覆面記者の目

明治安田J1 第25節 vs.札幌 ノエスタ(8/31 19:04)
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  • 2
  • 1前半1
    1後半2
  • 3
  • 札幌
  • 田中 順也(43')
    田中 順也(64')
  • 得点者
  • (45')鈴木 武蔵
    (52')ジェイ
    (67')宮澤 裕樹

試合終了の笛が吹かれた瞬間、スタジアムは怒号交じりのブーイングに包まれた。
その対象は、試合に敗れたヴィッセルの選手に対してではない。
決定的な場面で、不可解な判定を複数回見せた審判団に対する不満の表れだった。
試合後、トルステン フィンク監督は「審判を批判したいわけではないのですが、残念でした」という言葉で、判定への疑義を口にした。
フィンク監督の気持ちは、誰しもが理解できるだろう。
連勝で得た勢いをさらに加速させるべく臨んだ試合だけに、判定を受け入れ難いのは当然とも言える。
ヴィッセルサポーターの誰しもが、やりきれない思いを抱えながらまんじりともしない夜を過ごしたことだろう。
この判定に関しては、後述する。


 実に悔しい敗戦ではあるが、この敗戦そのものはそれほど重く受け止めなくてもよいように思う。
リーグ戦での順位を考えたときには、重く受け止めなければいけないことは事実だが、ヴィッセルのサッカーが崩れているわけではない。
試合後の会見の中で、札幌を率いたペトロヴィッチ監督は言葉の端々に、ヴィッセルのサッカーに対するリスペクトを覗かせた。
「やはり神戸はボールを支配して、技術的にもボールの動かし方にしてもわれわれよりも一枚上手な部分はあった」と、ヴィッセルの技術力を認めた上で「サッカーというのは、われわれも内容で上回りながらポイントに反映されない試合もありました。サッカーというのは時としてそういうものであると思いますけど、神戸は非常にいま素晴らしいサッカーをしていると思います。今日はわれわれに敗戦しましたけど、新しい監督さんのもとで今後、素晴らしいサッカーを見せてくれるんじゃないかと思っています」と会見を締めくくった。
就任2年目にしてチームを掌握し、「ミシャ式」と呼ばれる独自のサッカーを貫いているペトロヴィッチ監督だが、内容的に上回ったという実感は持てなかったというのは本音なのだろう。
トータルで見たときには、この試合でもヴィッセルのサッカーは決して悪いものではなかった。
その中で十分に勝機を見出すこともできたはずなのだが、幾つかの問題によって、それを結果に結びつけることができなかった。
しかしその問題は、いずれも微調整で解決できる範囲内にある。
敵将が認めたように、今のサッカーを継続していくことで、間違いなく大きな果実を手にすることができる。
根源的な問題がないからこそ、敗戦の主たる理由を判定に求めるのではなく、結果を謙虚に受け止めてほしい。
同時に、それが自らが成長するための「伸び代」であることを自覚し、日々のトレーニングに励んでほしい。


 昨日、Viber公開トークで配信した速報版にも記したが、この試合を左右した最大のファクターが「イニエスタの不在」だったことは間違いない。
前節での負傷を受け、アンドレス イニエスタがこの試合を欠場するであろうことは、フィンク監督は早くから明言していた。
当然、トレーニングもそれを想定したメニューだったはずだ。
ここでイニエスタの代役に抜擢されたのは、大方の予想通り安井拓也だった。
前節でもイニエスタと交代でピッチに入り、特段問題を感じさせなかっただけに、この起用は頷ける。
試合前日、安井は「自分ができることをやるだけ」と決意を固めていた。
そして安井のプレーそのものには、さしたる問題はなかった。
しかしイニエスタの存在の大きさが、仇となっていた。
イニエスタのプレーに対して、ヴィッセルの選手、特にFWの選手は「イニエスタがボールを持ったら、信じて前に走り出せばボールが出てくる」と口にすることが多い。
事実、その通りのプレーをイニエスタは見せてきた。
この「イニエスタマジック」が鮮烈なだけに、選手たち自身がその不在を重く受け止めてしまったのだろう。
相手の最終ラインの前でボールを握った際、「信じて走り出す」のではなく、「自分たちの力でボールを運ぼう」としていたように感じた。
これがちょっとした落とし穴になってしまったのかもしれない。
前線での動き出しが、僅かに遅くなっていたのだ。
結論から言えば、周りの選手はもう少し安井を信頼してみてもよかったように感じる。
安井はボールを受ける際、常にヘッドアップした状態で周囲の状況を確認しながらプレーしていた。
特に左サイドで酒井高徳や田中順也と絡みながら、ボールを前に運ぶ動きはスムーズだったように感じた。
イニエスタには及ばずとも、安井がJリーグの中では標準以上の技術を持つ選手であることは間違いない。
ここで安井を信頼し切れなかったことが、ヴィッセルの攻撃のリズムを僅かではあるが狂わせてしまったのかもしれない。

