覆面記者の目

明治安田J1 第9節 vs.湘南 レモンS(4/20 15:03)
  • HOME湘南
  • AWAY神戸
  • 湘南
  • 0
  • 0前半0
    0後半1
  • 1
  • 神戸
  • 得点者
  • (93')武藤 嘉紀

後半アディショナルタイムに生まれた劇的なゴールによって、ヴィッセルは今季初の連勝を飾った。前節の町田戦からカップ戦を挟んで、1週間にアウェイゲーム3試合という過密日程ではあったが、ここを3連勝という最高の結果で乗り切った。

 この3試合で敵将が発した試合後のコメントは、表現こそ違えど、内容はほぼ共通していた。「内容的には評価できる点もあったが、最後の質の部分にヴィッセルとの差があった」というのが、その大意だった。この3試合で対戦した相手は、それぞれが異なった思惑や目標を持っている。しかしいずれもが「昨季のチャンピオンチーム」としてヴィッセルをリスペクトした上で、「ヴィッセルとの戦いで、自分たちの現在地を確認したい」という思いをもって試合に臨んでいた。この事実は、昨季の戴冠によって「ヴィッセルの立ち位置」が明らかに変ったことを示している。

 
 ヴィッセルがこうした地位を獲得する過程において大きな役割を果たしたのが、この試合の勝利で、監督としてJ1通算50勝を達成した吉田孝行監督であることは言うまでもない。一昨年、3度目となるヴィッセルの監督に就任後、当時J2降格の危機に瀕していたチームを再建し、昨季の優勝まで一気にチームを育て上げた。前2回の監督時に比べ、今の吉田監督には安定感があるように感じる。その理由は「無理をしていない」ためであるように思う。今、吉田監督が志向しているサッカーは、自身が現役時代、最も輝きを放った時期のサッカーに近い。ここで少しだけ古い話を紹介する。
 2010年のヴィッセルは、シーズン途中で和田昌裕氏(ツエーゲン金沢GM)に指揮を委ねた。和田氏はそれまでの、「自陣で守備を固め、攻撃時には前線のターゲットにロングボールを合わせる」スタイルから、「高い位置でプレスをかけ、ショートカウンターを狙う」スタイルに変更した。当時のヴィッセルのエースは大久保嘉人だったが、夏以降は負傷によって戦列を離れていた。その状況下で攻撃を担っていたのは小川慶治朗(横浜FC)、朴康造、ポポといった選手たちだった。彼らはいずれも優れたスピードの持ち主だったが、それ故にボールサイドに人が集まりすぎてしまう傾向があった。そこで力を発揮したのが、吉田監督だった。攻撃陣の立ち位置を把握した上で、彼らと等距離を保つことのできる場所に走り、そこでボールを引き出していった。いわば前線の交通整理役となったのだ。その吉田監督の活躍もあり、この年のヴィッセルはJ1残留を果たした。
 当時と今では選手のレベル、層の厚さなどすべてにおいて差があることは事実であり、単純な比較はできないが、吉田監督の志向するサッカーの原点はここにあるのだろう。3度目の監督就任後の吉田監督は、この自らの志向を選手に伝え、チームに浸透させた。それが筆者の目には「無理のない姿勢」であるように映る。その姿勢に、実直で誰からも愛される人柄が加わり、ヴィッセルをチームとしてまとめている。フロントスタッフやチームスタッフのサポートがあればこそではあるが、監督として50勝という区切りの数字を達成したことを、一人のサポーターとして嬉しく思う。

