。この二つのことから判るのは、下支えされた力はついてきたということだ。引き分けの中には、鹿島戦のように、追いつかれてしまったものもあるが、この試合や横浜FM戦のように、敗色濃厚な中で追いついて引き分けに持ち込んだものもある。いずれにしても言えることは、どのチームにも後れを取るチームではなくなっているということだ。近視眼的には、目の前の試合に勝利して、喜びたいという気持ちは誰しもが持っている。しかしヴィッセルが目指しているのは、強豪クラブになるということだ。ここ数年、ポゼッションサッカーへのこだわりを示し、F.C.バルセロナをベンチマークしつつ、アジアナンバーワンクラブを目標として掲げている。その流れの中で、イニエスタらの選手を獲得してきた。着実に力はつけているものの、まだ獲得したタイトルは天皇杯のみでもある。ここからタイトル争いの常連となるためには、チーム全体が強さを身につけ、タフにシーズンを戦えるクラブにならなければいけない。
 それを考えた時、今のヴィッセルにとって急務なのは、若い選手たちの成長を促進することだ。AFCアジアチャンピオンズリーグの日程も二転三転する中、J1リーグ戦そのものも完全に消化できるか、先行きは不透明だ。下手をすれば、全ての順位が暫定ということになりかねない。この特殊な一年を「若手選手の強化」に充てると決め、それを監督が会見の中で発言するということは、クラブとして腹を括っているということだ。これこそがヴィッセルというクラブの成長であり、未来への希望であると確信している。
 ここで間違えてはいけないのは、フィンク監督は勝負を捨てたわけではないということだ。寧ろ、これまで以上に内容と結果にこだわった勝負を見せるだろう。


 選手の成長には、二つの要素があるといわれる。一つは実戦経験、それも評価対象となる公式戦での経験。そしてもう一つは、そこでの勝利という、絶対的な成功体験を重ねることだ。ヴィッセルの若手選手は、前者は手に入れつつあるが、後者はまだ十分ではない。フィンク監督もそれは実感しているだろう。若手選手を積極的に起用しつつも、そこで結果を残すことをより求めていくはずだ。
 このトライアルを実りあるものにできるかどうかは、我々観る側=ヴィッセルサポーターにかかっているといっても過言ではない。内容と結果を同時に求める声こそが、選手たちの勝利を希求する心を育て、本番での強さ身につけさせる。イニエスタやフェルマーレンらと日々のトレーニングを一緒にできることは、若手選手にとっては貴重すぎる経験ではあるが、それだけで試合に勝てるようになるわけではない。試合に敗れた時の、イニエスタの表情は、誰よりも険しく、悲哀に満ちている。勝利を義務付けられたクラブで、世界中の強豪を相手に結果を残し続けてきたイニエスタだからこその表情だ。この勝利への強い拘りを身につける過程では、イニエスタにも、ヴィッセルの若手選手と同じような時期はあったはずだ。限界を超えたところに光が見えるというが、そこまで辿り着くという気持ちを持ち、トレーニングで学んだことを実戦の中で試し、失敗を重ねながら強くならなければならない。この貴重な時間を無駄にしてしまう選手には、その先の大きな成功は訪れないだろう。

 勝負にこだわる後半戦の嚆矢となるのは、C大阪との一戦だ。現在リーグ戦でも2位と健闘しているC大阪は、文字通りの堅守を誇るチーム。ヴィッセルの攻撃力でC大阪の厳塞要徼(げんさいようきょう)を落とし、反撃の狼煙をあげてくれるものと期待している。