覆面記者の目

J1 第31節 vs.浦和 ノエスタ(11/18 18:03)
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  • (83')マルティノス


 新型コロナウイルスの影響によって、変則開催となった2020年J1リーグ戦。AFCアジアチャンピオンズリーグ(以下ACL)出場のため、超過密日程の中戦ってきたヴィッセルだが、早いものでこの試合がホーム最終戦となった。まだアウェイ1試合は残しているが、一つの区切りがついた形だ。ここまでの33試合でヴィッセルが残した成績は9勝9分け15敗。勝点は36。例年であれば「J2降格」を心配しなければならない数字に留まってしまった。
 元日の天皇杯優勝、そして2月のFUJI XEROX SUPER CUP 2020優勝、ACL2連勝と快進撃を見せた春のことを思えば、嘘のような成績だ。「今季のヴィッセルは強い」と言い続けてきた筆者としては、4か月に及ぶリーグ戦中断後にヴィッセルを待ち受けていた「超過密日程」の影響、そして新型コロナウイルスの世界的蔓延に伴う状況の変化により、ままならなかったであろう補強すらも、「言い訳」として呟きたくなってしまう。しかし、そうした「言い訳」を加味してもなお、説明がつかない成績であったことは認めなければならないだろう。アンドレス イニエスタやトーマス フェルマーレンといった、「ワールドクラスの選手」を擁しても、一度狂った歯車を戻すことは難しかった。
 しかし、いくら嘆いても過去を変えることはできない。今となっては、今季のヴィッセルにとって最大の目標であるACLが控えている以上、考えるべきは、如何にしたら「ヴィッセルが持つ本来の強さ」を取り戻せるかということであるように思う。今回の項では、そこにフォーカスしながら、この試合を振り返ってみたい。


 試合後に三浦淳寛監督は、複数のシステムを使えるようになったことを、ACLに向けた収穫として挙げた。三浦監督がメインとして採用している4-3-3に加え、この試合で披露した4-4-2のフォーメーションにも手応えを得たのだろう。3日前の試合から大幅なメンバー変更を行った今節の構成は、GKに前川黛也、サイドバックは右に山川哲史、左に初瀬亮。センターバックは渡部博文と菊池流帆。ボランチは山口蛍と郷家友太。サイドハーフは右に古橋亨梧、左に佐々木大樹、2トップは下がり目の位置に田中順也、最前線に藤本憲明という並びだった。監督就任以降、守備にフォーカスしながらチーム作りを進めている三浦監督にとっては、この布陣は攻守のバランスを取る「オーソドックス」な布陣だったのだろう。ビルドアップ時にはボランチがボールを受けに下がり、山口と郷家のコンビネーションでボールを前に脱出させていく。ボランチがボールを持った際は、サイドバックは片側が上がり、逆側は絞りながら、やや低い位置を取るシーンが目立った。
 この試合に限って言えば、このフォーメーションは一定以上の効果は発揮していたと思う。ビルドアップ時にボールが詰まる場面は少なく、奪われた際にはボール周りに複数の選手が集まりこれを奪い返す。こうした動きができていたことは確かだ。
 これは浦和の強度の低さに助けられていた面も大きいと、筆者は思っている。前の試合で横浜FM相手に大敗を喫している浦和は、守備に意識を置きながらのプレーがメインであった。そのため、ビルドアップ時の細かなパスミスも、試合の流れにはさして影響を及ぼしていなかったように思う。また、浦和はボールを奪った後も、前に当てることが約束事だったようで、ボールを握りながらヴィッセルを動かすようなプレーがなかったことも、この布陣が機能していた理由だと思われる。
 
