覆面記者の目

YLC 準々決勝 vs.川崎F ノエスタ(9/2 19:03)
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  • AWAY川崎F
  • 神戸
  • 0
  • 0前半3
    0後半3
  • 6
  • 川崎F
  • 得点者
  • (7')小林 悠
    (13')小林 悠
    (21')齋藤 学
    (46')家長 昭博
    (72')脇坂 泰斗
    (87')宮代 大聖


 下手な結婚式のスピーチではないが、サッカーにも「まさか」があることを改めて思い知らされた。試合後トルステン フィンク監督は「相手をゴールに招待しているような状況でした」とミスの多発を嘆き、山口蛍は「完敗ですね」と肩を落とした。確かに試合を通じて、ヴィッセルにいい場面は全くと言っていいほど訪れることはなく、藤本憲明が振り返ったように「自分たちがやりたいことを、全部相手にやられた感じ」の試合であったことは認めざるを得ない。
 現体制になってから、ここまで何もできなかった試合は記憶にない。例え敗れた試合であっても、そこには改善すべき点を見出すことができ、次回対戦での逆転までのシナリオを描くことはできた。しかしこの試合では、もはや「桁が違うのか」と思わざるを得ないような内容だった。ほぼ全ての選手がミスを多発し、反撃の糸口さえ見つけられないままに時間を過ごしてしまった。僅かに右サイドバックの西大伍と途中交代で入った渡部博文だけが、いつも通りの姿を見せていただけだった。試合を表する時、「歯車が噛み合わない」という表現は頻出するが、この試合では「噛み合わない」以前に、歯車そのものの動く気配するなかったことが辛い。しかしこの結果を真摯に受け止めないことには、次のステップへ進むことなどできない。

 この試合結果では、もはや選手個々の問題を指摘することには、さしたる意味はないと思う。そのため、今回の項は総論が多くなることを、お許し願いたい。

 試合後、川崎Fを率いる鬼木達監督は「自分たちらしさを全面に出すのが相手にとって脅威だと思っています。それを選手が体現してくれた。それがすべてだったと思います」と試合を振り返った。この言葉通り、川崎Fは「正攻法」ともいうべきスタイルで、試合に臨んできた。フォーメーションも、戦い方も予想通りだった。そしてそれは、1週間前、同じスタジアムで対戦した時と同じだった。唯一違っていたのは、川崎Fの前に出る力が、前回の対戦時よりも遥かに強かったという点だった。しかし、この川崎Fについては、その強度も含めて、十分に予想はついていた。そのヒントは、試合前のコメントにあった。
 この試合に臨むに当たって、川崎Fは鬼木監督、選手が同じ内容の言葉を口にしていた。それは「前回の対戦は負けに等しい引き分けだった」ということと、「今度こそ、自分たちのやり方でやり切る」というものだ。ボールをポゼッションしながら、攻撃的にゲームを進めていく戦いに自信を持っている川崎Fだが、前回の対戦時には、ボールを悉くヴィッセルに支配され、ゲームをコントロールすることが敵わなかった。前回の対戦後、鬼木監督は「強くいけなかったことが、この結果を招いた」と語り、川崎Fの選手たちも「最初からもっと強くいくべきだった」と語っていたのだ。


 試合前の分析に定評のあるフィンク監督ならば、川崎Fがこの試合にどう臨んでくるかは、十分に予想ができていたはずだ。この試合の選手選考について「フィットネスの状態がいい選手を選んだ」という言葉からも、それは窺える。ヴィッセルの選手たちならば、強く来るであろう川崎Fにも、十分対処できると判断したのだろう。ではフィンク監督の誤算はどこにあったのか?
 その答えは「選手の疲労度」だったように思う。これについては同情すべき点も多いと同時に、天皇杯を優勝したチームにはついて回る問題でもある。天皇杯を制するということは、前のシーズンに最後までプレーしたチームであると同時に、AFCアジアチャンピオンズリーグ(以下ACL)のためにどこよりも早く稼働するということでもある。当然、休養十分というわけにはいかない。加えて今季は、コロナ禍による影響も無視できない。数か月間に及んだ自宅待機の中で、肉体の疲労は多少なりとも解消することはできたかもしれないが、アクセルとブレーキを交互に踏むような日程になってしまったことで、調整は例年以上に難しくなった。そしてリーグ戦再開からの超過密日程と、この夏の暑さだ。選手たちの疲労は、想像に難くない。この試合で、ヴィッセルの選手たちのギアが上がらなかった理由の一つがここにあることは間違いないだろう。

