覆面記者の目

明治安田J1 第28節 vs.鹿島 ノエスタ(9/29 16:03)
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    0後半3
  • 5
  • 鹿島
  • 得点者
  • (30')レオ シルバ
    (40')西 大伍
    (56')鈴木 優磨
    (75')セルジーニョ
    (91')金森 健志


大敗を喫した試合ではあるが、これを振り返る上では二つに分けて見るべきだろう。
二つとは「失点前」と「失点後」だ。
今季最多タイとなる5失点を喫した試合でこういう物言いは、ともすると負け惜しみに聞こえるかもしれないが、失点を喫するまでのサッカーは、さして悪いものではなかった。
0-4で敗れた前節を受けて、特に守備の部分では改善が見られた。
相手が連戦とはいえ、連勝中と波に乗っている鹿島であることを考えれば、1週間でよくぞと思いながら見ていた。
しかし30分に最初の失点を喫すると、それまで見せていたサッカーが影を潜めてしまった。
これが連敗中のチームの哀しさなのだろうか。
残り時間を考えれば焦る必要はなかったのだが、選手間の連携を急速に失い、個々にボールにアタックする悪い流れに嵌ってしまった。
その後は自分たちのミスで失点を重ね、気がつけば0-5。
ポゼッション率こそ鹿島を上回ったが、チャンスらしいチャンスも創出できないままに試合を終えてしまった。
まずは改善すべき点から考えてみる。

 攻撃面で考えなければならないのは、全体の距離感だ。
特に失点後、顕著となったのは、前線に選手が不足している中でも、強引に前にボールを入れてしまう形だ。
守備に移行した際、ヴィッセルはウェリントンを前に残す場面が多かった。
そのため自陣ゴール前でボールを奪った際、そこにボールをつけようとするのだが、これはウェリントンの個性を考えればミスマッチだったと言わざるを得ない。
足もとでボールを収め、そこから縦に攻撃を仕掛けられるタイプのフォワードならばそれでも良いのだろうが、ウェリントンはそうではない。
ウェリントンの良さは上半身にある。
ハイボールに対しての競り合いや胸でトラップして味方に落とすようなプレーは得意なのだが、足もとでボールを収めるのは苦手な選手だ。
しかし傑出した高さがあるため、自陣で守備をする選手にとっては目標となってしまう。
ウェリントン自身も後方からのボールを受けるため、進行方向(相手ゴール)に背を向けてのプレーとなっているため、前を向いてプレーできる相手守備よりも不利な体勢となっている。
本来であれば、ウェリントンにボールを入れる際には、複数の選手が周囲に詰めた状態を作り出したいところだが、それを待つ時間を持てなかった。
そのため、自陣からのクリアが攻撃の始まりとはならず、鹿島のカウンターを許す形となってしまった。