 「イニエスタ」の存在はあまりに大きい。
フィンク監督も「イニエスタから繰り出される、予想できないプレーが欠けていたと思います」とした上で、彼の不在時の対処は課題であると認めたほどだ。
W杯やUEFAチャンピオンズリーグといった、世界最高峰を決める大会で、世界中を虜にしてきたイニエスタのプレーが異次元にあることは確かだ。
しかしここで忘れてはならないことは、ヴィッセルが志向するサッカーは決してイニエスタありきではないということだ。
全員がボールの位置、味方の位置、敵の位置から正確なポジションを決定し、そこでボールを支配することで、相手をコントロールしていく戦い方こそが、ヴィッセルのサッカーである筈だ。
だからこそ、イニエスタ不在時も戦い方を変えるのではなく、自分たちの原則を貫き通すことが求められるのだ。

 安井にも課題はある。
試合後、ポジショニングについては狙い通りにできたと分析していたが、そのプレーが相手の予想を超えるところまではいたっていなかったことも事実だ。
正しいポジショニングだけでも十分及第点ともいえるが、安井のポテンシャルからすれば、時には相手の予想の上をいく大胆なプレーを見せてもらいたい。
試合の流れを読む目はあるだけに、成功率の低いプレーを選択できる場所や時間帯は理解できているはずだ。
まだ若干20歳の安井には、挑戦するだけの時間的余裕は残されている。

 次に試合を難しくした要素、それはロンドを自ら解いたことだ。
前節ではピッチ上に巨大なロンドを出現させ、その中で相手選手を走らせ続けたヴィッセルだったが、この試合では後半に自らそれを解いてしまい、ややオープンな展開に持ち込んでしまったことは、自分たちのサッカーを見失ったと同義であるように感じた。
ロンドを解いてしまった理由は、2つ考えられる。
1つは札幌の戦い方だ。

 ペトロヴィッチ監督の作り出すサッカーは、「ミシャ式」と呼ばれ、特殊なものであると評す人も少なくない。
しかしその実は極めて単純なサッカーであるように、筆者は感じている。
3-4-2-1でスタートさせ、攻撃時には4-1-5、守備時には5-4-1へと形を変える、いわゆる「可変システム」ではあるが、それほど複雑なものではない。
肝となるのは切り替えのスピードであり、全員が攻守にわたって走り続けることを求められる。
この試合では、後半リードを許したこともあるのだろうが、ヴィッセルの選手はテンポを上げすぎていたように感じた。
ボールを奪った時点で、相手が戻るスピードよりも速く攻めようという気持ちが強かったのかもしれない。
しかし、ここにこそ落とし穴があった。
ペトロヴィッチ監督が嫌っていたのは、ヴィッセルがロンドを形成しながら、札幌のブロックの周りでボールを動かすことだった。
ここに食いついてしまえば、その間でボールを動かされてしまいブロックは決壊する。
もし動かなければ、ヴィッセルはその外側でサイドを変えながら、徐々に追い詰めていくことができただろう。
しかしヴィッセルの選手は得点を焦ったのか、いつもの「引き付けてリリース」というテンポを保つことができなかった。
その結果、ヴィッセルが攻めて、札幌がカウンターで逆襲という、最も忌むべき展開に持ち込まれてしまった。


