覆面記者の目

J1 第10節 vs.鹿島 カシマ(8/16 18:33)
  • HOME鹿島
  • AWAY神戸
  • 鹿島
  • 2
  • 1前半1
    1後半1
  • 2
  • 神戸
  • エヴェラウド(38')
    荒木 遼太郎(94')
  • 得点者
  • (19')ダンクレー
    (61')郷家 友太

試合後の両監督の表情は、対照的だった。トルステン フィンク監督のそれは、あたかも敗者のようですらあり、一方の鹿島を率いたザーゴ監督は勝者の如きものだった。そのザーゴ監督の言葉は、随所にヴィッセルへのリスペクトが含まれており、この試合に対して鹿島がどのように臨んだのかを正直に語るものだった。「非常に難しい試合だった」と定義づけた上で、「ヴィッセルには経験豊富な選手が揃っているため、戦術(=対策)を立てる必要があった」とし、「戦術を全員が最後まで実行することができたが故の結果(=引き分け)だった」と試合を総括した。そして戦術については「ヴィッセルは独特のリズムを作り出すのが巧いチーム」と定義づけ、それを崩すために「相手陣内で奪う、そして潰すという強度を求めた」と、自チームへの指示を明かした。これがこの試合の全てだ。


 試合中から感じていたことではあるが、チームとしての成熟度においては、ヴィッセルは鹿島を圧倒していた。今季から「ポゼッションサッカーへの転換」を公言している鹿島ではあるが、それが形にならない中で、従来の「鹿島らしい」ともいえるシンプルなサッカーに転換し、結果を残し始めている。全ての選手に走り続けることを要求し、相手へのプレッシャー強度を高く、ファウルも厭わない。そして奪ったボールはシンプルに、そして素早く前に送る。こうしたサッカーの本質は、前節で苦杯をなめた仙台と同質ともいえる。ここに現在ヴィッセルが直面している、「二つ目」の問題がある。

 過去に筆者は「引いた相手の崩し方」は、今季のヴィッセルにとって解決すべき最大の課題と指摘した。これが「一つ目」の問題だ。そしてもう一つが、ここ2試合直面している「早く寄せ続ける相手を、如何にして回避するか」という課題なのだ。
 この試合に先立って行われたUEFAチャンピオンズリーグでは、ヴィッセルがベンチマークするF.C.バルセロナ(以下バルサ)が、バイエルンに思わぬ大敗を喫し、世界中で話題となった。これについてはフィンク監督も「今は早いサッカーが主流なのかと思う」とコメントしたようだが、これについては少々説明が必要かもしれない。完璧な戦術というものが存在しないように、恒久的に相手を上回る戦い方も存在しない。サッカーにはいくつかの普遍的な戦術があるが、「最強」と呼ばれる戦い方は限られていて、常にいくつかの戦い方の間を往復しているに過ぎない。そしてそれらは変質を繰り返しながら、より洗練され、効率的な戦い方となっていく。今回のバルサの敗北は、これまでバルサが強かったが為、それを打ち破る方法が研究された結果に過ぎない。今回の結果だけをもって。「バルサのサッカーは最早通じない」というのは早計だ。バルサのサッカーもここから変質し、再び世界の頂点に君臨することになるだろう。
 この循環はヴィッセルに戦いについても、同様だ。さすがにバルサと比べるのは気が引ける部分もあるが、昨季後半から見せたヴィッセルの戦いが見事であったが故に、研究されているのだ。自陣に引いて守る戦い方も、早く寄せ続ける戦い方も、その対処法の一つに過ぎない。結局、今季のヴィッセルに求められているのは、昨季以上の強さを見せることができるかということでもある。

 その視座に立てば、ここ2試合ヴィッセルが直面している問題が、「ヴィッセルのサッカーにおいて最も大事ものは何か」という根源的な問いかけであることが分かる。言い換えるならば「なぜヴィッセルのサッカーはポゼッションを重要視するのか」ということでもある。その答えは「時間とスペースを握るため」だ。あまり好きな分類法ではないが、戦い方をアクションとリアクションに二分するならば、ヴィッセルが目指しているサッカーはアクションサッカーということになる。要は相手を掌中に入れ、自分たちでゲームの流れをコントロールしながら、試合を作り出していく戦い方だ。だからこそ相手のスピードに合わせて戦うのではなく、自分たちのペースにこだわる。それをピッチ上で最も体現しているのが、ご存じアンドレス イニエスタなのだ。イニエスタにボールが入ると、時が止まったように見える瞬間がある。相手からのプレッシャーをかわしながら、自分が動きやすいスペースを見つけ、そこに相手を引き込みながらボールを握ることで、味方が動くスペースとそこに到達するための時間を作り出す。これに学ぶことで、大﨑玲央や古橋亨梧などは、時間とスペースを意識したプレーを見せるようになってきた。これがピッチ全体に広がれば、ヴィッセルのサッカーは現在よりも一段高い位置に行くことができる。


