覆面記者の目

明治安田J1 第14節 vs.磐田 エコパ(6/1 15:03)
  • HOME磐田
  • AWAY神戸
  • 磐田
  • 1
  • 0前半1
    1後半0
  • 1
  • 神戸
  • ロドリゲス(93')
  • 得点者
  • (3')ダビド ビジャ

試合後、沈んだような表情を浮かべたダビド ビジャは「2点目を決めていれば、試合は違った展開になったと思う」と語った。
まさに、その言葉通りの試合となってしまった。
確かにビジャの言う通り、序盤に何度か訪れたチャンスのうち一つでも決めていれば、勝点3を手に入れることはできたかもしれない。
しかしその勝利は、チームに勢いこそもたらすだろうが、根本的な問題解決とはならないことも、また事実だ。
この試合からヴィッセルが学ぶべきは、戦い方のベースを定めることの重要性だ。


 この試合に際して吉田孝行監督は、大勝した前節と全く同じメンバーと布陣をチョイスした。
負傷者が多く、チームの根幹を担うべきアンドレス イニエスタ、ルーカス ポドルスキを欠く中では、採れる策にも限界はある。
試行錯誤を重ねた末に辿り着いたのが、この試合でも見せた3-4-2-1の布陣ということなのだろう。
確かにこの布陣を採用してからの3試合は、守備の部分で一時のような混乱は収まったように見えた。
最終ラインにセンターバックの選手を3人並べたことで、守り方はシンプルになったためだろう。
攻撃面においても、最前線に抜群の高さと強さを持つウェリントンを置いたことで、ボールを持ってからの迷いは減ったように見える。
しかし、これが応急処置的な対応であることも、また事実だ。
それが露見した試合でもあった。
これは攻撃面を見ると解りやすい。
 この試合で採用したシステムにおける攻撃パターンは、主に三つ。
一つは左ウイングバックの小川慶治朗を縦に走らせ、そこにビジャを絡めていくやり方。
もう一つはシャドーストライカーの位置に入った三田啓貴がドリブルで持ち上がっていくやり方だ。
そしてこの二つが無理な場合は、相手守備の裏をめがけてボールを蹴りだし、そこにウェリントンが走りこむという三つ目の方法が採られる。
いずれも選手の特性を活かした方法と言えなくもないが、あまりにシンプルすぎるように感じる。
そのため、これに対して対策を講じられてしまうと、最後はウェリントンの強さや小川のスピードといった個人の能力に依存することになってしまう。
しかし根本的なやり方は変わっていないため、相手を振り回すことはできず、ヴィッセルの選手だけが動き回る羽目に陥ってしまっていた。
それが顕著に現れたのが後半だった。
磐田の猛攻をよく跳ね返していたが、最後に力尽きてしまった。
吉田監督が就任以降、選手に求め続けている『勝ちたい気持ち』は十分に発揮されていたように感じるが、押し込まれた状況から反撃に移行するメソッドがないため、『攻撃的な守備』にはならなかった。

 それも無理はない。
この試合で見せた戦い方は、負傷者が相次ぐ中で編み出した苦肉の策であるからだ。
当たり前のことだが、戦術に優劣はない。
積み上げてきた時間が、その戦術を先鋭化させていく。
どの戦い方であっても、そこに選手の共通理解と遂行能力が備われば、それは勝ち抜いていくための武器となるのだ。
だからこそ選手たちは、日々トレーニングを重ねている。
その時間が圧倒的に不足している以上、一度相手に流れを渡してしまうと、チームとしてそれを取り返すことは難しい。
そう考えれば93分まで1点差を守り続けたことが、選手たちの戦う姿勢の顕れであり、最後に守りきれなかったのは磐田との積み上げてきた時間の差だったというべきなのだろう。

 ではこれから先、ヴィッセルは何を手に入れるべきなのだろうか。
ここで少しだけ将棋の話をする。
以前にも書いたことがあるが、将棋を考える上では「戦型」と「戦法」という言葉が登場する。
様々な戦法があるが、それは普遍的なものではない。
ある局面では有効だったものが、別の局面では全く効力を発揮しないといったことは、しばしば起こる。
そのため序盤の局面を幾つかのパターンに大別し、それぞれに有効な戦法を考える。
この大別されたパターンが戦型だ。
 これはサッカーにも通じている。
サッカーのピッチには3つの要素がある。
それは「ボールの位置」、「相手の位置」、そして「味方の位置」だ。
これがどう配置されているかによって、選手が取るべき行動は決定される。
これが原則だ。
しかし同じ配置であっても、状況に応じて取るべき行動は変わってくる。
解りやすくいえばリードしている場面とリードされている場面では、目的が異なっているからだ。
だからこそ幾つかの「戦型」を定め、それに応じた戦い方を、チーム全員が共有しなくてはならない。
これを日々のトレーニングで、身体に覚えこませることこそが必要な作業だ。
これこそが、今ヴィッセルにとって最も必要な作業であるように思える。