 かつてヴィッセルの指揮を執ったファン マヌエル リージョ氏は、フォーメーションについて「スタート時の並びに過ぎない」という見方を示していた。我々観る者が、その数字に囚われることを戒めた言葉だ。やはりポゼッションサッカーにおいて大事なことは、選手の並びではなく、「ボールをゴールに向かって運ぶ道筋」にあるのだと思う。その道筋を作り出すために、如何にしてスペースを作り出すかという視座に立った場合、同数がピッチに立って戦う以上、相手を思い通りに動かし、自らの意思によってスペースを作り出さなければならない。となれば相手を動かすためには、まずは自分たちがボールを持つのが効率的であるということになる。そのための「ポゼッション」であり、ボールを失った際のネガティブトランジションだ。これこそが、今のヴィッセルが取り戻すべき考え方であるように思う。

 この試合では、ヴィッセルのポゼッション率は浦和を上回った。終盤、浦和が1点のリードを守るために守備を固めたことを割り引いても、ヴィッセルの方がボールを保持する時間は長かった。しかしそれによって浦和を動かすことができたかと言えば、それは別の問題だ。前記したように、浦和が守備を重視していたこともあり、ブロックの近くまではボールを運ぶことはできていた。しかし、ブロックの中にはなかなか入れなかった。この現象こそが、今季のヴィッセルのサッカーを変質させた原因だ。
 トルステン フィンク前監督時代にも、似たような状況は頻出していた。圧倒的にボールを支配しながらも、相手のブロックを崩すことができず、ボールはブロックの周りを動くだけという場面は少なくなかった。そのため、三浦監督は「ボールを速く動かす」ということを強調しているのだろう。「ボールを握っていても、それが受け手の優位性につながっていないケースが目立つ。だからこそ、相手がブロックを形成するよりも速いスピードでボールを動かしていこう」ということだ。この考え方が誤っているとは思わない。理屈の上では、相手の守備を上回るスピードで攻撃を続ける限り、優位性は継続される。しかしスピードを上げたことで、ボールの扱いがルーズになっているのが現状だ。相手の前でボールを受ける時には、相手が触れない位置にボールを置くことが求められる。しかし個人の処理能力を超えた速度のボールが来た場合、どうしてもボールに触れることが精いっぱいとなってしまい、結果的にそこでコントロールを失い、結果的に攻撃はスピードダウンしてしまう。この試合でも、相手のブロックの前でトラップが大きく流れ、連続性を失ってしまい、結果的に相手の守備が整ってしまう場面が散見された。

 ACLを考えた場合、相手がフィジカル勝負を仕掛けてくる可能性は高い。ボールを受ける際に厳しく寄せ、態勢を崩すことでボールを奪うという戦い方には、過去、いくつものJリーグチームが苦しめられてきた。それを超えるためにも、ボールを握りながら、相手を動かしていかなければならない。これまでヴィッセルが積み上げてきた「引き付けてリリース」という戦い方は、ACL向きであるともいえる。三浦監督が言う通り、ボールを動かすスピードは高めていく必要は絶対にある。しかし、それは「コントロールを失わない」という前提状態の下でなければならない。それは三浦監督も十分に理解しているだろう。そしてヴィッセルの選手たちならば、もっとスピードを高めることができると信じているからこそ、スピードアップを要求しているのだろう。以前は、ともすると「ボールを握る」という部分にフォーカスし過ぎていたため、スピードを上げるという意識が欠落しかかっていると判断したのだろう。1年間目標としてきたACLを前に、そろそろ自分たちの限界速度を知り、それを90分間続けることに集中しなければならない。