 この「時間とスペース」という言葉を軸に置いたとき、この試合で最大のポイントとなった最後の場面における問題は、その輪郭を濃くする。自陣ペナルティエリア前でボールを持ったセルジ サンペールは、相手選手二人を引き付けながらボールをキープ。これでヴィッセルの攻撃方向には十分なスペースと、前線の選手がプレーしやすい位置に動くだけの時間的余裕が生まれた。ここから広大なスペースでボールを受けた藤本憲明には「シュート=得点の意識」はあったが、「時間とスペースの意識」は皆無だった。だからこそ、ああいった選択に至ったのだろう。どんな場面でも「時間とスペースの意識」を忘れてしまうと、それはヴィッセルのサッカーを崩す蟻の一穴になりかねない。

 話を「早く寄せ続ける相手への対処」に戻す。前節の仙台やこの日の鹿島のような戦い方に対しては、それをロンドの中に閉じ込めるというのが一般的な対処ではあるが、そのためには相手の動きを上回るパススピードと正確にパスをつなぐ技術力が求められる。それは一朝一夕に身につくようなものではない。ヴィッセルは数年かけて、補強も効果的に使いながら、その基礎となる部分を作り上げてきた。あとはそれを90分間続けるためのスタミナということになるのだろう。この試合でも、前半は鹿島のプレッシャーを自分たちの掌中に収めていたが、時間経過とともに精度が落ち、それが鹿島に反撃する糸口を与えてしまった。
 ここで言うスタミナとは、単純な体力的な話ではない。それは、将棋の棋士に求められるスタミナと同質であるように思う。この試合でいえば、鹿島の選手に与えられていたのは「ボールホルダーに寄せること」だ。これは視覚的に確認できるボールホルダーに向けて走るだけなので、やるべきことはきわめてシンプルだ。考えなくてよいとまでは言えないが、直感的に動くことができるため、反応速度も速い。これに対してヴィッセルの選手に求められるのは、前記した「時間とスペースを作り出す」という前提条件の中から、効果的な手段を選択することだ。いわば数手先までを読んだ上での行動が求められるのだ。これは体力的なスタミナ以上に、頭=判断能力のスタミナを必要とする。加えてこの猛暑だ。観ているだけで朦朧とするような暑さの中で、様々なことを考え、身体も動かさなければならない。これは誰にでもできるというようなことではない。しかしこのサッカーでアジアの頂点を目指すと決めた以上、やり切るしかない。選手たちには厳しい要求が続くが、それができると見込まれたからこそヴィッセルのユニフォームを着ているということに誇りをもって、取り組んでほしい。

 この試合では、両チームともに守備が緩かった印象がある。ヴィッセルについていえば、守備の強度を上げるタイミングが不明瞭だった。3-4-3の布陣で中央にイニエスタと山口蛍を配置した場合、イニエスタのところの守備の強度は決して高くない。だからこそ、チームとして守備の強度を上げるタイミングは統一されていなければならない。この日の布陣でいえば、イニエスタが前に出た瞬間が守備のスイッチを入れるべき瞬間だったように思うが、そこでチーム全体が連動しているようには見えなかった。そのため、人数は十分に揃っていながらも、バイタルエリアのところを自由に使われ、縦にパスを通されていたのではないだろうか。この試合では山口の超人的な運動量や大﨑の巧みなカバー、酒井高徳の強さ、そして何よりもこの試合で大当たりだった飯倉大樹のスーパーセーブなど個人の能力で守っていたが、個人に依拠した守備には安定感は生まれない。この暑さの中で守備に出る時間というのは、厳しい時間であることは承知しているが、ここはもう一度整備してほしい。
 守備に関してもう一つ言うと、全体が連動していないためか、マークの受け渡しが曖昧だったように思う。最初の失点シーンでは遠藤康からのボールを受けた広瀬陸斗へのマークの受け渡しが、酒井とトーマス フェルマーレンとの間で巧くいっていなかったように見えた。さらにダンクレーのエヴェラウドへのマークも甘さがあったように感じた。結果的にエヴェラウドの超人的な高さにやられた格好なので、これらが失点に直接結びついたとまでは言えないのだが、こうした甘さは試合を通じて随所で見られた。特に前半の鹿島は、サイドからのクロス以外に攻め口を見つけられていなかったため、この失点は勿体なかった。


