覆面記者の目

明治安田J1 第30節 vs.川崎F 等々力(10/20 19:03)
  • HOME川崎F
  • AWAY神戸
  • 川崎F
  • 5
  • 2前半3
    3後半0
  • 3
  • 神戸
  • 小林 悠(13')
    家長 昭博(43')
    齋藤 学(65')
    大島 僚太(69')
    エウシーニョ(76')
  • 得点者
  • (15')オウンゴール
    (28')古橋 亨梧
    (35')三田 啓貴

試合終了のホイッスルが吹かれたとき、ヴィッセルのサポーター席は一瞬沈黙したように見えた。
3-5というスコアもさることながら、60分過ぎから目の前で展開されたゲームの状況に声を失ったとしても不思議ではない。
その状況はあたかも川崎Fの攻撃練習のようですらあり、守備の形を構築できないヴィッセルの選手たちは翻弄され続けるばかりだったことは事実だからだ。
この試合を報じるメディアの論調も、ヴィッセルにとっては厳しいものばかりだ。
 しかし、である。
今、ヴィッセルが身を置いているのは大きな「変革」の流れの中であり、そこではこうした状況も発生するのは、ある種の「必要コスト」でもあることも、また事実だ。
プロである以上、勝利こそが全てで最優先されるのは絶対的な真理ではあるが、今、目の前の試合結果だけに一喜一憂していたのでは、大きな流れの中で進む「変革」を楽しむことはできない。
一部メディアでは、ヴィッセルの試合について「バルサ化」という言葉を定冠詞のように使用し、敗れた試合をコミカルに演出したがる向きもあるが、「バルサ化」というのは、サッカーのプレースタイルに限定されるような小さな話ではない。
それは日本サッカー界における「構造改革」と呼ぶべきものであり、日々の試合結果に左右されるものではないと、筆者は理解している。
だからこそ、本項では試合そのものを冷静に振り返り、ヴィッセルの成長を検証していきたい。


 この試合は60分を境に、全く別の様相を呈した。
60分までのヴィッセルは試合を支配し、川崎Fの狙いを外し続けた。
試合序盤に何ともやりきれない形で失点を喫したが、それ以前から続けていたスタイルで川崎Fの守備を翻弄し、持ち前の攻撃力を発揮した。
因みに今季の川崎Fは守備も強く、この試合で喫した3失点は今季の最多失点でもある。
前半だけで川崎Fから3得点挙げたのは、ヴィッセルのサッカーが成長している証であることは間違いない。
この状況を作り出した理由は二つある。
一つはボールを前に運ぶメソッドが明確であったこと。
もう一つは川崎Fの狙いを外すための守備ができていたことだ。
 ボールを前に運ぶメソッドだが、これは前節の長崎戦で見せた形が、さらに精度を高めたともいえる。
この試合ではセンターバックを那須大亮と大﨑玲央のコンビとしたヴィッセルだが、ビルドアップに強さを発揮する那須を起用したことで、キム スンギュを含めた最後尾からのボールに安定感が生まれていた。
その前に位置した藤田直之を底として、相手ゴール方向に逆三角形のような形が構築できたことで、パスコースが多く作り出せるようになっていた。
両サイドバックの藤谷壮、橋本和とも、以前のように縦だけを目指すのではなく、中盤の三田啓貴やアンドレス イニエスタとの連携の中で5レーンを意識しながら、常にサイドにトライアングルを作り出していた。
前線で2トップ気味に位置した古橋亨梧とウェリントンが中央で相手のセンターバックを広げる動きを見せ、トップ下のような形になったルーカス ポドルスキとイニエスタで、ペナルティエリア角を意識して攻撃の起点を作り出していた。
ボールホルダーは常に前に向けて人数をかける仕組みができたことで、以前のようにパスコースを見つけ難いということはなく、スムーズにボールを運ぶことができていた。
進行方向が定まったことで、イニエスタとポドルスキが近い距離でプレーできていたため、相手の守備に対して優位を保ち続けた。
そしてボールを運ぶメソッドが確立されていく中で、サイドの使い方にも変化が見られた。
この試合で何度かオーバーラップを見せた藤谷は、サイドの深い位置からも簡単にクロスを入れるシーンは皆無だった。
中央にウェリントンがいたとしても、相手との状況を考えて選択をしていたのだろう。
以前であれば、サイドを上がればクロスで終わることが多かったが、より得点の確立が高いプレーを選択するという中で、ペナルティエリア角に入ってくる選手を探し、そこにパスを通すという流れが生まれていた。


