覆面記者の目

天皇杯 準決勝 vs.清水 ノエスタ(12/21 14:05)
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  • 3
  • 2前半1
    1後半0
  • 1
  • 清水
  • アンドレス イニエスタ(13')
    田中 順也(33')
    古橋 亨梧(69')
  • 得点者
  • (38')ジュニオール ドゥトラ

古代ローマ帝国「五賢帝」の一人であるアウレリウスは、その著書「自省録」の中で、肉体と精神の二重性について言及している。
この時代から言われていたことのようだが、肉体と精神は互いに干渉し合いながら、お互いを支配している、ということを改めて思い知らされた試合だった。


 試合後の会見でトルステン フィンク監督は「パーフェクトな試合ではなかった」という表現を使いながら、試合を振り返った。
事実、試合を通してミスが散見された。
リーグ戦終了から2週間が経過し、実戦からやや遠ざかったことも、多少は影響しているのかもしれない。
しかし、最大の原因はそこではないように思う。
この試合にかける強い気持ちが、ヴィッセルの選手たちの肉体を支配していた結果だと、筆者は見ている。
 ヴィッセルの選手が、リーグ戦終盤から天皇杯での戴冠を見据えていたことは確かだ。
「クラブ史上初のタイトル」を獲得して、ヴィッセルの歴史に名を刻む。
そしてAFCアジアチャンピオンズリーグへの切符を掴み取る。
三木谷浩史会長を筆頭に、クラブが真剣に「アジアナンバー1」を目指しているからこそ、ここに対する思いは、弥が上にも高まる。
これに加えてダビド ビジャの存在もある。
最高の技術を惜しみなく発揮した、スペイン史上最高のストライカーは、自身のファイナルセレモニーの中で、最後に天皇杯のタイトルを自らのサッカー史に加えたいと語った。
真摯にサッカーに向き合う姿勢で誰からも尊敬され、謙虚な人柄で誰からも愛される名手の口から発せられたこの言葉は重い。
自然、多くの選手の口から「ダビ(ビジャ)のためにも」という言葉が聞かれるようになった。
その思いを最も強く持っているであろう人物が、アンドレス イニエスタであることは間違いない。
ともにスペイン代表として、ある時はチームメイトとして戦い、ワールドカップを含めた、ありとあらゆるタイトルを獲得してきた僚友を栄冠とともに送り出したいという気持ちを口にしている。
どのチームの選手も「勝ちたい」という気持ちを持っていることには変わりないが、ヴィッセルの選手のそれが一際強いものであることは間違いないだろう。

 こうした状況下であるだけに、筆者はこの試合が天皇杯制覇に向けての最大の障壁になると思っていた。
強すぎる気持ちは、時に肉体を萎縮させるからだ。
繰り返しになるが、ヴィッセルの選手が随所で「らしくない」ミスを犯したのは、このためだろう。
下馬評では、リーグ戦終盤の好調ぶりも評価され、ヴィッセル有利の声が多かったのは事実だが、それらは何ら勝利を担保するものではない。
清水にはドウグラスを筆頭に、決定力を持った選手が複数存在している。
ヴィッセルが90分間の間に落ち着くことができなければ、ここで星を落とす危険性は高かった。
事実、試合開始直後にはトーマス フェルマーレンが左に出したパスがタッチラインを割った。
フェルマーレンにとっては、パスミスするような距離ではない。
それを受ける酒井高徳にとっても、足が出ないような距離ではなかった。
しかしこれが合わない。
キャリアも充分、百戦錬磨の両選手にして、だ。
ヴィッセルの選手が「過興奮」のような状態に陥っていたのは間違いないだろう。
事実、5分頃までは、試合の流れは清水にあった。