 このボールを動かすという行為の際に、セットで考えなければらないのが、前記した「相手を動かす」という行為だ。ボールホルダーがプレッシャーをかけようとする相手を剥がすのはもちろんだが、これだけで完結してしまうようになってしまっていたことが、今季のヴィッセルを苦しめた。相手を動かすと言った時に大事なのは、ボールホルダー以外の選手の動きだ。マークする相手を引き付けながら、ボールを受けるために動くことで、ピッチ上にスペースを作り出すことができる。この動きをピッチ上の各所で繰り返すことで、相手の守備ブロックはバランスを失う。以前にも書いたが、今季のヴィッセルはボールホルダーに対して、動いている人数が少ないため、思うように相手をコントロールしきれていないことが多い。これが、決定的な攻撃の形を作り出せない原因でもある。
 この原則に従っていれば、「フォロー」という言葉の意味も変わってくる。日本のサッカー界においては、長く「フォロー」というと、ボールホルダーの近くに味方選手が寄ることと同義のように扱われてきた。本来ここで慎むべきは、無用に多くの人数がボールの周りに集まることなのだが、それが由とされてきた時間が長かった。2年前、F.C.バルセロナをベンチマークすると表明して以来、ヴィッセルはこうした旧来の価値観とは決別したはずだ。常にボールを前に送ることは意識しているが、ボールを出す場所が見つからないときには、例えペナルティエリア近くからであっても、迷うことなく自陣までボールを戻すのも、そのためだ。ボールを持っていない選手も、チームのバランスを崩すような動きをしてまで、ボールホルダーの近くにはいかないようにすることで、バックパスの時ですら、相手の動きをコントロール下に置き続ける。こうしたポジショニングに対するこだわりこそが、相手を走らせるサッカーを実現する。今季のヴィッセルにおいては、この動きを見せることが少なくなったことが、得点力の低下の一因であることは間違いないだろう。
 尤も、こうした動きができなくなっていった背景には、今季の超過密日程も影響しているように思う。ACLを控えたチームは、一時は中2日、もしくは中3日での15連戦という、凡そサッカーをプレーするには不適な日程を余儀なくされた。そのため、選手に疲労が蓄積していった。そして筆者が思うに、この日程によって、ヴィッセルの選手たちには「頭の疲労」が蓄積し、判断力の低下を招いたように思う。ヴィッセルが志向しているサッカーは、走行距離は相手より少ないものの、その分、頭を働かせ続けなければならないからだ。本家であるF.C.バルセロナの選手たちは、こうしたサッカーを幼少期から叩き込まれているため、意識せずに動くことができているが、ここ数年でそうしたサッカーに取り組んでいるヴィッセルに、そこまでのレベルは望むべくもない。

 今、三浦監督は現実を見つめながら、勝点を獲得するために、これまでよりはもう少し本能的に動ける部分を強調しているように思う。それは短期的には大事なことではあるが、やはりこの3年間培ってきたものこそがヴィッセルの財産であり、他のチームが持ちえない武器であるように思う。以前にも書いたが、失点の多さは攻撃力の低下が招いたことが原因であり、守備という部分だけにフォーカスしてしまうことは、さらなる攻撃力の低下と、ひいては守備力の低下を招いてしまう。今、ヴィッセルはそのスパイラルに陥ってしまっているように感じるのだ。それはヴィッセルの選手たちも十分に理解している筈だ。


 ACLを意識した時、この試合は若手選手の「テスト」的な場という一面も持っていたように思う。
 そんな中、ACLに向けて明るい材料となったのは、郷家の存在だ。この試合でプロ入り後初のボランチに入った郷家だが、存在感は十分に示したのではないだろうか。前線に近い位置でプレーした場合、前を向ききれない部分と球離れが早すぎる部分が散見される郷家だが、ボランチに入ったことで、独特の球離れの良さがリズムを作り出す作用をもたらしたのは、思わぬ効果だった。ボールを前に運ぶ際は、相手に寄せられても怯むことなくプレーし、ミドルレンジからポストを直撃する惜しいシュートも放った。ボールスキルは高く、スペースがあれば高いボールスキルを発揮する選手であるだけに、ボランチでの起用は、郷家の活かし方としては大きなヒントになったように思う。