 守備面では不安定なプレーも散見されたが、ダンクレーにゴールが生まれたことは、この試合における収穫だ。ヴィッセルに加入以降、何度も惜しいチャンスはあったが、ついにヴィッセルでの初ゴールを決めた。19分にイニエスタの左コーナーキックがエヴェラウドの頭をかすめて逆サイドの大﨑に渡り、大﨑がこれをヘディングで折り返したところをダンクレーが見事なボレーでゴールに突き刺したのだ。どんな時も献身的に動くことができるダンクレーだが、最近はゴールへの思いも口にしていただけに、ここでゴールが生まれたことは、この先のプレーにいい影響を及ぼすのではないだろうか。最近はイージーミスも散見されるが、このゴールをきっかけに、もう一度気持ちを新たにして戦ってほしい。

 このゴールをお膳立てした大﨑の成長は目覚ましい。この試合ではサンペールをベンチスタートとしたことで、フォアリベロ的に動く場面が多かったが、積極的に前に上がる姿勢を見せることで、チームのベクトルを前に向け続けることができる。寄せてくる相手のいなし方は、試合を重ねるごとに巧くなる。こうした攻撃的なセンスを持ったセンターバックは貴重な存在であり、この試合を視察に訪れていた森保一代表監督にもいいアピールができたのではないだろうか。

 この試合が大きな意味を持っていると、筆者が個人的に期待しているのが今季初ゴールを挙げた郷家友太だ。右ウイングで先発した郷家は、相変わらずの技術力で右サイドの起点となっていたが、最後の部分で中に入り切れない様子も見受けられた。サイズもあり、どんな相手にも引けを取らないだけの技術力もあるのだが、どこか思い切りが欠けている。それがチャンスの芽を摘み取っているように見えたシーンもあっただけにもどかしく思っていたのだが、61分に見事な勝ち越しゴールを挙げた。イニエスタの突破からドウグラス、酒井とつないだボールを受けて中央に切れ込みながら、ゴール左に鋭いシュートを突き刺して見せた。元々得点感覚の優れていた選手であるだけに、ゴールそのものに驚く必要はないのだが、前にベクトルを向ける大事さ、時には自分で決めに行くことの大事さを思い出すきっかけになったのではないかと期待している。


 この試合での最大の収穫といえば、小田裕太郎につきる。左ウイングで先発出場した小田は、確実に存在感を示した。試合中の小田を見ていると、絶えず首を振り続けているのが見て取れる。常に周りの位置を把握しようとしているのだ。これがあるため、小田はボールを受ける際、ドウグラスとの距離を一定以上空けることができている。結果的にゴールは生まれなかったが、小田が前線でボールを持った際のドウグラスは、ここ最近の試合の中でも、最もいい位置が取れているように見えた。さらに小田は相手を背負ってのキープができるため、後方に控える西大伍を呼び込むことができる。その上で西と内外の入れ替えだけではなく、縦のポジションの入れ替えなど複層的に絡むことができる。具体的には小田が上下動を繰り返しながら中に入る動き見せるため、対面する和泉竜司と永戸勝也はそれに対応せざるを得なくなり、結果的に両選手とも西へのマークを離さざるを得なくなっていた。これによって、西の前にスペースが生まれた。これも「時間とスペース」の意識があればこそのプレーだった。守備に際しても、デュエルの強さがあるため、効果的に相手の攻撃を遅らせることができていた。68分に小川慶治朗と交代でピッチを後にしたが、その前から運動量は目に見えて低下していた。この試合で後半、鹿島が多少なりとも息を吹き返したのは、小田の体力低下と連動していた。それくらい、この試合でも小田は効果的だった。今後も出場機会は増えていくだろう。この若武者がここから試合体力を身につけるとどこまで伸びていくのか。今は楽しみで仕方がない。