 こうした流れの中で、特に威力を発揮したのはイニエスタだった。
試合後、川崎Fの小林悠は「イニエスタは素晴らしい選手で、なかなかボールを奪えなかった」と振り返っていたが、最終的にイニエスタに対しては3人がマークする格好に待っていた。
しかしイニエスタはそのマークを引き連れながら巧みにボールをキープし、バランスの崩れた箇所にボールを通していくため、川崎Fは得意のボールを奪って素早く前に迫る形が作れなくなっていた。
同時に前線でウェリントンがボールを収める形が何度か作れていたことも大きい。
相手のプレッシャーを受けながらも体勢をキープできるウェリントンの強さがあるため、古橋の相手の裏に抜けてボールを引き出す動きも活きた。
この二つのタイプが相手守備ラインの前で躍動したことで、川崎Fは狙い通りの形を作り出すことができなかった。
古橋と三田のゴールそのものは、スーパーなゴールではあったが、そこに至るまでのメソッドは理論的であり、このゴールを偶然性の賜物と片付けることは間違っている。
特に三田のゴールなどは、完全にフリーなポジションを確立した結果であり、三田にとっては狙い済ましたゴールともいえる。

 守備については試合後、フアン マヌエル リージョ監督が「川崎Fのインサイドのプレーヤーがサポートなしではプレーできない環境を作り出そうとした」と語ったように、家長昭博と齋藤学を孤立させていた。
この両選手のパスコースを限定することで、前線の小林と知念慶を機能不全に追い込んでいた。
ボールホルダーに素早く寄せるところは以前のサッカーと同様だが、そこで球際の勝負にいきなり移行するのではなく、まずはパスコースを限定した上で厳しく寄せていくというボールの奪い方がハッキリしたことで、無駄にファールを犯すこともなかった。

 このようにリージョ監督によるチームビルディングは、確実に進歩している。
試合後の会見で語ったように「相手コートでゲームを進めるために、パスをつなぎ続ける」という部分は、チームに浸透しつつある。
前半終了時のポゼッション率では川崎Fを上回り(53%:47%)、パス数・成功率とも同様の数字(306本・87%:314本・88%)を出したことは、決して偶然ではない。
短期間にチームを急成長させているリージョ監督の手腕には、改めて感服した。

 しかし、現時点ではこの状態を90分間続けられないことも、また事実だ。
後半の戦い方には、川崎Fとの現状での差が浮き彫りになっていた。
大島僚太は試合後、前半は自分たちのやりたいことが出来ず、ヴィッセルのストロングポイントを発揮させていたことを認めつつも「システムを変えたりとか、中で話し合いながらプレーはできていた」と語っていた。
この大島の言葉にある通り、川崎Fは4-3-3にシステムを変更した。
これで息を吹き返したのは家長だった。
この万能型の選手がヴィッセルのバイタルエリアを自由に使い出したことで、ヴィッセルの守備は機能不全に追い込まれていった。
悪い流れの中でも耐えながら、自分たちの形に持ちこんでいくことをピッチレベルで考えられる川崎Fとの「状況適応力」の差が出たといえるかもしれない。


 ヴィッセルが後半60分過ぎから形を失っていった最大の要因が、ゲーム体力の不足にあることは明白だ。
後半70分を過ぎた辺りからは、全体の動きが低下し、川崎Fの動きを後から追いかける展開が続いた。
その理由を考えるとき、象徴的なのは藤田だ。
この試合のゲームプランにおいて、藤田に課された役割はイニエスタとポドルスキの作り出すスペースを埋めつつ、攻撃を後ろから押し上げるという非常に難しいものだった。
そして藤田は試合序盤から、その役目を十分に果たしていた。
しかし相当に考えながらプレーしていたことは間違いない。
これまでもゲームメークを担当していた藤田だが、リージョ監督の下でプレーして感じる疲れは、これまでの比ではないだろう。
その理由は「考える」という行為にある。
頭をフル回転させながらハードに動くというのは、サッカーにおける理想ではあるが、誰にでもできることではない。
殆どの選手が考えることができないため、そこを「90分のハードワーク」という肉体の使役で誤魔化していく。
しかしリージョ監督が求めているのは、「考える」力だ。
ゲーム体力とは、瞬時の判断を継続する力でもある。
これを高めていくのは、日常のトレーニングから考え続けるしかない。
しかし残念ながら、今のヴィッセルにそれを継続する力はまだ備わっていない。
それが解っているからこそ、リージョ監督は3得点奪った前半を、速すぎる危険な流れと見ていたのだろう。
試合後に「試合全体を通じた体力のマネジメントも巧くしていけなかった」と発言したのは、正にそこを指している。
ヴィッセルの選手にとっては、川崎Fのネガティブトランジッションが速いため、ゴール前でブロックを組まれる前に攻め切りたいという思いが強かった筈だ。
それがあのスピーディーな展開につながったのだが、それを継続するにはまだゲーム体力が不足している。