 その吉田監督と似た志向でチームを作っているのが、この日対戦した湘南の山口智監督だ。まだ思うような結果は出ていないが、チームのスタイルとしては明確なものを持っている。そのためヴィッセルにとって、湘南は決して戦いやすい相手ではない。湘南のホームゲームに限って言えば、ヴィッセルは2019年以降、勝利を挙げることができていない。そんなこともあってか、戦前から吉田監督は警戒感を滲ませていた。中でも注意点として挙げていたのが、ボール保持に変わった瞬間、湘南が見せる勢いだ。攻撃的に試合を運びたいヴィッセルにとって、相手陣内でボールを失った際の対応がカギになると考えていたのだ。
 結果から言えば、吉田監督の心配は杞憂に終わった。今のヴィッセルが見せるネガティブトランジションのスピードは、間違いなくJリーグでトップクラスの速さだ。加えてそれを90分間続けるだけのスタミナも、十分に備わっている。さらに言えば、前線の選手に至るまで、全ての選手が実直にそれを行うことで、守備時にも力強さがある。それを象徴していたのが、武藤嘉紀が見せた動きだ。前線でプレーしていた武藤は、何度も自陣まで戻っての守備を見せた。湘南の選手がパスコースを探しているところに背後から寄せ、相手の前に立つ選手との挟み込みでボールを奪う。こうしてボール保持に変わった瞬間、武藤は再び前線に向けてスプリントを開始する。この動きこそが、今のヴィッセルの強さを表している。

 試合終盤まで均衡を保った試合ではあったが、それは両チームの思惑のすれ違いの上に成り立っていたように思う。それがこの試合の感想を曖昧なものにしている。まずはこれについて説明する。
 この試合の前半がヴィッセルペースだったことに異論はないだろう。それは数字からも明らかだ。ヴィッセルが前半に放ったシュート数は10。うち8本が枠をとらえていた。これに対して湘南のシュート数は2。枠内シュートは1本に留まっていた。前半の平均ポジションにも、その状況は顕著に表れている。ヴィッセルは7人の選手が相手陣内で攻撃的なポジションを取り続けていたのに対し、湘南は3選手だけがヴィッセル陣内に侵入していた。このことからも判るように、前半は「攻めるヴィッセル」対「守る湘南」という図式で試合は進んでいった。
 こうなった理由なのだが、当初、筆者はそれが湘南の作戦だろうと考えていた。山口監督が試合前に、「ヴィッセルに押し込まれる時間帯はあると思う」と発言していたこと、そして3人の選手を今季初先発として起用したことを考え併せた結果、前半は「耐えるサッカー」で失点しないことに重きを置いているのだろうと考えていたのだ。しかし事実は異なっていた。試合後、山口監督は自チームの前半の戦いについて「あまり良くなかったととらえられても仕方ない内容」と総括した上で、その理由を「自分たちの攻撃の準備が遅かったり、ボールを前につける勇気がなかったため」としたのだ。この言葉を信じるならば、湘南には攻める意思があり、ヴィッセルがそれを抑え込んでいたことになる。


 ではなぜ、そうなったのだろう。最大のポイントは初瀬亮と酒井高徳だった。山口監督は初瀬から右サイドを狙った斜めのロングボールが多いことを意識した上で、ポジショニングが悪かったと認めた。同時に攻撃に転じるためにボールを収める役割を期待していた茨田陽生への圧力が強く、ボールを収めきれなかったという2点を理由として挙げた。湘南の選手たちも、概ね指揮官と同様の感想を持っていた。この試合がJ1リーグ初先発となった石井久継は「自分の背後(ヴィッセルの右サイド)にボールを出されることが多く、自分と後ろの畑大雅が中を意識しすぎて絞ってしまった」と、ポジショニングの間違いを悔やみ、左センターバックの大野和成は「前半は自分のサイドからの攻撃が多く、難しさがあった」と、ヴィッセルの攻撃が有効だったことを認めていた。