 疲労ということに関しては、程度の差こそあれ、川崎Fも同様のはずだ。しかし両チームの動きには明らかな差があった。それは「試合の主導権」に起因していると、筆者は考えている。
 学生時代、クラスメートにラグビー部の選手がおり、疲労についての話を聞いたことを思い出した。試合の終盤、疲労度がピークに達している時、圧されている試合では疲労が色濃くなり、逆に圧している試合では不思議と身体が動くという。圧しているという事実が高揚感をもたらし、一時的に疲労を忘れさせるらしい。
 この試合で川崎Fは、試合序盤から主導権を握り、早い時間帯に立て続けにゴールを決めた。これによって川崎Fの選手は「攻める楽しさ」が肉体を支配し、逆にヴィッセルの選手は「守る苦しさ」に肉体を支配されてしまったのではないだろうか。こうした思考経路をたどったかどうかは想像の域を出ないが、いずれにせよ川崎Fが試合開始直後からのプレーにこの試合の全てを賭けてきたことは間違いないだろう。


 川崎Fの狙いはセルジ サンペールだった。今やヴィッセルのゲームメーカーとして、圧倒的な存在感を放っているサンペールは、先週の対戦でも川崎Fを苦しめた。この日の川崎Fは3トップの中央に入った小林悠と中央の大島僚太が徹底的に挟み込む形で、サンペールに自由を与えなかった。これが最初の狙いだ。ヴィッセルもこれは想定していたはずだ。そうした時、ヴィッセルにとってボールの出口は、センターバックの大﨑玲央から左サイドバックの酒井高徳へのラインとなる。しかし川崎Fはここも想定していた。3トップの右側に入った旗手怜央に、大﨑と酒井を結ぶライン上でプレスをかけさせた。これによって大﨑は浮き球で酒井に渡さざるを得なくなった。そのタイミングで、同サイドの山根視来が酒井にアプローチして時間を作る。こうなると左ウイングの古橋亨梧は、ポジションを落として酒井のフォローに入ることを余儀なくされる。そうすると、古橋に対しては右センターバックのジェジエウが余裕をもって前を向きながら見ることができるようになる。この一連の動きで、ヴィッセルは前にボールを運ぶ手段を一つ失った。
 サンペールのところでボールが落ち着かなくなるというのは、ヴィッセルにとってはチーム全体が機能不全に陥ることを意味する。サンペールがボールを握りながら、周りの選手たちに時間とスペースを作ることで、ヴィッセルは相手を閉じ込めることができるようになるためだ。サンペールがマークされた時は酒井がボールを握り、古橋とのコンビで左サイドで起点となりながら、時間とスペースを周りに与えるため、サンペールや大﨑が活きてくる。こうした流れを全て潰された時点で、ヴィッセルは攻め手を失っていた。
 では回避することはできなかったのだろうか。もちろん相手のプレスよりも速くボールを動かすというのが、一つの解決策だ。しかしこの試合に関しては、フォーメーションの変更でも対処できた可能性はある。それはヴィッセルのもう一つの基本布陣ともいうべき、3-5-2への転換だ。川崎Fの3トップに対して3バックが抑えることで、サンペールと大島は1対1の関係になる。ウイングバックになる西と酒井が大島と家長昭博を引っ張り出すことができれば、サンペールに対しては守田英正という図式になるため、力関係的にサンペールが優位に立つ。ひょっとするとフィンク監督もそれは想定していたかもしれない。しかしそれをするには至らなかった。その理由は、失点が早すぎたためだ。
 7分の先制ゴールを皮切りに、22分の飲水タイムまでに3失点を喫してしまったことで、ゲームマネジメントは極めて難しい状態になってしまった。自陣深い位置からのビルドアップによって、相手を自分たちが設定したエリアの中に閉じ込めるサッカーを志向し、それを突き詰めてきたヴィッセルが、ボールの出口を見つけられない試合は初めて見た。安井拓也はボールの出口を作り出そうと、ポジションを落としながらフォローに入ろうとしたが、如何せん全てのパスが意図のないもので、相手のプレスをかわすだけの苦し紛れのボールであったため、精度を欠いていた。それでも数人は何とか味方につけていったが、数を重ねるごとにズレは大きくなり、やがては川崎Fにボールを奪われた。そしてそこから川崎Fの素早いカウンターにさらされるため、ヴィッセルの選手たちはスタミナを無駄使いさせられた。それがやがては選手たちから集中力を奪っていった。これは無理もないだろう。


