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更新2016年11月12日

11/12「相馬崇人選手 現役引退セレモニー&記者会見」レポート

2016年11月12日(土)、ノエビアスタジアム神戸で開催された第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会 ラウンド16「鹿島アントラーズvs.ヴィッセル神戸」の試合後に、今シーズンを以って現役を引退する相馬崇人選手の現役引退セレモニー&記者会見を行いました。

相馬崇人選手 現役引退セレモニー

■日時:2016年11月12日(土)
第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会 ラウンド16「鹿島アントラーズvs.ヴィッセル神戸」の試合終了後

■場所:ノエビアスタジアム神戸

相馬崇人選手の挨拶

「東京ヴェルディでプロになってから、今日まで14年間、長かったようで、あっという間でした。

僕は7歳のときにサッカーを始めてから、ずっとへたくそで、決してエリートなサッカー人生ではなく、ずっとずっとチャレンジしているサッカー人生でした。

中学にあがるとき、なにげなく受けたヴェルディのセレクションに合格し、僕の人生が変わりました。

しかし、ヴェルディのジュニアユースに合格してからも、2番手、3番手の選手でしたが、上手くなりたい、ライバルに負けたくないという気持ちだけで、誰にも負けないくらい練習して、少しずつ自分の地位を築くことができました。

そして、浦和レッズではタイトルを獲ることもでき、アジア(のAFC)チャンピオンズリーグや、(日本)代表候補に選出されることも経験しましたが、やはり、チャレンジしたい、もっと上を目指したいという気持ちだけで、無茶な海外チャレンジにも挑戦しました。

ずっと憧れだったヨーロッパでのプレーは、テレビの画面で見ていた選手と対戦できましたし、世界のレベルを経験することができました。初めての海外生活も、つらいこともたくさんあったし、本当にたくさんのことを学び、日本に帰ってきました。

そして、ここ神戸で5年半、J2降格やJ1昇格も経験し、チームのキャプテンも任せてもらいました。そして今シーズン、ヴィッセル神戸は過去最高順位に達することができました。

僕のなかで、なぜか、ヴィッセルに来た当初から、漠然と、神戸でサッカー選手を終わりたいと、思っていました。今シーズン、若手も活躍し始め、監督とチームもうまく連係して、僕なりにやり切ったと思う気持ちを持ち始めました。

やはり、この場所で、このヴィッセルのサポーターのみんなの前で、現役を引退することを決意しました。

今まで支えてくれたサポーターのみなさん、一緒に戦ってきた仲間たち、関係者のみなさん、そして、ずっとそばで支えてくれた妻の(相馬)玲子、長男の一太(いちた)、長女の愛可(あいか)、そして、闘病中のお母さん、お父さん、そして、その他親戚のみなさん、本当に14年間、幸せなプロ生活でした。僕のことを応援してくださり、本当にありがとうございました。

僕はチャレンジすることが自分らしいと思っています。これから次なるステージでは、サッカー選手で経験したたくさんのことを、子どもたちの未来のために、サッカーを通して、サッカー選手になりたいと僕が幼い頃に強く思ったように、子どもたちの夢を叶えるサポートをしていきたいと思っています。本当に今日までありがとうございました」

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相馬崇人選手 現役引退記者会見

相馬崇人選手の挨拶

「今日はありがとうございました。先ほどセレモニーのほうで述べさせてもらいましたが、14年間、本当に充実したプロ生活でした。自分のなかでも、もう悔いもないですし、やり切ったという思いがあるので。この先、長い人生のなかで、新しいスタートを切りたいなと思います」

質疑応答

Q; 引退をご決断されたタイミングと、一番始めにどなたにご相談されたか教えてください。

「今年の頭、始まるとき、毎年そうですが、今年が自分の思い通りにプレーができなければと。もちろん僕らはプロなので、やれなかった年で(現役が)終わると思いながら、毎年やってきていました。特に今年は、前半戦には(試合に)出られていましたが、後半戦では本当にチームがよくて、そのなかで自分が(試合に)絡んでいない状況が続いていましたし。でも、ヴィッセルが本当にいい形でこれから成長を続けていくんだろうなと、なんか自分のなかに落とし込んだとき、すごい『やり切ったな』という感情が生まれたので。そのタイミングで決めました。相談したのは、もちろん家族、妻には一番最初に相談しました」