 ここで一つの疑問に行き着いた。山口監督の見立て通り、初瀬が右前を狙ったロングボールを蹴り、ここに右ウイングの武藤と右サイドバックの酒井が絡むやり方は、ヴィッセルの攻撃パターンの一つだ。しかし試合を通じて初瀬へのプレッシャーはそれほど厳しいものではなかった。これはなぜだったのだろう。
 仮説ではあるが、そこには扇原貴宏の存在が大きく作用していたように思う。湘南はワントップ気味にポジションを取ったルキアンとその下でシャドーストライカーのような役割を担った茨田と阿部浩之がファーストディフェンダーの役割を担っていた。彼らで中央に圧力をかけた上で、両サイドを高い位置に押し上げたかったのだと思うが、中央の3人が扇原を抑えることができていなかった。そのため、サイドはそれ以上は上がることができていなかったように見えた。
 扇原の特徴はカバーエリアの広さと球際の強さにある。昨季の後半、扇原がアンカーの位置に定着して以来、ヴィッセルの形は定まった感がある。この試合でも扇原は左右に動きながら、巧く背後からボールを引き出していた。その上で山口蛍や山内翔につなぐことで、湘南の圧力をかわし続けた。湘南の選手とすれば、強引に圧力をかけるという選択肢もあったように思うが、その場合は、交わされた時のリスクが大きい。それもあって、高さを十分に取ることができなかったのではないだろうか。
 今のヴィッセルにおいて、扇原は欠くことのできない選手となっている。前節の町田戦でもそうだったが、サイドの深い位置に侵入された際は、そこまで戻っての守備を見せるなど、カバーエリアはミドルサードからディフェンシブサードまでと広い。そして何よりも、ボールを離す判断が優れている。この試合でも度々見られたが、相手とイーブンでボールを競り合った際は、迷うことなく背後にボールを戻す。アンカーの選手とすれば、そこで相手をかわし、攻撃の優位性を確立したくなるところだが、そこでのミスは相手にゴールへの道筋を示してしまうことを扇原は理解している。扇原がこうしたプレーを見せるようになったのは、ボールを握る意識が高まったからだと思う。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。ヴィッセルに加入直後、扇原はボールを離すタイミングが早すぎたがゆえに、攻撃のリズムを作り出すことができていなかった。しかしヴィッセルのサッカーに適応してからは、ボールを握る時間が増えた。そこで大きく前進することはないが、パスを巧く使いながら全体を動かしている。これができるようになったため、ボールを離すタイミングの見極めも良くなったのだと思う。

 またここで見逃すことができないのが、宮代大聖の動きだ。この試合では流動的にポジションを変えていた宮代だが、ミドルサードまで戻り、扇原からボールを引き出す場面も目立った。フィニッシャーとしての動きを求められる宮代がここまで戻るのは、一見すると攻撃力の低下を招くように思われるかもしれないが、そうではない。宮代がポジションを落とすことで、湘南の最終ラインはマークする相手を失い、小さな混乱をきたす。これまでの試合で解ったことだが、宮代は高いボールスキルを持っている。直線的に動くだけではなく、ボールを握りながら、相手を巧みにかわす柔らかさも持っているのだ。自らボールを前に運ぶこともできるため、ボールを引き受けることができる。タイプ的には大迫勇也のような万能型である宮代は、ヴィッセルの攻撃に厚みを加えている。


 この試合の前半、宮代がポジションを落とすことができた背景には、一人の選手の存在がある。それは佐々木大樹だ。この試合では前線の中央に入る時間も長かった佐々木だが、宮代が落ちた際は、相手センターバックを引き付けた上で、その背後を取る意識を持ち続けた。何度か裏に抜け出す場面も作るなど、佐々木はこの試合で自らに期待されている役割を理解した上で動き続けた。さらに後方からのターゲット役としても、佐々木は十分に機能した。湘南の最終ラインは高さで勝負するタイプではなかったとはいえ、多くの場面で競り勝っていたのは見事だった。この試合で佐々木に課された役割は複数あり、決して易しいものではなかったが、それを十分にこなし続けた。昨季から急速に成長を見せている佐々木だが、この勢いを保ち続けてほしい。その先には、サッカー選手として最も名誉であり、最も大きな責任を伴う場所が待っている。