 この試合からヴィッセルが学ぶべきことは、自分たちの手がふさがれた際の微調整の大事さだ。昨季終盤からこの試合まで、取りこぼすことはあっても、試合の主導権を全く握れない試合はほぼなかった。さらにビルドアップの出口を見つけられなかったことなど、初めての経験だ。そこに油断があったとは言わない。しかしリスクマネジメントとして、これは考えておかなければいけなかった問題のではないだろうか。ヴィッセルのボールを握る技術は、全ての対戦相手が警戒を示すレベルには到達している。であればこそ、本来のサッカーを先鋭化させていくのは当然だが、この過密日程と暑さをも考慮すれば、それができなかった時の対応策は必要になる。
 そうした観点から見た時、ドウグラスの不在は痛かった。前線でボールを収める力のあるドウグラスがいれば、そこに蹴り出して相手を押し返しながら陣形を整えなおすこともできるのだが、藤本はそうしたタイプの選手ではない。頼みの綱は山口だったが、その山口でさえも疲労の色は隠せず、いつものようなプレーは望めなかった。そうなると、この試合におけるヴィッセルにとって唯一の解決策は西だったように思う。極めて安定したパフォーマンスを発揮できる西は、いい意味で力の抜き方を知っている。さらに周知のごとく、足もとの技術は極めて高い。その西を一つ高い位置に上げて、サンペールを最終ラインで吸収してしまうというのは、緊急避難的にはあり得る設定だと思う。そこで西に時間を作ってもらいつつ、サンペールがスペースを確保することができれば、普段よりもひと手間多くはなるが、ビルドアップの形としてはある程度整う。要は相手の狙いを外す方法を複数持っておかなければならないのだが、これをピッチ上の判断のみで行うのは、まだ危険であるように思う。

 かつてヴィッセルの指揮を執っていた松田浩氏は「守・破・離」という表現を好んで使っていた。これは侘茶の創始者である千利休が、「利休道歌」の中で茶道を学ぶ道程として記した言葉を由来としたものだ。松田氏の説明によれば、これをサッカーに当て嵌めると、チームとして決められた約束事を遵守しながら戦うのが「守」の段階であり、そこに選手たちが少しづつアレンジを加えるのが「破」である。しかしこの段階では未だ「守」の範疇内にある。そしてそこから新しいものを自ら生み出すのが「離」の段階であるという。そしてこの「守」から「破」に移行するには、2年程度の時を必要とするだろうと語っていた。松田監督時代と比べ、選手のレベルは格段に上がっているとはいえ、何か一つのものを身につけるにはやはりそれなりの年月を必要とする。今は全ての約束事を決め、それをひとつずつ忠実に遂行することこそが、今のヴィッセルには必要なのかもしれない。