 また佐々木も、存在感を示した。以前に比べると、ゴール前での仕掛けの意識が高くなっていたのは収穫だった。佐々木はマルティノスとマッチアップする機会が多かったが、フィジカルで負ける場面も少なく、逆に仕掛け返す気の強さも見せた。ボールコントロールも見事だが、何よりも佐々木はスペースにボールを持ち出すということが自然にできているため、つなぎ役としても期待できる。

 不慣れな右サイドバックに入った山川だが、守備の部分では安定感を見せた。本職ではないため、アタッキングサードに入っていくプレーはほぼ見られなかったが、その手前までの守備という点では、問題なくプレーできていた。自陣深くに追い込まれた際も、タッチライン沿いにプレーできるため、守備固めという点では一応以上のの目途が立ったのではないだろうか。


 この試合で、最も筆者の目を引いたのは菊池だった。一度はゴール前からボールを脱出させるなど、フィジカルの強さを活かしたプレーは相変わらずだった。それにしても菊池の成長速度には驚かされる。過去に見られた弱点が、着実に解消されている。本人の上昇志向ゆえだろうが、ペナルティエリア内での動きなどは直線的なだけではなくなっており、プレーの幅を確実に広げている。ゴール前から引き出された際のポジショニングには不安定な部分も見られたが、これも経験として吸収し、次は同じミスは犯さないだろう。外国籍選手の登録に制限がある中では、4バックのセンターバックとして存在感を増している。強靭なフィジカルは、アジアの強豪相手にも引けを取るとは思えない。そして何より菊池は、ピッチ内の温度を上げることができる。新型コロナウイルスの影響もあり、サポーターが駆けつけることのできない試合においては、菊池のような選手の存在は貴重だ。

 ACL前にチームのムードを上げるという目標は達成できなかった。試合終了のホイッスルと同時に顔を覆っていた古橋の姿は、波に乗り切れないチームを象徴しているかのようだった。試合後に行われたセレモニーで挨拶に立った三浦監督の言葉には、悲壮感すら漂っていたように感じた。しかし、これを一つの区切りとして気持ちを切り替えるしかない。
 そのためにも三浦監督には、自身の感情だけではなく、考え方もリセットしてもらいたいと願う。チーム作りに関して、かつて「ジクソーパズルと積木」という話を書いたことがある。ジクソーパズルは予め枠と形が決まっており、そこにピースを当て嵌める作業の連続であるのに対し、積み木は自由だ。合わないピースを無理に嵌め込む必要もない。作業者=監督の意思次第で飛行機にもなれば、船にもなる。そしてヴィッセルには明確な個性を持ったパーツ=選手が揃っている。三浦監督には、ヴィッセルの選手たちの組み合わせによる最大値を探してほしい。接着剤となるのはチームに通底している筈の「ポジションとリズムによって相手の動きを支配する」戦術であり、それはこの3年間積み上げてきたものだ。選手たちにその動きを思い出させ、その中で最大速度を探すことが、アジアの頂点に立つための唯一の道であると思う。攻撃と守備が不可分の関係にある以上、どちらか一方だけにフォーカスするのではなく、ヴィッセル本来の攻撃力を取り戻す手助けをしてほしい。


 ヴィッセルは、いよいよ未知の航海へ漕ぎ出す。難しい旅路ではあるが、海路図は既に持っている。それを見失わないように、そして全ての選手が最大の力で役割を全うしてほしい。その先にあるエルドラドにたどり着くことができるのは、この航海に参加することを許されたチームだけなのだ。
 昨季、連敗を続けている時期、山口は試合後「僕らにはアンドレス(イニエスタ)という希望がある」と口にしたことがある。その想いは、全てのサポーターが持っている。イニエスタに依存するのではなく、その世界屈指の能力を正しく活かした時、ヴィッセルの前にはアジアの頂点への道が開ける。そのイニエスタが口にした「皆さんの事を考えて、皆さんのためにプレーをして、トロフィーを神戸に持ち帰りたいと思います」という言葉を信じ、ありったけの思いを遠くカタールに届けようと思う。