 ペトロヴィッチ監督は、試合後語ったように、ヴィッセルのボール回しの技術を認めていた。
だからこそ、そのストロングポイントを消すために策を講じてきた。
その一つが後半、前線の並びの変更だった。
ヴィッセルのロンドにおけるキーマンは、セルジ サンペールだ。
アンカーのサンペールが、最終ラインの前でボールを持ち、そこから大きな展開を作り出していくことで、ヴィッセルの攻撃はスタートする。
これに対してペトロヴィッチ監督は、前半はサンペールのマークをワントップのジェイに委ねた。
そして2列目の鈴木武蔵とチャナティップは、最終ラインに食いつきすぎることなく引き気味のポジションを取っていた。
これに対するヴィッセルの対策は見事だった。
大﨑玲央やトーマス フェルマーレンが空いたスペースに進出することで、全体を押し上げ、サンペールはポジションを細かく調節しながらジェイのマークを外していった。
これによって前半は、ヴィッセルが圧倒的なポゼッションを見せることとなった。
その中で田中順也の先制点が生まれた。
これに対してペトロヴィッチ監督は後半、ジェイと鈴木の2トップとし、チャナティップをシャドーの位置に落とすことで、サンペールをマークさせた。
スペースを見つけながらポジションを変えてくるサンペールに対して、スタミナで食いつき続けられるチャナティップをマークさせることでその動きを封じたかったのだろう。
加えてサンペールの横から攻撃を開始することで、サンペールを守備に奔走させたかったものと思われる。

 これに対してフィンク監督は76分にサンペールを下げ、藤本憲明を投入することで、よりシンプルな攻撃に舵を切った。
フィンク監督の意図は理解できるが、筆者とすればここでサンペールを下げたことがヴィッセルの戦い方を変えてしまったように思う。
確かにこの時間帯、サンペールはパスミスも散見されており、ポジショニングに苦慮していた。
しかしボールを落ち着かせることのできるサンペールを下げることは、イニエスタ不在の状況下では、オープンな展開への扉を開いてしまうことにつながる危険性を孕んでいる。
傑出した攻撃力と、それを支える技術力を身につけつつあるヴィッセルに対しては、今後も様々な対策が施されてくるだろう。
この試合は、そのテストケースとも言える。
最終ラインに食いつかず、サンペールに対して圧力をかけられた時、どのように対処するかは、今後のヴィッセルの戦いの鍵を握っている。


 この試合では、ダビド ビジャが30分以上プレーした。
前節よりも出場時間を延ばしたビジャだが、まだ本調子ではないように見えた。
得意の左サイドからの切り込みでは、人数をかけて守る札幌にカットされる場面も散見された。
とはいえ、シュートを放つ中で、徐々にゴールに近づけていく修正能力はさすがだ。
この試合で長い時間プレーできたことで、ここから急速にコンディションを戻していくだろう。
前線で違いを作り出せるビジャの復調は、この先の戦いを勝ち抜いていくためには不可欠だ。

 ビジャ不在の間、攻撃を支えた田中と古橋亨梧は、依然として好調を保っている。
しかしボックス内で人数をかけて守る相手を崩すには、2人だけでは心許ない。
そこで可能性を感じさせたのは酒井と西大伍のウイングバックだった。
両者とも前に出るタイミングは絶妙で、加えてボールを握り続ける力もある。
ペナルティエリア付近で見せるプレー選択も間違いがない。
ピッチ全体にロンドが形成されていれば、彼らの走路は確保されている。
しかも前には、彼らを呼び込む力のある山口蛍もいる。
この攻撃力を活かすためにも、自分たちの基本形は大事にしてほしい。

 この先の戦いを考えたとき、ポイントとなるのがセットプレーの守備だ。
札幌には福森晃斗という素晴らしいキッカーがいたとはいえ、セットプレー、特にコーナーキック時の守備はまだ不安定だ。
決勝点の場面では、西が二アサイドでボールに対処しようとしていたところ、二アサイドで頭に当てると決めていた宮澤裕樹に前を取られる形になってしまった。
巻き気味に蹴ってくるボールへの対処と併せて、解決すべき課題だ。
まして次戦で対戦する松本は、セットプレーに工夫を凝らし、活路を見出そうとする反町康治監督が相手だ。
しっかりと対応を決めておく必要があるだろう。