 町田戦に続き、2試合連続での先発出場を果たした山内だが、こちらはルーキーらしからぬ安定感が魅力だ。この試合では左サイドの2列目でプレーする時間が長かったが、前記したように湘南の右サイドが高い位置を取らなかったため、そのプレッシャーをもろに受ける格好となった。その中でもボールスキルを活かして、狭い局面からボールを脱出させるなど、非凡なテクニックを見せていたが、それ以上に感心した動きがあった。山内は開いた位置でボールを受けて、そこからカットインする意思を見せたが、湘南の右サイドハーフのようにプレーしていた池田昌生や右サイドバックの鈴木雄斗がそこに立ちはだかった。すると山内は少しだけボールを受ける位置を落とし、背後の初瀬を呼び込む動きを見せた。その上で、初瀬を使って前に抜け出そうとした。この発想の切り替えの速さは見事だった。山内を見ていると、その姿勢の良さに気付く方は多いと思う。常に胸を張った状態で動き続けている。これは視野を確保するための動きが、常にできているということだ。ヴィッセルアカデミー時代から、基礎トレーニングを怠らなかったことが窺える。もう一つ付言すると、山内はピッチ上で思い通りにプレーできなかった時も、表情を変えることがない。これはプロ選手として大事な要素だ。相手の精神状態をも見抜きながら戦うプロの世界では、心を読ませないことは武器になる。ヴィッセルでは大迫や山口といった選手たちは、表情を変えることが少ない。それも彼らが長い期間、トップ選手として君臨している一つの要素だ。悔しさや怒りを押し殺しながらプレーする気持ちを、山内にはこの先も持ち続けてほしい。

 試合は後半になると、その様相が一変した。前半は沈黙していた湘南の攻撃が活性化したのだ。流れを変えたのは選手交代だった。山口監督は後半開始から杉岡大暉を投入、左サイドバックに入れた。スピードのある杉岡の推進力で、ヴィッセル陣内に攻め入る体制を整えた。後半、湘南はヴィッセルの倍近いシュートを放ったことを考えれば、この狙いは成功だったということになる。
 しかしこの攻撃を食い止める方法はあったように思う。杉岡が前に出てきた形の多くは、カウンター攻撃だったためだ。後半もヴィッセルは、前記した初瀬が斜めの大きな展開を作り出し、酒井を前に上げる形を継続したが、これこそが湘南の狙い目だった。杉岡が前に出るのは、酒井が自陣に入ってきたタイミングだった。そして試合を通じて、初瀬にはそれほど強いプレッシャーはかかっていなかった。この事態をどうとらえるかで、この試合の見方は変わる。
 結果論にはなってしまうが、ここで敢えて酒井を上がらせないという戦い方もあったように思う。酒井が高い位置を取り、山口との絡みの中で高い位置を取り、攻撃を組み立てていくという戦い方が、ヴィッセルのストロングポイントであることは事実だ。しかし相手がそこにスピードをぶつけてくると判っているのであれば、酒井を低い位置に留めておくことも有効な策だ。この試合で言えば、杉岡が前に出るタイミングを失うということでもあるためだ。後半の酒井は杉岡を相手に何度もアップダウンを繰り返したことで、確実にスタミナを削られた。試合終盤、何度か深い位置まで侵入を許したのはそのためだ。吉田監督は得点を取るために、それでも酒井を使って勝負を仕掛けたのだろう。その狙いは理解できるが、他の方法もあったように思う。ここで武器となるのは初瀬だ。
 この試合で湘南が危険視していたポイントの一つが初瀬であったことは事実だ。前記したように、前半の湘南は攻撃の態勢が組めていなかったため、初瀬への圧力を加えることができなかったが、後半も初瀬に対しては、それほど厳しい対応は見せなかった。杉岡の投入で「パスの入り口」ではなく、「出口」を潰すという戦い方に変えたためかもしれない。しかしこの試合でも、初瀬のキックは総じて質が高かった。であれば、初瀬を前で活かすという方法もあったように思う。大迫の投入を予定していたのであれば、その前に初瀬を一列上げ、左サイドバックにはベンチにいた本多勇喜を投入することで、杉岡の前進を阻んだまま、攻撃の機会を増やすことができたように思う。もちろんこれは仮定の話であり、それほど単純にはいかないのかもしれない。しかし得点を狙う際、初瀬を前に置く形というのは試す価値があるように思う。