 思わぬ大敗を喫したが、ヴィッセルが志向しているサッカーは貫くべきだ。この試合では、殆どの選手がクオリティーを発揮できなかったが故の敗北であり、ヴィッセルのサッカーそのものが敗れたわけではない。こうした試合を見せてしまった以上、今後ヴィッセルのビルドアップに対して強いプレッシャーをかけてくるチームはさらに増えるだろう。しかしそれを乗り越えていかなければ、本当の意味での強さは手に入らない。

 この試合では、待望のアンドレス イニエスタ戦列復帰が実現した。とはいえ、その時点で既にスコアは0-4。相変わらずの華麗な球さばきは見せたものの、既に守備には知らされ続けたことで、周囲の選手の足は止まっており、さすがのイニエスタにも手の打ちようはなかった。自身がボールを奪われたところから5失点目を喫してしまうなど、悪い流れは世界のスーパースターをも飲み込んでいった。

 このように全ての面で敗北を喫したと認めるしかない結果ではあるが、この原因を精神面に求めてはならない。試合開始直後から強いプレスをかけると決めて臨んだ川崎Fに対し、ヴィッセルは周到さが欠けていたといわざるを得ないからだ。しかし敢えて精神的な話をすると、チームの成熟度に差があったように思う。川崎Fが1週間前の試合について「負けに等しい引き分け」と捉えていたことは、既に書いた通りだ。この同じ試合をヴィッセルは、「最後に追いつかれたものの、川崎Fを圧倒できた」とポジティブに捉えてはいなかったか。両チームが獲得した勝点は、等しく1だったのだ。であればヴィッセルは「勝ちきれなかった」とネガティブに捉え、この試合を「失った勝点2を取り返しにいく」という気持ちで臨まなければ、川崎Fのテンションには揃わなかった。この差は「勝つことへの慣れ」から生じているように思う。この「勝つことへの慣れ」は、そうした経験を持った選手がチーム内にいればいいということではない。かつてのヴィッセルを考えれば、そうした選手を擁しながらも、J1残留で胴上げをしてしまうような「軽さ」は消せなかった。「軽さ」を持った選手が作り出すムードの中に、そうした選手も埋没してしまったためだ。このムードを「明るさ」と評する声もあったが、筆者はそれは違うと思っていた。「明るさ」と「軽さ」は、似て非なるものだ。全ての選手が「勝って当たり前」という気持ちを持ち、それを日常から発揮し続けることこそが、「勝つことに慣れる」ための方法だ。前の試合で「ゴールを挙げた」、「いいプレーができた」ということを喜ぶのではなく、「もっと取れたのではないか」、「もっといいプレーができたのではないか」と、思い続けることができなければ、勝利を続けることはできない。どの競技でも、「黄金期」を築いたチームには、そうした厳しさが内包されていた。


 ショッキングな敗戦ではあったが、この試合から学ぶことは学び、敗戦という事実は忘れることだ。まだヴィッセルの本格的な改革は、始まったばかりなのだ。川崎Fも長く「善戦マン」と呼ばれる時期を続けた先に、今の強さがある。チーム強化とは、上下動を繰り返しながら進んでいく。株式の世界では、始値に比べて終値が高かった場合に表示される線のことを陽線と呼ぶ。1年を通して大発会の株価を大納会時に上回っていれば、「今年は陽線だった」などともいう。チーム強化もこれと同じで、上下動を繰り返しながら長い目で見た時に陽線であれば良い。そしてここまでのヴィッセルは、確実に陽線をたどっている。

 この日の敗北を振り払うためにも、中2日で迎える湘南戦は「勝利」という結果を求めなければならない。現在、リーグ最下位に低迷している湘南ではあるが、走力を武器としているチームであるだけに、ヴィッセルにとっては厄介な存在だ。しかも湘南は試合中止の影響もあり、10日以上試合間隔が空いている。休養十分でこの試合に臨むことは確実だ。厳しい条件が重なっているが、ここを乗り越えないことには次のステップには進めない。チームスタイルは確立しつつある。そして、今はこの道を突き進む以外の選択肢はない。