 冒頭で書いたことの繰り返しになるが、この試合でヴィッセルが見せたサッカーは決して悪いものではなかった。
フィンク監督が会見で語ったように、完成に向けて着実に歩を進めていることは間違いない。
その過程では、この試合のように取りこぼすこともあるかもしれないが、そこで生じた小さな問題に囚われすぎることなく、今のサッカーを貫いてほしい。
今のヴィッセルのサッカーに求められるのは、相手に対応されても揺らぐことなくそれを貫き、相手の隙を見つける「我慢する力」ともいえる。


 最後に判定についても触れておく。
この試合で問題となった判定は二つある。
1つは札幌の2点目のシーン。
そしてもう1つは、後半アディショナルタイムに起きたハンドを巡る判定だ。
 1つ目のシーンだが、これは映像で見直してみたが、明らかに誤審と言える。
52分、ゴール前でフェルマーレンとジェイが競り合いになったが、ここでジェイの肘がフェルマーレンに入っていた。
しかもボールは、ジェイのその腕に当たっている。
さらに飯倉がこれをクリアした位置は、ゴールライン上だったように見える。
結局、3つの要素を全て見落としているのだ。
試合後、飯倉は東城穣主審から「ジェイのハンドは見えなかった」と言われたことを明かした。
映像で見る限り、主審のポジションとの間には選手が複数おり、見えなかったというのは本当なのだろう。
2つ目のシーンではペナルティエリア内で進藤亮佑がクリアしたボールが、白井康介の右腕を直撃している。
これに対してヴィッセルの選手はハンドをアピールしたが、それは認められなかった。
これについては議論の余地がある。
細かな文言は省くが、守備時に至近距離から蹴られたボールが手に当たった場合、妨害する意図がなければ反則とはならない、ということが明記されている。
しかし同時に、体を不自然に大きくしている場合はハンドの反則になるとも明記されている。
この場面では、進藤と白井は至近距離にいたと言える。
そして進藤のクリアしたボールに対して、白井が体を大きくしていたかどうかは見解が分かれる。
ペナルティエリアの中であることを考えれば、白井は腕を広げるべきではなかったともいえるが、不自然だったかどうかまでは、審判によって見解は分かれるだろう。
問題は、抗議したヴィッセルの選手に対する東城主審の対応にあったように思う。
酒井は「審判がどうこう言うべきでないことは分かっているが」と前置きした上で、「『ハンドしたことは分かった』『でもハンドではない』と言われた」と、やり取りの一端を明かした。
試合進行をスムーズに保つことはもちろん大事だが、ここで東城主審は競技規則について、説明すべきだったのではないだろうか。
勝利を目指し、興奮状態の中で必死に戦っている選手に届く言葉は少ないかもしれないが、それこそがスムーズな試合進行を作り出すはずだ。
 審判については「大変な仕事であり、誤審も仕方ない。だから批判すべきではない」という意味の言葉を耳にすることがある。
大変な仕事であることは認めるが、それが誤審のエクスキューズにはなり得ないというのが、筆者の素直な気持ちだ。
やはり誤審に対しては、苦言をも甘受しなければならない。
大げさに言えば、審判は選手にとってのライフラインでもあるのだ。
ライフラインは従事者の努力や気持ちとは無関係に、目立たず完璧に機能してこそ評価されるものだ。
 以前、文楽の人形遣いの方からこんな言葉を聞いたことがある。
「私らはあくまで黒子です。公演が終わった時、お客様から『そういえば、人形遣いはおったか?』と言われるようでなければ駄目なんです」
これは、サッカーにおける審判も一緒だと思う。
審判が目立ってしまうような試合は、巧くコントロールできなかった試合として批判の対象になるべきだ。
 こうした判定を巡るトラブルを減らすためにも、早期のVARの導入を求めたい。
判定の正確を期すことは、審判の権威を損なうことには決してならない。
昨年からリクエスト制度を導入し、映像による判定の確認を取り入れたプロ野球だが、その結果が覆ることも珍しくない。
しかし、これによって審判に対する信頼は逆に増しているという。

後味の悪い敗戦であることは確かだが、しかしチームとしては「負けたのは判定のせいではなく、自分たちの試合運びにあった」ということを自覚し、微調整を行ってもらいたい。
次戦までの2週間は、ヴィッセルの運命を変える2週間になるだろう。
松本戦、そして天皇杯川崎F戦と勝ち切ることができれば、アジアの扉が見えてくる。
イニエスタの復帰も視野に入れながら、この2週間を楽しみに待ちたいと思う。