 とはいえ最後まで、湘南に決定的な形は作らせないままだった。危ない場面は47分に右サイドから突破を図ったルキアンの折り返しを、逆サイドを上がってきた杉岡にシュートされた場面だけだった。しかしここでもシュートコースには山川哲史が入っており、事なきを得た。これ以外の場面でもそうだったが、今のヴィッセルの守備は高い強度を誇っている。マテウス トゥーレルと山川のコンビは幅の取り方も良く、両者とも球際で圧倒的な強さを見せている。これがあるが故に、吉田監督はリスクを冒して、攻撃に出ることができている。

 この試合では2人の選手が戦列復帰を果たした。井出遥也と大迫だ。
 後半開始からピッチに登場した井出だが、負傷前と変わらぬ動きで前線を動かし続けた。井出は自身が決定的な場面を作ることはなくとも、そのお膳立てをすることができる。その理由は、井出が時間とスペースを味方に渡すことができる選手であるためだ。この試合でも井出はペナルティエリアの近くでボールに絡み、巧く動きながら味方にスペースへ動くよう促していた。この動きは、相手の守備組織に綻びを生み出すことができる。日本人の多くが好きな「ファンタジスタ」タイプではないが、確実に味方に優位性を作り出すことのできる井出の存在は、強力な攻撃陣を誇るヴィッセルにとっては大きな意味を持っている。


 そして大迫だが、こちらは格の違いを見せつけるプレーを披露した。吉田監督によれば、出場時間はメディカルスタッフとの事前打ち合わせによって決められていたようだが、限られた時間の中でも決定的な仕事をしてしまうのは、さすがと言う他ない。62分に投入された大迫は、その直後に井出が左から入れたグラウンダーのクロスをゴールに突き刺した。これはボールを受けた井出の位置がオフサイドだったため、得点とはならなかったが、井出が左サイドでボールを持った瞬間、背後の相手選手から離れるように動き、シュートコースを確保した。その上で井出からのボールを、身体を時計回りに捻りながらダイレクトにシュートを放った。この一連の動きには無駄がない。まだ体調は万全ではないかもしれないが、そのテクニックの高さは圧倒的だ。
 そして大迫は後半アディショナルタイムに、決勝点を演出した。相手選手がルキアンにつけようとしたボールを前に出た山口がカット、そのまま縦に出したボールを大迫がペナルティエリア内右で受け、マークする相手との駆け引きの中でクロスを入れた。これは相手の足に当たり、浮き球となったが、ニアポストに走りこんでいたトゥーレルがこれを頭で落とし、それに走りこんだ大迫が冷静にファーサイドの武藤へ渡した。これを武藤が落ち着いて、ゴールに蹴りこみ、ヴィッセルに勝利をもたらした。
 この場面で大迫が見せたプレーの質は、恐ろしく高い。まず山口からのボールを受ける際、ボールの勢いを殺すため、足先でボールを突いているのだが、ここで相手から逃げるようにボールをコントロールしている。そしてトゥーレルが落としたボールに走りこむ際には、このボールに対して足を出した相手の前を横切るように動き、上げた足でボールを相手から遠ざけている。ここで普通にトラップしてしまうと、相手とのイーブンになってしまうためだ。そして圧巻は武藤へのパスだ。パスを選択する直前、大迫は一瞬のタメを作っている。自身でもシュートを狙える位置にいたため、このタメが相手の動きを一瞬止めた。この判断力とそれを実現するテクニックこそが大迫の真骨頂だ。