 川崎Fはこの数年間、サッカーのスタイルは貫かれている。
細かな箇所では変更も見られるが、大筋は変わっていない。
だからこそ川崎Fの選手たちは、状況に応じた対応をオートマティックに行うことができる。
小林は試合後、「神戸とは目指すスタイルは違うと思っているし、守備も組織化されているのはうちの方」と胸を張った。
ゲーム体力に自信があるからこそ、持久戦に持ち込めば勝機は見出せるという自信の現れなのだろう。
これを身につけるには時間が必要だ。
かつてヴィッセルを指揮していたスチュアート・バクスター氏は、「考え続ければ、やがてそれは常態化する。そうなれば自ずとゲームの流れに応じて自らをマネジメントできるようになる」と語っていた。
その意味では、今のヴィッセルは成長途上にある。
パスをつなぐという手段は徹底してきたが、そこに思考を加える作業が今まさに行われているのだ。
リージョ監督は「殴り合いに持ち込んではいけない相手と、殴り合いに持ち込んでしまった」と語ったが、その状況を作り出したのが「ゲーム体力」の差だったともいえる。

 こうした流れの中で少しずつヴィッセルの守備に綻びが生まれていった。
川崎Fのシステム変更によってヴィッセルのマークにズレが生まれ始め、中盤を川崎Fに制圧されていった。
前半躍動していたポドルスキも足が止まり、三田の箇所でギャップが生まれ始めた。
リージョ監督は古橋を左に移すなどして、川崎Fのインサイドの選手の動きを制限しようとしたが、これは奏功しなかった。
むしろ古橋が下がったことで、前に動きボールを引き出す動きが減少してしまい、ヴィッセルは守備から攻撃への流れが生まれなくなってしまった。
その後、リージョ監督は選手交代で何とかこの流れを食い止めようとしたが、多くの選手の足が止まっていたヴィッセルの守備が機能を回復することはなかった。

 試合後、川崎Fを率いる鬼木達監督は前半の流れが悪かったことを認めた上で、それは選手の硬さに因るものだったのではないかとの見立てを口にした。
これは鬼木監督の意地だったように、筆者は感じた。
限定された時間ではあったが、確実にヴィッセルのサッカーが川崎Fの上をいった時間帯は存在していた。
ディフェンデングチャンピオンであり、Jリーグ最強を自認している川崎Fの指揮官とすれば、それは絶対に認めたくなかったのだろう。

 試合後、藤田は「失点後、気落ちしてしまう雰囲気がある」と改善点を指摘した。
それは事実だが、その理由は何度も繰り返してきたようにゲーム体力の不足と勝利から遠ざかっていることから来る不安感に依拠している。
しかし、イニエスタが語っているようにある時間帯までは、チームとしていい戦い方ができていたことは事実だ。
確実にチームは日々良化している。
川崎Fから3得点を奪い、システム変更に追い込んだことを今は自信とするべきだろう。
橋本が語っているように「あともう少し」だ。
結果が出ていない中では難しいかもしれないが、それでも今の方向性を信じて、それを続けていくしかない。
だからこそ、この試合の2失点目のような、単純なミスからの失点だけは厳に慎まなければならない。

 最後に判定についても触れておきたい。
最初の失点だが、これは誤審といっても良いだろう。
あの場面でスライディングした大﨑が相手と接触したのは、明らかにシュートを放った後だった。
早い時間帯でこうした判定が出たこともあり、西村雄一主審と選手との間に信頼関係は構築されなかった。
しかし、三田には苦言を呈したい。
命がけでプレーしているからこそ、判定に対して文句を言いたくなるのだろう。
それは理解できる。
しかし不要な怒りを押し隠すのも、またプロの技術でもあるのだ。
適度な怒りはパフォーマンスを向上させるが、過度な怒りがパフォーマンスの低下を招くことは、広く知られている。
この試合で受けた交代後のイエローカードなどは、三田に対する心象を悪くするだけで、何の得もない。
高い能力を持ち、チームに不可欠な存在であるからこそ、三田には怒りをコントロールする術を身につけて欲しい。


 リージョ監督が発言しているように、3得点してなお敗れるというのは、非常に厳しい状況だ。
しかしできることはイニエスタの言う通り、この試合で足りなかったことを、引き続き修正し、チームとして解決していくことだけだ。
この試合で見られたチームの成長を希望として、これからもヴィッセルを見守っていきたい。
次節までの2週間、今以上にゲーム体力を身につけてくれることは間違いないだろう。
 これだけ勝利から遠ざかると、(チームの成長を)待つということも辛いものだ。
かつて太宰治は「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」という言葉を残している。
相手を待たせている側も、胸の内では煩悶しているという、太宰らしい視点ではある。
この言葉を生み出したエピソードはあの時代の文豪にありがちな駄目な面も多いのだが、この時の話が後に「走れメロス」という名作を生み出している。
そしてその小説はハッピーエンドで終わっているのだ。