 試合終盤、磐田に押し込まれる中で、ヴィッセルの選手はひたすら跳ね返すことに注力していた。
しかし、前に蹴りだしたボールが味方に収まることはほぼなく、磐田の二次攻撃、三次攻撃の起点となってしまっていた。
本来はこうした局面こそ、今季のヴィッセルにとっては最大のチャンスであった筈だ。
プレスに来る相手を外しながらパスをつなぎ、その裏を取る姿勢を見せることで、相手の圧力を遠ざけつつ、カウンターで得点を狙っていく。
実際にピッチに立っていた選手にとっては、ロドリゲスを中心とした磐田の圧力の前にそんなことを考えている余裕はなかったのかもしれないが、トレーニングで積み上げてきたものを発揮しないのでは、いかにも勿体ない話だ。
 吉田監督の交代に伴う配置転換が、選手を混乱させた面もあるように思える。
小川に代えて初瀬亮、サンペールに代えて藤谷壮を投入した。
両選手とも負傷からの復帰であり、誰もが待ち焦がれた存在だ。
押し込まれている時間帯という難しさもあったが、この両者はウイングバックに配置された。
そしてシャドーストライカーだった三田をボランチへ、右ウイングバックだった西大伍をシャドーストライカーの位置へと配置を変更した。
一つ一つの交代の意図は解る気がする。
疲れが見えていたサンペールを交代させ、序盤から走り続けていた山口蛍のフォローとして、運動量のある三田をボランチへ動かす。
その上で、中央でのプレーもできる、ボールスキルの高い西を前線に近い位置でと考えたのだろう。
しかしこの配置転換によって、バランスを欠いてしまったのは皮肉な結果だ。
押し込まれている局面、藤谷のブランクを考えた場合、1対1の守備にも強く、裏を取る攻撃も繰り出せる西は右ウイングバックに置き続けるべきだったのではないだろうか。
同時に磐田が前に出てきていた時間帯だったことを考えれば、ボールホルダーに寄せていく守り方の三田を中盤の底に置くことはリスクが高かったように思う。
三田自身は徹底して走り続けるスタミナと気持ちの強さを併せ持つ、素晴らしい選手だが、磐田が前がかりになっていたため、人数的な不利はどうにもならない。
前節でサンペールとの交代でボランチに入り、スペースを埋め続けた安井拓也がベンチ外だったのは悔やまれるが、それならば大﨑玲央をボランチに上げて、那須大亮を最終ラインに置くという方法もあったように思えてしまう。
また、初瀬と藤谷を投入したのであれば4バックに変更するという方法もあった筈だ。
 全ては結果論でしかないことは、重々承知している。
もしあのまま逃げ切っていたならば、初瀬と藤谷を実戦復帰させながらも勝点3を奪ったという結果は賞賛されていただろう。
 90分間の中では、「押し込まれる時間帯」というのは、どんなチームにも存在する。
だからこそ、それを先述した「戦型」として認識した上で、その際に取るべき戦術を定めておく必要があるのだ。

 吉田監督以下、多くの選手が口にした通り、試合序盤はヴィッセルが主導権を握っていた。
その中で、試合開始から2分足らずでPKを獲得した。
左サイドの小川から中央に戻したパスはややずれていたのだが、これを山口が足を延ばしながら縦方向に向きを変えた。
これを受けたウェリントンからボールを受けた三田がペナルティエリア内に侵入、抜け出そうとしたところで相手GKに倒されたとしてPKを獲得したのだ。
山口からボールを受けたウェリントンの位置は微妙だったものの、一連の流れがスムーズだったことから獲得できたPKだったように思う。
これをビジャが落ち着いて決め、ヴィッセルが前節からのいい流れを保っているように見えた。
ヴィッセルとは対称的に、前節で大敗を喫していた磐田にとっては、この1点が重く圧し掛かることになった。
この時点で磐田の選手には、動揺が走っていた。
試合後、磐田のアンカーを務めた山本康裕は「ヴィッセルの攻撃にそれほどの怖さはなかった」としながらも、「ウェリントンにボールが入ったとき、後ろから選手が飛び出してくる形は嫌だった」と語っていた。
磐田相手にも、ウェリントンの強さは通用していた。
ヴィッセルの選手も、それを感じていたのだろう。
その後、ウェリントンにロングボールを集める戦い方を選択していたが、ここで少しの「狡さ」が欲しかった。
磐田の守備はウェリントンの徹底マークから始まっていた。
実にシンプルな守り方だっただけに、ウェリントンの位置によっては最終ラインの裏は大きく空いていた。
また磐田の攻撃も序盤は2枚だったため、ヴィッセルの3バックは常時一人が余る形を取れていただけに、もう少し他の攻め方を試すことができれば、磐田の守備は混乱していたと思われる。
通用する武器を活かすために、敢えて遠回りをする狡猾さは、勝負の中では大きな武器となる。
そこをサンペールに期待していたのだが、サンペールもシンプルな形でのボール供給が多かった。