 この得点シーンの中で忘れてはならないのが、トゥーレルの動きだ。その前からトゥーレルは積極的に前に出る姿勢を見せていた。一度はシュートチャンスを迎え、この時は枠をとらえなかったが、トゥーレルの前に出る動きに対しては、湘南は対処を決められなかった。今季は開幕から圧倒的な存在感を放っているトゥーレルだが、その安定感は掛け値なしにJリーグ随一だろう。

 また決勝ゴールを決めた武藤だが、武藤はトゥーレルが頭で落とした瞬間、バックステップを踏んで、相手から僅かに離れている。これによって確実にシュートを決められる位置を確保した。それまで90分以上、スプリントを繰り返してきたこと、そして試合中の接触によって脇腹に痛みを抱えていたことを思えば、脅威としか言えない動きだ。そしてボールの落ち際を叩き、正確に枠内に飛ばすことを意識したシュートを見せた。こうした場面では、焦りから高い位置でボレーシュートを狙いがちではあるが、それだと枠を外す危険性がある。武藤も厳しい局面の中で選択を誤らない冷静さを持った選手だ。
 苦しい試合となったが、最後にヴィッセルの顔とも言うべき大迫と武藤で奪ったゴールには、1点以上の価値がある。このゴールは、この先の戦いに向けてチームに勢いをもたらした。

 この勝利によって、ヴィッセルは今季初の連勝を飾るとともに、相性の悪いアウェイ湘南戦での未勝利をストップした。混戦が続く今季のJ1リーグではあるが、ヴィッセルは確実に首位戦線に割って入った。圧倒的な力を持った個人がいることも大きいが、それ以上に、チームの意思が統一されていることが、ヴィッセルのストロングポイントとなっている。山内というニューフェイスがレギュラー争いに名乗りを挙げつつある中、チーム内の競争も激化は必至だ。
 花から若葉へと季節が変わる中、神戸にかかわる全ての人の想いを載せたヴィッセルは、いよいよ連覇に向けて帆を張った。



今日の一番星
[山口蛍選手]

90分間、攻守にわたって奔走し、決勝ゴールを挙げた武藤、若しくはルキアンを完全に封じ込め、決勝点の場面では見事なつなぎを見せたトゥーレルも候補だったが、今回は見事な飛び出しで相手のボールを奪い、決勝ゴールのきっかけを作った山口を選出した。ヴィッセルのサッカーを考える上で、チームの重心となっているのが、中盤で相手の攻撃の芽を摘み、チーム全体に攻撃のスイッチを入れることのできる山口であることに異論はないだろう。しかし今季ここまでの山口のプレーは、「らしくない」ミスが散見されたことも事実だ。それでも驚異的なスタミナと粘り強さで事態を収束させてきたが、本来の能力からすれば、物足りなさは感じていた。山口自身も、コンディションの上がらない自分に対する苛立ちを感じていたのだろう。少し前にはSNSで苦しい胸の内を吐露していた。しかしそこで宣言したように、見事にコンディションを上げてきた。この試合では山口らしく広いエリアをカバーしつつ、ボール保持時には巧く味方を動かし、ボール非保持時には相手の出足を潰していった。また、積極的にペナルティエリア付近まで進出し、シュートを狙う姿勢を見せた。ヴィッセルに加入以降、常にチームの先頭に立って戦ってきた山口の存在は、ピッチに安心感をもたらす。派手なパフォーマンスを見せるわけではないが、誰よりもチームのことを考え続け、苦しい時は自ら先頭に立つ姿勢には何度も感服させられた。この試合で決勝点の場面で、相手選手がルキアンの足もとにつけようとしていることを誰よりも早く察知し、飛び出したスピードこそが山口本来のプレーだ。ヴィッセルが連覇を達成するためには、山口の「らしいプレー」は欠かすことができない。今季は背中に愛犬への想いを背負い、全身で全てのサポーターの思いを背負って戦う「静かなる闘将」に、さらなる活躍への期待を込めて一番星。