 次に考えなければいけないのが、ルーカス ポドルスキの活かし方だ。
2トップの一角でスタートしたルーカス ポドルスキだが、失点後は低い位置でのプレーが目立っていた。
鹿島の攻撃を受ける際、自陣深くまで戻って守備をするわけではないのだが、前線のウェリントンとは距離があるため、ウェリントンに対するフォローとはならなかった。
ルーカス ポドルスキが低い位置に落ちていたのは、味方からのパスを受けて攻撃の起点となるためだったのだろう。
ウェリントンに入れるのと同じくらいの頻度で、奪ったボールをルーカス ポドルスキに預けるプレーも目立っていた。
ここでルーカス ポドルスキがボールを持つということは、ヴィッセルには二つの選択肢が生まれる。
一つはルーカス ポドルスキがボールをキープしている間に、ウェリントンを含む複数の選手が相手の背後を狙って走り、そこにボールを入れてカウンターからのゴールを狙う方法。
もう一つはルーカス ポドルスキを起点としてボールをつなぎながら、全体を押し上げつつ相手ゴールを狙う方法だ。
これがハッキリしていないため、折角ルーカス ポドルスキに預けても、結局はボランチとショートパスをつなぐだけになってしまっていた。
その間に鹿島は全ての選手が戻り、ヴィッセルの前にブロックを形成してしまった。
それを繰り返しているうちにルーカス ポドルスキは疲弊し、動きが落ちてしまい、攻守両面で浮き上がったポジションにいる時間が増えてしまった。
 この試合で鹿島守備陣が前に出てこれるようになったのは、ルーカス ポドルスキが下がってプレーする時間の増加と一致している。
それほどボールが入っていなくとも、広いシュートレンジを持つルーカス ポドルスキが前にいるという事実は、相手の守備陣を押し込んでおくだけの効果はある。
それを考えた場合、ルーカス ポドルスキが時間経過とともに低い位置でのプレーが増えることは得策ではないように思える。
理想を言えばウェリントンが相手ゴール前中央からサイドに相手守備を引き付けながら開き、中央にできたスペースにサイドからルーカス ポドルスキが走りこんでくるような形を確立したいところだ。
昨季から、ゲームメークを担うことの多いルーカス ポドルスキだが、そのプレーエリアは特に決めていないように見える。
それ自体は悪いことではないのだが、問題はルーカス ポドルスキが下がった際、前線での人数をどのように担保するかだ。
ここがはっきりしていないため、時間経過とともにゴール前が薄くなってしまっている。
 もう一点付記すると、この試合でルーカス ポドルスキが見せたパスワークは、近距離のものが多かった。
ボランチの位置まで下がったルーカス ポドルスキが大きくサイドを変えるボール繰り出すのはヴィッセルの一つの武器ではあるが、逆にその位置で近距離のパス回しに入ることには、それ程の意味を見出せない。


 攻撃に関してもう一つ言うと、根源的な問題ではあるが、ヴィッセルはアンドレス イニエスタの在・不在に応じた形を作らなければならない。
この試合の失点後、形を崩したと前に書いたが、アンドレス イニエスタがピッチ上にいたならばさほど問題にならない形だったようにも思える。
先述したウェリントンが孤立している問題でも、アンドレス イニエスタが中央でボールを触ることができれば、周りの選手がウェリントンをフォローに入るまでの時間を作り出すことができるだろう。
当然、ルーカス ポドルスキが下がってくる必要性もなくなる。
ここ2試合、チグハグにも見える戦いが続いているのは、アンドレス イニエスタ不在にもかかわらず、アンドレス イニエスタを活かす戦い方をしているためともいえるように思えるのだ。

 守備面でも問題が露見した。
 失点後、ヴィッセルの守備陣はボールホルダーへのアタックが増えていった。
それ自体は悪いことではないが、その際に周囲の選手との連携がないため、1対1の勝負の連続になってしまった。
そのため、ボールホルダー以外へのマークが甘くなり、結果的に人数は足りているが、守備が機能せず、失点を重ねていった。
コーナーキックからゾーンディフェンスの穴を衝かれた2失点目は兎も角、それ以降の失点は、前半30分までのヴィッセルならば難なく防いでいただろう。
 同時に予測して動くという、サッカーの基本もおざなりになっていた。
1ゴール1アシストを許してしまった鈴木優磨の動きなどは、それ程トリッキーなものではなく、直線的であったため、十分に予測できたように思う。
しかしそれが不足していたため、守備の裏に飛び出す動きに対して後手を踏み続けてしまった。
鈴木の動きに代表されるように、鹿島のサッカーは極めて教科書的だった。
運動量豊富なボランチを軸として、縦につなぎ、ペナルティエリア付近でコースを変えるというシンプルなサッカーであっただけに、ヴィッセルの選手ならば十分に対応できた筈だ。
 サッカーにおいてよく言われることだが、攻撃が直感的であるのに対し、守備は論理的に説明がつくものだ。
さらに守備は攻撃の始まりであるという鉄則に立ち返れば、失ったボールを前線から自陣まで追いかけてきてしまう動きなどは、それ程の意味がないことが判る。