Q; ご家族から何か、引退すると決められてから、反応はありましたか。

「僕が決めたことに関して、基本的に賛同する感じなので。『決めたんだったら』という感じです」

Q; 一番想い出に残っている試合やゴールなどあれば教えてください。

「なんだろうな……。1試合と言われると、パッとこの試合がというのは、思い浮かばないのですが……。どのチームでも、自分が何か『かなりこれはやれたな』という試合は、何試合かあって。(東京)ヴェルディのときに自分が初ゴールを決めたガンバ大阪戦(2004年9月23日、J1 2ndステージ第6節)、2得点を取ったのですが、その試合はヴェルディのなかで、自分のなかでは一番よくできたなというゲームでした。浦和(レッズ)のとき、(FIFA)クラブワールドカップの(AC)ミランと当たる前に行った試合(2007年12月10日、準々決勝、vs.セパハン【イラン】戦)でアシストしたときも、自分のなかでは結構興奮した試合でした。ヴィッセルに入ってからは、そうだな……、何が一番印象に残っているかな……(熟考)、ヴィッセルの試合で一番印象に残っている試合、なんやろ……。ちょっと今すぐ出てこないです(笑)」

Q; 現役生活の3分の1を過ごしてきた神戸について、どういうところでしたか。

「海外でプレーして、こっちに来たとき、ここのクラブでキャリアを終えたいという思いで来て、これだけのサポーターのみなさんの愛情も、すごい今日改めて感じましたし、幸せな現役生活だったなと。本当に神戸のみなさんには感謝したいと思います」

Q; 神戸で現役生活を終えようと決断されたということだが、神戸への愛着についての思いは? J2に降格したときも、いち早くチームに残ることを表明されたりするなど、クラブを渡り歩いたなかで、神戸とは相馬選手にとって、どういったチームでしたか。

「こっちに来たとき、ここ(ヴィッセル神戸)のチームでタイトルを獲りたいという気持ちがすごく強かったんですが、結局、(その思いとは)裏腹的に、J2に落ちたりとか、結構つらいシーズンが長かったなかで、『使命感』というか、なんとかしたいという思いと、自分がそこのなかで貢献したいという思いが、他のチームよりも強い想いがあったので。5年半という、一番キャリアのなかで長い期間、サッカーをやらせてもらえたのかなと思います」

Q; 誰もが長いキャリアを続けられるわけではないなか、14年というキャリアをプロで培ったなか、何が自分を支えたと感じますか。

「先にも少ししゃべりましたが、僕自身のサッカーのキャリアで、本当に、特に何が取り柄だったというわけではなく、小さいときから。別に足が速いわけでもなく、テクニックがあるわけでもなく。だけど、小さいときに、誰よりも練習したなという自負は自分で持って、そこをプライドにやってきました。それで、どこのチームでも、自分より遥か上をいくライバルが、今までずっといて、ヴェルディのときにはアツさん(三浦淳宏さん)がいて、浦和にいったらアレックス(三都主アレサンドロさん)がいて。でも、そこの壁を越えたいという思いで、ずっとサッカーのキャリアを積んできて、ようやく、ここの神戸という居場所を、自分のなかで見つけられたという、そんなような人生でした」

Q; 神戸に来られて、このチーム、街を含めて、ご自身が得られたものはありますか。また、逆に、ヴィッセルに対して、何かご自身が還元できたなと思うものがあれば、教えてください。

「街は本当に大好きですし、ここの地にいたいというふうに強く思った一つの要因では、もちろんあります。ヴィッセル神戸というところからみたら、先に言っていたように、一緒に成長していきたいというか、自分もこのチームに何か還元したいという思いでやってきましたが、それが結果的に還元できたか、できでいないかというのは、正直分からないし、第3者の人、外から見ている人が決めることだと思うので。僕は、そこは正直、どっちか分からないですが、今年、今シーズンに関しては、ものすごい後半戦は(チームが)強かったですし、結構、上(スタンド)で見る回数が多かったですが、やっぱり見ていて楽しかったし、強いなと感じさせるシーズンだったんですよね。それは僕にとっては、うれしいというか、これから神戸がタイトルを(獲るべく)、監督が言っているように、タイトルを争えるチームになるんじゃないかなと、本当に期待していますし、そうあってほしいと願っています」

Q; 今後の人生設計は、どう描いていますか。

「子どもの未来というか、神戸に来てから、サッカー以外にもいろんなことをさせてもらって、今、自分の会社も持って、子どもの教育に関わる事業をさせてもらっているので。何か子どもの未来を輝かせられるようなことで、これから神戸に還元していけたらなと思っています。(お住まいはずっと神戸に?)はい」

最後にサプライズで記者の方から花束を贈呈いただき、拍手の中、退場しました。

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