 ゲームは「リズム」に支配されているという人がいる。
そのリズムが一定になってしまうと、対応は易しくなる。
リズムを変えることで相手の狙いを外すというのは、幾分の狡猾さを必要とするが、それほど難しいことではない。
ヴィッセルでそれを意識していたのは大﨑だった。
ボールを受けた時点で前が空いていれば、ゆっくりとボールを晒しながら前進し、プレスに来る相手をかわしてパスを出し、前が詰まっていれば相手を引き付けて素早くボールを動かすことで、相手のリズムをかく乱しようとしていた。
しかし二人目以降が安易な横パスやバックパスを選択してしまうことが多く、磐田全体を動かすには至らなかった。
 試合前、吉田監督は「長い時間、相手陣内でプレーを続けたい」と語っていた。
これを実現するためには、「ボールの位置を最後尾とする」ポジショニングプレーの基本に立ち返る必要がある。
前が空いていれば前進、寄せられたらかわしてつなぐという、春先から続けてきた基本を忘れることなく動き続ければ、それだけでも、ある程度はボールを支配しながら、相手を動かすことはできる。
ウェリントンという武器があるからこそ、そこを詰めていくことができれば、新しい形が見えてくるかもしれない。

 今のヴィッセルは、ボールに寄りながらプレーする傾向が見られる。
そのため、ピッチを広く使うというスタイルではなく、集団で中央を突破しようとする時間が長いため、これまで以上にリスク管理が重要になる。
ボールに寄るということは、別の場所にスペースが生まれているということでもある。
だれがどこのスペースを空けているのか、それを管理するのは誰なのかということを、チームとしてしっかりと見直していくことは急務だ。


 前節に続き先発起用された吉丸絢梓だが、こちらは相変わらずの落ち着きを見せた。
試合後には「初めてのアウェイゲームという意識はしていた」というものの、最後まで安定したプレーを見せた。
吉丸最大の武器は、低く速いフィードにある。
テニスのライジングショットのように、落ちたボールの上がり際を蹴ることができるため、高さのコントロールをつけ易いのだろう。
磐田の選手が届きそうで届かない、見事な高さのキックを何本も見せていた。
最後、PKの場面でも、一度はロドリゲスのシュートをセーブしてみせた。
183cmと、大型化が進むGKとしては決して大きい部類ではないが、俊敏性も高く、面白い存在だ。
これから経験を積む中で、更なる成長にも期待できる。
ヴィッセルのアカデミー育ちながら、ポジションの特性もあり、中々出場機会には恵まれず、J3やJ2へのレンタル移籍も経験してきたが、その間着実に成長を続けてきたことが、今の活躍につながっている。

 吉丸と同じヴィッセルのアカデミー出身ということで期待されている中坂勇哉だが、この試合では短いながら出場機会を得た。
ビジャに代わっての出場だったが、時間が短いこともあり、プレーでは存在感を示すことが出来なかった。
最後のPKのシーンでは吉丸がセーブしたボールに走りこめる位置にいたように思うが、相手に先に動かれてしまい、これを防ぐことはできなかった。
途中出場でコンセントレーションを一気に引き上げることは、ベテラン選手でも難しいことではあるが、出場機会を活かすためにも、ベンチにいるときから出場している気持ちで試合に臨んでほしい。
特別な力を持っている選手であるだけに、何としてもポジションを掴み取って欲しい。

 報道に拠れば、試合を観戦に訪れた三木谷浩史会長は「覚悟を決めて戦って欲しい」と選手を激励したという。
これは単なる精神論ではないだろう。
「およそ人、この世に処し、事を成さんとするには、須く戦国武士の覚悟あるを要す」という言葉を遺した渋沢栄一は、その著書「論語と算盤」の中で「士魂商才」という言葉を使っている。
その大意は「武士の魂は必要だが、それだけでは精神論で終わってしまう。そこに正しくものごとを分析する商才がなければ、ことは為せない」ということなのだが、これこそが今のヴィッセルの選手に必要な考え方だ。
勝利を渇望する気持ちは大事だが、そこには勝利するだけのしっかりとした理論、そしてそれを遂行するための技術が必要だ。

 ここから2週間の中断を経て、FC東京、大分、名古屋といった上位陣との連戦を迎える。
負傷者の回復によっては、戦い方は変わる可能性が高い。
どのような戦術を採用するにせよ、そこには戦型に応じた分析がなければならない。
そこにヴィッセルの選手たちの技術が加われば、浮上のきっかけは必ずや掴むことができるだろう。
この2週間、しっかりと身体を休め、もう一度チームを構築するくらいの強い気持ちでサッカーに取り組んで欲しい。