 流れを変えたのは先制点だった。
13分に右サイド深い位置で時間を作った山口蛍が、上がってきた西大伍へパス。
西は横のイニエスタにこれをパス。
ペナルティエリア右角付近で受けたイニエスタは、少しだけ中央よりのポジションを移して左足を一閃、ゴール右隅にシュートを突き刺した。
試合後、イニエスタは「シュートコースがあると感じた」と語っていたが、相手GKの西部洋平に拠れば、空いていたスペース=相対した清水の選手の股の間はボール1つ分あるかどうかという程度のものだったという。
そのスペースを通すシュートを打ってくるなどとは、どんなGKでも考えることはない。
しかも低い弾道でスピードに乗ったシュートだ。
我々の常識では計り知れない得点だった。
これまでにも様々な場面で、見るものを唖然とさせてきたイニエスタだが、また1つ驚きを与えてくれた。
一体この人の底はどこにあるのだろうと、改めて考えてしまう。
どんな時も冷静沈着に状況を見極め、常に複数の選択肢を持ちながら、時には最も難易度の高いチャレンジをいとも簡単に成功させてしまう。
試合を通じて何度も、複数の相手を簡単にかわし、ボールを運ぶ姿を見せてくれた。
録画した映像で見直してみると、常に対峙する相手の重心と目線を把握していることがわかる。
その上で、自分のプレーで相手の重心をコントロールし、細かなタッチでその逆を取ることで、相手を無効化している。
それを連続で正確にプレーすることができるからこそ、複数の相手に囲まれても、ワンプレーごとの積み重ねに変えてしまう。
加えて、自身のボディバランスを崩すことがない。
強い身体の中心には鋼のように強く、ゴムのように柔軟な体幹があるのだろう。
どれだけ言葉を尽くしても、このマエストロの凄さを語ることはできない。

 この先制点の場面では、西と山口の動きも見逃すことはできない。
まず西だが、イニエスタにボールを預ける前、対面した相手をキックフェイントで、その体勢を崩している。
これによって、相手はイニエスタが上がってくるコースを消すことは不可能になった。
そしてボールを渡した後はすぐに右サイドを上がり、オフサイドぎりぎりの位置にポジションを取っている。
これによって、チームとしての選択肢は増える。
この冷静さこそが、西の真骨頂だろう。

 そして山口だが、西と同様にボールを渡した後、迷うことなくペナルティエリアに走りこむことで、相手を連れている。
そして中に入りすぎず、足を止めるのだが、これはイニエスタのシュートコースを確保するのに一役買っている。
筆者が今季最も成長したと思っているのは古橋亨梧と、この山口蛍だ。
正確に言えば山口は成長したというよりも、潜在能力を自ら引き出したということになるだろう。
中盤の底で相手の攻撃の芽を摘むだけではなく、スペースに積極的に飛び込むことで、攻撃面での能力を開花させた。
元々ボールスキルも高く、キックの精度も高いため、前に近い場所でこそ活きる選手だったのだろう。
加えて抜群のスタミナと試合を読む目も備わっている。
個人的には、日本人では最高のボランチだと思う。

 先制点で多少落ち着いたとはいえ、ヴィッセルの思い通りにゲームが運んだわけではない。
逆に先制点を許した後、清水がプレスの強度を高めたことで、試合の主導権は清水が握っていたとも言える。
ヴィッセルの攻撃の起点であるセルジ サンペールとイニエスタに対して厳しいマークをつけることで、その攻撃を寸断しようとした。
これに対してヴィッセルは最終ラインの大﨑玲央と「4人目のセンターバック」であるGKの飯倉大樹が攻撃の起点となるが、なかなか自分たちの形には持ち込みきれなかった。
それほど、この時間帯の清水の守備は強度の高いものだった。
その中でサンペールが致命的なミスを犯したが、その直後にヴィッセルが追加点を挙げるのだから、サッカーとは実に不思議なスポーツだ。
33分に右サイドで酒井が、金子との1対1を制し、深い位置からGKの前を通過するグラウンダーのクロスを供給。
これにファーサイドに走りこんだ田中順也が冷静に合わせ、2点目を挙げた。
清水にとっては、これが致命傷となった。
自分たちの意図した通りに試合を運びながら、決定機を逃し、逆に追加点を与えてしまった格好となったからだ。
酒井に抜かれた時点で金子はファウルをアピールしたが、これは余計だった。
この時間までの主審の判定基準を理解していれば、このプレーでファウルを取ってもらえないことは明らかだった。
サッカーにおいてセルフジャッジは厳禁とされているが、正にその通りだ。