 この小田の存在は、鹿島にとって最大の不確定要素であったが、同時にヴィッセルにとっても不確定要素であったのかもしれない。この小田の活躍が、試合終盤の決定的ミスにつながったように思えてならない。89分、酒井からのボールを受けた小川慶治朗、そして94分にサンペールからのボールで抜け出した藤本の判断ミスを呼んだと考えるのは穿ち過ぎであろうか。鹿島が前への圧力を強めていたこともあり、両者とも相手守備との関係でいえば、シュートチャンスであったことは確かだ。しかし小川でいえば、シュートを放った位置は、ペナルティエリア外であり、相手GKから小川の位置は完璧に見えていた。しかもその時左には藤本がフリーでおり、すぐ横には安井拓也、そして背後には山口もいた。小川には時間を作る余裕も、厚みを増しながらゴールに向かう選択肢も残されていた。しかし小川は周りに目をくれることなく、シュートを選択。結局はGKに正面でキャッチされてしまった。藤本のケースでは、ボールを受けた藤本の前には、相手守備は一人だった。仕掛けたくなるシチュエーションではあったが、周りには十分すぎるスペースがあった。時間を使いながら、試合終了のホイッスルを待つプレーは、スペース的にも人数的にも十分可能だったはずなのだ。
 両者ともに共通して言えることは、時間帯を考えれば無理に攻める場面ではなかったということだ。確かにあの場面でゴールを奪っていれば、事実上そこで試合は終了だった。しかしシュートという賭けは、相手にカウンターを許す可能性のある「リスクの高い賭け」であることを忘れてはならない。何年か前にこの項で書いたことがあるが、筆者が話を聞いた最強と言われたプロ雀士は「勝てない勝負はしない」を最強の条件として挙げていた。古代の兵法書にも記されているように、リスクの高い賭けをするときは「負けないだけの十分な準備」が必要なのだ。どうしてもリスクの高い賭けに出るならば、負けてはいけない。
 もう一つ両者に苦言を呈するならば、守備への意識が感じられなかったことは残念だった。最後の失点シーンで、目の前で倒れた荒木遼太郎が起き上がりペナルティエリア内に走りこんでいくのに対し、小川は無反応だった。咄嗟のこととはいえ、小川には相手に自由な体勢を作らせないくらいの気迫は見せて欲しかった。またそのきっかけとなった藤本も、ボールを奪われた際、戻って守備に移る姿勢は見られなかった。時間帯を考えれば、もうヴィッセルの攻撃に移る時間は残されていなかっただけに、間に合わないまでも全力で戻る姿勢だけは見せてほしかった。
 試合後、フィンク監督は「一人の選手を批判したいわけではないが」と前置きした上で、「あのようなシーンで残り30秒となれば、よりうまい処理の仕方があると思いますし、経験のある選手というのはあそこでうまく時間を使えると思う。あのシーンに関して言えるのはそれだけです」とだけ語った。これは藤本のプレーに対する言葉ではあったるが、小川についても同様のことがいえる。両者とも肝心の場面での判断ミスを犯すようでは、チームの信頼は得られない。
 藤本の明るいキャラクターは、真面目な選手が多いヴィッセルにとっては貴重だと思っている。自粛期間中、積極的にオンラインで配信を行い、サポーターを元気づけようとしていた姿勢はプロフェッショナルならではだ。かつてプロ野球のジャイアンツで「宴会部長」と呼ばれた高橋尚成氏は、明るいキャラクターの一方、ある時期にはエースとして君臨するだけの活躍を見せ続けた。だからこそ「宴会部長」の名乗りも受け入れられた。藤本には、ここまで這い上がってくる過程で手に入れた様々な経験と強さがあるはずだ。それを正しく発揮してこそ、みんなから愛される「宴会部長」になれる。
 そして小川には、全てのヴィッセルサポーターの特別な思いが寄せられていることを忘れないでほしい。17歳にして彗星のごとく登場し、残留争いの渦中にいたチームを救った「ケージロー」の雄姿は忘れ得ないものだ。あれから時が経ち、「ケージロー」もベテランの域に差し掛かっている。しかし全てのヴィッセルサポーターは、今でも小川の躍動する姿を愛しており、小川の一途なまでのヴィッセルへの愛情を信じている。
 小川、藤本の両者が今やるべきことは、普段のトレーニングでチームメートの信頼を勝ち取る動きを見せることだ。次に出場機会をつかんだ時には、今回のミスを取り返す活躍を見せてくれるものと期待している。再チャレンジできるのは、プロの特権でもある。


 悔しすぎる結果となったが、ここまで振り返ってきたように、数人のミスだけで勝ち点を失ったわけではない。チームとして直面している問題解決への取り組みを加速させなければならない。
 次節は中2日で柏をホームに迎えての一戦だ。ヴィッセルでも指揮を執っていた、究極のリアリストとも呼ぶべきネルシーニョ監督が率いるチームであるだけに、ヴィッセルの長所を、徹底的に潰しにくることは間違いない。オルンガという最終兵器を活かすために、ファウル覚悟でプレッシャーをかけてくるだろう。この難敵を正面から打ち破った時、ヴィッセルは一つ階段を上ったといえるのかもしれない。疲労回復を図る程度の時間しか残されていないが、今は自分たちが積み上げてきた時間を信じ、「これぞヴィッセル」という戦いで、旧師にチームの成長を見せつけてほしい。