 試合を決定付けてしまったのは3失点目のミスだった。
バックパスを受けたキム スンギュがボールコントロールを失い、鈴木にそれを奪われ、無人のゴールに流し込まれてしまった場面だ。
これなどは不注意というしかない。
試合序盤から鈴木はバックパスに対して詰めてきていただけに、少し注意していれば防げた失点だった。
これまで絶対的守護神としてヴィッセルのゴールを守り続けてきたキム スンギュだけに、この一度のミスを必要以上に責めるようなことはしたくない。
しかし絶対的な存在であるからこそ、ミスはチーム全体にショックを与えてしまう。


 ここまで試合の中で見られた問題点をいくつか取り上げてきたが、冒頭で記したように、失点するまでの戦い方は決して悪いものではなかった。
この試合ではコーチとしてベンチに入ったフアンマ氏だが、浦和戦からの1週間で修正を加えてきたのはさすがだと感心した。
攻撃面で目を引いたのは、ピッチ上のバランスの良い配置だ。
10分過ぎから失点を喫する30分まで、ヴィッセルの選手はピッチ上に均等に配置されていた。
試合後の会見で林健太郎監督は、4-4-2というフォーメーションの意図を訊かれた際、システムはスタート時の並びに過ぎないと答えていたが、これなどはフアンマ氏的な考え方だ。
大事なのは局面に応じた正しいポジションということになるのだろう。
先述した時間帯、ヴィッセルの選手は5レーンを意識した並びになっていた。
そのため4-4で守る鹿島のブロックに対しても、常にパスコースを複数確保できていた。
それがあったため、ブロックの外からしか攻撃できなかった浦和戦とは異なり、ブロック内部のバイタルエリアでボールを持つ場面も創り出せていた。
 日本サッカー協会会長を務めていた故・岡野俊一郎氏は、生前こんなことをよく口にしていた。
「サッカーで大事なことはコンビを作ること。コンビができたら次はトリオを作る。そしてカルテット、クインテットと、人数を増やしていけば多層的な攻撃ができる」
これは時代を超えて通用する金言だ。
この試合でヴィッセルの選手はコンビ、場面によってはトリオまではできていた。
最後の守備網を切り裂くためには、これをカルテット、クインテットへと高めていかなければならないが、ソロの多かった浦和戦を思えば、よくぞ1週間で原則を叩き込んできたものだと思う。
 フアンマ氏になり、ビルドアップの形も変わった。
これまではアンカーの藤田直之がセンターバックの間に入り、そこからビルドアップすることが多かったが、この試合ではキム スンギュがセンターバックの間からビルドップを始める形になっていた。
これはリーガエスパニョーラでよく見られる形だ。
これによって、ヴィッセルの攻撃は前に厚みを増していた。
10分から30分までは、大﨑玲央と渡部博文がハーフウェーラインを超えて持ち上がり、そこから縦にパスを狙うシーンが何度か見られた。
これはコンパクトな陣形を保ちながらの攻撃を可能にする。

 フォーメーションもフレキシブルだった。
スタート時の並びは4-4-2だったが、攻撃時にはウェリントンをワントップとした4-2-3-1的な形になっていた。
これによって鹿島のボランチにプレッシャーがかかっていたため、カウンターを許していなかった。
鹿島の守備が中央へ寄るとサイドを厚くして4-3-3へ、ルーカス ポドルスキを高く上げて4-4-2、ボランチを上げて4-1-4-1へといくつかの形を見せながら攻撃を続けた。
まだ未完成なため、せっかくの形が崩れてしまうこともしばしばだったが、成熟していけば実に面白い攻撃が見られそうだ。