 この場面で値千金の仕事をして見せた酒井は、さすがの貫禄だった。
試合全体を通じてみれば、ミスも目立っていたことは確かだが、それでも決定的な仕事をすることができる。
そして何よりも、試合の中で戦う姿勢を見せることができることが素晴らしい。
端正な顔立ちからは想像できない熱さをプレーに昇華できる酒井の存在は、チームに戦闘集団であることを要求している。
金子をかわす際には、ボディバランスを活かして巧く相手のベクトルを変えている。
このテクニックは誰もが真似できるものではなく、強靭な酒井のフィジカルがあればこそのものだ。
そして密集の中でイニエスタとパス交換できるボールスキルを持つ酒井がいればこそ、ヴィッセルの左サイドは破壊力のあるものになっている。

 追加点は奪ったものの、この時間帯の主導権が清水にあったことは変わらなかった。
その理由はハイプレスと3センターバックの横のスペースを使われたことにある。
この時間帯に清水が見せた戦い方は、今季のヴィッセルが包括している弱点をそのまま衝いたものだった。
今のヴィッセルの布陣において、鍵を握るのは2箇所だ。
1つはウイングバック、そしてもう1つはアンカーだ。
ボールスキルの高い西と酒井の両ウイングバックが高い位置を取って攻撃に加わることで、攻撃に厚みを加えているのだが、ここに蓋をされたとき、サイドは弱点へと変わる。
この試合の清水の布陣は4-2-3-1。
15分頃までは守備の基準点を見つけることができず、全体がぼやけていたが、先制点を許した後、プレスの強度を高めると同時に、サイドバックを高い位置に上げ、サイドハーフとのコンビで、ヴィッセルの両ウイングバックに対して優位を作り上げた。
これによってサイドの攻防は1対2となり、自由な攻撃参加が難しくなった。
そしてサンペールに対しては、ワントップのドウグラスと2列目中央の河井陽介が挟み込む形でスペースを奪った。
マイボールになるとドウグラスは右に流れ、変わって右サイドハーフの金子翔太が中央に流れ、マークを混乱させる。
これによって、ヴィッセルのビルドアップの起点はセンターバック中央の大﨑玲央、若しくはGKの飯倉に限定される。
そしてここにボールが入ったところで、ドウグラス、或いは左サイドハーフに入っていたジュニオール ドゥトラが一気に中央に寄せる。
その際、サンペールへのマークは、ボランチの一人が上がってくる形となっていた。
この「攻撃的な守備」に、ヴィッセルは手を焼いた。
元々の布陣的ミスマッチは、こちらに主導権があるときはストロングポイントとなるが、それを失ってしまうとウィークポイントとなってしまう。
そんな中で1点は失ったものの、リードしたままハーフタイムを迎えることができた時点で、勝負は決したといえる。

 フィンク監督は試合を重ねるごとに、その能力を発揮している。
選手の能力を把握し、チームを掌握するまでは様子を見ることに徹していたかのようだ。
リーグ戦終盤は、積極的な布陣変更によって局面を打開してきたが、それはこの試合でも同様だった。
山口をやや前に上げ、イニエスタをサンペールの横に落とすことで3-4-3のような並びに変更した。
これによって、攻撃の起点となるセルジ サンペールとイニエスタの箇所での数的不利を回避し、サイドの攻防も同数とした。
特に中央の攻防においては、相手のボランチが上がったときには、大﨑がその攻防に参加することで優位性を保った。
結果として清水はドウグラスを攻め残すような形になったが、ここはダンクレーとフェルマーレンが見ているため、それほどの危険性はなかった。
むしろ抜群のボールスキルを持つフェルマーレンが高い位置にあがることもできるようになり、ヴィッセルの攻撃は厚みを取り戻した。
加えて清水は無理なハイプレスが祟り、時間経過とともに運動量が落ちていった。
前半から「ボールを動かすことで相手を走らせる」サッカーを貫いてきたヴィッセルは、体力面での優位性を残したまま、清水の攻撃を凌ぎ続けてきた。
それが後半、圧倒的な差となって現れた格好だ。

 試合終盤、藤本憲明が投入された時点では、ヴィッセルの一方的なペースとなっていた。
清水の選手たちに前に出る足は残されていなかったため、セカンドボールを回収し続け、何度も決定的なチャンスを創出していった。
藤本には3度チャンスがあったが、この日は「藤本の日」ではなかったようで、悉く決めることはできなかった。
しかしそれ自体は、フォワードにはよくあることだ。
大事なのは、こうしてチャンスに絡み続けることだ。
ただし、チャンスに絡んでいるということは、正しく動けているということであり、ゴールという結果が得られなかったこと自体は然程気にする必要はないだろう。

 試合を仕上げたのは、今や「替えの効かない」選手へと成長した古橋だった。
69分に左サイドでイニエスタからのパスを受けた古橋は、細かなタッチで相手のバランスを崩しながら間を縫って中央に切れ込み、鋭いシュートを突き刺した。
この試合ではベンチ外となったビジャを髣髴とさせる、素晴らしい動きだった。
守備にも奔走しながら、ここという場面では縦に鋭く抜けていく古橋は、ボールスキルも高いものを持っている。
代表も経験し、一回り大きくなった古橋だが、この先どこまで成長してくれるのか楽しみだ。


 ヴィッセルは3度目の挑戦で、ついに天皇杯準決勝の壁を突破した。
誰もがこのときを待ち望んでいた。
試合中、ヴィッセルが得点を入れた際のスタジアムの雰囲気が、それを物語っていた。
こうして辿り着いた第99回天皇杯決勝は、クラブ創設25年目を締めくくるに相応しい舞台だ。
相手は鹿島。
Jリーグ創設以来、平成の日本サッカー界の軸であったこのクラブを乗り越え、「令和はヴィッセルの時代」とするための第一歩を踏み出してほしい。
今季、Jリーグを揺るがした地殻変動の震源地がヴィッセルであることは、疑いようのない事実だ。
出場する選手たちは、これまでクラブに携わった全ての人の思いを背負い、令和初の元日に新しい時代の扉をこじ開けてきてほしい。
新装なった国立競技場こそ、ヴィッセル戴冠の地に相応しい。

 冒頭で触れた「肉体と精神の二重性」を最初に提唱したのは、古代ギリシャの哲学者であるエピクロスだ。
そのエピクロスは「快楽を追求するのは、苦痛を感じているとき」と書き残している。
これまでタイトルを取れなかった(苦痛)を和らげてくれるのは、天皇杯優勝という最高の快楽しかない。

今日の一番星
[飯倉大樹選手]

先制ゴールでチームを鼓舞したイニエスタも候補だったが、やはりこの試合は飯倉をおいて他にはないだろう。ゴールに近い位置で起きた味方のミスにも、動じることなく冷静に対応、ドウグラスの決定機を2度までも防いで見せた。この試合における飯倉は、熱さと冷静さのバランスが取れていた。最初のシーンでは落ち着いてドウグラスのシュートコースを見極め、セーブした。
2度目は積極的にシュートコースを切ることで、これを防いだ。そのピンチを招いたサンペールに対して、シュートストップ後に見せた態度は、正に守護神の名に相応しいものだった。古巣である横浜F・マリノスがリーグ優勝を果たしたことで、飯倉自身も期するところがあるだろう。天皇杯優勝の瞬間、ゴールマウスで両手を突き上げる飯倉の姿が見たいと思っているのは、筆者だけではないはずだ。最高の笑顔を持つ「頼もしき守護神」に、文句なしの一番星。