 守備面では2トップが相手の最終ラインとボランチの間に入り、パスコースを切っていた。
さらにその二人を縦関係に保つことで、鹿島の守備にギャップを作り出そうとしていた。
これに連動して中盤は、ボールホルダーに対して数的優位を作るように動き、相手をサイドに追いやって囲んでいく。
最終ラインは、中盤で相手を追い込んでいる際はラインを崩し縦関係にして、一人が前で守備をし、もう一人がボールと相手の前線とのコース上に入る。
中盤が追い込みきらなかったときは、すぐに戻りラインを形成し、ゴール前を固める。
このように理論的に構築されていたため、30分までの守備は悪くなかった。
 この動き方は4-4-2で守る際の基本形とも言うべきものだが、理論的であるため、選手は局面に応じてポジションを変更し易い。
何度も繰り返しているように、この試合では30分以降、これを失ってしまったため、結果的に大敗を喫したが、フアンマ氏が作り上げようとしているものの一端は見ることができた。
そしてそれは非常に基礎的なものであるように感じた。

 組織を構築するとき、大事なことは「基礎の徹底」であるという話を聞いたことがある。
広岡達郎氏が、プロ野球の西武ライオンズ(現 埼玉西武ライオンズ)の監督に就任したのは1982年。
それからの4年間で3度のリーグ優勝と2度の日本一に輝き、これが1986年から始まる黄金期の基礎となった。
玄米食を強要するなど、管理野球の権化とも呼ばれることの多い広岡氏だが、その指導法は基礎の徹底にあったという。
1981年にプロ入りした石毛宏典氏などは、入団初年度に新人王に輝き、意気軒昂だったそうだが、初めて練習を見た広岡氏に「下手くそ」と痛罵された。
その上で守備時のグラブの出し方からスローの姿勢まで、徹底して基礎を叩き込まれた。
広岡氏に会うまでの石毛氏は、自分の技術に自信を持っていたが、いつしか基礎を疎かにしていたことを気付かされたそうだ。
その時の経験が、黄金期を支えた名手を生み出したのだ。

 この話を書いたのには訳がある。
今のヴィッセルは、サッカーにおける基礎を見失っているように感じるからだ。
今季ポゼッションサッカーに取り組む中で、選手個々の技術は上がった。
しかし同時に「ゴール方向に素早く攻める」、「選手間の距離を保つ」、「チャレンジ&カバー」といった基礎を見失っていることが、今の不調の原因であるように思われる。
 フアンマ氏は極めて論理的な指導をすることで有名だ。
浦和戦後、郷家友太が「肉体的には相手を疲れさせ、自分は頭が疲れるサッカーをしなさい」と言われたことを明かしていたが、これこそが日本サッカーとヨーロッパサッカーの差でもある。
かつて日本代表監督を務めていた故・長沼健氏が「日本人はダブルヘッダーでも戦えるよ。疲れているのは身体だけだからね。でもヨーロッパの選手は違う。彼らが一番疲れているのは頭だから、ダブルヘッダーなんて土台無理なんだよ」と話していたことがある。

この「頭が疲れるサッカー」をプレーする前提となっているのは、サッカーの基本は全員が覚えているという、至極当たり前のことだ。
ヴィッセルの選手がそれを取り戻さなければ、フアンマ氏の凄味は引き出せない。
逆にいえばそれを忘れさえしなければ、欧州を代表する知将は、選手のサッカー感を一変させてくれるような刺激を与えてくれるだろう。
そして、それは各選手のサッカー人生において大きな財産となるに違いない。

 ヴィッセルは、スペインサッカーを源流に持つチームへと変わりつつある。
スペクタクルに富むスペインサッカーは、常に世界の人々を魅了してきた。
簡単に手に入るものではないが、賭けるだけの価値は十分にある。
それを手に入れたとき、ヴィッセルのサッカーは日本中、そしてアジア中の人を魅了するだろう。
そんな夢を追い続ける楽しさを感じながら、これからもヴィッセルを応援し続けていきたい。